外からのメッセージ? 自分の考え?
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いきなりですが、「考想化声(思考化声)」
統合失調症の1つの症状として、考想化声(思考化声)という現象があります。
私はただ会社員として働いている時も、すでにこういった知識を得ていて、それはそれまでの読書で得たものか、映画などから得たものかは不明なのですが、こういった現象の知識はあった。
そして、現実にその声を聞いているであろう方に、その内容を聞いたこともある。
その最初は、心体カウンセリング™ など何もしていない時のはるか昔の話で、おそらくその後の会社員時代も、時々そういった現象を体験している方であろうとお察しするお話も聞いたことがある。
心理とか精神とか、体との関わりとか、具体的な対処法を知らない個人研究の時期の話でしたが、
そういった事象(一種の幻聴)が人間には起きるという知識があったので、お話を聞きながら、「そんな話は嘘だ」とは言わなかったと思う。ご本人にとっては「声が聞こえる」「監視されてる」「嫌がらせされている」「神の声が聞こえる」「高尚な血統だ」ということはその時はFACTだと信じている(そう感じるんだ)と思っていたが、それを聞いてすぐに私も一緒になって事実だと鵜呑みにはしていなかった。
別にこの手の話じゃなくても、鵜呑みにしない話は沢山ある。その中の1つだったという事に過ぎない。そういう意味で、こういった現象や事例を特別扱いしているわけでもない。
時代がすすみ、「メッセージ」となにやら柔らかい、何かがくるまれてしまって本質が分かりづらいように感じる言葉が広がり始めた時に(なるほど)と思った記憶がある。
(新しい波が起きたんだな。)という感じだった。
その新しい波がどういった種類のものかは、今後の展開予測半分、(体験も含めて)模様眺め半分という感じで今日にいたる。
展開予測は外れてはいないという感じ。
私自身は元からメッセージ欲しい派(?)ではないようなのですが、
それでもその後、「今はあれらメッセージはサタンの声でした」という発表をされてカード愛好者の心を少しは揺さぶったであろうドリーン・バーチューのカード類を見た時は、メッセージ愛好者の気持ちがわかるような時もあった。カードもきれいだし、脅すようなことが書いて無いし。
(注釈:「あれらメッセージはサタンの声でした」とご本人がおっしゃっいました。と当時発表された時に発言記事を私は目にしたんですが、この記事を書くにあたりネットで検索しましたら、「全て間違いであり、自分は悪魔に騙されていた!」という言葉もありましたが、いやいや本人はそんなことは言ってないし、今でも自分のやってきた事は否定していない。という言葉もありました。私は直接ご本人に話を聞いていないのでどれが本当の発言なのか真偽はわかりません。それに、発表当時から月日が経って、ドリーン・バーチュー氏も考え方や感じ方が変わることだってあるだろう。ということを念のため書いておきます。私はカード愛好者ではないため(10年ほど前に安く譲ってくださる方がいて、2つくらい持ってますが押し入れて眠り続けています)、もし「あれはサタンの声でした。」と本当におっしゃったとしても激震は走らなかった。この真偽にこだわりはありません。
しいて言うのならば、業界?の「権威」とみなされている方も変わる時には変わるというが印象に残っています。)
こんな「業界?の「権威」とみなされている方も変わる時には変わる」ということや、このご本人が今までのことは間違っていたと思われたとしたら
こちらのコラムの「たられば。も使いよう」という部分がくしくも体現されたような感じになりかねませんね。
教えて欲しい、知りたい!という欲求が引き寄せるもの。起こす現象。
- 誰かになにか言って欲しい
- 答えを知りたい
- 理由を知りたい
- この先の展開を教えて欲しい
- 私はどうしたら良いのか知りたい
- 真実を知りたい
という欲望が人間にはある。
そして、
今は以前と比べて、
メッセージが聞こえるとか、そういった現象が受け入れられやすい環境も増えて
いろいろ閃く方々も、以前よりは生きやすくなっているのかもしれないし
かえって、脚光を浴びて、ようやく認めらえる時代がきたと喜んでいるケースもあるのかもしれない。
それぞれの特性があるので、「聞こえる=〇〇(正しいとか、嘘とか、疾患とか)」という決めつけもしないのですが、私個人的には実際にこれまでそういったメッセージ類をお聞きして、それらが受け入れやすい場合もあれば、大丈夫なのかな?と心配するケースもあった。
反応しているのはいつも通り「私」でしかない。
あれはサタンの声でした。とおっしゃった方も大転換期だったとお察しするが
まぁ確かに、聞こえるメッセージの中には、そう言った類(傾向)の声があっても別に不思議じゃない。
ただ、今回、ここまでこんなに書いてきて今更なんだけど
私がしたいのは、聞こえる声・メッセージの正誤の話じゃないんです。
「脳の統合ということがちょっと外れたときに」というと非常に語弊がありますね。
なんと書きましょうか?
