脳内に宇宙図書館を持つ方の知恵に「なるほど!」ーその3

信じたいものを信じる

この回は短めにいきましょう。

 

連続シリーズとして、まだ書いていないことを挙げていきます。

 

上位概念の良さ

そもそも私の場合は、世の中のフラクタルパターン、相似形に興味を持っているという前提があり、思考の基礎に組み込まれている。

パターン解析や相似形研究のためにやっていることは、要素の分解のようだ。

物事の「核」や「本質」を知ると書くと格好いいが、私の場合は、

これは脳コチョコチョだな。とか、ハーメルの笛吹きだな。とか、チルチルミチルだと思えば、パン屑に相当する要素はなんだろう?とかを考えています。

ふざけてんの? 思われてもしょうがないような思考方法だったりする。

 

こんな風だから、国語?絵本?子ども向けの挿絵のある物語?の「蜘蛛の糸」の挿絵に はっ! (O_O)  とした訳です。笑

 

これが修羅じゃなくてなんだろう?

 

というようなことを感じたわけですが。

 

自分自身が物凄くダメージを受けている最中も、時として口を開くとこんな例え話を(自分のことなのに客観的でチャラけたみたく)するものだから、他人様からはそのダメージの深さを軽く受け取られるという悲劇もありましたが、これには良い面もあって、例えがなんだか滑稽だと、私自身もシリアスに完全に浸らないというストッパーのような役目をすることに気がついたことがありました。

深く傷ついているのですが、感情がぐるぐる巻きにされにくいというか、頭の天辺まで浸りにくというか。

 

時々、私を見て、「飄々としている。」とおっしゃってくださる方がいるのですが、こういったことが影響しているのかもしれません。

 

で、上位概念の話に移っていきますが、

神、思想、法則、信仰、教えなどは、まさにこの上位概念を推進する役割を担うことが多いと思いますが、最初にこの概念を導入して人々をコントロールする手法として使うことを思いついた人がいるという「説」を聞いたことがあります。

 

この「説」の正誤や真偽について今は話題にしませんが、この「説」を用いると話が進めやすいので あくまでも「説」として読んでいてください。

 

この上位概念はまた他でも使われています。

それは陰謀論だろうと思います。

 

ですから、善と悪というような概念があるという上位概念を設定した天才さんが遥か昔にいらして、それが枝葉を伸ばして今も生きています。最初にこの方法を取り入れられたのは布教の際だったという「説」でしたが、そうなると他の良い教えと言われている伝承や経典みたいな構造とも相似形を成すんじゃないかと想像しちゃいました。

相似形・フラクタル

そういう意味では、こういった仕組みを利用することに長けている方は、はるか昔の天才さんのような手腕を発揮できるんだと思う。

 

そして、はるか昔に上位概念を導入し社会に広めることにした天才さんの目的は「世の中を治める」という治安が目的だったと思いたいですが、諸刃の刃だろうし、実際の使われ方によってはヤバい時もあるような気がします。

 

経済の仕組みも同じでしょうかね?

 

こんなことを色々考えたときに、物凄く何かを嫌ってる時って、嫌っているものにものすごく似ている。というmyデータもある程度あるんですよ。ケースバイケースですが、中庸を外れている時って、陰陽や善悪や正誤、真偽などと振れているその振れ幅に含まれている構成概念が似ている。というような意味です。

 

ということで、小見出しの「上位概念の良さ」というのは、取り入れようによっては幸せも不幸も生む可能性があるような気がするという意味で

  • 良いように使いたい方にも使い勝手が良いし
  • 悪いように使いたい方にも使い勝手が良い

というような、少々ひねくれた意味で「良さ」と書いています。

 

上位概念が悪いわけじゃないし、神、思想、法則、信仰、教えをもちろん否定していない。

人生がなんだかシンドイなと感じた時に、自分とこれらの概念の関わり方、取り入れ方を見直したり変えたりしてもいいんじゃないかなとは思います。

止めなくても、お休みという方法もあるし。

 

多分、上位概念(神、思想、法則、信仰、教えなど)に疑問を抱いてはいけないという刷り込みもあると思うんですよ。

恐れ多い。というような意識でしょうか?

それこそがはるか昔の天才さんのすごい手腕と、影響力ですよね。

 

上位概念(神、思想、法則、信仰、教えなど)に疑問を抱いてはいけないという観念の仕組みは、陰謀論を信じたい心理にも共通性があるのではないか?という可能性についても考慮しております。

ですから、どちらも良い悪いとか正誤や真偽ということ以外の視点を失っていると言えるのかも知れないですね。あくまで可能性ですが。

 

その道を自分で決めたという自覚があるのならそれでいいですが、刷り込みに気が付かないことが苦しいのなら、気がついたときにその先しばらくの関わり方の方針を考えてもいいと思います。

 

物事、思考、人様との距離感も自分で選べますね。

 

まとめ

目の前の出来事を見聞きして、その出来事の構成成分の腑分けのようなことをすると

次の段階でフラクタルパターン(相似形)について考えることができます。

これはどこから?いつから?スタートしたのかな?と遡っていくことがあるのですが、今回も遡った一例になります。

正誤や真偽とは異なって、あくまで個人的な検証と研究でしかありません。

 

(2021/07/04)

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