次元と陰陽

次元と陰陽

お礼

まいど。

引き寄せの法則の私風の理解から始まって、なんと! 今回が12話目です。

よく書くものですわ。(笑)

そして、皆様にどうしてもお礼を申し上げたい。よくぞお付き合い下さいましてありがとうございます。今日もお付き合い頂きますし、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

また、別のコラムを先に下書きに書き始めていますが、書く書く詐欺も3回目は洒落にならないと思って、今回は何がナンデモ先送りにしてきた今回の内容を書きあげる。

あんなに引っ張って、たったこれだけの内容?!と思われても構わない。今回絶対に書く事に意義がある。

 

今日はこちらのコラムの続きにもなります。

多くの場合、「補助線0(ゼロ)=幸せ」ではなさそうだ

 

早速書いていきます。

どんどん 違う方向へ進んでいったはずが

上の図の解説に、

どんどん良くなる、どんどん悪くなるってこんなイメージが無いだろうか?

と書いた。

AとBの距離感はどんどん離れていくというイメージだ。

 

馬鹿げているように感じられるかも知れないが

こういったイメージの延長線上として、ある日、どんどんAへ進んでみることにした。(何をしたのかは、当時実際に会った友人一人に話して、その後、別の機会に、実際にリアルマスターヨーダと奥様とまた別の友人と4名で居る時に話したことがある)

そして、どんどんAを進んだら、やはりBも進んでみようということになり、どんどんBにも進んだ。

 

面白いのは、過去、似たようなことをしたことがあったが、非常に小規模なことだった。ところがこの時は、過去にはあった領域やどこかにあったはずの制限がなぜか消失していたらしく(そりゃそうだ。どこまで行けるのかな?と思ってるわけだから)、その進むときの時間の進み方もワープしているかのようなスピードに変わったことだ。 もちろん私がコントロールしたり、意図的に選択したことじゃないと思う。だってそういった事象について知識がないから。(多分)

例えるのなら、誘導瞑想があったとしますよね。誘導瞑想って、誘導している側が設定している領域や制限、または誘導されている側の領域や制限があると思うんですが、そんなの関係ねぇって感じです。 領域や制限がないって凄いことだな。って今書きながら実感しましたけどね。

(※しかし、ああいった誘導はしっかりとした方に受けてくださいね。おかしなことになってしまう危険性がありますからね。)

 

そうか、やっぱり「時間」って観念なんだなってことについても、体感は無さそうなのに知識だけで分かったと思ってお話しているのかな?と私が勝手に感じてしまう方もいらっしゃるが(個人的に体験ではなくて、理論は理論だと認識されている方がお話になっている方が聞きやすいです。)、その方達の理論上はっていう説明と私の違いは、私の場合「ゾーンの中には時間の概念は無いもんだなぁ」ということでしょう。ゾーンは次元Aに居ながらにして感じることのできる同時並行世界の1つだと思いますが、言い換えれば「脳内では」ってことになりますね。

 

その理由は、どんどんAに行こうが、どんどんBに行こうが、その中で時間や意識がワープしようが、私のカラダは定点に居たので。軽い気持ちで始めたことだったので、その間の経過時間などは気にしていませんでした。

 

 

この項をまとめると、ヒト様からは、「一体何やってんの?(半笑)」と馬鹿げているように感じられるかも知れないが、上に書いたような実験をしたんです。

次の項はその結果、私が得た答えを書きます。

 

一緒

A兆 と B兆 へと確かに離れて行くんですよ。

 

ところが、(イメージとして)B兆地点も超えて(全然終わりがない。どこまで行くのか?というか、終わりがないならどこかで切り上げて帰らなきゃ)と思った時点から もう少しBを進んだ先に私が観た風景がありました。

なんとそこには、Aの世界でした。

 

PIRO4DによるPixabayからの画像

メビウスの輪という言葉と図は知っていましたが、こんなことになってんの?

いや、ねじれてもいない可能性はあるんですが、そんなふうにゾーンの中の移動を観察できないです。ワープしているみたいな感じでしたのでそのワープ中に何が起こっているのかもわからないし。

もしメビウスの輪だとしたら、どういう現象だという意味付けになるの? と今更ながら検索してみましたよ。

 

円周をなぞったのか?

