居る場所。居たい場所。

この記事の続編です。

多次元と素粒子とミラーニューロン その他もろもろ みな一緒

 

補足の為の続きを書きます。

 

私はどこにいるのか?

前回書いたような内容を実際にお会いしている時に話題に登ったことがあった。というか、話の流れで私が勝手にしゃべったんだけど。

 

その時も

「誰にでもそんな時期がある。(魔境から)帰ってきたら『お帰り』と迎えたら良いだけじゃないですか?」というものだ。余計な事だったかもしれないが、もう口から出ちゃった。ーコラム「多次元と素粒子とミラーニューロン その他もろもろ みな一緒」より

「帰ってきたら「おかえり」と言おうと思っている。

だからと言って、私が正しい場所にいるかどうかもわからないんだけど。」

と付け加えた。

 

私が正しいんだと思っているわけじゃないから、ただの好みの話、感じたことを話しているだけに過ぎない。

百花繚乱とも、魑魅魍魎とも言えそうな色んな価値観があって、正しいとか、間違っているとか気にすることが多いかもしれないし、その反応が現れる対象もそれぞれなんですが、今日、この続きのコラムを書こうかな?と思ったら あるルールに気がついた。

私だけのルールなんだけど。

 

一線の感覚がある方とは不思議とこういった話を対面でできるご縁がある

感覚が共有出来る方とは、実際にお会いしてゆっくりお話をする機会がある。

今のところのこういったご縁の人数は少ない。

 

今の主流が

  • いかに軽く一線を超えていけるか?や
  • 一線を超えられることが誇らしい。私は凄い。
  • 一線を超えることが大切で、超える=質が素晴らしいのだ。とお考えですか?

と感じたりするんだけど、多分、私が今生きているから「今の主流」と感じるだけで、今までもこれからも同じなのかもしれない。

だから、魔境という言葉も、魂のインフレーションという言葉もあるんだろうし、本能的な「一線」感覚が備わっている人がいるのだろう。

 

が、こういったお話を直接するご縁がある方は皆さんは示し合わせたように「一線」という感覚をお持ちだった。表現や感覚はそれぞれでも「あ!それわかる」という共感を示してもらえて嬉しかったし、そういった本能のようなモノがあるからこそ軽く超えないという行動に反映されておられた(おられる)。

能力があっても律していたり、そもそも興味の持ち方も違うから ヒャッホー という感じにならない。

「俺は分かっちゃってるぜ」や「私はわかってるの!」という態度もなし。ひけらかしもなし。相手の能力査定をして勝ち負けゲームを始めたりすることもない。こういうことで認められたいという欲求もないんじゃないかと勝手にお見受けしている。

だからなのか、男性も女性もいらっしゃるこのご縁の皆さんに私も安心感を感じるし、その精神性に(凄いなぁ)と尊敬の念を感じて信頼感が増す。ご縁が有難いと感謝も湧く。

今書いているような話など一切せず、ただ世間話をしているだけで十分楽しい。

もう一度、私はどこにいるのか?

「日々を生きる」という場所にいます。

 

だからMYデータにより自己研究(学問というらしいが)をしていますが、MYデータというのは個人セッションを指すのではなく、それこそ見える範囲の市中です。生まれてからこれまでの体験と経験と推察とその後の変化。これらの考察をしてブログやコラムにまとめていくのは今でも好きだけれど、ナニモノカになりたいという時期は過ぎた。

 

一線という感覚すら幻だ。

どこかにいるという感覚も幻。

分かっている。わかったという感覚も幻。

ならばシンプルで良いということになった。

 

すると残ったのは、日々を生きるという事だった。そうなると、どんな日々を送りたいのか?という事になった。

それが社訓にしている「健康と笑い声のある生活」ということだった。

 

ナニモノカになろうとして目の前のものが見えなくなったり、聞こえなくなったりする。特殊なものとコンタクトができるという幻により、目の前のものが見えなくなったり、聞こえなくなったりする。自分も見えなくなる。

 

真理を知りたいというわけでもないのなら、何故こんな自己研究をしているのだろう?と自分でも不思議に思ったのですが、私が興味があるのは、真理追及というよりパターン解析なのではないだろうか?

別の言葉で言えば、行動心理学。心理学。精神心理。

そしてこれを突き進んで行ったら

多次元と素粒子とミラーニューロン その他もろもろ みな一緒 という事になった。

 

それらしく見える。もっともらしく聞こえる。アピール上手ということを差し引くと残るものは非常にシンプルだけれど、見たいように見て、聞きたいように聞き、理解したいように理解したいということだって本能。

 

本能のままという事以外にも大切なことがある。

そういうことのお役に立てる心体カウンセリング™ ・セラピーで在りたいとも思っているし、それぞれが「ずっと知りたかったこと」はストレスケアの先にある(わかる)ことが多いと感じている。

 

それが

  • 愛でも
  • 真理でも
  • 生きやすさでも
  • 自分のチカラを発揮したいでも
  • 心から笑っていたい も

ストレスケアの先に現れることが多いような気がする。

大切にしたい事

本能も大切だけれど、理性というものを育てることも大切だと思う。

 

そのためにPCDAサイクルも使えるし、コミュニケーションも貴重だし、感情のケアもある方が楽だ。

 

理性というものすら幻だとしても私は大切に思っている。同じように愛も幻だとしても私は大切にしたい。愛のために理性を発動するということもある。愛があるから理性を発動するという事がある。信頼が双方に育つという事もある。

 

自分を育てる。

それを育てられるのは自分。あなた自身。私自身。

(2020/04/13)

 

 コラム一覧へ戻る