多くの場合、「補助線0(ゼロ)=幸せ」ではなさそうだ
今コラムは、私のコラムやブログを書く時の(大袈裟に言うと)姿勢を書くつもりだったが、また悪い癖で補足を書きたくなりました。
だらだら?と続いて書いてしまうのは私の悪い癖なのですが、以前、コラムを読んで下さってる方から、「もっと1回の文章が長くても良い」とご感想を頂いたので、このついつい(となると、あれはどうなる?)とか、(あぁ、こういう別事象のことが脳内で同じものと認識されるのかもね)と感じた事をメインテーマを書いた後に、しまりの悪い蛇口現象としてチョロチョロでてきてしまう。
ということで、今回も宜しくお願いいたします。
スタートします。
Contents
補助線0(ゼロ)について
気がついたら「51:49」が「50:50」になっていた
この下でシェアしたコラムは約1年弱前に書いたものですが、この時に既に私の脳内はブースト (boost) されていたのが良く分かる。
今日はこのコラムから抜粋した文章をこちらの図を見ながら補足していきたい。
おっと間違えた。
下の図です。
「せめて51%の善、49%の悪という辺りで持ちこたえて、ちょっとだけでも、せめて善に生きて行きたい」
という長年の祈りにも似た気持ちが、すっかり解放されて、
おそらく、中庸ってこの辺りなんだろうと思える
というような次なる気づきに繋がった。
言葉を操ったらそれが分かったような気持ちになる時があるのは確かですが、体感というものや、感覚というものに大きな差がある。
そもそも私も長らく自分が(神様お願いですから)という祈りにも似た気持ちで「51%の善、49%の悪という辺りで持ちこたえたい」と願っていたこと
上のように願っていたのは、人生のアレコレがあった時のダメージから回復できず、「性根が腐る」というような決定的なカウンターパンチが自分に決まってしまう事を恐れていたからです。性根が腐るとは非常に強い言葉ですが、おそらく理性の低下や手段を選ばない欲望の炸裂と達成願望だろうと言い換えられるような気もするが。
何かのど真ん中に自分が居られる瞬間に「なんにもなくなっちゃう」のかもしれない。欲望や執着などか消えちゃうので、エゴの暴走とかが起きないのかもね。
何にもなくなっちゃう体験の前から、すっかり落ちついていたし、心体は安定していたし、生活も気に入っていた。
が、その状態から、もっともっと削ぎ落されるとどんな感じがするのか?という体験は人生のラッキーな発見でした。
そして、今になると、このある意味「0(ゼロ)」になった時になぜ落とし穴に落ちてしまうような現象が人間に起きるのか? ってことだよな~ と書いたはなから、仮説を立てた。それは「0(ゼロ)」は一瞬なのに、未来永劫これが続くと勘違いしたからじゃないだろうか? 手に入れたと思った時に欲望が炸裂するんでしょうね。
言い方を変えると、自分が特別な存在になった(という意味の、「神になった!」や)、ついに手に入れた!と歓喜した時には そりゃあその状態は「0(ゼロ)」じゃないものね。ふむふむ。
一瞬の補助線0(ゼロ)は一瞬でしか無くて、人間と言うのはそうそう変わるもんじゃないという事なのかもしれない。
という事は、私が自分でコントロールしたわけじゃないけど、あの瞬間に(おや? ナンダコリャ?)とキョトンとしたのは良かったんだろう。そもそも特別な体験・体感を目指すという欲すらなかった。 その後、(これは超重要 注意案件だぞ)と思えたのも良かったみたいだ。
私が「51:49」ではなくて、いつのまにか何かしらの中心、「50:50」という感覚を選ぶようになったという変化の理由をあえて考えてみると、過剰な恐れを手放したことでしょうね。
自分を信じて良いんじゃん。と感じて、その感覚に慣れていくために、それまで転落を予防すべく念入りに仕込んでいたセーフティーネットを撤去した。
いや、次元Aの生活を快適にするための配慮などはしていますが、自分が信じられないが故に採用していた内面裁判官を解雇したということです。
こういった信念体系を変えたという事にもなるでしょうか?
そして、勘違い(?)が始まる
こういう話になると、良い悪いの2極思考優位のかたは、次は「0(ゼロ)か、0(ゼロ)以外か」という2極思考になったりする。
だから人生の目的も「0(ゼロ)への道」みたくなって、即興修行のようなことに突入して行かれることがある。しかし、その即興修行がまた次なる厄介を生んだりするから厄介なのだ。厄介のループを一度お休みするという思考にお1人ではなかなか到達しない。その理由は2極思考だからだろう。これをやめたら0(ゼロ)になれないと思い込んでしまうからだろう。
その時点で、補助線0には居ない訳だ。
〇〇が無いと補助線0(ゼロ)に居られないというのは非常にパラドックスに満ちているような気がするが、どうなんだろう?
