新しい習慣を身につけて人生を修正するために、脳の働きを利用する

新しい習慣を身につけて人生を修正するために、脳の働きを利用する

タイトルが全てです。

今回は短めに書き終える予定です。

 

 

心体カウンセリング™

脳に関する本は多いですね。こちらもその中の一冊だと思います。

「手に映る脳、脳を宿す手」手の脳科学16章

私はこれまでも、「脳を鍛える」とか、「新しい反応をする脳を創る」とか「シナプスを新しく繋げる」とか、「身体の動きや反応を利用して新しい習慣を脳に沁み込ませていく」というようなことを私の感性から表現してきました。同じ言葉を使った専門書もあると思いますが、専門書はより学術的な内容になっていますよね。

そして、脳の勉強だけをしても、自分の生活に反映させない限りは生活習慣は変わりにくいだろうという事も書いてきましたが、勉強しただけ、知っただけで、「もう理解している」「もう出来ている」「私は変わった」と思うのが私たち人間の特徴でもあるようだという事も書いてきました。

理解と言うのは、実際にそれを体験して、検証して、修正してというようなPDCAサイクルをしている方の方が深いのは当たり前かとも思います。

それは、評論家か体現者かというような違いとも言えるでしょうか?

 

今回のタイトルと結論をこの書籍から引用しますと、

脳は可塑性があり、変化に迅速に適応することができる。可塑性は現在、学習・訓練・リハビリテーションに関連する重要な用語である。

となります。

 

この書籍の中でも、他の資料からでも良いので、「活性シナプス」という状態を一度見ておくと、「脳を鍛えていく」「脳を成長させていく」という意味合いがイメージしやすくなると思います。

シナプスを繋げていこう

ラバーハンド現象

ラバーハンド現象については本書で初めて知った言葉ですが、その原理は私たちの感情や、投影や、ミラーニューロンによる反応ということと似ている部分もありそうです。

また、見たものを、自分の才能としてCOPYできたと思い込む現象ともとても似ている部分があるようにも感じました。

視覚刺激の感じ方というか、脳内での処理の仕方と言うか、「型」を真似たら「本質」まで習得できたと思う事とも似ていそうです。そうなると、理解の深さとも連動してきます。

というより、本質と言うものがあるという、そもそものその手の想像力の有無なのかもしれないし、感性の話なのかもしれない。または、物事に関する時間感覚という認知の領域なのかもしれないが。

 

自分の人生を生きている感じがしない。虚無感、空虚であることの理由。

 

見た→脳内でイメージできた→私ももう出来る

と思う事も多いでしょうが、それが体を使うものであった場合は

見た→脳内でイメージできた→それを再現する感覚と運動能力が伴うまで訓練、レッスンする→私ももう出来る

という経緯が必要でしょうが、

それを再現する感覚と運動能力が伴うまで訓練、レッスンするというのは、なかなか奥が深く、この領域も多岐に渡るという想像力が必要だという事になるのかもしれませんね。

(また、本書を読んでいたら、私ももう出来る という幻覚を感じている可能性についても思いをはせてしまった。)

 

 

他にも思い浮かぶのは、1つの「脳の柔軟性」のようなものでしょうか。

 

 

脳の柔軟性と、体の柔軟性はどの程度関連しているでしょうね?

同じく、脳の柔軟性と、心の柔軟性は?

また、脳の柔軟性と、感性の柔軟性は?

この辺りが委縮していて
猫背の原因になっていませんか?
呼吸は深く吸えていますか?

または、本質というものを感じられるチカラ、感性自体の可能性もあるが、このラバーハンド現象という記載を読んだら、「視覚と、それを処理する脳の働き」ということが一層浮き上がってきたような気がした。

 

と思いつつ本書を読み進んだら

ミラーニューロンは視覚野及び辺縁系の情動に関する領域と強い関係性を有する。

という記述もあったので、(あぁ やっぱり)という気持ちになりました。

 

視覚情報も変えていくこともご提案します

酔っぱらってしまったり、影響をうけて自分を持っていかれてしまうというようなことは、「視覚」と強く結びついているんだろうとも思っている。

まさに、視覚と情動の関係性だろう。

人智学という考え方ー6 天秤

 

ここのストレス耐性が強いのか?脆弱か?という事も「生きづらさ」「苦しさ」と関係しているだろうから、ストレス耐性がちょっと弱いかな~~?と自覚される方は、不安を煽るニュースや、暴力的な情報、刺激の強い視覚情報、SNSによって気分の乱高下がしやすいという事になる。

ですから、自分のしっかりとした意思をもって、そういった影響を受けて情動・感情が激しく上下するものを「断つ」「さける」「減らす」という行動変容を行わないといけない。いくらストレスケア(バランス調整)を行って潜在意識・無意識をケアしても、同じ刺激を引き続き受けるという行動を再開したらまた心体はストレス過多状態へ傾くし、情動も乱高下しやすい。

 

ストレスを減らして、人生を生き易くしたいと思うのならば、今の生活習慣・行動習慣はやはり変える必要があるでしょう。

よく、「習慣を変える」と見聞きしますが、聴くのは簡単、やるのはそれなりに自制心も必要です。自制心を働かせるためにも、自制心を呆気なく追いやってしまいがちな「強い情動」は起こらない工夫が必要だというのはこんな理由からです。

 

先述の言葉を書き換えるのなら、

自分が影響されて不安定になりそうな情報などと、自分の情動が乱高下しないようにつきあえるような安定性をコンスタントに再現する感覚と対応能力が伴うまで訓練、レッスンする

