私たちの精神・心理と宇宙感ー3

私たちの精神・心理と宇宙感ー3

こちらの続きを書きます

私たちの精神・心理と宇宙感ー2

映画もあります

書籍ではアブダクティーと表現されていた「精神科医とエイリアンに遭遇したと感じていることについて対面セッション(催眠療法含む)を行った」13人の方について紹介されていましたが、私はこの書籍を読むずっと前に「心理学者とエイリアンと遭遇した方とのセッション」についての映画を見ていた。 それが映画「THE 4TH KIND (フォース・カインド)」です。 セッションの様子を録画してカウンセリング(催眠療法)を行っているという内容も含まれていました。

この映画と私の行う心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの大きな違いは、セッションの模様を録画していないことです。コラムに書いている相談者さんとのやり取りなどを実際の話だと信じて頂く以外に有りませんが、極めて個人的なお話をセッションではしているので、情報漏洩などが万が一あった時の大変さを考えると録画・録音というのは今後もするつもりはありません。

また、映画の中で使用されている、「実際のセッションの模様」というのも、それが本当なのかどうかは私には判断できない。しかし、本当の録画映像だと思いたくなる様な構成にはなっています。

(このような情報もこの際なので書いておこうと思い忘れないうちにご紹介しました。)

 

また、私たちの精神・心理と宇宙感ー1で、先に書籍の内容と心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアと、書籍の中で行われていた催眠療法、それを受けて記憶を取り戻したと感じた後のクライアントの発言との共時性について触れました。

催眠療法の注意点は、私も日頃注意する必要があると思う点でもあり、かつてのフロイトの言葉としても書籍で紹介されていました。

 

私が、読まず嫌いだったジャンルとも言える内容の本を読んで感じた事は多いのですが、エイリアンと遭遇したと感じようが感じまいが、私たちの生きづらさやストレスと感じることを心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアする過程は似ているのを通り越して一緒なんだなという事が大きかったです。 特に統合心体カウンセリング™ はその傾向が強いんだと思いましたし、私が統合心体カウンセリング™ と名づけた感覚も後になればなるほど「やっぱりそうだよね」という後押しをされている感じがあります。

 

それを自分の記憶と感じるけれど

前回、感情と記憶の正確さの関係について書きました。とても感情的で、かつ、視野が広い方を直接的にはあまり存じ上げませんが、そういった方でも「記憶力が良い。」「聞いたこと(見た事)は忘れない。」という自己認識をお持ちの方もいらっしゃる。しかし、私がその場に同席していたとして「あの時あんなことあったよね」と昔話をしてもその記憶がない時だって多い。逆もしかり。私などは昔は覚えていなくても良いような事まで見聞きすると覚えていたものだが、最近は興味を惹かれないこと類はどんどん忘れていく(笑) 

このような話から、「形態共鳴」ということに話を進めたい。

 

形態共鳴

私が≒(ニアリーイコール)遺伝子とか≒細胞と書いたものは、どうやら「形態共鳴」という似たような定義?があるらしい。これを疑似科学の1つだと考える方もいるそうだし(Wikipediaより)、超心理学だという方も居るようです。私の感じている≒(ニアリーイコール)遺伝子とか≒細胞と形態共鳴は言わんとすることが少々異なるように感じていますが、疑似科学じゃなくて普通に考えられると私には思えます。しかし残念な事に私には証明ができません。

仮に「≒(ニアリーイコール)遺伝子」と名づけてみよう

 

形態共鳴という言葉を、「生命場共鳴理論」と言い換えてみよう。(あくまでも私の感じる「生命場共鳴理論」ということで話を進めます。)

お互いの生体電気磁場が影響し合って、それが思考、身体、脳内の反応に影響する。目で見ているものにも共鳴して、巻き取られやすい傾向(感情も含め)のある方は憑依だったり、解離だったりと言う特色が色濃く現れる可能性もあるという考え方です。

フォトン 光の量子と、私たちの心理・精神・行動

 

自分の人生を生きている感じがしない。虚無感、空虚であることの理由。

 

この生命場が共鳴する対象として、「集合的記憶」も含まれているよ。ということが書籍には紹介されていましたが、私もそれはあると思えています。

 

ですから、「エイリアンと遭遇したという記憶」が本当に遭遇していることもあるだろうし、そういった情報を含んだ集合的記憶に共鳴して「自分の記憶だ」と感じていることもあるだろうという記憶の出所などについて過去にもコラムを書いていますし、著者の精神科医も当然検討事項として書いていた。

他人様の記憶や、見聞した話を「自分の体験」として感じているということです。

2つのファクト。なぜこんなに認識が違うのか?

 

誰にでもあるだろうと思えますが、結構重症な方も珍しくない。 

外からのメッセージ? 自分の考え?

 

「考えているつもり」になっていると感じる時は、煙に巻かれている状態なのか?

 

立派な事を言う事は簡単だが、誰かの受け売り(共鳴)で立派な事を言う事が得意なだけであって、その実「自分が無い」なんてことはいくらでもある。そういう意味では、自分の密度のようなことが関係しているような気もする。

違いを考察してみた。影響を受けやすいヒトと受けにくいヒトの違いはなんだろう?

