なんにもなくなっちゃった後 只今のところ(解脱説をどう考える?)
記録を兼ねて記事を書きます。
この記事の続きです。
Contents
人生こんなこともあるんだね
なんにもなくなっちゃって直ぐの頃は、食欲も起きないので
こりゃあ 一生何も食べない気持ちにもなるかもね。と思ったし
水だけで生きている人の話は本当かもね。とも思った。
しかし私は前回の記事に書いた以上に、もっともっといろんなことが理解できたような気になりました。
これは書いたけれど、私たちが生きている中で起きる様々な出来事は「生きる糧」なんだなということです。
ポジティブに分類されても、ネガティブに分類されても、やはりそれは「生きる糧」になるんだという事でした。
欲、煩悩や執着ということは本能であり、生きる糧でもあろうということ。
生き方論に視点を向けた時には、煩悩や執着、欲という事に対して、対処する? しない? という考え方や、観念、道徳、倫理感が登場してきます。
私もこの方面の話は好むタイプですが、これよりももっともっと深さがあるんだという事を体験を通じて学びました。
人生を辞めちゃう人
そうですね。いつ頃だったかな?
どこから、どのように得た情報なのか覚えがありません。ネットが普及するずっと前なので、ネット情報ではないことだけは確かですが
「悟った」や「わかった」とご本人が自覚した方の中で、もうなにもしなくなってしまう方がいるそうです。(あくまで情報です)
この気持ちも分かるような気がしました。
悟ったつもり。わかったつもり。ではなくて
本当にあの なんにもなくなっちゃった を体験すると、成長欲も何かに対する興味も消失したような感覚になります。
息すらしなくてもいい。というような本能なのか、欲望なのかが消失するということはこのような一面がある。
ですから、社会生活をおくろうとする意欲すらなくなる。
いやだなぁ と思いながらも義務があったり、空想の役割があるからこそ色々なことを私達はするのですが、それは人の目があったり、倫理観だったり、信仰だったりと何かしらがストッパーの役割もしているのだろうと思うんです。
恐怖もそう、不安もそう。
それが消失するということは、まぁまぁの危険性がある。
私も、なんにもなくなっちゃった時間の時に、「これはかなりの危険性をともなっているから、まずは慌てないで在るがままで様子を見よう」などと思いました。
そうか、人生を辞めちゃう人の中には、こんな体験をした方も混ざっているんだろうな。と。
一般的には素晴らしい体験のように言われるけれど、それがきっかけで廃人のようになってしまうこともあるんだろうな。
ホームレスを選択した方の中にも少なからずいるんだろうな。と。
また、こういった境地を目指すのが修行なのか?はっきり知らないのですが、ちゃんとした人についていないと、これまた大変なことになっちゃうんだろうな。というようなことも理解できたような気がします。
私が幸運だったのは
私が幸運だったのは、
この体験のあと、名古屋で講座開講というスケジュールが決まっていたことと、その後1泊2日の旅行が決まっていたことです。
なんにもなくなっちゃってからは、そもそもナニカをする動機がないものですからスケジュールを立てるという必要が無い。(笑)
実際に名古屋に行って、皆さんにお会いしてわかったことは、どなたかと居て刺激を受けると以前の「楽しい」という感覚が戻ってくることでした。
- 伝える
- お聞きする
- 手技をする
- ナニカを感じる
こういった事は全く大丈夫。
大丈夫どころか楽しいという感情が湧いてきました。
上は、楽しかった「じぶんでチャクラを整えたい!」講座に参加頂いた受講生さん・道子さんのご感想です。(講座については 改めて、記事を書きます)
なんにもなくなっちゃった後でも、やっぱり「楽しいこと」は再び戻ってきますし、講座中の体感は今まで通りでしたし、道子さんの習得があまりに早かったので、触れる手技をもうほんのほんの導入部分を体験して頂いた時の感覚もありました。
どなたかとご一緒している時は、変わらず「有る」「或る」ということでした。
戻ってくるという感じなのか? はっきりしません。
食欲は変化したまま
食の方は、今まで通り食べていたのですが、味覚はまだほぼ沈静化したままでしたが、食べられない訳じゃない。味も解るけれど前とは違う。
大人の遠足をしたときに、サンドイッチを作っていきました。しっかりした量でしたよ。そして食べました。しかし、味はあまりしない。欲して食べているのではなくて、習慣として食べてるだけな感じでした。
これもまたお腹はぐぅとなるのですが、「お腹が空いた~~~」という感覚がまだ湧いてきません。しかし食べないとふらふらしたり、立ち眩みしても嫌なので、なんにもなくなっちゃった後に受講生さんや友人たちと過ごす時間が長かったことは私のラッキーだったと思っています。
水分は今まで通り飲んでいます。
解脱体験?