 

紛らわしいと思いますが、先ほどのメビウスの輪の図を使いますけれど、これを円だと脳内でお考えください。

私はてっきり、AとBが出会ったので、(AとBはどんどん離れて行っているつもりが、円のコッチ(水色の玉の場所)から同じスピードでスタートしたら黄色い丸の地点へ同時に到着したのかと思っていました。
「グルっと回って、陰陽一緒」というような理解をしていたんですよ。(その時の感覚は、半周回ったらあっち側で陰陽一緒。という感じでした。この辺りがメビウスの輪が頭に浮かびながらも、半周したら向こうで会ったみたいな理解をしていたんですよね)
 

すでに書いた通り、円がたくさん集まって「球体」になるため、説明は球体でも良いんですが、分かりやすく、輪切り状態の円形として書きました。

また別の陰陽か

私が個人的に行っているストレスケアのやり方を実際にリアルマスターヨーダと奥様とまた別のお友達と4名で居る時に話したことがあるのですが、それをリアルマスターヨーダは「陰陽の理に叶っていて、それはこう言う事だよ。」とホワイトボードに書いてまで丁寧に教えてくださいました。(あの時は、私と友人に楽しい経験をさせてあげようと色々と企画してくださいました。ご厚意に感謝しています。)

そして、この同じ日のこの解説を頂戴する前に、上の項の「どこまでもA、どこまでもBに進んだら、繋がっていた。AもBも一緒なんだと思った」「陰陽論を頭では理解しているつもりだったけど、こんな体感があるとは想像もしてなかった。」と体感(体験)をお話した時には取り立てて反応されていなかったか、「そうだよ」と言った静かな言葉だったのか記憶が曖昧です。

 

ですから、私の中では、AとBの同じ位置(等位置)に居ると思い込んでいたから、(う~ん、こんなことなのかな?)とメビウスの輪や円形を持ち出しましたが、あのホワイトボードで解説してくださったことをようやくココに引用させることに気がついたならば あのBの先に感じたAとはココだったのかも。

そうだとしたら、私は気がつくのが遅い。相当遅い。

2つの話は共通していたのに、それぞれ別々の話だと思い込んでいました。今の今まで。 陰陽の話は話だろうけど、同じ話をしていることには気がつけなかった。(笑)

 

やっぱ、図解してみようと思うと発見が多いですね。

 

こんなこと書いたくせに薦めない

私は非常に運が良く、(へぇ~こうなってるんだ)で終わったが、他人様には薦めない。

だから、なにをやったのかも書かない。

今から書くようなことを想定出来ていたらそもそもやらなかった。(だからもうやらない。2度はする必要がない)

 

薦めない理由は、行ったっきりで精神が崩壊でもするような事が有ったら責任を終えないし、戻ってこれるのは多分、0(ゼロ)地点へ帰ってくる帰巣本能のようなモノが身に付いていないとダメかも知れない。解離や憑依や、ウットリするのが好きだったり、酔っぱらう傾向がある方は危険だと思える。真理追及と言う方もやめた方が良いと思う。真理追及って言って、追及しているうちは分からないと思う。追求しているということは、ある一面は目の前のことが不満な方が多いんじゃないかと勝手に想像しているが、不満が原動力では闇落ちしないだろうか? エゴが原動力(そのうちにエゴは肥大していくようだし)でも闇落ちするように。その理由は、慣性が働いて。 己に何がわかるんじゃい!というお怒りを承知で非常に生意気なことを書きますが、自分の中に目の前の不満な状態と同じ闇があるということを受け入れない限りは戻ってこれないような気がする。

今推論が1つ加わったが、瞑想して厄介な事になっていく方は、帰巣本能にちょっと問題があって、戻ってきているつもりでも同じ点には戻ってきていなくて、加えてそういう方は何度も何度も繰り返して行う傾向にあるようだから、元居た点からズレる一方なのに、そのズレに気がつけないから重症化するのかもしれない。禅病という症状を教えて頂いたことがあるが、こういった帰巣本能の危うさとは、次元Aからの解離に繋がると感じればそうであろう。

 

魔境なんて言葉が可愛く感じるかもしれないほどダメージがあったら大変だ。

そう、こういったことがあるのか無いのかわからないから100%ススメナイ。

 

私はバカで、その件に関してその瞬間は無欲だったというラッキーと、長年そこが0(ゼロ)に近い点だと知らなかったけれども帰巣習慣がついていたからツルンと帰ってきたのかもしれない。護られていたのかもしれない。有り難いことです。

 

だって、一緒なんでしょ?の思考の穴

止めろと言われればやりたくなる方がいる。最近は特に増えたのかもしれない。昔からアニメや漫画、小説などでも呪術や占い、神秘、カルト、オカルトが人を魅了してやまないが、多分今は、昔よりもそれらの表現が精巧になっている代わりに、危険な香りが薄らいでいる。

多分昔のような、(気になるけど、何かあったら怖い。)みたいなブレーキが装備されていないことも多いのだろうか?

それとも、私は(既に情報も知識もあるがゆえに? 根拠なく?)能力があるから大丈夫と言う慢心だろうか?

好奇心と猫の関係だろうか?