そうですね、
精神と脳の働き、それらの平和・安定・統合ということに焦点を当てた場合に、それらが不安定なときに「聞こえる」と感じる声もあるという話を書きたい。
調子は良いですか? 躁状態やうつ状態などの波がなく安定していますか?
精神と脳の働き、それらの平和・安定ということに焦点を当てた場合に、不安定なときに「聞こえる」と感じる声もあるという話について
それは1つ、冒頭にも書いた「考想化声(思考化声)」ということです。
自分の思考なんだけど、外から聞こえるように感じるそうです。
自分の思考なんだけど。「ナニカからのメッセージを受け取った」と感じるという事です。
極論っぽいかもしれないけど、私自身は、それが「外から聞こえるようだけど、これは自分の声だな。」とか「これは自分発だな」という認知ができていたら良いんじゃないかと思っている。
※またまた余談ですが、私のこういった考察について、「楽しいメッセージなら(あれこれ考えなくても)それで良いんじゃない?」と笑って即答された方がいた。(笑) そういう意見もあるということを踏まえて読み進んで下さい。
実際に外や、ナニかから声を聴いたり、メッセージを受け取っているということでしたら「これは自分発じゃない」なんてことになるんだけど
このあたりを、「聞こえたけれども、もうちょっと検証・精査したい」というのは私の好みです。
遥か昔、私自身が心体の不調期があり、その渦中に(今は、あの辺りが山場だったな~と回想できる)、世の中、社会に対して、何とも言えない感じ方をした。そして、その正にそれを感じている最中に(なるほど、メンタル不全・人が健康から離れていくという事は、脳に与える影響が軽いものから重いものまでグラデーションがあり感じ方が変わる。それにより現実に無いナニカを見えたり、実際には音声を発していないなにか聞こえたりする現象もおこすんだな。そうか、なるほど。ということは、私は今相当弱っているな)と考えていたのを覚えている。
その当時、脳(と心)がうけているダメージにより諸事の感じ方も不全が起きていたわけですが、その感じ方の一握りの中に、世の中の仕組みがわかったような、現実だと信じていた世の中の裂け目からチラッと舞台裏を見てしまった気がする体験があった。下の記事の中の「スプーンなんて無い」ということを見ちゃったきがした。そして、これもまた興味深いことに、結局その時「わかってしまったこと」「感じてしまった事」が今の精神や心理を理解することにダイレクトに繋がっているし、大切なことからまんざら遠くもない。
ただ、もう一度書くと、それは「脳(と心)がうけているダメージにより諸事の感じ方も不全が起きていたわけですが、その感じ方の一握りの中」です。ほとんどはただの失調による意味のない現象だったと認識している。
※上のブログには続きがあるので、そちらもブログ内でお楽しみください。
弱りすぎて、余計なものがそぎ落とされて、通常見えない世の中や常識の舞台裏を見るルートにスポンとはまったのだとしたら、陰極まれば陽のような現象が起きたのかもしれない。しかしそこには、一切逃げられない怒涛のスパルタ直面化が起きていたことは書いておきたい。(これを「恩寵」と書いてある書籍があったことは過去のコラムに書いた)
自分のこのような体験から、何か聞こえた=これはメッセージだ! と条件反射のように信じてしまうよりも、(おや?これはなんだろう?)という一呼吸おく余裕が欲しいと思うようになった。
一呼吸無い思考は「自動思考」とも受け止められ、それらが健康回復を阻んでいるとしたら
認知療法などでは、私の書き言葉よりわかりやすく明確に「自動思考をあえて意識化し、再検討して認知を構成しなおす技能を身につける」と説明されている。
こういうのも、やっぱり一つの練習、レッスンが必要なケースがあるということなのです。
こちらに「神との対話を求めるのならば、自分との対話が先だ」というようなことを書いたこととつながっている。
不安が根底にあって、その上で聞いているメッセージ類というものがあるのならば、それは一体なにを現わすのだろうか?
