被害者意識を持つだけ損。世界は広いこと思い出して!

今回のコラムは長文です。

被害者意識から抜け出すターニングポイントはなんだろうか?と考えた

アメブロに書いた記事の続きを書いていきます。

この記事の中のリンク先の動画の公開期限があるし、私のこのホームページは海外数か国から読んで下さっている方がいらっしゃるので諸外国では動画視聴できないため、その補足も加えながら記事を完成させていきたいと思っています。

こちらがその最初の記事です。お読みください。

アメーバブログ「ファクトが多い理由に思えた。意識と脳の30分くらいの映像」

 

実際に見ている映像と脳活動から復元した映像

動画の中では、もっと違う映像が紹介されていましたが、略したらこんな感じです。(ちょっとだけサイズも変えています)

動画の内容とは違いますが、自分が興味がないことは知覚した記憶が無いことが多いようだし、精神状態が不安定な時に見た映像は、安定しているヒトが見たそれとは随分違うようです。恐いものが大きく見えたりもしますでしょ?

番組の中では、復元した脳活動映像でしたが、私達の記憶はもっともっと曖昧です。

イラストで言えば、「遠くの桟橋に気がついていないと記憶にないだろうし、サーフボードがあったことも覚えていない。空に雲があった?なかったの?」という視覚情報もそうだし、

話し言葉などは、全然違う意味に受け取ってるってこともある。自分が相手に「こう答えて欲しい」「こう思っているに違いない」と思い込めばこむほど、全くそんなことを言っていないのに「そう言った」と記憶されます。

言葉自身も勘違いされるし、発言した側の心情を聞いた側が勝手に推測したソレが正解だと信じてしまいます。

被害者でいたいという傾向があれば、自分が被害者になるような刺激が脳で処理される

同じ言葉を聞いても、気にしない人、その言葉を非難したくなる人、責めたくなる人、被害者意識を持つ人と反応は様々です。

その反応も、当事者の認識に変容が起きると、同じことを聞いてもその後のとらえ方が違ってくる時があります。

 

Aさんを正義、Bさんを厄介。と思っていると、Aさんの言う事は正当だと思えます。

ナニカがあって、Aさんが自分が思っていたような正義じゃないと気がつくと、Aさんの言動・行動への新しい解釈と、Bさんの気持ちが見えてきます。Aさんが思っていたようなヒトじゃなかったんだと今までの色眼鏡(バイアス)が消失した瞬間にAさんが厄介。Bさんが正義だと180度認識が変わる時がある。こんなことちっとも珍しいことじゃない。ヒトは見たいように見る習性がある。

 

世の中のもめごとは大抵こんなもんです。

 

甘えたい依存性の強い特性をもっていると、それを果たしてくれない、甘えられない相手を逆恨みするときもある。

 

一体、そのもめ事の内容は何なのか?をよく見ようとしないと見えないし、感情に左右されていると見誤る。聞き謝る。

 

それは、周りが自分の何かを投影して、自分のうっ憤を他人を使って晴らそうとする人間の心理と、その神輿に乗っかっちゃう人間の心理です。いわゆる焚き付け要員です。非常にくだらないけど人間社会に一番多くあるもめごとの真理だとも言える。

私は○○さん派!などと言うタイプはほぼ焚き付け要員かもしれない。感情だけで動いているケースが多い。

 

子どもの社会も大人の社会も、誰かをのけ者にする時ってこんな心理ですものね。

スケープゴートを創って、自分の保身を保つということでもある。

 

他人のうっぷん晴らしの神輿には乗らない程度の認識力は大切だな~と思えます。そして、自分も誰かを投影の神輿に乗っけない意識もね。

それは被害者を創らないことにも繋がるんじゃないかな。

好き=良い人。有名人・権威者=正しい。 という思い込み

寄らば大樹の影的、誰かの下に付いていたいという人間の欲求があるんですね。所属欲求とも言える。

自分で考えるのではなく、知識をただ蓄積して、それを「自分は考えている」と思う事も似ていると思います。

伝聞の達人ではあると思いますが、「自分で考える」とは割と対局ですね。

 

そんな場合は、崇拝が終わった時に、見えなかったことが見えてくることが多々あります。

それは今まで他のコラムでも散々書いてきて、常識、両親、人間関係、権威、盲信型尊敬、伝承などなども含みます。

見たいように見る。

 

今の私には、人間関係のごちゃごちゃとした実際の体験は良い事例体験だったとしか思えない。非常にいい経験でした。

今では私自身も不必要な被害者意識ストレスを感じるクセもおさまり、過剰にそれらを刺激されて長引くこともない。反応したらストレスケアするだけです。

 

だって、これこそ人間関係によくある事例ですよ。

理解し合えない人と付き合うのはやめなさい。なんて言葉がありますが、そんな激しいモノじゃなくても、自然に終わっていく関係もあるでしょ?

そして、私は「いかに認識が違うのか」という体験として思い出して記事にできるわけです。有り難いです。

 

いろいろと切ないことも世の中には多いものです。

その被害者意識が独り相撲の可能性はありますか?