 

私も(人生を良くしたい。だから気になる。)(気になるけど、何かあったら怖いから深くは行かない)という関わり方をしていた時期もあったが、A≒B的なことを薄っすら感じるようになったり、脳コチョコチョみたいな様々な影響についてカラクリ(なのか?)が見えてくるような気持ちになればなるほど止めた。本能にはそういったものに興味があるという情報はあるんだけど、理性の方の個人的な「健康的」感を大切にしようと思ったんですよね。

 

本当の自分に還るという言葉もどういう意味でその言葉を使っているかによって選択するものが変わってきますね。

赤ちゃんに還るのは退行ですが、一周回って子供になるのは進化だそうで、純度が高くなるというようなことが乱読した本の中で書かれていた。(その本の中には、私が浄化思想を取り入れない理由と同じことが書いてあり、量子学のことも、統合のことも書いてあった。皆ある程度のところで行き先が似てくるんですね)

一周回る前に自分に還るんじゃなくて、先ずは一周回ることが(次元Aをしっかり生きる)というような大切なんじゃないかと思う。といつも書いている私の解釈と同じだった。

 

だから、一周回るって結構面倒な事があるんですよ。

A 面倒をエスケープしたいというのも本能の反応のままに生きているのも、「生きている。」だし

B クルクル回って同じ場所でループしているのも「生きている」だし

C クルクル回って形態を変えていくのも「生きている」だと思います。

 

AとBは同じ意味なのですが、例えばそれが下の図のBだとします。

私の体験を良い所取りで解釈して、「BはいつかAになるんなら、それで良いじゃん」と思う方も居ると思う。

確かにそうかもしれない。

ただ、そこには時間が関わってきますよ。

輪廻転生が本当にあるのか無いのかは知らないが、同じBの人生を何万回繰り返したらひょこりココへ出てこられるのかなど誰も知らない。現実的に考えても、面倒を避け続けた無考えな人生を、人間の一生の年月(100年と考えても)続けても生きているうちにひょっこりココには出てこない感じがする。これは刷り込みだろうか? 確かに「生きているだけで価値がある」のも確かだ。

勝手に陰陽を、良い悪いに置き換えていますが、イメージ図として使っていますのでご了解ください。

 

大変なことがあっても、C.のように生きながらも佳き(とあえて書きますが)理性を働かせて人生を過ごすことで、ひょっとしたらココへ到達するのが早くなるかも知れない。が、だれも証明できないし保証できない。佳き理性というのは、情報収集や勉学を続けること、知識を豊富にするだけじゃないですよね。きっと。

例えばそれが次元Aをしっかり生きるという事ならば、横スライドやスリップは頃合いでやめておいて、順行へと変化する必要があると言えるのでしょうか?

 

私の体験はまた次回

次回は、今回とは別の体験について書きますが、自分に都合の良い解釈などをやめて、呪術的なもの(占い、おまじない、お願いテクニック系含む)もやめて、(神社へ行くのは好きですが、そこでも)お願いも一切やめて、験を担ぐような事も、事象に過剰に意味をつけたり、メッセージに繋げることもやめた後の方が、人生のラッキー転機が来た。

呪術的なもの(占い、おまじない、お願いテクニック系含む)も、(神社へ行くのは好きですが、そこでも)お願いも、験を担ぐような事も、事象に過剰に意味をつけたり、メッセージに繋げることも人生のラッキーや幸せを得たくてやっていたことですし、それは皆さんと同じだったのですが、「囚われから解放されてみよう」とそれ以上のリターンなど考えずに「やめる」という選択をしたに過ぎないが、因果関係は不明だが、結果的に人生のラッキー転機が来た。

 

理由をつけようと思えばつけられるが、別にいい。

自分の体験として、こういう事があったということで良しとしている。

 

今回の最後に

勘違いも、お間違えも困るのですが、私は何かがわかっているわけじゃないんです。

体験から推論を書いています。

わかっているじゃなくて、今日現在の自説を書いています。

文章に上から目線な風味が漂っていたとしたら、ただただ私の賢く無い面が丸出しになっているのです。

 

時々賢そうなことも書けているような気もするんですが、悦に入って酔っぱらっているんでしょうね(笑)

他人様のことじゃなくて、書いていることは自分にも当てはまっています。(いました)

やめたいことは実行していきたいと思っています。やめることも訓練ですものね。

 

大切な事

こういった空想的なコラムを書くことも良いですが、これらがよしんば正しいようなことがあったとしても、相談者さんのお悩みを伺う際に、「量子心理学」では、とか「次元心理学」ではなどと話はしません。

心体カウンセリング™ 、セラピー、ケアの後、ユンタクをするような機会があったり、その話題について相談者さんが希望されればするでしょうが、次元Aを吹っ飛ばしてそっちには行かないです。

 

次元A以外に興味がある方で、セッションをご希望になる方もいらっしゃいますが、「その動機」「どういう面で興味があるのか?」は質問して、そのお答えをちゃんとお聞きします。

 

理論は理論、現実の目の前の相談者さんが最優先。

 

(2021/05/16)

 

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