精神性や心のせいだけにしてはいけなかった

脳の特徴と心と精神

前回と過去のコラムについて

生き急いでしまう

 

上のコラムに書いた内容を一部訂正したくなりました。

 

 

法則や教え、思想については以前から書いており、一例はこちらです。

 ↓

〇〇の法則。それが視野を狭くして、気付きを遅らせる。一度解き放たれては?

 

「考えているつもり」になっていると感じる時は、煙に巻かれている状態なのか?

 

 

 

ただ、行動や言動を「慈しむ心の有無」で結論付けるのも違うよね?と思っていたことを前回のコラムを書いている最中に失念していました。今回補足いたします。補足と言うより、こちらも本質ですけれど。

 

「精神と心」と「脳の特性」は関係があるケースも確かにありますが、これらは天秤にかけるものじゃないし、「善vs悪」と簡単にレッテルを貼るものでもない。と思っているので、今回のコラムで触れていきます。

 

わからない

それは、脳のタイプによっては、

  • 他者の気持ちを察する事ができないということもあるし
  • 慈しむ。という言葉の意味や感覚が分からない

ということもありました。

ElisaRivaによるPixabayからの画像

ある種の想像力とは、ひょっとしたら「それが出来ること」のほうが特殊能力的なことかもしれないですね。

その特殊能力というのは、「天性の」という意味よりも、(例として)小説や映画によって「自分以外の人間の価値観というものを学ぶことができる脳」という意味合いが大きいような気もします。

 

脳のタイプによっては

  • 自分の感情が捉えにくい
  • 自分の感情よりも一層他者の感情が捉えにくい
  • 感情と言うものが今ひとつよくわからない
  • 情報や学習、知識としての感情はあるが、その「感じ方」が薄い、浅い
  • 感情耐性というものが有るのなら、際立って低い。または、高い。

これらは、世の中を見まわしてみても、あるよね。と感じる事です。

 

ですから、後天的にこういった他者理解、他者の視点を理解できるというジャンルの脳が発達していくことについて脆弱性という言葉が合っているのかわかりませんが、ハードルが高いということはあるでしょうね。脆弱性と書くと劣っているかのように捉えられても困るので、後天的に発達していく特殊性が無い。という表現が良いでしょうか? (後天的に発達できるという事は難しいのか?というコラムも以前書いています。)

 

それを精神性や、心の問題(前回私が書いた「慈しむ心」という表現も含みます)としてはいけないケースがあります。

それを精神性や心の問題にしてしまうと、これによって苦しむ方も現れてしまいます。

 

それは、教えや法則や思想を万人に無理くり当てはめてしまう事とやっていることは同じになりますね。

 

ただ、前回のコラムに登場した法則を世の中に広めた「著者」は、その後、「あれは間違いだった」と書籍にお書きになったという話だけは聞きました。(私は未読です。) ということは、この方は、脳の特徴と言うよりは、「愛」や「慈しみ」ということについて、その後(この著書を出版した後)気がつくきっかけがあったのかな?と想像しています。

 

ElisaRivaによるPixabayからの画像

 

生物学の善と悪

 

オーディオブルというコンテンツを利用して、小説を丸々1冊「聴く」という初体験をしました。

「ザリガニの鳴くところ」 

2019年 アメリカで一番売れた本だそうで、映画化もされるとうい情報をネットで見た。

 

泣けました。

 

実際に本を読んだ方が余程早く読み終えたはずですが、耳で聴いているため、時間軸があっちこっちへ飛ぶことを耳で理解することになかなか時間がかかり、この先も当分の間は繰り返し聴いてみるつもりです。

聴いていて、泣けてきた。

 

数名の方の声で創り上げられる朗読劇では無いんですよ。お読みになった池澤春菜さんの素晴らしい技量にも感服しました。

 

で、作中に印象的なセリフは多くあったのですが、私が今日書いておきたい内容の本質が短い言葉で表現されていたのでご紹介したいです。

それは

生物学では、善と悪は基本同じものであって、見る角度にょって変わるものである。

というセリフです。

 

