豊かさを感じる。豊かさを感じられる。 こんな感性は自分で育てられる特殊能力の1つかもね。

足るを知る者は富む

以前、ブログにアップした記事です。

  • 自分が特別扱いされるお殿様、お姫様だと思っていたり
  • ささやかな事でも、自分のプライドが傷ついたという過剰な承認欲しがり癖も

共通していることは、他人にサービスを強いる。またはその不足に激しく反応を起こすという事かも知れない。

 

ちょっとしたことでも「愛してくれない」「愛されていない」という心の反応に直結するのは、ご本人も疲れるだろうし、周りも疲れるんじゃないかな。

 

こちらの記事に、

理想とのギャップに悲しむ という勘違い

 

足るを知る

という言葉を書いたが、キーボードに「足るを知る」と打ち込んだら「足るを知る者は富む」という全文が登場した。

 

そうなの? と思った。 (富むんだ。 へぇー)という感じ。

 

あなたは、「富む」と読んだ時になにを連想しました?

お金ですか?

 

私も最初は(お金が?)と思ったんですが、この手の諺に「答えがお金」ってことは無いだろうから、(私なら何だろう?)と日課の散歩をしていた時に考えるともなく考えていたようで、(お金じゃなくて、きっとコレだな)と浮かんできたのは、「心(や感性)が富むんだろう」でした。

前の行をタイピングして、ネット検索したら、やはり

足るを知る者は富むとは、満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということ。

という事でした。

 

そして、今ここで改めて知覚したのは(時間が経ったら、また忘れてしまうかもしれないが)

足るを知る者は富む。足るを知らぬものは貧しい。

というその続きがあったことでした。

 

ちなみに「老子」です。

 

と言うところで、今回のコラムは、「理想とのギャップに悲しむ という勘違い」という過去のコラムに続けます。

 

引き寄せの法則を逆算して、先に「与える」ということよりも

引き寄せの法則を逆算して、自分が受け取るために 先に「与える」ということよりも、見返りを求めずとも誰かの幸せを祈ってみるのはどうだろうか?

という記事を書いた。

 

不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる

 

逆算して、その法則を利用してゆくゆくは自分の「利」のために。ということも別に悪いことじゃない。

そのご本人Aさんが「利」のためにした行為でも、そうじゃなくても、Aさんから与えられた行為によってBさんが「救われた」と感じることだってあるし、喜びもあるだろう。そういう意味では win×win です。

 

しかし、ちょっと引っかかってしまったのは、私が度々「純度」と表現するあたりについてはどうなんだろう?というような事でしかなかった。

それを他にどうやって表現したら良いのかイマイチ思い当たらなかったんですが、それを なるほど! と思う言葉とエピソードで語っておられるオーディオブックに出会った。

 

 反応しない練習エクストラ ~「出家な」生き方、始めませんか?~

  • 著者: 草薙 龍瞬
  • ナレーター: 草薙 龍瞬
  • ロングセラー『反応しない練習』の著者で出家僧の草薙龍瞬が語る、ここでしか聴けない特別なエピソードを全5回でお届け。

というオーディオブックです。

 

そこでは、ただ他者のために祈るという事を「慈しみ」と表現されていた。

 

そう、リターンなど意識的にも、無意識的にも考えたり、期待するのをやめて、「慈しむ気持ち」を持ってみてはどうだろうか?

自分では気がつかないが、しかしその結果(利益としてのリターン)を期待するという無意識的な利己的な行動ではなくて、ただ「祈る」「慈しむ」ということを体験されてはいかがだろうか? どんな体感がするのか感じてみてはどうだろう?

 

強制などできることじゃない。

リターンを期待する事が悪いことじゃない。利己的なことが悪いことでもない。

そういう良いとか悪いとかいう判断領域以外のとある場所に「慈しみ」という感情が息づいているような気もする。

著作は読んでおりません

著作はまだ読んでおりません。手元にもありません。

が、非常に手前味噌ですが、

こちらのオーディオブックは、おそらく私のコラムを読んで下さっている方には非常に分かりやすい語りだと思います。

いやいや、この方の著書を読んで、著者のオーディオブックを聴くのが一番良いのは当たり前なのですが、私のような著者・草薙氏とは違う人も似たようなことを違う体験から文章を書いているというクロス検索みたいな理解方法のお役に立てると思えました。

 

著者の僧侶の草薙氏の、中性的なお声も聞きやすいし、勉強だけじゃなくて体現者として自分の言葉で語りたいということがにじみ出ているような気がします。

そして、この語りを聴いていると、おそらくまだいろいろ反応点をお持ちなんだと思いますが、でもそれって人間道を歩いておられたら「私は抜けた」「私は悟った」「私は知った」という虚勢も張る必要が無いだろうと思うんですよ。

