仮に「≒(ニアリーイコール)遺伝子」と名づけてみよう

映画が先生

先ずは映画で復習

コラムをアップして、

ブログでご紹介した映画(レンタル期間2日なので)を見られなくなる前にもう一度ゆっくり見ておこうと思って見始めて、寝落ち。

 

いけない、いけない と巻き戻して見て、ようやく気がついた。

 

コラムの内容とめちゃ似てる(驚)

 

  1. 人間は粒々でできてて(この辺りはSF映画では珍しい話じゃない)
  2. 次元トリップして(これもよくある)
  3. 時間の流れ方の違うゾーンにいて(これもよくある)
  4. A2≒B2 みたいな存在が目の前に現れた(これが一番驚いた)
  5. 理性を失う、自分じゃなくなる事を恐れた登場人物

4.は、タイムスリップした未来の自分とか、過去の自分というA=(イコール)Bではなくて、自分と非常に似たものになっていくという A≒(ニアリーイコール)B だったのでビックリ!

 

昨日1回目に見た時は1と2は気がついていたけど。3とココ(4)には気がつかなかった。単純に映画を楽しんでいたので。

見返したら ワオ!似てる! とプチ盛り上がりしましたわ。

 

5.は前回のコラムに過去私が感じていた、決定的カウンターパンチを食らって自分が無くなる恐れについて書いている。

 

「次元心理学」「量子心理学」という私の空想小説的コラムの一部が既に映画になっていた! コラムを書いたばかりだったからいつもより理解しやすいような気がして楽しい!
 

新しい発見

素粒子の不安定さ?

勉強になったのは

身体が液体みたいに揺らいで、考えがまとまらない

と言う映画の中のセリフ。

 

なるほど、人物を構成している素粒子が不安定になると、考えがまとまらないという現象を引き起こす可能性があるかもね。と思えた。

違いを考察してみた。影響を受けやすいヒトと受けにくいヒトの違いはなんだろう?

 

上記のコラムの考察のプラスαになった。

遺伝子?

影響受け過ぎちゃうって・・・

心が取り込まれる。

と言う事を 「≒(ニアリーイコール)シロクマ」で表現したのを見た時には、これを映像化したそのセンスに痺れた。

痺れすぎて、私にも新しい視点が生まれたよ。(感謝)

 

 

そしてふと、今まで私は逆に考えていたんじゃないかと思った事があった。

それは、次元A以外へのスリップ・横滑りという次元トリップは逃避習慣や、次元Aに定着できないという劣性要素かと推測していたが、これは思い込みで、自分でアレもコレもと取り込んでいく映画の中の細胞と同じ要素によるものだと考えるのなら、それは決して脆弱性から由来しているのではなくて、A≒Bな意味での取り込み力、コピー力を良い・同化したいと思ったものを取り込んでいく欲望の強さであって、それは生命力が強い証拠なのかも。と。

今までこれを私が脆弱性と捉えていたのは、(冒頭の5.で書いたように)自分を失う事は嫌だ。と思う脳のタイプとしての立ち位置と、今現在の心理学的な知識であったが、これとは違って、自分を失う事が好きだ。ということを生命由来の優位性と捉える発想の幅がないゆえに、狭い視野によりそれを脆弱性としか捉えることができなかったという可能性だ。

 

コピーしてその気に入ったものの≒(ニアリーイコール)な存在になりたい。

自分という存在や、理性・人格の保持よりも、≒(ニアリーイコール)欲が優先するという遺伝子の様なものかも。

生まれつき。

 

仮に≒(ニアリーイコール)遺伝子と名前を付けて、今後検証していきたい。(って、具体的な案は今は無いが)

え? 遺伝子? それって量子でも次元でもなくなっているんじゃない?と私も気がついたのですが、遺伝子も電気を帯びているだろうし、細胞も帯電しているだろうから、良しとしました。

 

まさに脳が違う。脳を構成している細胞の遺伝子が原因ということがあるという可能性はどうだろう?

だから、精神力とか根性とかそういう話をしている限り的外れ。脆弱性でもないからセラピーとかケアも的外れ。バランス調整ということを解決方法に持ってきても意味が無い。理由は、その≒(ニアリーイコール)欲がある状態が本来の性質だから。バランスは≒(ニアリーイコール)欲がある状態が第一択だから。

となると、肉体改造的な意味を持つ新しい行動習慣を脳に刻み込むということが優先ではなかろうか。

または、自分を無くすことを好まない人をコピーする。そのコピー状態を維持する。

 

ご本人が生きづらいとお感じになるのならカウンセリングやセラピー・ケアも良いだろうし、肉体改造的行動習慣も採択されたら良いと思うが、「世間でこれはダメだっていうからダメなんだと思って相談に来ていますが、よくよく考えたら、コピーしまくっても、自分が無いと指摘されても、特に生きづらさって無いです」という事であればそこには問題がないことになる。ご当人が困っておらず、よしんば周囲の方がそれが理由で離れて行ったとしても、自立して生活していかれたらなんの問題もないとも言えるんですね。

ですから、私もよく書きますが、「お困りでしたらご相談ください。」という文言に呼応して「お陰様で困っておりません。」という事ならそれで良いですね。

コラムにも、憑依や解離について沢山書いてきましたが、自分不在でOK、次元Aに興味なし。という生き方もあるな。と改めて感じました。私の次元Aでは、「生きてる!」と感じたふりや感じているつもりの段階を終わって、深みのある体感や実感をしていくのはどうですか? という御提案をしているので、「変わりたい時にはサポートします」という発言になっていくのですが、次元Aに興味がないままに生活していけるのならそれも人生ですね。

エンパスと憑依と見えるもの、感じるもの

 