アメブロにも書いたのですが、私のなんにもなくなっちゃった体験のことを、「解脱(げだつ)」と言われている状態であろう。と教えてくれた友人がいます。
私がこの友人が好きなのは、「私は体験していないけれど、そのように聞いたことがあるという情報なんだけど」と言ってくれるところです。
私も「これは解脱だ」とは言いにくい。
体感はあったけど、それが本当にそうなのか証明ができない。
そして、その時はなんにもなくなっちゃった感に包まれていましたが、刺激を受けまくりまして、ほぼ外的には通常運行というような心持ですから、
「なんか 変わった?」と自分でも疑問です。
体験、体感というものはそのまま瞬間保存できないから、こんなもんです。
ただ、これっていつまで続くんだろう? 将来に時間が進まないとわかんないな~と思っていたので、博識の友人から「3か月くらい続くと聞いたことがある」と聞いた時は、なるほど。と思いました。
だから、私の中では「解脱(げだつ)」ではなくて、「解脱体験」ということで収まっています。これが全く別の名前があったり、また別の答えがあっても良いのです。
プチ解脱体験。というような事でも体験としては十分ありがたい事です。
生きていると色んなことがあるね。という意味です。
人間は人間だ
極めて人間らしい反応をしておりますから、やっぱり貴重な体験をしたとは思いますが、人間はあくまでも人間です。私は凡夫だという自覚があります。
それ以外になるつもりも無いですが、そもそもそれ以外にはなれない。ならない。
ただ、こうも思いました。
これは 新たに生まれたのもおんなじだな
これは 新たに生まれたのもおんなじだな。と思うようになりました。
赤ん坊は「生きる糧」という認識など無くても生きています。
生まれなおしたと思えばなんてことない。
昔昔、体験した
「今までの自分の人生が根こそぎ消失した」というときに見た脳内風景体験があり、
今回のは以前とは異なる「すべてが根こそぎ消失した」バージョンでしたが、
これで生きるのを辞めちゃう方は大人脳を変えられなかったんだと思います。
自分たらしめているナニカ
自分という存在がある。という「自分たらしめている様々な物事」が私達にはあって、
それが苦しみも幸せもある意味生むのだと思うのですが
その「自分たらしめているものが無くなる」ということは それをなかなかheavy、かなりheavyと捉えることも想像するに難くない。
大人の脳というのは「自分たらしめているナニカ・それら」の上に成り立っている様々なことだという意味で書いています。
赤ちゃん脳に戻れば、生まれ直しですよね。
また1つずつ やっていけば良いし、それしかないんだろうと思っています。
私は赤ちゃんとして1回目。
四半世紀前に2回目。
今回で3回目の生まれ直しですわ。(笑)
今までの価値に囚われたら、今回のような体験は「消失」でしかありませんが、囚われなければ「新しい人生のスタート」。
今日、今現在はこのような考え方をしていますが、ある程度精神力が強いのかも知れないです。
それか、一度似た体験をしているので、対処の仕方を自分なりに心得ているだけかも。
答えはありません。いや、答えがもしあっても解りません。
ただ、なんにもなくなっちゃったし、なんにもなくて良いんじゃん。と生きるのをやめる方向でしたら そもそもこのコラムすら書かなくて良くなるので、
どなたかお1人でもこの記事を読んで楽しんでくださっていたら、ご提供できる状態で存在できていてなによりです。(笑)
もう一度考えてみると
今回登場した友人は博識でして、以前「真我体験」という言葉を教えてくれました。
私はもっぱら体験のみで、それらに関する言葉を知りません。
体験を話した時に、今回も言葉を教えてくれました。
断定はしないんです。
彼女も私も。
そういう可能性があるのかもね。という事でしかないんです。
この話をしたときに彼女に言ったんですよね。
「しばらく、生きてるだけで幸せ。なんにもなくても幸せを感じていたんだけど、その幸せ感も消えちゃった」と。
そしたら、「幸せを感じてるうちはまだまだって言うことらしいよ(という説があるよ)」と。
なるほど。
わかりやすいと言えばわかりやすい。
欲がないってそういうことでしょうから。
あくまで個人的ですが
なんというか、あくまでも私の感覚ですが、こういった事に酔い始めるとあんまりよい方向へ向かないような気がしていますので、「ひょっとしてこんな事に分類される体験だったのかもね。」が丁度良いと思っています。
そして、私はどの信仰、宗教、生きる知恵、法則にも精通しておりませんので、それらをお伝えする前に?ストレスケアをすると心と体の楽さを感じる事が増えますよ!という方向性で引き続きいきたいと思っています。
そしてそして、最後に
(そうか、今この状態で以前と同じイメージワークを行ったらナニカ違いがあるのかな?)と1つやってみたら、全く違いました。
こんなことは聞いたことが無い。という内容でしたので、私の体験はなにかしらに影響は与えているようでした。
(2018/05/28)(2018/05/29 一部加筆)