ましてや、解脱者になるということについての多くの方の夢中ぶりというのは、まさに「業」極まれりというか、後付けというか、選民思考だろうと感じています。それこそブッダは「必要ない」とおっしゃっていないだろうか?ということを、仏教について勉強もしていないくせに屁理屈で考えていた。

 

「救うんだ」「導くんだ」という事も、それってコントロール欲や承認欲求、ヒーロー願望じゃないの?とか。

そう、自分が勉強していないのを知っているので、ただただ「私はこう考える」と言っていたに過ぎない。そして、屁理屈なんだろうなぁと自覚もしていた。

 

そして、先月辺りの年末年始に、やはり私が住んでいる社会をこれら信仰心や教えや思想が下から支えて守ったり、救ったりする地盤を形成した功績は計り知れず、その恩恵に預かっていると理解した。

 

これらがあった上で、私は人間道をいく。と決めているわけですが、どうやらその嗜好はブッダと似てるみたい。

常々、世間でよく言われている仏教とか、「教え」の内容って、最初は違っていたんじゃないか? 元々はもっともっとシンプルなもので、それを水戸黄門の印籠のような「これを理解しているんだぜ、スゲーだろう」とか、「守らんとイカン!とどんどん複雑になっていく細かいルール」みたいなものは伝承されてきたときに全然違う人が加えたんじゃないか?と個人的に思っていたんですよね。宗教じゃないよ教えだよと言いつつ宗教的に伝えているとか、最初は純粋に関わっていたとしても「救うんだ」「導くんだ」という思想になってくるということも、「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」的にはどうなん? とか。

 

ということも、この草薙氏の語る「ブッダさんのおっしゃったには。」ということと似ていたように感じたんですよ。

 

 

kindle版しかないのかな? 今日現在私は未読で、kindleでは本を読む習慣が今のところないくせにお薦めします。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」 Kindle版

上のkindle版は先にご紹介した

 反応しない練習エクストラ ~「出家な」生き方、始めませんか?~

とは内容が違うと思いますし、他にも特典付きのまた別のオーディオブックがあるようですが、私が自分が実際に聴いて良かったのは、エクストラの方です。

(しつこいですが、著書は読んでいないので)

 

著書を読んでいないが、オーディオブックをお薦めした理由

お薦めしたのは、

  1. 語っている草薙氏の「私は僧侶ですが、宗教の話をしているとは思わないでください。」とおっしゃるところもそうなんですが、
  2. 仏教の内容が変わっていった経緯や、その理由なども(なるほど!)と思えたことや、
  3. 私が度々書く「脳のクセ」という言葉とは違えども同じことをおっしゃっていることや、
  4. 「幸せになろうとしない」と他者が感じるようなご当人の行動、心の仕組みの解説や
  5. 上に続いて、「心は頼りにならない」という表現や
  6. 私が「My灯台」と表現した内容について、また違う伝え方をされているところ 他

と多く挙げられます。

 

ですから、私のコラムを読んで下さっている方が「それは仏教的には、いや、ブッダ的にはどうなるの?」と知りたくなった時には(という非常に、恐ろしく厚かましい書き方になっていますが)お薦めですし、ブッダの言葉も、現代風、現実的、女性版、行ける所まで行こう風に書くとこうなる訳ね。ということに私のコラムがちょっとお役にたてるような感じもしました。(重ねて、厚かましくて申し訳ありません)

 

ということで、草薙氏のオーディオブックによると、私は「出家的な生き方」をしているのかもしれませんね。(笑)

1つの判断

草薙氏もオーディオブックの中でおっしゃっていますが、人生の立て直しをしてみようと思ったら、「一旦ゼロに戻して、組み立て直す。やり直す。」ということをお話されていました。

 

私も人生の中で何度か組み立て直しを意識して行ってきました。

草薙氏曰く、ブッダは?出発点の仏教は? 輪廻転生は取り扱っていない。という事でしたね。それを取り入れたのはカースト制度を肯定したい皆様だったというご説明でした。

そのONは、OFFの中のONだとしたら、どうやって解決していこうか?

