書籍「嫌われる勇気」を(これこそ)勝手に深堀しました
Contents
勝手に深堀考察しました
勝手に深堀したので、書籍「嫌われる勇気」の本題からは外れています。
しかし、次元心理学、量子心理学と以前名づけた内容を書籍の内容の理解に組み入れることができる!(組み入れるというより、これって関わってるんじゃない?!)と、思いましたのでコラムを書きます。書籍「嫌われる勇気」の著者の意向とはおそらく大きく離れているでしょうから、どうぞ(これは武田が勝手に考えていることなんだな)という前提で読んで頂けますよう宜しくお願いいたします。
経緯
今日は一日のんびりかなぁ? って思っていた早朝。
そろそろ起きるかなぁ、その前に、と「たかしママ」の筋トレ動画を見て、次に勝手に再生されたブルブル動画を見て ハハハ と笑っていたら、次に自動再生で映画「メッセージ」の解説動画が始まった。
この映画見たな〜 コラムかブログを書いたっけ。何書いたんだっけと ぼんやり見ていたが
ハッ
とする事を動画で話し出した。
こりゃ大変
書籍「嫌われる勇気」の一旦終わったコラムの続きだよ 続きを書かなきゃ
と、慌ててメモを書き出しました。
こちらがその自動再生で始まった映画「メッセージ」の解説動画です
【UG# 180】あまりに難解な超SF映画「メッセージ」をネタバレ解説します!/ OTAKING explains "Arrival"
(文字にリンクが貼ってあります)
この映画見たよな~と他人ごとだと思って ポケ――――っと見ていたのですが、27分辺りから ナニナニ!!?? と、脳が反応し出した。
メモメモ! メモしないと! (29分39秒、29分44秒~とメモがしてある) と正気を取り戻した。
そう言えば、「未来の記憶がある(と思える)?」というコラムを書いたな! とメモを書きながら思った。
これまでの軌跡になる参考記事が多すぎて
参考リングが多過ぎるのですが、今思い出せたものはご紹介します。全部に目を通していただくのは大変なので、一旦この後に書く本題を読んで頂いて、(わからん)と思われたら参考リンクを読んでください。 自分でも読み返してみたのですが、何を書いているのかサッパリわからないものも多かったです。特に文章に問題が多かったのはこの項の後でシェアするサイト「こすも」でした(泣) 書いている私はなんとなく分かるけど、読んでる方には苦行で申し訳ありません。
因果関係?
下のコラムの、「気がつけない理由は?」の部分は、言い方を変えたら「因果関係」とも言えるのかも知れませんので、再度目を通していただいて
時間の観念?
サイト「こすも」より
前世2(文章が読みにくいです。申し訳ありません)
多次元
平面ではなく立体
つながりについて
思い出したのは、過去?未来?並行世界?
サイト「こすも」
動画を見て驚いた
本題スタート
「回想シーンかと思ったら、未来の話」だという映画の内容は、実際に私も(ソレは過去? 未来? 同時進行の並行世界?)と不思議に思う体験があったから、おそらく理解できている。そして過去に既にコラムに書きました。
私達の脳には「未来を思い出す」という習慣がありません。
思い出す=過去、既に体験したこと
という認知のルールがある。
既にシェアしているが、こちらのコラムの中に書いた。
時間の解釈を身の丈のストレスに落とし込むと
時間という概念が当たり前過ぎて、ストレスケアの際に置き去りになっている。
過去とか、体験とか、記憶という言葉で認識されている「時間」と、感覚としての「時間概念」とは意味合いが違うという事を書き進めていきたい。詳細は上手く書けないが、最後まで読んでい頂いたら感覚を共有できるかもしれません。
立体
また、思考や感覚が平面的である良さも欠点もあると思うが、平面思考の方は立体性や「層」というものを感じにくいようだ。良し悪しではなくて脳の傾向として。観念と思考で立体を捉えているのと、感覚で感じるそれは少々違う。 観念と思考で立体を捉えているというのは、例えば、「言葉」がそれに該当するからきっとこれは「層に該当するだろう」と判断しているという意味です。実際に体感覚として立体を感じるのとそれは全然違うが。優劣ではなく持って生まれた脳の傾向だと思う。
