あなたはいつ愛していると伝えたか? 伝えてもらったか?

完成とは程遠い下書きの状態で止まっていましたが、どんどん書き終えて連続でアップしています。よって、そろそろ下書きが無くなります。ちょっと安心しかけています。

祈る

以前、自分以外の誰かのために祈る。という話をコラムに書きました。

不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる

 

今回は、2か月前の上のコラムの関連記事だと思って貰えたら幸いです。

「愛している」という言葉を伝えたことはありますか?

あなたが最後に「愛してる」と言ったのはいつですか?

あなたが最後に「愛しているよ」と言われたのはいつですか?

 

ひょっとしたら、

生まれてから一度も誰かに愛してると言ったことのない方もいると思う。

その数は案外多いのかもしれない。今の若い方達はどうだかわからないけれど、ある一定の年齢以上の日本人はあまり口にしない言葉なのかもしれない。

 

いやいや、お母さんたちはお子さんに「愛してるよ」と伝えはじめた時期(年代)があるような気がしてきた。時代は変わってきていますかね?

 

 

逆に

生まれてから一度も誰かに愛してると言われたことのない方もいると思う。

「好き」はあっても、愛してるは少ないのかもしれません。

 

「愛してる」という言葉を軽く扱えばいくらでも言えるし、言うのも仕事だと思えば言える方もいる。

気持ちを伝えたくて、愛してると言う方もいれば、駆け引きでこの言葉を使う方もいる。

 

言えば良いってもんじゃないだろうし、

言わなくてもわかるから一切言葉にしないのもどうなんですかね?

個々の価値観によりますね。

対 家族

私は、割と?全然?家族にべったりしないし、とある時期から機能不全家族になり、親の親のような役割を担ったこともあり、働くようになって、自分で家賃を払えるようになり、念願の一人暮らしをスタートしてからは、家賃も水道光熱費も自分で払って、自分でご飯を食べて生活してるから、そういう意味では長いこと自立してきた。

 

アダルトチルドレンの要素を持ちつつ、それを自立後に修正してきたつもりですが、生活の基盤の経済面ではさっさと親離れした。

 

いやいや、正直に言えば、あまり親に関わらないようにしたいとさえ思ってた。

色々面倒が多かったし、関わらないようにしていたってべったりと頼られたりしたし、ウチの家庭の問題は、父と母の夫婦の問題だと理解してからは、益々、(もちろん父と母ではあるんですが)夫婦のことは2人でなんとかやってよ。とそういう面で自立のふりをした 無関心、排他的のような反応をしていたが、やはり私の精神的な成熟過程は歪んだような気がする。大人のふりをした、愛情飢餓感たっぷりの子どもだったと思う。

 

そんな私を、父は父で(自分に優しくしてくれない。味方してくれない。)と感じていたようだし、私が何を考えてるのか理解できないみたいだった。それは母も同じく。親は親で「子どもが理解してくれない」と思い、子どもは子どもで、「親は理解してくれない」と思っていた。

育った環境が、今のあなたに大きく影響しています。

大人になったのか?

精神的に大人になっていたつもりだった私ですが、それはあくまでも社会的な意味の大人の役割をしていたということに気がつくきっかけ・ラッキーチャンスがきて、内面の大変革が起きた。

覚醒とはなんだろう?

 

よく、「手放すことが大切だ」と言われたりするし、私もそれには賛成ですけれど、手放すばかりじゃなくて「受け入れることも大切だ」と思っている。

大人になるって、手放しと受け入れだな~と考えていた時に、「刹那」と「自分の人生への感謝」という表現はどうだろうか?と考えついた。

「刹那」と「自分の人生に感謝する」の同時進行と言いますか。

私の書いている刹那の意味は「無常」という意味合いだということも書きそえておきますが、宗教(宗教じゃなくて「教え」?)用語、仏教用語ならば正しい意味で言葉が使えていないかも知れないです。

そして、再び 対 家族

ウチの父が他界する前、特別なことは私はしなかったんだけど、体調を崩して入院して、いよいよ覚悟はしておかないといけないな~と思うようになった時期。マメに帰省していても一旦沖縄に帰ったら数時間では帰ってこられないこともあって、病室へ行った時に、完全看護だったけど、顔を拭いたりという程度のことでしたが、やりました。ほんのちょっとのことです。今のファミリーサポートでのお子さんのお世話よりも余程少ない時間です。

 

ある時、ふと、病室にベッドの上で横になっている父とベッドの脇に立っている私の2人きりになった。

 