 

よしんば私が他人様に「一旦ゼロに戻して、組み立て直す。やり直す。」という方法を勧めたくなったとしても、決めるのはご本人だし、これって結構体力も精神力も使う時があるので、「(そうすると)良いんだけどね」とは言えても、そう簡単に強く勧められない。

 

しかし、ある時、ご自分のパターンに ハッ と気がつかれたのだと思うが、セラピストということを一旦休止された方がいらした。

直接この件についてはご本人とお話していませんが、何か大切な事に気がつかれたんだと勝手にお察しした。大英断だと感じた。

大英断という言葉の意味は、

重要な決定をする際に下す、非常にすぐれた決断。

です。

 

私は彼女の選択を非常に尊敬した。なかなかスッパリと行動を変えるのは難しい。仏教的な意味の「執着」、今の言葉なら「習慣」を断ってみることって難しい時があるわけですよね。

新しい習慣を身につけて人生を修正するために、脳の働きを利用する

 

が、私は他人だから非常に勝手ではありますが、まさにそこに人生の手放したいパターンから抜けるジャンピングチャンスがあったと感じたし、そこを考え抜いて、行動に移したことで彼女はそれをつかんだ。と他人の私は誠に勝手ながら感じ、そして非常に尊敬した。

 

良い所を手放したな~ と ううむ とうなった。

ううむ とうなりつつ、心の中では拍手喝采というか、人間の素晴らしさを見せてくれてありがとう!と感謝の気持ちすら湧いた。

人智学という考え方ー5 生命意図

 

別に将来的に再開したくなったらそうしたら良いんですよね。

立て直しを最優先にして、他を一度休むという事すらも、脳のタイプによっては難しいのだという事を多分私は知っていると思っている。

 

勝手に書きますが、彼女は「足るを知る者は富む」ということはどんなことか?を今も現在進行形で体感されているんじゃないだろうか?

益々、彼女のために祈りたくなる。

 

彼女の人生がどんどん富みますように。

ラッキーチャンスが降り注ぎますように。

 

執着

草薙氏のオーディオブックの中で、執着と言うことも話題にされていますが、

私がアイテムを使わないセルフケア講座をお薦めしている理由もそこにあって、ナニカが無いとストレスケアができない。というのはアイテムに対する依存や仏教的な意味の「執着」を生むと感じたからです。

アイテムに対する依存や仏教的な意味の「執着」を利用して、依存や執着のストレスケアができるのかどうかを私は知らないが、ただただ個人的に「自分が居たらセルフケアができる」という状態があるよ。ということを伝えることが「健康的」と感じたんですね。世の中の多くのバランス調整アイテムを否定したいわけじゃなくて、私個人が「健康的に感じる」ということを優先させたという事です。

使用頻度という事もおそらく私の「健康的に感じる」ということに関わっていると思うのですが、それなら何も使わず、リソースを自分として、マメにバランス調整・ストレスケアが安心してできるセルフケアの方法が良いなぁというのは私の好みによるものです。

 

私は時々、「私は『寄らば大樹の陰』じゃないので、ご自分で『大樹』になって陰を創って涼んで下さいね」と笑いながら言います。

 

自分が頼りになるようにしていく。

自分を拠り所にする。

 

という意味です。

 

草薙氏も「自分を拠り所にする」ということをおっしゃっていました。

 

もちろん、他人様と支えあって生きていますが、自分でも自分を支えていくという状態になっていくことも大切ですものね。

そうなると、過剰な執着も自然に必要なくなってきます。

こういった事に対して私が心体カウンセリング™ で行う事は、

  • 対話
  • 認知の確認
  • ストレスケア

です。

 

何というか・・・非常にブッダの教えと似ていましたね。これは驚きでした。

相似形・フラクタル

もう救われている?

苦しい時に、「あなたはもう救われている」と聞いたら腹が立ちますね。悲しくなりますね。話す気力もなくなりますね。

私がこちらで「救われている」と書いた背景を書き足します。

理想とのギャップに悲しむ という勘違い

 

 

私が なるほど! と書いた「救われている」ということは、今の日本が

  • 銃社会じゃない
  • 安心して眠れないような戦争が起こっていない
  • 災害などが起きたときに略奪などの暴動がおきない
  • 夜一人で歩ける場所が多い
  • 落とした財布が戻ってくることもある
  • 食糧がある
  • 音楽を楽しめる
  • 娯楽や芸術を楽しめる
  • 接客をしようというホスピタリティをもったお店が多い
  • 思いやり という言葉があり、実践している人も多い
  • お互い様 というような温かみのある人間関係を築いている方もいる

というようなことを「平和」と捉えた際の なるほど! です。

 

理不尽なことはあり、汚職もあり、いじめもあり、悪もあるでしょうし、納得いかない社会生活も、困難もおこります。

それは有りますが、暴力的なことを、自分の意思で避けようと思えばまだ避けられる可能性が高い。

というような社会が成り立っていることは、やはり「豊か」だと思うし、「救われている」と思えたんですね。

 