また、脳の成長段階という意味では、子ども脳は意識が届く世界や範囲、時間の観念が狭いが、発達した脳はそれよりも広い。良し悪しではなくて、状態の違いだという意味でこちらをシェアします。彼がこの先成長の過程で多くの概念を身につけていくと思いますが、そうするとまた脳の状態と起こる反応も変わっていくだろう。
未来が思い出せる云々は、統合心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの際に、過去なのか未来なのか?これは並行世界なのか?という脳内映像を体感した方が何名もいらっしゃいましたので、その有無などは今日は取り上げません。私もクライアントのそういった並行宇宙なの?これは?という脳内映像のご相伴に預かり続けて、ある日ついに(統合心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアは私しか行っていない手法というかネーミングなのでそれを私自身が受けることはできません。私のそういった類の感覚の扉が開いたのは、クライアントの施術の最中です。)、(なるほど!)という体験をしました。
既にリンクを貼っている。サイト「こすも」の記事、前世5 の内容です。(時間が経つにつれ、書いた内容以外にももっと沢山の記憶?情報?が出てきました。)
ブレイクスルーの鍵?
知識をもとに考える習慣があると記憶は時間に縛られる
今日の一番の肝は
- 過去の教えや思想に囚われる=時間に縛られる
- 物語の世界に生きる。浸る。=時間に縛られる
- 因果律を採用する=時間に縛られる
- 占いを気にする(占いとは過去の統計らしいし、将来を気にする時点でも)=時間に縛られる
です。
心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアの際も、時間軸について対話するし、過去を継続しないための対応策について対話もします。行動はクライアントご自身に行って頂く以外にありませんが、スモールステップに落とし込んだお話も多くします。
「今」より先は、過去と異なる道を選べるということも。(ちょっと勇気は必要だから、それが楽しみとして行動できたら最高なんですけどね(^^))
時間と欲、煩悩との関係
煩悩や「我」、自我、欲などについて昔から多方面で説かれている。この先もそうだろう。今この瞬間もどこかで説かれているだろう。
私は冒頭でシェアした動画を見て、今までの自分の体感や、それによるコラムやブログに書いたようなことをそれこそメタ認知のCの視点(またはD、E、F・・・・)から見たのか? そうではなくて、脳内の電気信号やシナプスの繋がりで ハッとしたのか不明だが、(あぁ そうか。そりゃ言うのは簡単、行うのは難しいわな)と思ったことがあった。
時間があるのに、抜けている
おそらく、説明が足りないか、煩悩や「我」、自我、欲などを説いている側も体感が無いんだろう。
それは、煩悩や我、自我、欲と「時間」との関わり方について。
「いまここ」とは言うが、それ以外にも補足した方が良い言葉があるけれど、それは教典・教科書・参考書に乗っていないのかもしれない。だから教えを説く側も習っていないのかもしれない。
なぜなら、それらを説いている側が「古来からの良い教え」という「歴史がある」という概念・時間に縛られているからではないかと思ったのです。この教えを言いだした人物や存在は「過去」にいたという概念だ。 動画でも話しているように、時間が流れているという top of 無意識、無意識中の無意識に従っている概念。その上に構築されている概念とも言えるが、「時間なんて無いんだよ」とか「教え」「信仰」「生きる智慧」を本を読んだり、説く側に回って理解しているつもりでも、あくまでもそれは概念の「切り抜きの一部」であるということにも気がつけない。
それは知識有るものが優勢だとか、他にも権力だとか、家柄だとか、古来からの役割と言った男性性や女性性や、優劣を争う競争だとか、真理を求めるとか、書ききれないその他もろもろも、結局のところそれが構築されるには「時間」がかかったとか、「時間」の上に成り立っていると捉えている限り「時間からは解放されない」。
