他人に傷つけられたかと思っていたら、自分の意見を言わない自分に落胆していた

他人に傷つけられたかと思っていたら、自分が自分に落胆していた

いつも通りあくまでも私の体験談を交えて書いていきます。

あなたの「しょんぼり」「がっかり」を紐解く1つの案になりましたら幸いです。

反論しない人について

これ以降は毎回「あくまで私の体験談です」「わたしが感じた事」「その当時私が思っていた事」という注釈を入れずに書いていきますので最後まで合間合間にこの注釈を脳内リピートしてください。

多分、今の私の「断ること・嫌だという気持ちを伝える」という現場を知っている方は かつての私が反論しない人という面が多分にあったことを信じられないかもしれません。しかしそういう事もありました。

今でもちょいちょいありますが、これは。と思えば伝える努力をする機会が増えました。

 

きっと現在、反論しない人は、すごいなぁ 私にはできない無いなぁ。と思うと思います。私もそうでした。

私はそれをしない(できない)自分を守るために「よく言えるな~」とちょっと斜に構えてるようなこともありました。

しかし、そんな自分の事とは思えなかった「気持ちを伝える」ということについて、今はその努力をしています。楽しいかと言えば違うと思いますが、それでもそれをするのは自分を大切にするためです。

 

以前は良かれと思って、反論、もしくは自分の意見を言わないんだ。という価値観もありましたが、

その良かれの脇には「どうせ聞いてもらえない」「ごたごたするのが面倒くさい」「事なかれ対応が利口だ」「これこそ大人の対応だ」などと自分の意見を言わない立派な理由を揃えていました。そう、自分が変わらず何もしなくてもいい理由をちゃんと用意していたんです。

意見を言ったところで「どうせ聞いてもらえない」「大切にされない自分」を再確認するのがつらい。

そう、よくよく自分を見つめていったら「ないがしろにされる自分を再確認するのが辛い」「大切にされない自分が悲しい」これらを避けたかったんですよね。

意見を言わなければ、再確認しなくていい。

 

しかし、まだその先をジッと見つめました。自分をね。

 

驚きの事実を発見したんです。

自分が一番 自分を尊重してないってことを。

 

自分を一番軽んじているのが自分だという発見は、悲しすぎるけれど、しかし非常に有り難い気づきでした。これは大きな転換点の1つでした。

 

反論、または反論ではないにしても自分の意見を言わない傾向の方(かつても私でもあります)は、それを後で愚痴る方も、そのまま闇に葬るもいます。私は愚痴る事ができればしたと思いますが、多くは闇に葬ったタイプです。闇に葬るということは、要するに自分にため込んだという事でしかないのですが・・・。

 

周りにそんなあなたに対して「あの人は我慢して何も言わない人だから救わないと」と思うだけでなく支えてくれたり、あなたの代わりに代弁してくれたり、庇護するような行動をしてくれるとやはり甘えたいのが人情。あなたが正しくて相手が悪いと言って欲しいのが人情。私達は理解されて、共感されたいです。

それがご本人に良いことかどうかは置いといて。

 

例えば強く圧力をかけられた気持ちになって、自分の意見を言えなかったとします。

私がもっともこたえたのは、それに本音でもないくせに迎合するように下手にでるような事を言ったり、やったりしたときでした。

相手の機嫌をとって、自分をないがしろにした。その自分の行動がつくづく堪えたんです。

 

「そうおっしゃる○○さんは凄いですね」と思ってもいないのにおべんちゃらを言った自分。それが本音ならまったくなんともないんです。正直な自分だから。

本当は心の中で嫌いで、尊敬していなくて、ちっとも凄いと思っていない人に、保身のためにおべんちゃらを言った自分にこそ猛烈に腹が立っている。

そして、自己嫌悪極まれり。

そうなると、もう○○さんに会いたくないです。だってまた会ったら「あなたの事を凄いと心にもなくほめた私」で居なきゃいけないから。

自己嫌悪に塩をすりこまないといけないから。

 

自分の価値観を貶めたのは自分。

 

こういった事は本当に「苦々しい」という言葉がピッタリ。

だからこそ、とってもシンプルに考えました。「私は自分の意見や気持ちを伝えなかった自分が許せないんだな」って。気持ちと逆の事を保身のためにしたつもりが、一層自分を貶めていたんだなって。

本当は相手に怒りを感じていてもそれも無かった事にするケースも多いです。

無かった事というのは、自分の心を無視したということ。自分を慈しむ心を先送りしたという事でした。

 

私は経験したからこそ当時の自分を知っています。

そんな自分を大切にしない自分が嫌いでした。

 

そう、あなたが嫌いに思う人、私が苦手に思う人はひょっとして、あなたが(私が)自分を大切にしていないパターンに気がついて行動を変えるまでは繰り返し登場するでしょう。

 

そして、私の個人的な感想ですが、そのパターンとの決別を先送りにするほど、ハードルが高くなるような気がします。

その高くなったハードルは「もう本当にこんなパターンは嫌だ。もうこりごりだ。こんな気持ちになるのなら苦手だろうがなんだろうが行動を変える!」と決断を迫るような働きをすることがあります。

 

その時にどうするのかは、あなた(私)にしか決められない。

意見を言わずに後で凹む場合の行動様式例

先ほども書きましたが見たくない自分が登場したシーンは無かった事にしたいわけです。

抹殺したい。

ですから、その気持ちがあるうちは、よしんばセルフケアの方法を知っていてもその問題には手をつけません。

それはそうだと思います。人間の本能として、苦しいことからは逃げたい。それに、抹殺しているから気がつかないし、はなから再確認したくないから結果的に自分を卑下してしまう行動をとった場合などは何重にも紐解く鍵が重なっています。

