電場や磁場が視覚情報に影響

見えるんだってさ!

電流や磁場をかけると、目の前に無い映像が見える

 

ある種、トンデモ話と捉えられても致し方ないと思いましたが、関連したコラムを3つ書きました。

私たちの精神・心理と宇宙感ー3

 

いつも通り、(なんだかある程度書ききれた感じがあるから、次にコラムを書くのは当分先かな~)と感じていたところ、「全然トンデモ話じゃなかったみたいだね。」という展開になりましたのでご報告です。

 

脳科学者の中野信子さんのとある対談を聞いていたら「人間(脳)に電流や磁場をかけると、目の前に無い映像が見える」と思いっきり話していた。なんだ、私は思考を展開させて「トンデモ話かもしれないけど」と注釈をいれていたのに、なんと科学雑誌「 Nature 」でこういったことは発表されていたとのこと。私はその記事を見ておらず、いつの「Nature」なのか不明なのでリンクは貼れませんので、お読みくださっている皆様に各自で探していただくしかありません。

日本版の「Nature」なのか、海外の「Nature」なのかも不明で、残念です。(読みたいな~)

 

 

という事は、以前、

私はひょっとしたら電圧が高いというようなことがあるのかも知れない

と書きましたが、

  • 本当にそうだったという可能性もあるだろうし、
  • そういう電流や磁場がかかったようなのと似た状態を場として形成しているのかもしれないし、
  • 電気云々は関係なくて、ある種のリラックス脳波になるような場が出来やすいナニカがあるのかも知れないが証明は出来ない。

自分を整えておくと、電圧も良い?

 

 

おさらい

「見た」と感じる構造は

網膜に光を受け取る → 電気信号を処理 → 脳のスクリーンに映った → 現実だと認識

という視覚野の電気的処理だそうだ。

 

ここで、視覚野に影響するように電流、磁場をかけると 実際には無い映像が見える。

自分と環境の境目のモニター機能に強い磁力でパルスを与える。とも表現されていました。強い磁力でパルスを与えると、幽体離脱と言われるようなモノの観え方もするそうだ。(実際に幽体離脱をするという意味ではない)

 

 

場所か?

脳内映像(脳内ビジョン、不思議?映像)が見えやすい条件に

  • 高圧電流
  • 断層(中央構造線のようなフォッサマグナの近く)

という土地と言うか、場所の影響で視覚野に影響が出る可能性について(中野信子氏は? 「Nature」で?)考えているというお話でしたが、私の心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの際の脳内映像は、沖縄に限らず、関東、関西、中部(名古屋)でも脳内に現れましたし、そこは相談者さん達も同じですし、沖縄のウチでも他県でのレンタルルームでも起こることは起こるので、特に土地・場所の影響というは考慮は今の私はしていません。(全然あったって良い)

 

場所や土地というよりも「場」ではないだろうか

こちらもただの私が思いつく勝手なイメージなのですが、土地や場所はどこであれ、心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの際に私と相談者さん(施術ベッドに横になっていても座っていても)がなんだかドームのようなものに包まれるというか、入っているというか、そんなことも想像したことがあるのですが(より近い表現としては、セッション中に整っていく相談者さんの影響の中に私が居る。「場」のおすそ分け頂いている感じですが、「場」を二人で形成しているのなら二人で形成しているのかもしれません)、これもあながち的外れじゃないかもしれないな~と今コレを書きながら思いました。

 

というのも、これを書いている今現在から見て昨日のことですが、以前もコラムで利用したこちらの図が循環する映像をつかった地球の仕組みの解説をみたからです。

 

なるほど! 心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの最中に生体磁気、電場、磁場は循環していて、こういった「場」が形成されているとしたら、私がこういった事象を

なんだかドームのようなものに包まれるというか、入っているというか、

と感じていても不思議じゃないし、的外れじゃないのかも知れないな。と思えました。

 

特に統合心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアでこういった事象が起きやすいのは、セッション時間が長く設定されている、かつ、多層的なアプローチをしている、→ 「場」が一層形成される。ということは考えられるなぁ と再認識しました。

 

精神がバランスを崩していても脳内映像はみえる

変な方向へ牽引するつもりもないし、転ばぬ先の杖みたいなことを書きますが、

精神がバランスを崩していても脳内映像は見えます。それも生体磁気が暴走というか、機能不全という意味ですけれど

そういった時は、先ほどの、

自分と環境の境目

の認識が弱くなるのだと思う。

 

脳内映像を「真実だ」「現実に起こっている」ということになったり、「選ばれた」と思ったり、「高貴である」「王族だ」ということになりやすいようだ。

バランスについて

 

 

確かに、何かに選ばれる(試験に合格もそうだし)方も居るし、高貴と言われる要素をお持ちの方もいらっしゃるだろうが、現実的な要素からそれらを結論付けるのではなくて、脳内映像の影響を受けすぎてそうなってしまう時には注意してみても良いと思う。

その正誤を言っているわけじゃなくて、精神的・心理的アンバランスによるものもあるようですし、自我が今一つ脆弱な場合に他人様に影響を受けすぎるということにより「脳内映像を創り出してしまう」こともあるようだ。

 

対談の中でも、「視覚野で影響を受け取りやすい性質(脳のタイプ)」とそうじゃないタイプがあるというお話でしたが、私も度々書いているので、参考になれば幸いです。

仮に「≒(ニアリーイコール)遺伝子」と名づけてみよう

 

視覚野に環境の影響を受けすぎると、見ている世界はバーチャル(感が増すだろう)。

こんなことは誰にでも起こっていることですが、毎日の日々の生活がその他者からの影響による視覚情報の上に成り立っているのでは中々「自分」に意識を向けることは難しいのではないだろうか?

 

この専用のゴーグルをしていないけれども、ゴーグルでも使われているような電気の仕組みによる視覚映像と同じような影響は脳内で起きているということですが、こういったわかりすいゴーグルをしていないために自分では(これはバーチャルだ。脳内映像だ。)と気がつきにくいですね。

簡単に言うと、見たいように見て、聞きたいように聞いている度合いが高い。

 

ご提案

子どもの頃のような、素直な「目」を思い出してみるのはどうだろう?

 

名声や肩書や教えや思想、優劣、競争、保身など関係なく素朴に自分の視界に入るものだけを見ていた子供時代はあなたにあっただろうか?

もしあったのだったら、少しそれらを思い出してみてはどうだろう?

 

 

(2021/06/09)

 

 

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