今回の被害者意識の記事について、いくつもの結論があるんですが、

その1つとしては、被害者意識 独り相撲説。とでも言いましょうか。

 

あんな人とは思わなかった。とよく人は怒ります。

しかし、ヒトが変わったというよりも、元からそういう個性、性質があったんです。あの人あんな人だと思わなかった。というのは勝手な思い込みした側の心情です。

勝手に思い込んで、「こんな人だと思わなかった!」という怒りをぶつけるのも少々ズレてるし、それで自分が怒り・悲しみを抱えるのは独り相撲

ケースバイケースですが、被害者はいないケースって多いんだろうと思うんです。被害者はいないけど、人間の多様性を学ぶ機会にはなると思います。

 

私も散々、理想を勝手に投影して、「あら、違ったわ」ということをやりました。勝手に悲しんで「こんな人だと思わなかった」と嘆いたことも随分やりましたから、「その現実は自分が創っている」説の一部には賛成です。

 

このコラムの冒頭にリンクをはったブログにも書きましたが、物事をうけとめる脳と反射、反応と理解が千差万別だと理解すればするほど、理想と現実のギャップによるストレスが減りますね。

 

全然違う認識のヒトばかりが集まっている中で、「理解されない」というポイントにばかり焦点を絞ることが独り相撲ということです。

私も散々やりましたからお察ししますが、そこからさっさと立ち去った方が早く楽になります。相手は最初からそういう人格だったのです。途中で変わる方もいますけれど、そういう変化を内包していた人格であり、変化に気がつかなったのは貴方(私)でもあるんです。

理解がもらえない相手を選んで、理解して欲しい!と独り相撲している。

 

そもそもあなたがこのヒトに理解して欲しいと選んだ相手のことを貴方は理解しているのでしょうか?

見たいように見てるだけでは? 聞きたいように聞いているだけでは?

 

被害者意識を手放したら同情がもらえなくなるから手放さない!

被害者でいることをやめない。と決めている方にわざわざ私が特に申し上げることはないのです。

 

1つには、愛情が欲しいという事の現れではないかと思います。

また1つには、悔しさと憎しみ、怒りを生きる糧にしている。

 

このような生き方はあるものです。

この生き方を気が済むまで続けるぞという選択の結果が、被害者意識を絶対に手放さないと行動に移している現在なのだろうと受け止めてもいます。

 

貴方が将来、これらを手放したくなるのかどうかは私にはわかりませんが

自分の人生としてその道を選んだことを私は尊重したいと考えるようになりました。

(以前は、早く手放すと楽になるよ。と言いたかった)

事例

被害者だという立場を主張してそれを同情を得るために使いたい。

 

メリットがあるからこういった思考タイプの被害者意識は中々手放しがたい。

そういったことも個人の選択している人生なんだと実感するようになりました。

 

とことんその「被害者道」を進んでみるのもいいかもしれない。

もしそれが「陰」ならば、陰極まれば陽になるかもしれません。

その可能性はあるでしょ?

極まるほどですから、時間の単位は少々長めだと思います

私のこれまでの人生で、おそらく陰極まれば陽となったことがあると思うんですよ。だから、誰にでもあると思う。

愛情を試す

嫌な事をして、それをどこまで我慢してくれるか試すという愛情の試し方ってありますね。子供時代にはやったりしますが、大人になってもいつか期待したものがもらえるのではないか?と期待して相手を試し続けるヒトっています。

おそらく、その試す人の考えている本物の愛情を欲しているのだろうと思います。ロマンチスト的な思考の、何があっても、何をしても、どんな自分でも愛し続けてくれる人を探しているんだろう。それが本当の「本物の愛情」だと思っているんですよね。知らないからこそそういう想定をした「本物の愛情と思いたいナニカ」でしょう。

私の見た範囲では、大人がその手法で功を奏したケースはありません。短期的には欲しかったものを手に入れたように見えても、長期的に見た時にご本人が一番シンドイ事態に変わっている。

そしていつも思うようです。「自分は被害者だ。分かって貰えない」と。

 

人間とは複雑な生物です。行動様式もそれを身につけた経緯を想像するといろいろ思う事はあります。

 

短期的にも長期的にも相手を試し続けながら幸せになっている方が世の中に何名くらいいらっしゃるのかは私にはわかりません。

最初から理解が異なると分かるとシンプルなのにね。

ある日私は車を駐車場に入れようとバックしていました。

その時、道路の向こう側から小学1~3年生くらいの女の子がこちらに渡ってきました。

そして視界から消えました。

小学1~3年生位なら、バックしている車の後ろにいたら危険だという事くらい分かるだろう。と思いつつ、視界から消えているから車は動かせません。

よくよく見たらちょうど一番見えにくい場所に立っている。

そのままバックして駐車しても、子供が一人立つくらいの場所はあるけれど、危ないから私の家の駐車エリアから数分だけ移動して欲しい。

車をパーキングにいれて、車から降りて、「車を駐車場にバックでいれるから、そこは危ないからどいていてね」と伝えたら、なんとも不思議な声(不満の声? あれは何だろう)を出して数メートル横へ立つ場所を変えてくれました。