私自身が成長する過程で、家にお金はあるけど子供が食べる食事はなくて、栄養失調になったことがありました。

栄養がなく、バタッと倒れるものですから、度々病院で栄養注射を打たれました。

アレって針が太いのか、結構痛いんですよ。デカい注射で液体の量も多くて。

 

当たり前に食べるものが有るわけじゃないんですよ。

働いてサラリーを貰って、独り暮らしをするようになって、それで食生活を整えることができて、理不尽の塊の様なめちゃくちゃな日常から解放され、争いごとが無い、平和で静かな生活をおくれる天国が手に入りました。その上、ここ数年は心の中も天国time中です。安心感と安定感と幸福を感じています。

そう、私はお陰様で足るを知ることができ、結果 心が富みました。

 

生かされているなぁ。ありがたいなぁ。と感じます。

もう、物凄く自分にとって有り難い体感です。喜びが内面から湧いてきます。

 

ですから、不満を言ったらキリがない。

足るを知らぬものは貧しい。というのは、自分の幸せを感じる能力や感性のことじゃないかと思えるわけです。

先ず、自分が行動したり、努力できることがあるのなら、You can do it.  自分ができることを、低く見積もることも、高く見積もることもなく、出来ることを沢山やってみることも大切かなぁと思うんですね。自分は動かずに、評論ばかりしているのは幸せには繋がりにくいと思います。

 

私も不満も怒りも勿論ありました。

 

しかし、自分の人生に不満があったり、怒りを抱えていたり、人生が暇だと感じたり、面白くない・つまらない、と感じていたら、重箱の隅を楊枝でほじくって不満を生むようなことはやめられない。感情移入をしやすい争いごとが好きだったり、戦っているものに興味が吸い寄せられる。

 

世の中を良くしていこう!という視点と、重箱の隅を楊枝でほじくるような視点はちょっと?随分?違うと思うんですよね。

正論だろうけど、正論だろうが何だろうが、人生の暇つぶしじゃなくて、自分の幸せためにできることっていっぱいありますよ。

その一つがストレスケアだと思っています。自分の為のストレスケアです。

ストレスを減らしながら幸せ脳を増やす

脳内の幸せホルモン 出てます?

 

世の中を良くしていこう!という視点も、重箱の隅を楊枝でほじくるような視点も、どちらも、またはこれ以外も、全てが社会のなかに「在る」ものなので、それを評論してもどうにもならないのですが、もし、「足るを知る者は富む」ということに興味をお持ちでしたら、自分の人生に不満があったり、怒りを抱えていたり、人生が暇だと感じたり、面白くないと感じているということについてストレスケアをするという方法もあります。

 

心体カウンセリング™ もあるし、セルフケアもあります。

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後記

オーディオブックって存在は知っていました。

オーディオブック愛好者も過去の知り合いにいました。いつもイヤホンしてた。

ポッドキャストというものも歴代のiphoneにアプリが入っていました。使わないからタップすらした事が無かった。

Amazonのオーディオブック、一冊目は無料。という広告も眼に入っていましたが、これまで使わずにきました。

 

 

今回初めてオーディオブックを利用して分かったことは、自分の聴覚についてでした。

慣れないことを始めたときの、独特の感覚があり、新鮮でした。

 

また、日本に生まれついて自然にしみ込んだもの以上には、もうこれについて知ろうとし~~~~ない。と遥か昔にお別れした「仏教」について、

というか、ブッダの教えというものについて、初めて「等身大」感を感じました。

(このコラムを書いて、その晩寝ていた時に、あ!そういえば、数年前、話題になったか、進めて頂いた仏教の本を読んだよね。と思い出しました。過去のコラムでもご紹介しています。遥か昔ぶりに数年前に仏教について数冊読んで、また さよなら~とお別れしたのでしたよ、そう言えば)

歪曲されていないというか、なんというか。 いや、知らないから、歪曲かどうかも判断できていないのは承知していますが・・・う~ん、なんというか、解説がまどろっこしくないというか・・・

そうですね、ご本人の言葉で話されている感じが受け止めやすかったです。

 

草薙氏も将来はどんな変化をされるのかはわからないし、実際に会ってお会いしたわけじゃないので、語ることとご本人の印象が実際どうなのかもわかりませんが、オーディオブックからは等身大感を感じました。

 

名声や、経歴、なにかしらのタイトルホルダーという盾がなくても、「等身大」ということが受け取り手という私には話が届きやすかった。

楽しい時間でした。

(2021/02/01)

 

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