VR(バーチャルリアリティー)と現実

VRと現実

振り返り

頭の中だけで実感した気持ちになることはVRでも体験できますね。

 

確か作家の吉本ばななさん(だったと思いますが)の小説かエッセイに、

街には頭ばかりが大きくなった昔の宇宙人のような人間が多くて。

と書いてあったように思いますが、身体性が伴っていないと、頭に生体電力が集まって大きく感じてもおかしくないし、体がヒョロヒョロだと感じるのは身体感覚のほうの電圧が低いとか、磁場が弱いとかいう表現ができそうだな。と連想しました。

 

で、前回「バランスについて」書いたのですが、身体感覚が働くバランス感覚と言うのがあると思うんですね。

 

イメージによる具現化と、実際の次元Aの違い

そのバランス感覚は、VRで綱渡りを体験するのと、実際に体験するのとは脳の状態は全然違う。身体感覚は違いますよ。(この2つは、脳の状態が違うという研究データがあるという記事もFacebookでシェアしましたが)以前コラムにも書きました。

自分の人生を生きている感じがしない。虚無感、空虚であることの理由。

 

今回は綱渡りを例題にしてみました

 

VRの綱渡り、ロープはゴーグル内で見ているけれど、立っているところは平面だったりしますでしょ? ロープは実際のロープじゃない。

 

 

実際にこんな綱の上に立ったら、風は吹くわ、綱は細いわ、ブルブル動くわ、ほとんどの方はバランスはとれないわ、高さに身がすくんで恐怖心がとんでもないでしょ? 命綱がない状態で最初の1歩を出す勇気が湧きますか?、相当慣れていないと、そもそも綱の上に立つということができないだろう。

 

しかし、VRならワーワー言いながらも命綱なく足は踏み出せる。怖いけど落ちないからね。
 

脳波や脳の電気反応はもちろん異なるでしょうね。

足の裏の感触、バランスをとる筋肉や腱その他もろもろ、重力感もろもろが違うんですから。

確かに脳は錯覚を起こして、現実とイメージの見分けがつかないという一面もあるでしょう。想像しただけで心臓がドキドキして汗をかくことだってあります。だからと言って、全てに適応されるかどうかはまた別。

 

こういった認知の立ち位置が補助線0(ゼロ)という状態とも言えるのでしょうか?

 

バランス感覚を脳内でシュミレーションするのなら

そういったバランス感覚を育ててみようとした時に、

そのバイアスを取っ払うと A2≒(ニアリーイコール)B2 というような事象って多いもんですよ(と、私は感じています)

と考えたので、上とか下とか、良いとか悪いとかは一旦考えず、図2のように ケースバイケースで、右と左というような同列でモノを見る(認知する)ということもご提案した。

 

図1

 

 

図2

 

左右

右と左という図2に、またまた補助線0(ゼロ)を引くと、囚われるという事は良きにつけ悪きにつけ起きるという事をイメージしやすいというような感覚を探しやすくなると考えています。今は、健康的な状態を知る時に図3のような補助線0(ゼロ)を確認しながら考察することをお薦めしています。

 

図3

上の綱渡りのイラストならば、真ん中の補助線0(ゼロ)の上でバランスを自分で取っているようなこととも言えるのかな?

サイの角のように歩むじゃないですが、こういったバランス感覚は自分の中に培うものでしょうね。何かに凭れていては自分のバランス感覚は養われないのかもしれないです。

こういった事を考えて、「ナニカが無いとできない」というストレスケアよりも、いつでも、手持ちが何もなくてもストレスケアができるという方法を私個人は好んでいますし、お伝えしています。

 

バランスを失ったら、また取り戻せばいい

そして、これは絶対に書いておきたいのですが、AやBがダメで、補助線の上以外はダメだとは考えていません。

そもそも陰陽に良い悪いってないですね。事象の分類だけですね。

 

私(俺)は影響を受けない! と頑張っている方が自己認知に怪しさがあるなと感じるほど、誰でも影響を受ける。それが大きな人も小さな人いるが、大切なのは、影響を受けた後の立ち直りだと思う。 影響をうけて少々ダメージがあっても、その後に起き上がりこぼしみたいに、 ミョーーン と軽々と起きてきたらいいわけですよ。 ーコラム「違いを考察してみた。影響を受けやすいヒトと受けにくいヒトの違いはなんだろう? 」より抜粋

 

戻ってくる場所を想定しておくと、起き上がりこぼし手法が使いやすい。 軸足を置いておく。とか表現されることもありますか? 

厄介とは どんな厄介なのか?

 

 

補助線0(ゼロ)ってなんだ??

そもそも、補助線0(ゼロ)とは何を現わしているでしょうか?

 

私は、

  • 意識化
  • 認知
  • 気づき

このような意味合いが補助線0(ゼロ)だと思っています。

 

この「0(ゼロ)」は、

  • 無かったふり、
  • そもそも気がつかないでいたい、
  • 知らなければ無いのと同じなんだから。

という意味では使っていません。

気がつかないでいたいという不安や逃げたい欲求に「気がつく」と→ 0(ゼロ)になるようです。

 

 

そうですね、力業になりますが、綱の上に立っていてもバランスを崩すような恐怖心が0(ゼロ)になるというのはどうだろう?

綱渡りが楽しめたり、周りの景色を余裕をもって眺められるようになったり、頭でっかちではなくて、身体も頭とバランスが取れるようになって綱渡りのコツが飲み込みやすくなったり。

 

 

今日書いたような事を、数字の0(ゼロ)という表現を使っていますが、ということはこれは観念上の「無我の境地」や「無」と同じなのか? という事に関して私は答えられません。各自詳しい方にお訊ね頂くか、ご自分でお調べください。

ただ、脳内多次元で、あなたがどの次元が居心地が良いのか? 次元Aはなぜ居心地が悪いのか? ということを

  • 意識化
  • 認知
  • 気づき

されると、それ自体がストレスケアになる。

 

受容との関係

  • 意識化
  • 認知
  • 気づき

されると、それ自体がストレスケアになる。なぜなら、補助線0(ゼロ)って、陰陽両方とも受容しているような状態になるからでしょう。そして、陰陽両方からシンドクなるような影響をうけない。

受容した後ってストレスになりにくいもんですよ。

 

ストレスになっても、また補助線0(ゼロ)に戻ってきたら受容できているわけだし。

次元Aの状態も受容できるようになれば、次元A以外へ逃避しに行く必要も減ってきますよ。

 

 

(2021/05/07)

 

 

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