コントロールできない? できる?
あっと言う間の条件反射が結果厄介なことになることもある。
逆に、良かったこともある。
私も過去に
あれよあれよと体の反応に引っ張られて運命(人生)濁流に流されたこともあるので。一呼吸置くというちょっとした考える隙すらも無い案件があることを体験済みだ。
物凄い吸引力があるもの・激流に引き込まれるきっかけや出来事は世の中に存在する。
視覚も聴覚も動いているから、何があったのか記憶はあるのだけど反応するという行動ができない。なんて種類のこともある。
動けないままに すぅーーーっ と流されていく事しかできない事も確かにある。
その逆に、そんなことするつもりがなかったのに気がついたらやっていた。ってことだってあったはずだ。
だから、一呼吸おくことを訓練しても100%発動しないこともあるし、一呼吸置かなかった時の正誤など簡単にも言えない訳です。
しかし、専門の皆さんが研究しても未知なる領域尽くしの「脳」のことを私がしたり顔で説明するのもちょっとおかしなものなのですが
・自分の好み や
・私の感じ方 なら書けるだろうと思ってコラムを書いています。
ここには特に正解の記述などはありません。
ただ、今回は、
考想化声(思考化声)という現象で、それが自分の聞きたいことを、自分で発していて
それを、有り難い存在からのメッセージだと信じ込んでしまう事が「より佳き道」「正解の道」とは限らないかもしれない。
という思考の余力、遊びがあっても良いんじゃないかな。という話が書きたかった。
そう、これが書きたいことなのだ。統合が外れていくかもしれないという可能性について
そして、あまりにメッセージにチューニングを合わせすぎて自分自身の「統合」が外れていくということだってあると考えている。
どんどん健康になっていくのなら全く良いのですが、
疾患名がつかなくたって、診断されなくたって、神の声だと信じていたって
当人が統合のバランスを崩してしまっては本末転倒ではないかな?と思ってしまうと、他人様に対して(厄介な事になるからその辺で止まった方が良いんだけど)(もうなにかしらからメッセージを受け取る・チューニングを合わせるということを封印してはどうだろう?)と以前の私は反応を起こしていた。
ですから、書き始めはそんなつもりはなかったけど、前回の「事実と解釈」というお話の1つの事例のようになったかもしれませんね。
当人がそれらを好んでおこなうのも、私が勝手に他人様を心配したのも、どれを「事実」と捉えるのか? そして「解釈」をするときの心の持ち方、姿勢の違いというようなことになるでしょうね。
ここでは正誤の判断は難しいのですが、
- 自分に安定感があるのか?
- 健康で調子が良いのか?
- バランス・統合はとれている感じがするのか?
ということは振り返ってみてみると良いのかもしれないです。
しかし、猛烈になにかに吸引されるということってあるんですよね。
薬物やアルコール、買い物、人、メッセージ、占い、情報、インターネット、ゲーム、テレビその他もろもろなども、それに波長を合わせていて
- 自分に安定感があるのか?