で、車に乗り込み、またバックをしようとして後ろを見たら、また同じ真後ろに立ってる(◎_◎)

磁石で吸い寄せられて、そこにくっ付いちゃうわけ?と思うほど先ほどと同じ場所にたっています。

 

たった今、声をかけたら場所を移したから「どいていてね」という言葉の意味は分かったはずだけど、10秒?20秒?ももたずに、また同じことをしている。危険好きか?と思えますが、多分子どもってそうなんだと理解しました。

 

なるほど、彼女が気にしてる友達が私からは見えない場所にいて、この女の子の注意は全て友達達に注がれている。

友達のことを気にしている今は、この今最も危険な場所に「居たい」わけです。

この女の子は、「危ないからどいていてね < 友達」なんですね。

他の同じ年齢の子は危なくないところにずっとおりますので、この女の子の脳のタイプが関係しているのかもしれません。危険好きという脳の状態はあるんですよね。

 

この話は、相手は子供だからね。と確かに私も思ったのですが、次の瞬間には「大人だって丸っきり同じことが起きてるじゃん」と気がついたわけです。

 

  • 伝えたつもり。だが、相手が理解しているとは限らない。(この場合は、女の子は車を運転しないし、次の行動を予測することはまだ困難だった。)
  • 一度は伝わった。だが、相手の忘れる速さが予想を上回る。
  • 目の前の事だけにのみ反応。見えなくなったら終わり(この時なら、訳の分からない大人が車から降りてきたから怖いから移動したけど、車にまた乗りこんだで姿が見えなくなったから処理済みになり意識からなくなった可能性)
  • 内容はともかく、ナニカを言われた時点で頭真っ白。(この時は、知らない大人が登場した時点で脳がフリーズしていた可能性)

 

この事例は、なんにも相手に幻想を抱いていないので、「私のことを理解してもらえない」などと被害者意識を持つ隙間がないんですよね。女の子が私のことを理解しているわけない。初対面だし。子供だし。

大人は相手が大人で、ある程度の付き合いがでてくると「私は相手をわかっているつもり」バイアスも「相手に私を理解してもらえない」バイアスも登場するわけですね。それは嫌いよりは、好き、好かれたいという対象者により多く反応が起こることとは言えるでしょうか。

 

親が子供に理解してもらえないと嘆く、子供が子供に理解してもらえないと傷つくということもありますが、今日は触れません。

違いの確認

先ずは、認識ありきですね。

共依存や境界性パーソナリティー障害、アダルトチルドレン他の傾向がある方は、今までの人間関係を振り返って自分の認識傾向を棚卸して、理解すると被害者意識ワールドから脱出しやすいですよ。

割と「あぁ本当に自分の認識・認知次第で感じ方が変わるわ~~」と一度でも心底から体験されると、元には戻りにくいものです。それまでの色眼鏡・バイアスが ヒュッ! と消えますと、憑き物が落ちたような楽で生きやすい別世界が見えます。

 

出来事、会話、事象の理解のスピード、深さ、関連する体験の有無などによる脳内処理の違い。

脳のクセによる反射、反応の違い。

解釈の好み。嗜好性。

 

こんなことが絡み合って、人間には差異があるんだ。ということが当たり前に受け止められるようになります。すると自分のそれまでのこだわりが必要無いんだと分かる。

 

結構爽快ですよ。

 

世界は広いんです。

それを思い出して欲しい。

わからないなら、今生活している環境以外のどこかを見てきてください。

補足・余談

以前書いた今回の記事までの経過の記事です。

「共振」と「共感」は異なる。「共振」は自他の境界があいまい。カウンセラーは泣いてはいけない?!

この記事に、事実と全く違う話をしたり、それほどまでに覚えていられないのはナニが影響しているの?と思えるほど顕著に感じる事例について

昔の私は、こういった嘘ストーリーは何かしら「魔」によるものではないだろうか? と1つの可能性も持っておりました。

これこそ、脳内リミックスの中の原始的思考分野だと自覚しております。

と書きましたが、18世紀のドイツでは解離は悪魔憑きと考える向きがあったそうです。

被害者意識だけで一向に「自分」になろうとしない大人についても、子どもの私は「これは何か『魔』が関係しているとも考えられるぞ」などと子供探偵気分で考えていた時期もありました。

今でも、霊的なものだとしか選択肢がないのは18世紀のドイツと同じでしょうね。原始社会の日本(世界も同じだけど)とも言える。現在でもこういった思考は脈々と生きているので現在進行形とも言えますが。

人間の中にはこういった原始的思考があるもんだなぁと我が身を想いつつ、18世紀から基本的には21世紀認識に私も変容しているようです。(笑)

 

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EBISUさん

コラムを読んで下さる方から、「あぁ あの記事がよかったからもう一度読みたい!と思っても、沢山記事があって探せない(困)」と聞いたよ。

 

心体カウンセラー 武田美紀

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(2018/10/27)(2018/10/28 一部加筆)

 

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