ということは、現実を生きながら、煩悩や我、自我、欲をブレイクスルーできないということを理解した瞬間に、ブレイクスルーできる可能性が上がるような気がしてきた。しかし、本当にブレイクスルーするのか?継続できるか? は別の話です。
煩悩や我、自我、欲という概念や言葉を操っているだけでは難しいと思う。
それらと一体になり過ぎてもう見えないというものが有るという視点が必要なんじゃないかと思う。盲信という意味で、勉強して「古の智慧を理解する」という関わりや、伝統とか、ホンモノは今伝わっているものではなくて過去の教えだとかという概念が時間の概念の上に成り立っている。(今回のコラムが正解ではなくても、どなたかの閃きのお役に立ちましたら光栄です)
一旦悟ったような気持になって、「(ゲームの時使う言葉の)あがり!」と思った瞬間に失墜(こんな表現は失礼ですが)したようになるのはこのせいなんだろう。一瞬悟ったような気持になることもあるだろうけど、それは時間的概念の「将来」とは無関係で、 書籍「嫌われる勇気」で言うところの「点」でしかない。 その先も悟っているという保証など無い。しかし、教えを説いていたり、勉強していると、すでにその時に時間の概念に囚われているので、スコトーマ(心理的盲点)になっているだろう。 いや、心理的盲点というより、感覚的盲点だろう。
そうか、確かに、「達成」「到達」という時点で時間の概念が関わっていますものね。影(Shadow)のようにいつもピッタリとくっつているが影(Shadow)に注目するヒトは少ない。(見えないけどナニカあるよね?!)というような影(Shadow)の気配を感じ取れる方も少ないのかも知れない。
習う事、勉強する事で自分を形成していくような、勉強が得意な方の盲点になりやすいのかもしれない。
+++ 参考 +++
話を戻しますが、
しかし、失墜(こんな表現は失礼ですが)するということは、煩悩や我、自我、欲というものを自己の中で感覚的には捉えていないか、勉強と修行だけでOKと思っている可能性もあるのかもしれない。勉強も修行も「時間」を費やすことだし、大抵は継続的に勉強しておられるのは優秀な方なので、優秀な自分×勉強×修行×時間というような積み重ねで、これが盤石さを生むんだとお感じになるとは思います(私は自分がそういった優秀さがないと自覚しているのであくまで想像ですが)。 しかし、今回私が ハタ と気がついたような気持になっている考え方を元に、勉強も修行も時間も結局「0(ゼロ)」カウントにしかならないという仮定を用いると、「優秀な自分」も影響を受けるでしょうね。
上位概念をはじめ、もうその存在に気がつけないほど身に沁みついている概念を纏ってる間は見えないんじゃないだろうか? 感じないんじゃないだろうか? 唯一それに気がつけるのだとしたら「純粋な感覚」なのかもしれない。しかしこの感覚も「思考」に凌駕されたり、時間を費やして「感覚を得る」というような概念の上に立っているのならどうなんだろう? 「純度」という意味では、脳のタイプによってはこれこそが難関となるのかもしれないですね。その「時間を費やして得た感覚」と「煩悩や我、自我、欲から解放される」は全く無関係というとガッカリする方も多そうだ。
それを先ほど、感覚的盲点と書きました。時間を費やして得た感覚により自分が置き去りになるという可能性があるだろうか?
こんなことを書いて、大丈夫だろうか?と頭によぎっているが、あくまで仮説です。
あんなの嘘だし、間違っている!と思われる方は、今書いているようなことは参考にしないでくださいね。
知識を他者との競争に使っているのなら、知識にも競争にも「時間」という概念がくっ付いているだろうという勝手な予測は書いておきたい。
今西進化論!?
私の人生観の一部分にある考え方が紹介されていたのも驚いた。(「シュレーディンガーの猫」が登場したのも驚くというか、嬉しかったのですが、この話はまた別のコラムに書きます)
またまた名前があった。それは「今西進化論」だと動画は教えてくれた。
私の場合、そうかもしれない、ああかもしれない。すべて共存していそうだね。という考え方をすることが多いので、自分の人生観に動画で解説されていた今西進化論が少々含まれている。だけど、完全なる運命論者ではない。
Gerd AltmannによるPixabayからの画像
「蜘蛛の糸」の世界をメタ認知できるようになるのが進化の1つか?
