一つの回復着手点

伝え方? 本心?

私が考えたフレーズではありません。

出所はどこだか忘れましたが、なにかのメソッドの宣伝文句だったようです。

大切なのは伝え方ではなく、本心を言葉にする力である!

だそうです。

 

伝え方というのはマーケティングやプロモーションにはとても重要視される要素ですが、私がこの言葉を良いなぁと思ったのは、コラムやブログやメルマガを書く時の自分の姿勢として覚えておきたかったからです。これがコンサルティングをされる立場の方なら「大切なのは伝え方だ」とおっしゃるでしょう。

私の場合は、コマーシャルや自分を売るためにコラムを書いているわけではありませんので、出来れば、誰かの言葉ではなくて、自分の本心を言葉にして、読んで下さった方の小さくても、今すぐではなくていつかの将来にでもお役に立つことができたら嬉しいと考えています。

コラムを読んだらバランス調整完了を感じると、有難いご感想

 

上のコラムの一文ですが、

以前もとても嬉しかったご感想を紹介させて頂きましたが、この中で私の文章を読んで何かしら整うという感覚や現象があるのでしたら、
それは私のストレートな私見に何かしら共感頂いたか、気がつくきっかけにして下さった事によるのだと思います。
そこに、私が私の言葉で書いているということも含まれていたとしたら一層嬉しいです。

ということについて、表現には配慮しつつ、本心が言葉にできていたら良いなぁと改めて思いました。

 

本心を知るミクロの目とマクロの目

そして、こちらも確か書籍の内容で、これは!と思った箇所をメモしたものだと思うのですが、書籍名を覚えていません。(申し訳ありません。ひょっとしたら「居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく) 」ー東畑 開人著 こちらの書籍の内容だった気もする。)

【メタ認知】 自分の状態を客観的に見つめる。
欠点はメタ認知した瞬間に欠点で無くなり始める。
客観視した時点で脳の中では欠点を補おうとし始める。

ということも

疑わないと同じことを繰り返す。
(なにやら厄介なことを誘発していても)、現在のそれが正しいやり方だったことを証明しようとする。

ということも先述の書籍の内容かもしれない。(括弧内は私の補足です)

 

そして私のメモは

これってなんかおかしく無い?と思うと、繰り返す頻度が下がるのではないだろうか?

という自分の感覚を書いた。

 

大人になれば当たり前に身に付くものではないようです

 

中学生君とのやり取りについてもメタ認知という言葉を使っています。

「視点とは誰かに習うものなのか?」

については、他人を介して学習するものだろうと思えている。

生まれつきの性質として身につけている方はいるでしょうが、それだって、(自分には無い行動様式、自分では気がついていない行動様式を他人様を見て学習する。自分に気づく。)という事だと思う。世界にたった一人でいたら、メタ認知って言葉も要らない。そういう視点があるんだという知識は他人を介して学習するんだと考えています。

学習の仕方としては、書籍でも、YouTubeでも、実際のコミュニケーションでも、そこに興味があれば他人の視点について知ることができる。

自分のことだけ、自分の感情だけにしか興味が無いと、おそらくそもそも学習しようと思わないのかもしれない。興味というのは自分の世界を広げる原動力だなぁと思うのはこんな時です。

ですから、いっぱいいっぱいの時は、新しいことが頭に入ってこないのも当たり前だし、視野が狭くても当たり前かなと思いますし、それが悪いとか良いとか、人間の質とか、精神力とか、いろんな理由をつけて自分で卑下することもないし、他人をバカにする必要もない。

私も「知らない」という事をバカにされた経験もありますし、申し訳ないことに逆にバカにしたこともあります。そういった反応こそがその時の視野(大きさ、広さ、幅)を物語っていたなと今ならわかります。

 

多種多様な方、色んな属性の方とつきあったり、コミュニケーションをとると視野も広がりやすい時がある。自分が不快に感じる事からも、新たな視点を得ることがあるし、快に浸っているばがりでは思考が広がらないこともある。

 

先ほどのブログの内容から言えば、

上がれば下がる。下がれば上がる。という視点を持つのなら、自分の体験から自分が感じること以外にどういった要素があるだろうか?とちょっと思い巡らせてみると視野が広がる時がある。

私は度々「凶事は吉事」と書きますが、凶事にも吉事な要素が多くの場合はあるものです。

私はもう随分前、凶事と感じた「とある事」がありましたが、あぁ私は人生をなめていたんだな!と気がつきました。(笑)  それなりにシンドイことを経験していた気でいたし、それもあって、いろんなことをそれなりに分かったつもりになっていたし、生意気盛りの年齢だったし、今と違う意味でヒトを信用し過ぎた。当時は(私はヒトを信用し過ぎた)と思っていたんですが、今になって分かることは、勝手に自分が相手を勘違いしていただけでしたけどね。

下のコラムに「独り相撲」と書いています。その通りだと思う。良いこと書いたよ、ワタシ(笑)

被害者意識を持つだけ損。世界は広いこと思い出して!

