受け取る「メッセージ」の発生点~それは誰からのメッセージなのか

はじめに。参考図書もご紹介。

自分の中で一旦 仮の答えを出して、また懸案する時にはその後の変化を検討するというようなことを行う癖があります。

この記事も同時進行で検討している案件の中の1つです。

 

特定の誰か。という事では全くないのですが、風潮としての「メッセージ」というものに対して時折記事に書きます。

簡単に表現すると、「ちょっと気をつけてみても損はしないんじゃないかな」というような気持です。

こんな類のことを書いていたら、日経サイエンス 2018年1月号に「心のなかの独り言 内言の科学」という記事に出会いました。

 

日経サイエンス 2018年1月号

(タイトルにAmazonへのリンクが貼ってあります。詳細はリンク先でご確認ください。)

先日ノーベル賞を受賞された方が「サイエンス誌、ネイチャー誌の情報は9割は間違っている」と言うような事をおっしゃったとニュースで読みました。私もすべてを鵜呑みにするわけではないし、よくエビデンスや科学的根拠というような事を最大重要視される方がいますけれど、科学も時代と共に変わるということが私の受け止め方です。エビデンスは焦点のあて方でレポートも変わると思う。

こういった事がありつつ、それでも現在の私の思考の進行具合とマッチしている参考図書を掲載していますので、とある武田美紀という個人の考え方を記事に書いているということはご理解ください。

認識する脳の違いもあるだろう。と推測

私は以前より、人の「感じ方」とそれぞれの「脳の特性」ということについて理解が進んでいます。

その理解が正しい云々ではなく、考え方の可能性が広がっています。

 

こんな私は以前から「メッセージを受け取る」「メッセージを聞く」「メッセージが下りて(降りて)くる」ということに、引っ掛かりを感じていました。

それを「嘘だ!」というつもりはないんです。

ファクトは一体いくるあるんだ?という記事を以前書きましたが、そういうジャンルに分類はしています。

2つのファクト。なぜこんなに認識が違うのか?

 

まるきり嘘をついているとも思わないが、

一体なにをメッセージと呼んでいるのか?感じているのだろうか?

という辺りが私なりにもう少し引っ掛かりがとれて、収まることができるだろうか?と。

 

上の「2つのファクト。なぜこんなに認識が違うのか?」の記事の中に幻聴についてほんの少し書いていますが、

メッセージ=幻聴とも言い切れないし、言いきるつもりもないのですけれど、そうなると(もう少し考え方があるはずだけど・・・)となり、ふと

「内部対話を、まるで自分以外から聞こえてくるかのような捉え方、感じ方をするような可能性もあるんじゃないかな」と思っていたところの日経サイエンスの記事でしたから、これはちょっとまとめておこうと思った次第です。

思ってから実際に書くまで、随分日数か経ちました。

内言

まず前提に「自己認識能力」ということも各自の脳の特異性に影響されます。

「自己認識」という形の無いものは全方位にグラデーションがかかっているような感じでしょう。

ここで、「内言」という事象のとらえ方も同じ全方位にグラデーションがかかっている。

ハッキリ、「私のこれは内言だ。」と認識できるタイプの脳と、茫漠としていて境目の認識がなくただ「声」や「聞こえてくるもの」と捉える脳がありそうだ。

医学的?病理学的?な「幻聴の定義」があると思いますが、私の場合はこの現象はその「幻聴の定義」にも属さない曖昧さがあるような気がしています。

ひょっとしたらこの曖昧さにも名称があるのかもしれませんが。

「メッセージ」に含まれている要素を仮定してみました

ですから、「メッセージ」という言葉は共通ですが、現象の現れ方は違うんじゃないかなと私は仮定しています。

 

自分の思考が「メッセージ」の大元になっている場合

1.モノローグ

独白を「自分以外の声・メッセージ」として捉えている。

 

2.ダイアローグ

内的自己対話を「自分以外の声・メッセージ」と捉えている。しかしそのメッセージの内容の発生点は自己思考。

 

ここには以前コラムでご紹介したイマジナリーフレンド、創造の存在、神、他界している誰かなど、他者との対話を内在化しているケースも含むことにします。

 

ダイアローグの内言ということに含んで良いのかな?

 

以前のコラムは↓です。

インナーチャイルドについて

 

これら2つの思考には、自覚がなくても今まで見聞きした情報も含んでいます。そして聞きたいことを「聞こえている」と認識する傾向にあるだろうと。

聞きたいことは決して「正解」ということではなく、その「モード」「ゾーン」に関連したそれらしいこと。

 

3.実際に聞いたこと

実際に聞いたことを無意識に蓄積しており、それらの発露ではなく、聞いたばかりのことも「実際に聞いた」という記憶が消失して、「メッセージが降りてきた」と認識するケース。

 

私もそのような現場に数回立ち会わなければ。「まさか」と思うでしょうが、実際にそのような認識の仕方をする脳のタイプがあり、そのような受け止め方をする脳のクセが働く時があるということです。(いつもいつもとは限りません。おそらく興味があったり、欲望が刺激されたときではないかと推測しています)

 

他者の思考や信念、欲求を把握し、自分との境界を設ける脳の働き(社会的認知)に曖昧さを生むクセがあるのかもしれないです。

自分の思考外(?)