 

そう考えると、私たちの人生は、コツコツと自分密度を上げていく過程とも言えるのかも知れないが、この自分密度が「純度」とも関連するのかも知れない。

名より実を取る。損して得取れ。

上のコラムに「得取れ」と書いているが、つい最近「損して徳取れ」という解説を見た。得 → 徳 だそうだ。

記憶を統合する

話がいつものように横道にそれたので、戻しますが

前回のコラムでも書いているように、それが実際の記憶でも、集合的記憶から引っ張ってきた(共鳴)ものでも、現実の生活環境から影響を受けたもの(体験記憶)でも、どんどん統合していくことの良さを実感している。より正確に書くのなら、記憶(記憶だと感じていること)に対する反応・ストレスを統合していくという意味だとご理解ください。

 

なんだか密度が薄いような状態を、統合していくことによって実態を浮き彫りにしていくようなイメージです。

 

統合したと勘違いしやすいケース

これを書くと、ヒト様が「私のモノ」と感じている記憶にケチをつけるようなことになりかねないので、1つのアブダクション(論理的推論)として受け止めて頂きたい。と断り書きを書いておきますが、

「私の前世は〇〇だった。」という「記憶」について、どういった経過でそれが「自分の記憶だ」と結論付けたのかは存じ上げないが、

  • 集合的記憶と共鳴している可能性も低く無いと思うし、
  • (高貴な存在だったら良いな~)というあなたの願望からあなたが記憶をクリエイト(創造)したかもしれないし、
  • 記憶だと思い込んだ、その瞬間の思いつきかもしれないし
  • 誰かから聞いて(それ良いな~)という羨望が(自分の事・記憶)へと瞬間的に変換した可能性もある。

 

どうやら自我の状態によっては、自分を感じるということが非常に難しくなっているケースもあるようだ。

 

例)前世の統合

「あぁ私は前世は宇宙人だったんだ。」とか「お姫様だったんだ」とか、「〇〇の生まれ変わり」「魔女」「巫女」「娼婦」というような自己表明(占ってもらったとか、お告げを聞いたも含め)や、「ひどい目にあった」などとお聞きしたことがあるが、これら、自分の前世だと感じるような事を思い出した(と感じる)ところで結論付けて終わっている状態は統合とは言わないだろうと思っています。

というのも、「その結論(理由)を必要としている現実の状態」のストレスケアをスタート(又は完了)したときに統合がスタート(または終了)するようだという経験があるからです。

それらの統合が終わった後の相談者さん達は、「そういった前世と感じるような記憶が出てきた(有った)かもしれないが、今この現実を生きていくことに意識を向けてみよう。日々の生活・人生を改めて捉え直してみよう」とお考えになって、どんどん地に足がついて行かれるような気がします。 そう、前世と言うものが有っても良いし、無くても良いし、ストレスケアの過程で自分が「思い出した」と感じた記憶はあったが、それは既に完了しているから今を生きていこう。とシフト・チェンジ(意識の切り替え)されていく。

 

それは、過去世だけに限らず、人間/エイリアンの二重アイデンティティと感じるような記憶も、それが現在の生活でストレスと関係しているのならやはり統合していくという事を勧めるわけですが、書籍の中でも同じようなご意見がありました。

 

例)現実のストレスケア

アダルトチルドレンという考え方や、運というようなことが気になったり、遺伝子、脳の傾向や自分の環境、前の項の「前世」というようなことが気になったり、それがカルマだと言いたくなったりすることもあるでしょう。霊障だと思いたい時もあるし、現代文明の電磁波にやられてると思うこともある。そう言う事が原因だと思いたい・思う時期が私たちにはあって、ストレスケアの対象ともなりますね。

 

私の基本的な姿勢は、こういったことが気になる時期を経て、その先の「統合」へ進んでいくと楽になりやすい。というものです。

統合ということは、自分事として引き受けることを覚悟する「その時」を迎えて、完了させていくことも勿論含めます。

 

肝は、

脳内映像に囚われない。

という事かなぁと。

脳内映像に囚われず、統合して完了させていく。

という事をお薦めしたいです。

 

そういう時に、脳だけストレスケア(バランス調整)するよりも、身体も含めて、並行次元(集合的記憶がある次元も含め)も全人的という言葉に含めて統合していくと随分楽になるのが早いようです。それが統合心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの目的と言うか、手法です。 特定の文言だけをバランス調整するとか、ONとOFFを確認するというようなやり方をするよりは、全体性の「統合」を意識しています。

 

人生に一時期でも「自分の存在の輪郭」がハッキリする時間があっても良いと思っています。その期間中は、過剰に共鳴して、

  • 幻の自分を維持しなければ!という不安も減るだろうし、
  • 立派な過去世という理由が無くても「あぁ生きている今ってありがたい」とシンプルに感じるだろうし、
  • 勝ち負けは幻なんだ というようなゾーン(ベール)の隙間が覗けるかもしれないし
  • はっきり理由はわからないけれど、人生に感じる「心もとなさ」も消えていると思います。