しかし、そういった道(人生)も好き好きである。
ダメとか良いとかいうのではなくて、左右のどちらかに入るだろう。皆そうだし。
私の場合は、
- あぁ美味しそうなコレ食べてみたいなぁ
- 楽しい
- 嬉しい
- 洗濯された気持ちの良い服を着たい
- お布団干した後にその上で寝転がりたい
- 面白い映画や本が読みたい
- 他人様とのコミュニケーション
などなど、人生に嬉しいことがあるので、暮らしやすい日々というのは実際は0(ゼロ)じゃなくて厳しく言えば左右のどちらかに属している。そして幸せである。
幸せになるんじゃなくて、幸せに気づくこと。という名言があるが、こう言う事も含まれていそうだ。
そうですね、昔メンタルにダメージを受けている最中、性根が腐るようなカウンターパンチを食らうのだけは避けたいなぁと思いつつ、当時は会社勤めをしていたので、(あぁ働いていればお給料は貰えてお金には困らない。これはラッキーなことだ)とか(非常に弱っているが、それに耐えられる丈夫な体で良かった)とか(一人ぐらしの賃貸という帰る私の家がある)と自分のラッキーポイントを支えにしていましたよ。
だから(悲劇のヒロインみたいな酔っぱらい方をしないようにしよう。あれをやると拍車がかかるぞ)って思ってた。(悲劇のヒロインになるくらいなら、何も考えない方がよっぽどマシだ。)と考えてましたね~(笑)
いつまで続くのかわからないこの期間は、精神力が大切だぞ!と自分でも意識していた。
そう思うと、
「51の善:49の悪」で居たいと思いつつ、知らず知らずのうちにナニカしらの中心、補助線0(ゼロ)を意識し続けてきたようなことになっていたんですね。
善悪という上下の対称思考と、補助線0(ゼロ)でも、一応ブレを押さえるという役割を果たすのでしょう。
それは多分、良い悪いという縦の思考だけや、陰陽的な(例として書いた)左右という横の思考というそれぞれの思考でも補助線0(ゼロ)が中心にあるからかもしれません。
図が斜めなのはご愛敬。左右と上下はこう書いたら区別がつきやすくて見やすかったので。
以前、リアルマスターヨーダとお呼びしている大竹先生が、陰陽は立体だとおっしゃったときに、今とは異なる感覚で おお!!!! と感動しましたが、今回自分の体験を言葉で書いて来たら、なんと! 立体になったではないか!
始めから陰陽を上下の線で表現しても良かったので、この左右も上下も陰陽です。そしてその左右ぶりや上下ぶりによっては縦横の位置にグラデーションがあることでしょう。
なんと、描いた曲線に膨らみを持たすと、球体っぽくなってきますね。
棒の先端に丸い球体のCandyがついた「棒付きCandy」がありますでしょ、真ん中を貫いている棒の位置にあたるのが補助線0(ゼロ)だとイメージしてください。
従来のコラムの内容に、今回立体の図が合体しました。
自分で観念や体感から書いてきた事をまた違う視点として合体しました。これも統合と言えるでしょうね。
しかし、あえて曲線を半円分までしか描いていません。
(これには理由がありますが、非常に文章にするのが面倒くさい。書いてみたら呆気なく事を終えるかもしれませんが、次回に回します。)
やっぱり先を進んでいる方は見えている世界が違うんだな~
と、あの当時の大竹先生の脳の端っこに今ようやく到達できたのかもしれない(笑)
これは2極思想になるのか?
私の今日現在の考え方ですが、ON=補助線0(ゼロ)ではありません。
直ぐにナニカを答えだと思い込んでしまう性質だと、ON=補助線0(ゼロ)とすんなり頭に入ってしまうでしょうね。
上下のライン、左右のラインのどこに居ても、ONとOFFが出ると既に書いていますが、その場所・その時のONとOFFでしか無いんだろうと考えています。
例えば、カウンセリングなどを行う時に、次元Aの問題を扱いたいと思いつつ、カウンセラー、相談者共に次元Rにいたらそれが次元Aに直ぐに還元されるのかどうかは不明ですものね。直ぐに還元されなくてもいつか還元・循環されたら良いですが、スリップの促進という役目をしている場合は横滑りしている間は次元Aには還元・循環されにくいと思われます。
上の例とは別に、二人共次元Aにいて、問題解決の過程で次元Q(例 前世だと感じるような感覚や、内部対話を外部からの声だと思っている映像・感覚)のイメージがひょっこり出てきて、そこも同時進行でケアするのとは 補助線0(ゼロ)との距離感は全然違うような気がする。
お互いは影響しあうので、どちらかの次元Aが優位に影響する時もあるでしょうし、次元Aが違う次元Wへ持っていかれる時もあるでしょうし、元々次元Aに居ないという事もあるでしょう。
(あぁ、理屈ではですよ。)
離れて行く理由はなんだろう?