女性に起きる「憑依と解離と、自分の中心不在」をアスペルガー症候群と理解する可能性。

 

 

ひょっとして、≒(ニアリーイコール)遺伝子の性質が強く発揮されればされるほど自己認知に繋がるような思考に集中しにくい脳内電気状態になる可能性があるのか?という仮説も浮かんだ。

 

それは前の項の

考えがまとまらない

という状態であり続けるのかもしれない。

 

あくまでこの映画を観ての感想ですが、磁場や生体電気、素粒子って未知の部分の方が大きいんだろうな~と思いましたし、相手のナニカが気に入らなくてカリカリするような事が有ったり、理解されなくて悲しくなったりしたり、察してくれなくて不満だったりするかもしれませんが、自分と相手は遺伝子が違う。

その遺伝子が創り上げている脳の認知、思考能力も違う。

感情が大きく動いた時には、「これだけ違えば、そりゃあ感性も異なるのは当たり前だ」と一呼吸置く訓練をしても良いと思います。

 

なんでもかんでも精神論や感情で片づけるのは、子どもっぽい思考かとも以前から思っていますが、それすらもこれらと同じ発想で、本当は「精神論と感情で反応するという遺伝子」かもしれませんね。

 

人間はそれぞれ違うんですよね。

 

最近は、違いが有ると「そりゃそうだ。脳が違うんだもの」と直ぐに思うようになりましたが、これからは「そりゃそうだ。遺伝子が違うんだもの」というバージョンも加えて行こうと思っています。

 

細胞を取り込む

SF映画では、異生物が人間の細胞をコピーするという発想・作品はよくあります。

映画「遊星からの物体X」とその続編など、設定がちゃんとしていて、歯の詰め物などの無機物はコピーできないんですよ。有機物はコピーできる。

≒(ニアリーイコール)遺伝子が映像化されているという前提で映画をみたら深みが増しそうです。

 

 ブログ「映画「遊星からの物体X」が他にもあったなんて

 

 

眼・視覚情報

≒(ニアリーイコール)遺伝子と勝手に名付けた機能をもったものがあるという仮定の空想を書きます。

映画のラスト近くに、主人公の女性がとある物体(現象)に見入ってしまうシーンがありますが、私が勝手に命名した≒(ニアリーイコール)遺伝子ごとく特徴が強く現れる方は、目・視覚情報の処理に特徴があると私は思っています。これまでの社会生活で、こういった特徴を持っているであろう方が映画のシーンのような表情で対象を見ているシーンを実際に見た回数もそれなりに多い。

何かを好きになると、その熱量も強くて、取り込み力も強いのだと思います。これまでは、その関心熱量の強さと自我の強さのバランスが悪いのだろうという可能性を検討していましたが、こうなってくると、そういう≒(ニアリーイコール)遺伝子的生命活動をするという遺伝子信号にしたがっているだけだということになる。ミラーニューロンが秀でて優位に働くというような遺伝子だという仮定です。

目と脳と身体と思考の調和・統合

 

こちらがより参考になるかと思います。

新しい習慣を身につけて人生を修正するために、脳の働きを利用する

この↑時は、視覚情報への脆弱性とその情報処理の方法によって自分を保持しにくいのだろうと書いています。

これを変えて行きたい時は、視野に入ってくる視覚情報には気を配るという行動修正が必要になってきますよ。一旦情報断ちをして、その間の変化を観察、検証するということもおススメしたい。1か月~半年くらい情報を断っても良いんじゃないですか? 身体感覚も伸びてきますよ、きっと。

エネルギーバンパイヤ、エナジーバンパイヤ

私はこの言葉は好きじゃない。相手が悪者で、自分は被害者だと言ってるようなものなのに、それを隠そうとする言葉遣いが好きじゃない。

確かに言い得て妙だとは思うし、一緒に居て疲れる方はいますが、それを自分の磁場が弱いからとか、じゃあ自分の生体電圧を上げようとかいう発想を全然する気がないところが好きじゃない。レッテルと貼って考えようとしないところに私は反応しているわけです(笑) 

どっちもどっち。同じ穴の狢。

 

ひょっとして、脳コチョコチョの亜種かな?とも気がついたのですが、要するに生体電気の相性が悪いだけだということに今回はしてみます。

対応策としては、

  • 自分の磁場を強くする
  • 電圧を上げる(健康的という意味かも知れません)
  • 物理的な距離をとる
  • そのあと回復して元気になる

などをされてはどうでしょう?

 

相手にレッテルを貼っただけでは何も変わらない。

 

 

勉強の神様

学生時代にはその存在を空想すらしなかったが、お陰様で脳内電気状態が boost されるという御縁によって発動したアルジャーノン期間中のため、ゾーンの中で、勉強の神様が次から次へと段取りを汲んでくれて順番に(次はコレだよ)と目の前に学習アイテムを出してくれている気がする。

今回のこの映画も、110円で見られる映画リストの中の1本で、その存在すら知らなかったし、あと2本候補があって、たまたま先にこの映画を見たに過ぎない。

見てビックリ(笑)

 

それにしても、映画を作る皆さん、天才だな~って思う。特にSF映画ってその後映画の中の空想の製品が、現実に製品化されることもあるから、やはり論文とか、エビデンスなどは「その時の資料」でしかないですね。そんなこと何も知らない人の方が性質や使い方に長けているってありますものね。脳内電気状態が伸び伸びしているのか、既知の情報内で止まるのかの違いが有るんでしょうね。

今日の本題はどこへ?

「次回に回します」と書く予定の本題を書くつもりでしが、割り込んだものが長すぎて、流れもおかしくなりそうなので、今回はこれで終ります。

書く書く詐欺じゃないので、次回予定していたことを書きますね。

 

(2021/05/12)

 

 

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