- 健康で調子が良いのか?
- バランス・統合はとれている感じがするのか?
ということをちょっとかんがえてみてはどうでしょうか?
その逆に、意思でコントロールしすぎても統合から離れていくことがある
また、吸引力や依存ということのある意味逆になりますが、
意志の力や、自分なりの訓練で、感情をあえて切り離すということが割と得意で、スキルとして会得してしまうケースも多くて
統合失調症にも「感情の平板化」という症状がある事を鑑みますと、自分の意思で行っても、それは統合失調(疾患名の統合失調ではなくて、心体のバランスが整っていない、の意)という結果になる事がある。
自分の生き方を模索するときに
これまでは感受性が高くて生きづらく、あえて切り離してきたり、抑圧してきた事(感情や感性)を
年齢に沿ったその先の生きやすさを再考した際に
とある時期を境に、切り離してきたものを再度統合していくことを選択する方もいると思う。
私は切り離したり抑圧したものを、その後統合したタイプです。
切り離しや抑圧したまま一生貫ける割合はわからないが、
多くの場合、人生の後半に差し掛かると(おや?今まではこのやり方でやり過ごせたけど、最近通用しなくなったのかな?)と感じる時がくるようだ。
最近通用しなくなったのかな?と気がつけるのは、ストレス対処の上級者・ベテランさんだと思う。
「意識化」できるって、ある程度進んだ状態なんですよね。
そして、なかなかこの時点で手を打とうと行動できる方は少ない。
だからこそ、手を打ちかねて模様眺めをし続けてしまうわけなのですが
しかし多くの場合、結局心体の不調となって表出してくる。
今まで通りに、
- 「現実見ない作戦」や
- 「ストレス知らん顔作戦」
- 「一生これで突破できると思ってた作戦」
などの従来選択してきた作戦からの変更は余程の事が無いと気がつけないし、取りかかれない。
こう言ったことは中々簡単にはいかない事が多いかと思いますが
「意識化」する段階がきて、
ご自分の状況に気がついて
腹をくくって行動(ストレスケアに取り組むという事)すると決めてからが本番です。
人間は、あらゆる面で統合という見方があり、目に見えないものも含めて関連していることは多岐にわたる。統合にも薄っぺらいものからぶ厚いものまでグラデーションがあると感じています。
統合の意味合いも何層もあり、この辺りを丁寧に取り組むことを「バランス調整する」ともいうのですよね。
自分の人生を大切にする。と、言葉で言うのは簡単だ。
そのために何をするのか?は一度考えてみても良いと思う。
私は何度も考えた。
試行錯誤もした。
良かれと思ったら、トンチンカンな事だったなんて例は山ほどある。
徐々に変化していって、ある日はっきりと、色んな意味で「解離ではなく、統合」を選択した。
正確には、自分で切り離したものの「再統合」を決めた。
統合には陰陽論も使える
統合の仕方も、何種類もある。
これは良いぞ!とある日編み出した手法が、
- 「陰陽論」に沿ってる。
- 陰陽の仕組みを実践してる。
と教えて頂いた事もあった。
また、再統合後は分離する前よりもなんだか強くなっているような気がする。
折れた骨はくっつくと折れる前より強くなる説があるが、あんな感じだ。
そして、2019年10月現在、昔とは比較できないほど、昔は想像できなかったほど生きやすくなっている。
はっきりと意識できるのは、再統合によって、不必要な「投影」が減ったことは確かだと感じている。
直面化と統合を選んだあなたにはこれらが絶好のパートナーになります
直面化と統合を選んだあなたにはこれらが絶好のパートナーになります。
最後に
今日のコラムも、たくさんの横道、余談が含まれています。読みにくかったら申し訳ありません。
そして、こういったメッセージ類に関する記事はこれを最後にしたいなぁと思っています。似たような事は何度も書いてきましたので、もう良いかな~と。
・・・・おそまつ。
(2019/10/13)
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