進化とか、覚醒とか、時代の流れに乗るために選ばれるとかいう説に全然興味が持てず、(ナニソレ? (-_-) )と私が斜に構えていることは多くの方が先刻ご承知だと思いますが、こんな私がついに フムフム とちょっと譲歩するに至った。
それは動画解説の中の宇宙人(異星人?)の視点を想像したからです。 加えて、「1つの点から進化が伝播する」という言葉にも脳内を刺激されたことも影響しています。
ははぁ なるほど。時間に縛られていることを実感できるようになるもの進化かもな~と思えたし、まぁ確かに、こういったことは覚醒という言葉を使う範疇のことなのかもしれないなって。
バーチャル眼鏡をはずして物事を観るようになることのような意味合いがあるとするならば、これ自体が進化と言えるのかもしれない。
因果関係で見ずに、因果の外にいる
メタ認知をどう理解するのかすら人それぞれかも知れないが、因果律を採用せず、かつ、このCの視点を持っていることが大切だと、アドラーは考えたのかもしれないな。とハタと思ったんです。そして、コラムに書いた詳細は忘れてしまっていて申し訳ないのですが、(シュタイナーも同じ感覚だったのかもしれないな)とも思えています。それはユングもそうなのかも。
シュタイナーの場合は「感覚」を大切にしていたが、それは「今」という場所にいることを意識するテクニックとして推奨していましたよね? それは自分が置き去りにならないために。自分を感じるために。誰かに愛して欲しいと外へ外へ向かうのではなく、自分で自分を愛する事を知ることができるという提案だったと今はおぼろげに覚えている。
自分の外に責任を負わせたくなる(因果律を採用したくなる)人間の習性を見越していたのかもね? と思考の翼が大きくひろがった。
- 感情
- 上下関係
- 年齢
- 損得
- 体裁
- 常識
- 教え
- 知識
- 情報
- 修行
- 法則
- 時間
- 家系
- 過去世
- 歴史
- 神、釈迦、仏陀などなど有り難いと伝承されている存在
- 環境
- 悪魔
- 霊性
- カルマ
- 学歴 etc
などが因果律に用いられるのでは?と一応あげてみました。
いや、シュタイナーについては、おぼろげに覚えているだけなので、因果律を採用していたかもしれないという余地は残っています。
これ大事
自分を感じる感性と、メタ認知の視点は同時進行できますよ。
脳を鍛えましょう(^^)
なんちゃってメタ認知
以前
マウンティングも1つの視野の狭さから出てくる行動だろう。
マウンティングする側はBのつもりでいることが多いが、実際のその行動はAだものね。ということは、頭を抑えようとしているその人が居る場所はAなんですよ。
マウンティングでお困りの方は男女を問わず、年齢を問わず多いようですが、是非ストレスケアしてくださいね。そして、この下手で笑えるこのイラストを思い出して、相手はどこに居るのかな?とあなたがBやCの視点に立って物事考えてみてください。
と書きました。
他者を見て、頭を押さえつけたいとか、自分の優勢を知らしめたいとか、ライバル意識を持つとか、まだまだ分かっちゃいないとか、修行が足りないとか、許せないとか、ズルいとか他にも色々ありますが、こんな感じにジャッジ、評価するのがメタ認知だと思い込んでいる方もいらっしゃるかもしれないが、それは私の使っている「メタ認知」と意味が違います。 優生思想とか、選民意識とか、そういった意味合いのものはメタ認知ではないです。それもAでしょうね。
そのあなたが心底嫌っている相手は、よくよく見ると自分と一緒だということがあります。あなたが貴方の世界を構築しているのだとしたら、あなたが内包している風景を投影している。
メタ認知が毎時毎分あると思うのではなくて、多分一瞬そんな視点が持てる時がある。程度じゃないかとこれを書きながら思いました。
ですから、それを自分で思い出そうとしないと直ぐに忘れ去ってしまう。気に留めておく習慣をつけるべく練習をする必要があるだろうと思っています。感情が動くとあっという間にそういった視点、客観性は遠くへ追いやられてしまい(と、今は考えています)、自分も、他人の存在も尊重することも忘れてしまう。
課題の分離にはこんな意味がありそうだ。
肝とは異なる、一番お伝えしたい事
今回ここまで書いてきたのは、ただ「ブレイクスルーへ舵を切るとしたら」という話を書いているつもりに過ぎないし、これが正しいかどうかも証明できない。
そして、ブレイクスルーとは何をブレイクスルーなのかも言葉にしにくい。
人間?? はぁ?って感じですか?
