映画の中の「細胞の話」

細胞の情報

共通点

前回のコラムの続きを書きます。

仮に「≒(ニアリーイコール)遺伝子」と名づけてみよう

映画を見た後に、下のコラムの中の「不幸になりたがる」という内容との共通点に気がついたのですが(いやぁ これについては書いたところでどうなんだろう?)と一旦触れずに終わろうとしました。

(暗い話を書いてもねぇ)って。 

生き急いでしまう

 

しかし、対処方法が思いついたので、じゃあ書いても良いかな。と考え方が変わりました。

 

今はもう2日間のレンタル視聴期間が終わっているので、映画の内容については記憶便りですが(これが時々驚くほどあてにならない(笑))。

 

細胞の情報

映画「アナイアレイション -全滅領域-」の中では、老化が細胞の特徴(細胞にはミスがある)であり、自滅と言う言葉が使われていました。そして、その具体例も映画の中でセリフとして、

  • 飲酒
  • 喫煙
  • 家庭

などと挙げられました。

ここは強く書いておきますが、映画の中では、飲酒や喫煙は自分を不幸にしていくものとしてチョイスされ、不幸になりたいという無意識の衝動により家庭を壊すような事を(こちらも衝動として)する。というような意味だったと思います。

 

細胞の保持している情報により衝動がおきるというようなことを映画の中の心理学者と生物学者がそれぞれの分野から語っていました。

ですから、映画の中では、人類が持っている細胞の話をしているので、人間関係のどちらかだけ、誰かだけがその細胞や遺伝子を持っているというわけではないのですが、多分、その特徴が色濃く出る方から、薄めに出る方まで、他の特徴と同じくグラデーションがあると思う。

 

 

 

私の考え方

この映画をみる何年も前から本能の調整について「独り学問(ぼっち研究)」またの名を「科学」していており、それについて書いているので今一度シェアします。

バランスについて

 

これについては当面書くつもりが無いと書いた端からあらましを書き、また今日も書くという「書かない詐欺」みたいになりますが、丁度良い機会なので上のコラムの内容と似てきますが書いて行きます。

 

肝はやっぱり、ご本人の人生観が大きく関わってくると思っています。

私たちの体の中には様々な情報があり、映画の中の細胞の特徴が正しいとしても、これまでずっとヒトはいつか生命を終えてきました。冷凍保存されている方が本当にいるのかどうか実物を見た事がないので実体は分かりませんが、冷凍保存は細胞の変化を止めているだけですものね。

遺伝子情報も太古の昔と比べたら、変わってますでしょ? 食べ物が変わったり、生活様式が変わったり、体格も変わったりしていそうだ。遺伝子治療というものがありますし、これで本当に治療できているのなら誕生後遺伝子も変えられる。治療じゃなくても、食べ物やストレス、運動で遺伝子のエピジェネティックな変化が起こるという書籍もありますね。

というような事を考えた時に「本能の調整」って何がどうなることを指しているのだろうか?と思うわけです。

確かに、言葉はそれっぽい。

言葉はそれっぽい。という理由で「良い」とは思えず、引っかかっております。

 

本能のストレス。というものが有るとしたら、根元的な欲望が抑えらえることがストレスな気がする。衝動もここに含まれると思えます。

本能のストレスを解放するというのは、衝動を抑えないという事? 衝動のままにという意味もあるのだろうか?

私が無理解なだけで、それを第一択にされている方は、それをする理由があるのだろうから社会と言う同じ場で共生しておりますけれど、私自身が考えているストレスケアとは違うのかもしれない。

その理由として、本能を調整したら、「理性」とのバランスが当たり前に自然に整うとは考えにくいと思っているからです。理性ってある程度訓練して培われてくるというような性質があると考えているのがその理由です。

 

私の場合、事象の認知、認識、理解によりストレスが発生するということも考えておりますので、

  • 人間の新しい脳と呼ばれている辺りによる事象の認知、認識、理解、価値観、信念
  • 人間の新しい脳・機能と呼ばれている辺りのストレス反応
  • 新しい脳と古い脳のバランスの調整(陰陽という意味になるでしょうか?)