 

ストレスケアを人生に活かしていくことも選べるし、ストレスケアをしているというスタイルに留まることもできる。

 

人間の脳の傾向

私には、真理って多分、ずっと目の前に見えているものだと思っている節がある。それはこの次元Aにあって、生まれてから死ぬまで目の前にいつもある。多くはそれが遠くにあるとか、隠されているとか、選ばれた人しかわからないという伝聞を信じ込んでしまったがために見えなくなってしまっているんじゃないか? と考えている節があるんです。

とこちら ↓ のコラムに書いているが、書籍にも同じことが書いてあった。

シリーズ4話目 ランオーバー・バッファオーバーランで「量子心理学」「次元心理学」へ

 

これは、アブダクティーのお1人が

ずっと目の前に存在していた

とお感じになったことと同じかも知れない。

 

 

これらは、

人間は儀式の方に囚われてしまう傾向

と書かれていて、それは前項の

ストレスケアを人生に活かしていくことも選べるし、ストレスケアをしているというスタイルに留まることもできる。

の文章の

ストレスケアをしているというスタイルに留まることもできる。

の部分にあたると思えた。

 

気づきのステップは何段階もあるんだろう。

 


自分の人生の捉え方

人生観は様々。

 

生きているだけでもOK。

そこに、人生をクリエイトしていくというオプションがあってもOK。

 

人生の条件は情報が沢山あるからチョイスしやすいが(それでストレスにもなるわけですが)、自分の人生をどう捉えていきたいか?は自分で考える必要がある。

映画の中の「細胞の話」


 

ユングとシュタイナー

私はいつも思うんです。ユングってどこまで何を感じていたのかな?って。(多分、ユングだけが名前が残ったけれど、ユングの発想や推考を支えた多くの方の体験や推論があったと思います。)

そして、加えて思うんです。不思議(オカルトやカルトを含む)にそのまま突っ走らず、最後まで人間の心理や精神に興味があったのかな?って。

それはシュタイナーも同じで(シュタイナーの名前の陰に含まれている存在だったであろう多くの方も含めて)、フワフワしない方って言うのは、最後までフワフワしないのかもしれないですね。

それか、ユングもシュタイナーもそういったフワフワも体験して、帰ってきたというようなことがあるのかもしれないですね。

居る場所。居たい場所。

 

本当に正しいことが無いのだとしたら、間違った事も無いということも言えそうです。ただ、間違ったと感じるかもしれない経験をその先に活かすことができたら最高かな?と思っています。間違ったかもしれないことを恥ずかしいからと言って封印して無かったことにするよりも、その経験を活かそうと思えることがすでにパラダイム・シフトになるんだろうと思えるんですよね。パターンからの脱却。

最後に余談。本当に余談の空想話。

UFOを見たとか、映像に残したとかはありますが、UFOを製造しているところを見たというお話は聞いたことがないです。墜落したUFOが保管されているという噂は聞いたことがありますが、それをエイリアンが修復してまた飛び立ってしまった・消えてしまったという話も私は聞いたことが無い。

私が知っている古い都市伝説では、UFOの材料(金属?)は今の地球にはない物質らしい。

 

もし私がブログに書いたような現象があったと仮定してSF好きの一人としてUFOはどのように造られるのか生まれて初めて空想してみました。(笑)

 

 

どうやって造るのか?

それはサイババが手から金粉を出したような仕組みでは無いでしょうか? 

サイババが行った「空中から物質を出す」という事の真偽があることは承知していますが、考え方はあのような事です。無から有を生むという正に言葉通り、ホログラムがホログラムではなく現物になるような仕組みがあったらUFOも一瞬で造れるな~などと空想の羽を伸び伸びと広げて考えてみました。

 

エイリアンがUFOに乗る時だけ、必要な時だけUFOを具現化する。

・・・おもろい。

 

ひょっとしたら、UFOはエイリアンが私たちに「乗り物」として見せているだけかもしれません。だって、乗り物なんかに乗らなくてもどこにでも現れることはできますよ。並行次元を行き来できるってそういうことだもの。

UFOは乗り物だ。という考え方が人間っぽいなーなんて思ったりして。(笑)

 

そもそも、エイリアンが脳コチョコチョができるのなら、姿なんて現す必要もすらも無いような気がします。

まぁ、エイリアンの科学技術?物理技術?も様々かも知れませんので、UFOに乗らなきゃ移動できない種族も、そんなものなど要らない種族も居ても良いのかもしれませんが。

 

最後に

体験とアブダクティーの皆さんとの共時性からコラムを書き始めましたが、トンデモ話だとお感じになる方もいらっしゃるのかも知れません。しかし、一方、さもありなんと捉える方もいらっしゃるでしょう。

 

書籍の著者の精神科医もいろんな可能性を挙げていらっしゃいました。

 

どうぞあなたもいろんな出来事を考察してみてください(^^)

(2021/06/07)

 

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