幻聴

幻聴の場合、聞こえてくる声が自分を肯定する場合も否定する場合も、特に自分のことに限らないということもあるようですが、この場合は医療機関で診察を受けて、診断として「幻聴」とされることがありますが、受診しなければ幻聴という判定もされません。

 

幻聴も、大元が自己思考であることもあるでしょうが、あえて1.モノローグ、2.ダイアローグと分けました。

脳の反応として

先述の日経サイエンスの記事によると、内言には

  • ブローカ野
  • ヘッセェル回

をはじめ、脳の多くの部位が関連するようです。

これらと言語系の脳の領域のバランスという事になるのかもしれません。

 

ちょっと気をつけてみても損はしないんじゃないかな。と考える理由

心療内科や精神科を受診するということが昔と比べて敷居が低くなり、早期発見されるようになったのも統合失調症が減った理由だとの意見も多いです。

統合失調症と発達障害が区別されることの増加も統合失調症と診断されるケースが大幅に減った理由だというご意見もあります。

 

統合失調症は自然に完治するのは難しいというか、ほかっておいて自然に完治することはない。ということで治療を受けるわけですが、

私が考えているのは、そのメッセージ類をそもそも「聴こうとする行動と意識、機会」を減らして行く方が生き易さ、暮らしやすさに繋がるケースもあるという可能性です。

今は大丈夫かもしれない。もし、その「メッセージ」に関する脳のクセが進行性だとしたら、おそらく精神の安定にも将来大きく係わってきそうです。

 

得意かも知れないけれどあえて心身の健康のためにセーブするということです。

 

アルコール依存の治療だってそうですよね。

アルコールを摂取することは得意だけれど(飲みの場が楽しいけれど)あえてセーブして心体の回復を目指すわけです。

 

もし、それが脳にあまりいい影響を与えていないのだとしたら、おそらくそれを続けながら心体のケアをしても限界がくるような気もします。また、限界が起きている(起きていた)とわかるのも恐らく随分先(長い期間が過ぎた後)になってからしか思いつかないような気がします)

それをしなかったらもっと回復しているだろう。というような可能性もあるんじゃないかな?ということを考えてみるわけです。

しかしですね、私はそれらを禁止するような立場にはないわけです。

ご本人が「生きやすい」「暮らしやすい」と思っておられたらそれで良いことだし、生活に支障が無ければ良いという事になります。

 

そして今は

実は1か月ほどブログ類の更新をお休みしていた間に、このような私の想いをお1人の相談業を長くされている方に話したことがありました。

その方は私の意図をその通り汲んで下さって、

「生きやすい」「支障がない」ということであればそれで良いだろう。

やめた方が良いということに対しては聞く耳は無いと思うし、実際に「困った」とご本人が思うような出来事が無い限りはヒトはやめないことが多い。

「自発的に『やめておこう』と思わないと変わらない。」と答えてくださいました。

 

ごもっともです。

 

私だってそうです。やめた方が良いという言葉を、聞いていても理解していないことは過去に多くありました。そして、痛い目にあってようやく「やめたほうが良い」と言った方の気持ちが理解できることは沢山ありました。

 

なにより、私は今回の記事のような考えがある自分を自覚していますが、正解というのは将来にならないとわからないです。

 

私の推論が的外れな方が、ある特定の皆様は将来お幸せにお過ごしのはずですからね。

ですから、あくまで今現在の私の1つの推論だというだけのことです。

 

小さな自分が指令を出す(命令する)

小さな自分が指令を出す(命令する)という漫才師さんがいらっしゃいました。

『ななまがり』というコンビの森下さんは、頭の中に小さな自分「リトル森下」がいて、自分に指令を出すと発言されていました。

 

これは、幻聴に分類されるジャンルのことだろうかと思いましたけれど、ご本人の森下さんが生きやすい、暮らしやすい、生活に支障がなければ、それで良いわけですね。

 

漫才も面白かった。

 

将来のことは今の私には全くわかりません。

 

最後に、セルフケアと対話型カウンセリングの違い

この記事でも触れていますが、対話型のカウンセリングはセッションの際使われる・反応する脳の部位がセルフの時と異なります。

那覇市と嘉手納町 ストレスケア体験講座での「バーストラウマ」のケアについて

 

内言だけではなく、実際に発声し対話による思考の変化がありますでしょ?

私が心体カウンセリング™ の際に「質問」をすると、一人の時に想定している自己対話とは異なる領域に意識が向きます。

 

ですから、心体カウンセリング™ の個人セッションと、セルフケアの両方を回復のケアに利用することをお薦めしています。

 

 

他にもまだ、今回の内容とはまた違うジャンルの記事を書く予定にしています。楽しみにしていてください(^^)

 

(2018/10/04)

 

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