これと同じことを先日キネシオロジーテストについて友人と会話した際に私も言いました。

善と悪という事では無くて、「ONとOFFの考え方」という内容でしたけれど。

 

陰と陽は、振り分けられている事柄などの一覧(表)がありますが、あれも見る角度が違ったり、それらの波及範囲を考えたら、逆転することもあるでしょうし。

 

こういった事が皆様が「なるほど!」とスッキリするような書き方ができる筆力が私にあれば良いんですが、今日現在は残念ながら力不足です。それもあり、基本、実際にお会いした際に話したい内容ですね。

 

もしご興味がありましたら、オンラインセッションなどをお申込頂いて、その際に話題に挙げて頂いたら助かります。

(私に電話でユンタクをする習慣がないのと、自分から電話でのユンタクをしたい欲求が起こりにくい為です。)

オンライン(リモート)「カウンセリング」「コーチング」「ケア」について

 

 

または、ゆっくりユンタクする時間を設けられる個人セッションをご利用ください。沖縄でお待ちしております。(または帰省時の名古屋でお待ちしております。)

心体カウンセリング™ について

 

 

いやいや、武田に会うという労力を払うほど(そういう事だって当然ありますよね。(笑))はこういった話題に興味がないということでしたら、今後もコラムとして色々書いて行きますので、ご興味のあるところを読んで頂けましたら幸いです。

ブログに書いたこと

こちらのブログに書いた内容に書き加えます。

 

ナニカを努力することや、自分が取り組みやすいように工夫することも「できない」脳のタイプという状態は実際にあり、それを精神論や心の問題として取り上げても意味がないのですよね。そして、目指すところは「治す」という事では無いと思っています。それが特性であって、疾患ではない限りは「治す」という事ではないですものね。しかし、どこかで「治さなきゃ」と感じておられる方も多いのだと思います。

ですから、どうしても一人で生活していくことが難しいケースも多いです。

そのために医療機関がたあったり、福祉他があります。

 

しかし、なかなかご本人が100%満足できるような状態を整える余裕や使える制度が見つからないこともありますし、そうなるとご家族がサポ―トされて疲弊されているケースもあります。

そういった事も含めて、必要な方がサポートを柔軟に利用しやすいように、社会の仕組みが変わっていくことを願っています。

私も現在、社会福祉協議会やファミリーサポートという福祉に含まれている団体の末端で、実際にサポートを利用したら「楽」「便利」「安心」という方とお会いします。私が出来ることは少ないですが、活動しています。

 

こういった体験から、前回コラムに書いたような

  • 不安を煽ること
  • 強迫症を一層刺激する事
  • 強迫症の扉を開けてしまう事
  • 善のつもりのスピリチュアル系(前回のシェアした表現の「まやかしの救い」や、教え、思想を含め)が、ご本人にとって逆の働きにもなり得ること

を認識しておきたいし、こういったことを避けたいと思っています。

 

私自身がこの辺りがあやふやになったきた時には、是非「武田さん おかしいよ」とご指摘いただきたいです。私の為だと思ってお願いします。

宜しくお願いいたします。

願い

サポートとは何だろう? この場合はどうしたら良いだろう? とやはり試行錯誤をするのですが、最低限、自分自身の機嫌を良くしておく。ということは心がけています。

それは、相談者さんや利用者さんがご自分のことに専念しやすくなる環境が良いだろう。と感じるからです。

 

相談者さんや利用者さんが(こんな話をしたらどう思うだろう?)と余計な心配をしなくても良い「場」が良いなぁと思っています。大したことが無い話だと認識されている事柄って、割と大きな解決のヒントがあったりすることもありますからね。

 

サポートが利用しやすいことが常識になると良いですね。

サポートを利用しないことが選べる「新しい生活スタイル」が身に付くと良いですね。

出来る範囲の「自立」が楽しみになるようなトレーニングがあって、後天的な発達を伴うと良いですね。

心の豊かな社会になると良いですね。

 

 

 

(2021/02/21)

 

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