父は老衰でしたが、意識は最後まで割としっかりしていたので、言葉は話せないが(声が出なくなっていた)私の話ていることは全て理解していたようだった。ひょっとしてこれが最後かも知れないな~と思った私は思わず 伝える予定などしていなかった言葉が口から出た。

よもや自分が父親に言う瞬間がくるなどとは予想していなかった言葉。

「いろいろありがとう。感謝しているし、愛しているよ」と口から出てきて、自分でもびっくりしたし、父も目が大きくなって驚いていた。

ウチの父は、父の母(おばあちゃん)から愛していると言われたことはおそらくないだろう。時代的にも、祖母の性格的にも。妻であるウチの母が、父に愛していると言った事があるかどうかは不明だが、それを忘れるに十分な暗黒次第もあった。

ということは、ウチの父は、なんと娘から、父が生まれて初めてか、数十年ぶりかに「愛している」と言われたことになったと思われるわけです。

 

そりゃあ弱っていく一方の今際の際に、目が大きく見開くほど驚いたことだろう。

 

そして、言った私の方は、なんだか不思議な勢いにのって発言したんだけど直接言えて良かったな~と思えた。自分の行動を肯定できた。

この出来事は家族には伝えていない。コラムにも書くつもりなど無かったけれど、なぜか書いてみようと思うようになった。

 

私自身は、親に大したことも出来ていない。ただ、父が他界した時にはすでに「生まれてきて良かった」「人生はいいもんだな」と思えており、それは今でも喜びというか、感謝の気持ちは大きいのは引き続き同じなので、「私は幸せにやっている」ということが親孝行になると良いな、程度です。

 

で、愛していると伝えるなんて恥ずかしい。という枠を超えて、伝えられたことがとても良かったと思えているので、皆さんにシェアしてみようとチャレンジしました。大切なことを伝える勇気ってなかなか湧いてこない。言いやすい様なタイミングも思うように訪れないけど、自分でそのラッキーチャンスを創るんだと思った方が良い。

 

口火を切ってしまえば、私のようになんだか不思議な勢いに乗れたりする。(笑)

 

口火を切る 一瞬の勇気・パワーがポイントなのかもしれない。

 

言わなかったら後悔したのかどうかは分からないが、伝えて良かったとは思っている。私のことだから、伝えていなくても(これはこれでしょうがないか・・・)と思えたかもしれないが、しかし、父の意識がある時に伝えられて良かった。父は私が「愛しているよ」と伝えた後も病院生活がしばらく続いたので、あの時がラストチャンスではなくて、また別のタイミングが合ったのかもしれないが、今振り返っても、「あの時」「二人っきりになった時」に伝えられて良かったと思っています。

あなたはいつ愛していると伝えたか? 伝えてもらったか?

あなたはいつ愛していると伝えたか? 伝えてもらったか?

 

私は遥か昔、駆け引きみたいな、

(こりゃあ ホンモノじゃないなー(´;ω;`) 残念だけど)という愛の告白をされたことがある。

 

言われたことだけを受け止めて、ただの駆け引きだということを見ないふりをするという選択もあるんだろうけど、やっぱり私には無理なんですよね。

残念な経験だと遥か昔の当時は思いましたが、今となっては(あの時、自分に正直に、ホンモノじゃないと認識できて良かったな)と心の底から思っている。当時の自分に感謝してもしきれない。

 

私が父に伝えた「愛しているよ」という言葉は、弱っている父を喜ばすために言ったわけではないし、自分でも口をついて出た時は驚きました。

 

自分の気持ちはそれほどじゃなくても、相手を喜ばすために愛を伝えるのも愛だろうか?

本心を伝える以外は、ただ愛というイメージを利用しているだけなのだろうか?

 

私も歳を重ねて、正論、理想、現実、予想した結果になるとは限らない、などと、世の中はいろいろだと思うようになっているため、即答や判断をしずらい心境にはなっているんですが、少なくとも自分がやりたくないと思えば やらずにいたい。自分の本心は伝えたいけれど、自分の都合のために相手の愛を利用するようなことはやりたくない。

この「自分はやりたくないと思う」ことが千差万別なんですよね。

 

あなたに、皆様に、愛が降り注ぎますように。

あなたが、皆様が、愛に気がつきますように。

「無常」と「人生への感謝の気持ち」をどちらも内包しているのって頭で考えているよりも、案外しっくりくるものなんですよね。

 

自分次第というのも様々です。

自分次第 

 

(2020/10/27)

 

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