 

あれは有り難い経験だった。おかげで目が覚めました。そして後年、人は見たいようにしかモノを見ていないというコラムも幾つも書けた。

こちらはその中の1つです。

事実と解釈

 

加えて、こっちの方が自分にとって良かったのは、妙な意味の覚醒ではなくて、自分の人生というものに対して覚醒したことだった。

 

私のようなボンヤリタイプは、強いショックが無いと中々行動から修正しようとする気持ちになれなかったし、今のようにストレスケアを知る前でしたので、自分の意思で悪しきパターンを断つという決心が必要だった。

 

あの時に、ちょっと強くなりました。

そして、今この様にコラムやブログを書かせて頂いていますが、頭の中だけで考えていることではなくて、出来るだけ体験に基づいたことを書くようにしていますし、数年前のコラムの書き始めの頃よりも格好・ヒト様の評価を気にする事が減り、本心ということを大切にできるようになっています。

自分を嫌いになりたくない

しかし、多分

あの人間不信が極まった経験の際に、自分をしっかりと見ることから逃げていたら覚醒(大人になる)という感覚は無かったと思う。もしその感覚があったとしても一時で、また同じパターンを繰り返していたと思う。

人間が自分を見つめることを途中でやめてしまうのは、自分のことが嫌いになるからだ。

とヒッチコックの「白い恐怖」のなかで精神科医が言っていた。

 

自分を嫌いになりたくないから、見たくないものは見ないというストッパーやフィルターを自分でかけるわけです。現在のそれ(自分)が正しい(やり方だ)と証明しようとする。

 

自分を嫌いになりたくないから、自分を見つめるのをやめてしまうことは十分あるでしょうね。私はあえてじっくりその(えー私ってこんなん?という自分の中の嫌悪感の対象も含め)を観察したのですが、確かに私もシンドかった。自分にガッカリした。もうちょっとマシになってるように努力している(してきた)つもりだったから、もう全部台無しだよ。という気持ちになったもの。

が、私の場合は、そのシンドさの先に大変なラッキーチャンスが現れたわけです。自分の人生に覚醒するラッキーチャンス。

思考だけでわかったつもりになっていた人生から少し進歩した。

そう、そして、こちらがもっと体感として良かったのは、後年(今も含め)「報われた」と思えた事です。直ぐにではありませんが、数年後に「あぁシンドかったけど、報われた。」「自分が行ったことは、自分のためになった。」と実感が持てた事です。

それより前と比較して、自分を好きになったし、信頼できたし、自信に繋がったし、許せたし、愛せるようになった。架空の自分ではなくて、等身大の自分が好きになった。自分を欠点を見つめても嫌いと感じなくなった。欠点が凄く好きというわけでもないけど、ただ「そう在る」ということが認められるようになりました。これは本当にラッキーチャンスだった。

 

ここで最初の、大切なのは伝え方ではなく、本心を言葉にする力である!という一文を思い出してみると、

大切なのは、(自分を嫌いになりそうだから自己認識を避けながらの)理想の前に、(現在地認識と同じ意味での)今の自分についての認識である。

という表現もできるかな?と思っています。

 

また別の書籍から一文がこれまた分かりやすかった。(どの本だったのか忘れました。申し訳ありません。)

ただそう望むだけでは事実は変わらない。

ということは、望みと、現状とのギャップ・距離を知ることを避けるのではなくて、回復の着手点を知るためにも、現状確認が大切になると考えています。

コーチングでも「現在地を知る」という表現を使ったりします。

digital designerによるPixabayからの画像

 

嫌いになる必要なんてない。認識する。認知する。

嫌いになる必要なんてない。認識する。認知する。とはどういうことかを書いて行きます。

 

過日、興味深い体験談を毎週火曜日に放送している「沖縄カウンセリングラジオ」内でご紹介しました。

それは、望みとのギャップや悩みについて全部書き出して、その悩みリストを眺めたら、(書ききれないほど悩みや不満があると思ったら)案外少なかったそうです。

あれ? これっぽっち? とその方は思い、そのリストを眺めて、着手できるものにまず取り掛かり、リストから減らせるものから取り組んでみたそうです。漠然と悩んでいるから着手できないですが、具体的になると対処方法、着手方法がわかるようになる。

リストの悩みのなかに、自分のチカラでなんともならないことも含まれていることがハッキリ認識できたので、もうそれについては悩んでもしょうがないと手放せたという体験談でした。

前述の

【メタ認知】 自分の状態を客観的に見つめる。
欠点はメタ認知した瞬間に欠点で無くなり始める。
客観視した時点で脳の中では欠点を補おうとし始める。

というのは具体的に言うとこんなことです。

 

ただただ来る日も来る日も頭の中でグルグルと考えているのではなくて、悩みやストレスに感じる事をアウトプットする。リストに書きだすということが心理療法で使われるのもこんな理由からです。

認知する。認知を変える。ということはあなたのストレス、悩みを減らす大きな力になります。

 

知ったところで どうせ

自分の本心を知ったところでどうせ叶わない。

叶わないなら気がつかない方がマシだ。自分が傷つかない。

 

と、無自覚で信じていることもあります。

 

どうしてそう信じ始めたのか? ということも是非思いつくだけ書き出してみてください。

その書き出したアウトプットのリストを1つ1つ丁寧にストレスケア(バランス調整)を行って下さいね。

 

自分のためになります。

回復の着手点は遠い場所にあるわけではないし、有名な立派と言われている誰かが握っているわけではありません。

あなたの「ストレスケアというものを、一度やってみようか!」という奮起と行動が着手点です。

大切な自分の「本心」にどうか耳を傾けてみてください。

 

セルフケア、ストレスケアはこちらの手法をお薦めしています。オプション講座の内容は「自分の中の流れ」とはなんだろう? なるほどこういう事か!と体感覚を理解できるようになります。

蔑ろにされている、蔑ろにし続けたあなたの「本心」のケアをしましょう。

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あなたにも、ラッキーチャンスが降り注ぎますように(^^)

(2020/09/22)

 

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