そこを支えるのが人間脳です。

 

本能で生きることも選べる。人間脳を使って生きることもできる。

 

私達の脳は色んな意味でカバーしあいます。

 

誰かや何かの圧力をかけられ、屈したような環境からはそっと離れてそもそも出来事がなかったことにしたい。

もちろん私もそうしたことは数えきれません。それに、当然ですが命の危機や精神の破壊を受けるような環境からは即刻逃げることを薦めます。

ただ、その「イヤダ!」と反応したことが、ただ単にそっとフェードアウトすることなのか、そのパターンから抜け出すチャンスなのかは冷静にお考えいただきたいても良いと思います。

 

もし、苦々しさを味わう自分を続けるか? やめるか? という分かれ道だとお感じになった時は心体カウンセリング™ を一度受けてみてください。サポートをいたします。

私はケースバイケースで、命の危機や精神の破壊を受けるような環境からは即刻逃げます。

その見極めは自分のイヤダ!という反応ではなく、人間脳で割合 合理的にしています。

ですから、高名とかリッチとか高学歴とか権威とかいうそういう事は入り込みません。それに迎合して自分を無くしていくこともある種の本能だと考えている面があるからです。

 

しかし、こうなったのも深く深く反省したからです。苦い経験をもうたくさんというほどしたからです。

人間の1つの愛すべき特徴は、追い込まれないと行動を変えずらいということだと思っています。

 

自分が苦しむことになっても、相手に良い影響をあたえなくても、気が済むまでやりたいという欲求があるのが私達人間なのでしょうね。

 

なにをチャンスと捉えるか?

私もそうでした。

まず、気がつかない。

そして、気がついてくる。

しかし、気がついたからといっておいそれと変われない。どうしたら良いのかわからない。

 

今まで自分を押し殺して、好かれることに重きを置いてきた場合は おいそれと行動変容に繋がりにくいことは想像に難くないです。数年がかりか、十数年かかりか、はたまた一生のワークになる場合だってある。

怒りや腹立たしさ、憎しみなどを「悪感情」としてそれらを感じる自分を罰する生き方をしてきた場合は。大きな事を書けば善悪が入れ替わるような、または天変地異が起こるようなものかもしれません。それをシンドイと感じることだってあります。

それでも、それをやるのかどうかはあなたが決められます。私はそのサポートをします。

 

そのフェードアウトしたい何かがあった環境に、あなたが今までとは違うパターンを試してみようと思う魅力があるかどうかも大きいと思う。

  • 1つの曇りと取るか、ハッピーのない無意味な環境ととるか。
  • 伝える練習ができる環境か、練習することにも望みを持てないとあなたが感じるか

 

私はこんなことを考えて、その環境に残ったり続けたことも多くありました。

私はこんなことを考えて、その場を去ったこともありました。

 

後になって後悔をしておりませんので自分の決断はOKです。

私がいつも自分に問うのは、「5年後、10年後に今の行動を(今日の場合は逃げる、去る、フェードアウトするという類の事です)後悔するか?しないか?」という事です。

この選択を将来後悔しそうになければOK。ということにしています。

 

バランス調整とは?

少し話を戻しますが、苦々しい、卑屈になった自分をバランス調整する。ということについて考えてみます。

 

最初は、悲しい思いをした自分をケア。

ひょっとしたらここで完了するかもしれませんね。

 

それは、バランス調整さえすれば、あとは引き寄せ的に勝手に環境が変わって二度とこんな思いをしなくて済むと考えている場合も含めて。

 

意見や気持ちを伝えるというバランス調整をすることも良くあるでしょう。

それは、バランス調整さえすれば、あとは引き寄せ的に勝手に環境が変わって二度とこんな思いをしなくて済むと考えている場合も含めて。

 

そこには、やっぱり何かをアテにするという気持ちがありますか?

私はバランス調整をしたので、あとは何かや誰かにお任せします。というような。

そういう時に登場するのが共依存者の時もあります。コントローラーの時もあります。

手を差し伸べてくれるから、それは愛の人に見える時もあります。

それが愛から来ているのか、その方が自分の過去の経験の投影をして反応しているからなのかは私にはわかりません。

 

話も伺っていない、拝見してもいないので、あなたのその人が「愛の人」なのかどうかは私にはわかりません。

これを自分でわかるには、とても冷静な視点が必要な事は確かだと思います。

 

1つがイヤ。だから全部をclose(閉じる)する?

私は1つが強烈に嫌だから、すべてをclosedしたことがあります。

先ほども書きましたが、今日現在それには後悔がありません。後悔どころか、年月が経てば経つほどその時の決定を「ナイス判断!」「さすが私!」などと思った出来事もありました。

 

しかし、逃げない時もありました。

それはこの1つの事柄で他のすべてをclosedするのは勿体ない。と思ったからでした。

 

その行動はあなたの自尊心を大切にしていますか?

自分を好きになる行動ですか?

自分を慈しんでいますか?

 

 

ちょっと難しい話かもしれませんが

最後にちょっと難しい話かも知れませんが、

なにかと始終 因果関係を考えるよりも、自分の心をシンプルに見つめた方が求めているものが得やすい時があると思っています。

複雑に考えるのか効果的とは限らない。それが賢さとも限らない。

 

どこまでシンプルになれるのか? を是非試してみて欲しいです。

 

非常に僭越ですがそんなことを思っています。

 

唐突ですが、今後(今日は2017/11/21)、かつての私が全く予想していなかった「愛」についてコラムを書けたら良いなと思っています。

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