ということのバランスを大切にしたいという姿勢で、ある時は身体のケア(身体感覚も含む)を優先することもあります。

 

ですから、ご本人が「やばい!私(俺)ってひょっとして自分で厄介な選択をしているのかも!?」と認識して、(不幸につながるのなら)飲酒をやめようとか、ストレスをケアしようと行動を変える動機になるのも1つの人生観・理性だと思うんですよね。本能じゃなくて。

細胞は多くの情報の中の1つとして自滅ベクトルを持っていたとしたら、本能にしたがって自滅していくことは「快」となるのでしょうか? どうもそれも否めない感じがしてますが。

 

そして、一瞬のONと、長い時間経過を見た時の変化は真逆な時だってあるようです。

 

私の場合は、いろいろあるけど、生きているのは今なんだから、生きてみようよ!と思っていて、

  • 生きていく際に日々の過ごしやすさが増したとか、
  • 暮らしやすくなったとか
  • 生きている実感が感じられるとか
  • 疲れにくくなったとか
  • 心体が軽く感じるようななったとか
  • 衝動との付き合いからが上手くなったなどなど

ストレスケアの先にこういった事があると良いね。と考えています。

digital designerによるPixabayからの画像

 

それは多分、(映画の中の細胞の話ですが)遺伝子や細胞にはいろんな情報があるけれども、「人間」として私たちに備わっている考えるチカラや理性を大切にしていきたいし、そういう人生を選んだ時には、そういう人生を選んだという意思や想いがあなたをサポ―トするだろうし、対処方法もある。という私の次元Aなのです。私の現在地。

 

だから、

  • 遺伝子なんだからしょうがないじゃん
  • 細胞の情報なんでしょ

とできない理由にする必要も無いと思う。(遺伝子や細胞などは今に始まったことではないのだから。)

それは

  • 家が悪い
  • 家庭がわるい
  • 相手が悪い
  • 相手がエネルギーバンパイヤだから(前回のコラムの例)

という他責で終わったら終わりであって、

色んな条件がある。だから、私はこうしていくよ。

と考えてみるのはどうでしょうか? ということをずっと御提案し続けているつもりです。

 

どうにもならないことに腐ってしまっても、人生が勿体ない。

 

その出来ることが、ストレスケアという事だってある。 

 

あなたはどうしたいのでしょうか?

精神保健福祉士・心体カウンセラー 武田美紀

 

もっともっと基本的なこと

前回のコラムに書いた、

自分という存在や、理性・人格の保持よりも、≒(ニアリーイコール)欲が優先する

ということだって、近代社会は「自分の意味」「人生」みたいなものを大切に考えた方が良いという刷り込みがありますけれど、実際特に興味のない方も多いと思うんですよ。学歴とか住む場所とか仕事とか結婚とか「条件」は気になるけど、別に自分の人生に興味がないってこともあるだろうし、そういったことが考えらないという方はそもそも興味がないのかもしれない。

興味がないけど、あちこちで「自分の意味」「人生」について問題になっているので、その影響を受けて考えないといけないような気持になっているけど、本当の本当は特に興味がない。がしかし、それを意識化できなかったり、気づいていても「興味がない」とは言いづらかったり。

 

天職とか適職とかという言葉を知らなかったら、天職、適職という概念も今現在無いのかもしれませんが、概念が無ければそもそも「探す」という行為は存在するだろうか? 的な。

 

そんなことも、こんなことも一度整理されると良いと思います。

脳内で考えているだけじゃなくて、書き出しされると良いと思いますよ。

 

無意識を意識化した時に大変化が起きると言われていますからね(^^)

 

 

写真の女性は晴れ晴れと両手を広げていますが、これで誤魔化せるとは思っておりません。

そう、今回書くよ! と既に2回も予告した内容について、何一つ書かずに今回のコラムを終ってしまいました。

 

次回にこうご期待! (と言うしかないものですから・・・申し訳ありません。)

 

(2021/05/13)

コラム一覧へ戻る

 

 

時系列にコラム・投稿をお読みになりたい方は下記のリンクをご利用ください。

https://takedamiki.wpx.jp/top/news/