となるでしょうか。

 

ですから、私の場合は、バランス調整はストレスケアに活用して、行動変容は、認知行動療法によってご自身で続けて頂く。という方法をご提案することが個人セッション、セルフケア、共に基本スタイルになっています。

 

強いストレスで機能が低下した脳も、他の脳の部位が発達してカバーするということがあります。本書では、四肢が欠損した後の回復について書かれていました。

「手に映る脳、脳を宿す手」手の脳科学16章

うつや、強いストレス、長期のストレス、深い深い落ち込みで、確かに脳はダメージを受けて機能が低下する場合もあるようですが、ストレスケアを続け、ご本人が回復へ意識が向いていくと、回復を助ける脳の部位が発達してダメージをカバーし、回復を後押しするという元々の機能が備わっている。

 

指笛

私は指笛が鳴らしたくて、これまでも定期的に鳴らせるかどうか確認していました。

それは遥か昔、練習をしていたら ピッーーーー と高らかになったことがあるという1回の成功体験を安定して成功するようになると良いな~と思っていたからです。

なかなか安定せず、「指笛よ!今こそ鳴ってくれ!」とリキむ場面ではもう絶対に鳴らなかった。安定してスキルを使えるほどのコツをつかんだという感じもしたことがない。一時期割と練習していた時は鳴るようになっていたのに(-_-)

 

ところがある日、感覚がつかめるような気がしたときがあって、見事 ピーピーと鳴らしまくれた。しかしこれは、私が散々鳴らない鳴らないと練習した(私の理想の)指の型Aではなくて、これなら鳴らせるぞ!という(たまたまラッキーに目にした)指の型Bでした。しかし安定して音が鳴るようになったので指の型については譲歩した。

 

気を良くしたものの、また練習しなくなり、そして思い出して久しぶりに鳴らそうとした時に、鳴らない。

(あれ? コツをつかんだと思ったら、その感覚を忘れちゃったな)と試しているうちに また安定して ピッーーーー と鳴り始めた。

 

そして あ! と気がついた。

コツを思い出して、安定してピーピーと鳴らせるようになったと思い込んでいたのは、練習をやめた後、今まで鳴らなかった指の型A。はるか昔に ピッーーーー となったあの時の指の形だった。

指の型Bである程度「コツ」を掴んでいたんだろう。それを指の型Aに運動機能として連動させられるようになった一瞬だった。視覚情報を、身体内部情報へ連動させて、違う「型」にコツを反映させるというバリエーションが身についたという事は、おそらく本質に近づいたという一つの例になると思う。

それが、世間の役に立つわけでもない、個人的な憧れの「指笛」でも。

そして、脳の機能的には、手と口の運動機能、感覚機能が関わっているため

前頭葉の下の部分のブローカ野

が今回は特に活躍したようだ。

 

これはただの指笛の話ですが、このほかの世の中の様々なことも、本質までの道のりが長いものも短いものもある。それらに手が届くこともあれば、手が届いたと勘違いすることもある。手が届かないこともある。

その点、音が鳴るという具体的な結果でしか判断できない「指笛」は判断が楽なものの1つであろう。

 

私のこのささやかな事例でも、脳の反応は変わったはずだ。

チカラ加減や、角度という感覚が定着したという脳の状態に変わったからです。練習がすぐさま身につかない現実、その後の熟成期間、そしてガラッと流れが変わるラッキーチャンスがあった。

 

新しい習慣が身につく練習をして、脳の働きを利用して人生が変わる

これまで書いてきた事を踏まえて、タイトルを書き直すならば、

新しい習慣が身につく練習をして、今より人生が過ごしやすく感じる脳を身につける(脳を創る)

となるだろうか?

 

ストレスケアがこの時にどんな作用をするかと言えば

新しい習慣が身につく練習を阻害しがちなストレスを軽減する。

という事になる。

阻害というのは、「変化に対するストレス」です。

 

その後、「楽になる」とわかっていても、「変化に抵抗したい」「現状を維持したい」という心理作用は多くの場合は起こるものです。

「あぁ 楽になって良いんだ」「変化しても大丈夫だ」という感覚を感じるまではストレスケアを続けて頂くとよろしいかと存じます。

相談者さんの例

心体カウンセリング™ を申し込んで下さった相談者さんの中には、既に行動変容まで実行されていたり、スタートされている方も少なくありません。

ではどうして心体カウンセリング™ を利用しようと思われたのか?というと、それは「過去の記憶に引っ張られる感覚」に感じるストレスのケアを希望されている。

新しい人生(習慣)を意識的にスタートされているにも関わらず、過去への揺り返しのような感情が起こる。それがストレスだという自己分析まで完了されていらっしゃるが、具体的にそのストレスケアはどのような方法があるのだろう?というところのサポートを希望されています。

 

相談者さんは自らの計画として新しい習慣を脳に沁み込ませ始めていて、その際にその新しい習慣を身につけていく際の阻害因子の対応策が必要だと言うところまで考え抜かれているケースです。

 

わたくしはこの辺りのストレスケアは得意分野ですので、心体カウンセリング™ 、セラピー、ケア、コーチングというものをご提供して、サポートしています。

心体カウンセリング™ について

 

最後に

今回はコラムを短く終える予定でしたが、いつも通りになってしまいました。

失礼いたしました。

 

追伸

近日中に弊社の良い変化についてご報告できることがありそうです。

その際は、このホームページでお知らせいたしますね(^^)

 

(2021/01/25)

 

 

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