そして、これをもっともっと強調したいのは、今回、おそらく推論としてあまり大外れな事も書いていないとは思うが、推論よりも大切なのは、
こんなことを知ろうとしなくても、煩悩や我、自我、欲がある人間としての生を楽しもう!
です。
享楽的に楽しむという意味では無くて、「生きている」「命がある」状態を(しっかり というのは個人的な願望だけど)生きるという意味で。
時間から解放されて、煩悩や我、自我、欲からも解放されたい? それは人生を全うしたあとに体験できますよ。輪廻転生があるという信念がある方でしたら、時間から解放されて、煩悩や我、自我、欲からも解放されていたところから再度生まれ直して来たことになるんですか? なら、それをやってきたばかりなんだから、生きている長くて100年間くらいは別に忘れてもいいじゃありませんか。
生きることに専念しませんか。
生きているからこそできる事ってありますよ。
煩悩や我、自我、欲も生きているからこそですよね?(違う?)
シンプルにはなっていくと楽だとは思うけれど、しんどくても、苦しくても、解離しても、自分が置き去りになっても、競争しても、生きているだけでOK。
もし、嫌だなぁと思うことがあったら、ちゃんと距離を置いたり、嫌だと伝えたりすることも大切です。
相手の人生をOKにさせるために存在したいのなら止めはしないが、そうじゃないのなら、その立ち位置から去ることも大切です。
相手の人生をOKにさせるために存在したいが疲れているのなら休むことも大切。
仕事に就ける年齢になったら、自立していく方法は沢山あります。自立はシンドイから、今の環境で折り合いをつけていくという人生もあなたが自分で選んでいるのアナタならOKですよね?
あまり自分が置き去りにならないことはお薦めしたいけれど、生きているだけでOK。
じゃあナゼ? 私がこのコラムを書いた理由
次回にも続く予定なのですが、人生にたいして必要がないと言いつつ、なぜ今回のような内容を実際には書いているのか? マニアックだし、自己研究、自己満足、自己中心的な内容なのは承知しています。
それは私が創造力や思考力を使う事が楽しいからです。
お金を頂かなくても書いています。コピーライト©はつけていますが、引用元を明らかにせず転用されても、よほど悪質じゃなければ何もしないと思う。そもそも調べもしなから偶然でしか気がつけないと思うし。
というのも、次回に書くつもりにしています(いました)が、動画の中の
一つの点から広がる
ということを素晴らしいと思っているからです。
買い手の責任
と、「課題の分離」をして、広がることを楽しもうじゃないか!と最近特に思うようになったところに、この動画の中の一言でした。
ですから、書いたものが有料ということは今のところ無いんですよね。
書いたものを読んで下さった皆さんが、一点からの広がりに入ろうと、入らなかろうとそれは皆様の自由なのですが、私自身は、こういった考え方が良いなぁと思っています。
この
広がる
はヨコに広がっていくと感じるからです。
有料は「ヨコじゃない」という意味ではありませんが、無料だと垣根が無いから伸び伸び広がるかなぁ という程度の意味でしかありません。
余談
今考えると、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」そして、その挿絵を描いた画家さんは凄い影響力がありますね。一点からのパワーの凄いこと(◎_◎)
そして、芥川龍之介が今日のコラムを読んだら何というだろうか?
誤字脱字と、文章作法の間違いを指摘されるだけで終わったりするかもね。(笑)
次回へ続く予定ですが、今は中距離を走り終えたばかりの感覚なので、少々時間を頂戴します。
(2021/08/23)
時系列にコラム・投稿をお読みになりたい方は下記のリンクをご利用ください。
https://takedamiki.wpx.jp/top/news/