なぜこんなことを考えてきたかと言うと、
カウンセリングやセラピー、セルフケア、一種の修行などをすればするほど、補助線0(ゼロ)からもっともっと離れていくようなことってあるのかも。と勝手に感じてしまうケースが少なくないからです。
ところが私は本当はそれを魔境なんて言葉で終わらせたくない。そこを「科学」したいわけですよ。既にある概念に疑問や解答を沿わせて行く事や、検索して今ある概念で答えを得たと終わらせることは私の中の「考えること」「科学」とは異なります。
別に既に答えがあっても良いし、多くのことは私が知らないだけで結論や言葉があることも知っています(それを教えて頂けることも勉強になっています)が、それでも検索じゃなくて「考えること」「科学」したい。それは全部ではなくて、私自身の興味のある対象だけですが。
ですから、コラムやブログに書いていないことも多いですが、書いて発表しなくても、自分の感覚や体験を「考えること」「科学する」を通して言葉にしていくことが趣味なのです。第一、学生時代や会社員時代、いやいや今でも十分、私がしたい話を一緒に盛り上がることができる環境って無いですよ。今のこのコラムやブログ以外には特に無いです。考えていることは人それぞれですから。そしてそれが日常生活のコミュニケーションの場に無くても、楽しんどります。ワクワクしています。
私が興味があることを話した方が良いのかと気を遣って下さる方もいらっしゃるのは非常に有り難いのですが、その方が察してくださった「武田に合わせた話題」は予想に反して私に合っていないことだってあるわけです。ですから、好きな事を思う存分自由に考えられる方が、日常生活の場で一緒に盛り上がることより優先だったりします。有り難いことに、日常生活は日常生活生活の楽しさや話題があります。
1人静かに、おーーーっと、棚から牡丹餅みたいなラッキーひらめきが来たぞ!とワクワクしたりしています。安上がりです。省エネタイプです。
言葉にするときに、書かなくても脳内で行うだけでも良い。専門用語じゃなくて良い。専門用語よりも自分の感覚に近い言葉をあえて使いたい時が多いです。
もとい
と、また脱線してしまいましたが、
ケアをしても補助線0(ゼロ)の位置から離れて行く理由としては、「夢から醒めたくない」とか「酔っぱらっていたい」ということもある。
例えば、私のコラムなどを読んで下さって、「ゾーン」とか「補助線0(ゼロ)」とか「統合」というものが良さそうだとか、そっちにいた方が良さそうだと思われた方が、自分も既にそうだという「酔い」へと自分の状態を創り上げて行かれるときがあります。
龍が流行れば龍、オーラが流行ればオーラ、なにかしらの神々が流行ればそれら、メッセージもそう。自己陶酔という行為はとても多い。他からの影響を受けやすいのも確かでしょうが、良さそうなものに自分を一気に寄せていき、合体した(共鳴している)という状態を脳内で創り上げる。
私は、書いたものがレイヤーの一部になるようなことがあれば幸いだろうとは書いていますが、信じ込んで欲しいとは思っていない。
ご自分の次元Aをしっかり感じてみることはお薦めしていますが、ご自分を消して、アチコチに共鳴して、次々と酔いの対象を変えていくということは次元jumpの繰り返しで健康的な還元・循環とは言えないと思っている。
相似形・フラクタル
また、何かが無いとできないバランス調整は補助線0(ゼロ)の状態形成の土台になる可能性は低いだろうと今のところは思っていますが、先述の通り、「補助線0(ゼロ)=幸せ」でもないので(次元0(ゼロ)≠(ノットイコール)幸せ)、各自の人生と、暮らしやすさを感じた日々を送っていかれたら良いと思う。
別に、私の書いていることが絶対的な法則でもないし、次元のどこに居てもご自身が納得されていたら、それがご本人の選択だろう。
夢から醒めたくない。もありだし、酔っぱらっていたい。もあり。
アイテムを使ってバランス調整をして幸せならば、それは幸せでしょう。
私はただ、補助線0(ゼロ)について考えたことを書いているだけなのです。
私は相談者さんや、知識やスキルを会得した後それを使いたいという受講生さんと対話をします。そして、バランス調整をする際に自分の体験や「次元心理学」「量子心理学」と書いているような視点をご提供して、ご本人の次元Aのストレスケアを行っていますが、コラムを読んで下さっている皆様の状態については情報がありません。
ですから、否定も肯定もしないし、鵜呑みにして欲しいわけでもないです。ましてや酔っぱらって欲しい訳じゃない。
「買い手の責任」ですので、あくまで私の考えです。強制力はそれこそ0(ゼロ)です。(笑)
自分で人生、次元Aを考えて、実際に活動していって欲しいです。
↑ こっちじゃなくて
↑ こんな風に、という御提案はしています。
今日はここまでです。
続きは次回です。またお会いしましょう(^^)
(2021/05/07)
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