脳内に宇宙図書館を持つ方の知恵に「なるほど!」ーその5

自分の引っ掛かりに気づく

ホームページを運営するにあたり、

あなたが興味のあることをサイトに載せるのではなく、お客様が興味のあることを書くのは当たり前の中の当たり前だ。あなたの興味があることを書いているのはナンセンスだ。

とFacebookで流れていた広告が まるで私に投げられた直球ボールのように感じました。

 

「私風の理解」とか、今回のタイトルの「自分の引っ掛かりに気づく」などというのは、読んで下さっている皆様にとっては「知らんがな」ですよね。

それにも関わらず、お付き合いいただいてありがとうございます。

 

自覚はしているので、このFacebook広告を目にする前から、コラムの内容の方向性を基本に戻そうと思っていることは既に書いていましたが、今日もマニアック記事です。

 

これだけマニアックな方面に流れた後に、また基本に戻ったら以前とまた異なる書き方ができると良いなと思っています。

しかし今回はまたマニアックな内容です。しかし、上位概念や思い込みの発祥点について考えることは心理、精神のカウンセリング、セラピー、ケアにとっても大切だと思っているんです。

 

誰がそれを「当たり前」に昇格させたのか?ということを知ると、(鵜呑みにしなくても良いじゃん)という自由を1つ感じることができる。

素直に信じず(時として妄信ともなる)、疑いを抱いたり、疑問を感じると罰が当たるんじゃないか?という無意識に強く働いているような要らぬ不安も感じなくて良い。

 

自由を好まない人も多いらしいし、それすらも自由だし個々が選ぶ人生なんだと理解が進んだため、私が力を込めて「目を覚まして!」というような啓発をするつもりはありませんが、私がサポートしているストレスケアについて関係していそうだと感じて書いておきたいことを今回も書いていきます。

 


アニメの「蟲師」を初めて見たときに、懐かしい感じがしました。

「妖怪少年の日々 アラマタ自伝」 著者 荒俣宏 にも「蟲」が登場していたのですが、書籍によると

「蟲」という神経

というような解説や、

  • 「モノ」という妖怪の本質
  • 物の怪
  • 中世までの「憑き物」

という解説や

  • スティーブン・キングなら「IT(イット)」、
  • J・K・ローリングの「名を言ってはならないあのお方」、
  • 「霊」の意味もある

などとも似ていると書かれていたのを読んだときに

 

仮に「≒(ニアリーイコール)遺伝子」と名づけてみよう

上のコラムに登場している映画「遊星からの物体X」の原題は「THE THING」だったことも頭に浮かんできました。

 

こういった事象、存在を私たちの多くが遺伝子レベルで信じていたり、集合無意識的内で信じているので、これが本当でも嘘でも良いという選択ではなくて、選択の余地のない「在るもの」という前提に立つことが多いようです。

かく言う私も、自分はいったい何を見たのだろう? 何を感じたのだろう? という体験があると思いますし、不思議なことや見えないことなどもあるだろうと思っていますが、それによってやたらと不安を煽られたり、恐怖によって自由を失うようなことが少ない方がいいなぁと考えています。


 

モノ、憑き物、IT、霊を退散させる

受け取る情報によって、または、情報の自己理解によって不安も恐怖も増幅してしまったりします。

古今東西、不思議なものと人間の付き合い方にも様々ありますが、それらの情報をもっともっと増幅されることがあり、増幅、拡散するという役割を担う存在があります。

今なら、インターネットに関するあれこれもその役割を担っていることでしょう。お金という物質に良いも悪いもないように、情報の使い方、付き合い方、影響の受け方により感情が揺れ動いたりするのだと思いますが、こういった不思議系に関することは古くは(昔は)お坊さんや陰陽師さんが解説者として位置していたこともあるようです。

 

ご紹介している参考書籍を読んで、個人的に(それなら納得しやすいわ)と思ったのは、

安倍晴明のような高級官僚陰陽師は余計なことに手を出さない。担当の仕事以外はしないが、民間のニセ陰陽師はまじない(呪い)や祈祷をしてモノを退散させるということを広める役割をしたというような記述を読んだときでした。

 

私の引っ掛かり

見出しに「自分の引っ掛かり」と書いているのは、

元々あった考え方に、どんどんルールが足されて本質が歪んでいくことがあるのは古くからあるようだし、今もあるようですが、今回書いたような「モノ」に対して、ヤケに私たちの思考やそれこそ深層心理、集合意識に浸透しているその様(その理由も含め)が私の研究対象でもあり、誰が? なぜ? どのように? ということの一端、または可能性を荒俣先生のアラマタ自伝の中で目にするチャンスがあった。

 

そして私の希望する立ち位置は

現代の事象を見ても、「蟲」とか「陰陽師」などの時代との相似形は其処此処に見られるように感じるし、(嫌だなぁ)と感じたことに対して、現代版のまじない(呪い)や祈祷しか対処方法がないような刷り込みも脈々と生きているようだ。

逆に言えば、刷り込みがあるが故に、まじない(呪い)や祈祷をしてご本人がスッキリと生きやすくなれ幸いなので、こう言った手法の良し悪しもないのかも知れないが、私の心体カウンセリング・セラピー・ケアでは、まじない(呪い)や祈祷ではなくて、ご本人が感じているストレス(恐怖や不安)をケアして、ご本人に先に強さを取り戻して欲しいというようなことです。

ナニカを退散させるという祈祷や呪い(まじない)があるとして、よしんばそれを私が行うとしたときに、その呪術的な領域に関わったり、対抗する呪術的エネルギーを使う必要があるような気がするし、それをやり始めたら私もグルグル巻きに飲み込まれていくような気がするんですよね。

そうなると、「ストレスケア」、「健康的」と言いながら、やってることは祈祷や呪いというような乖離が起きないかな?と。

 

自分の軸足がどこにあるのか(意識するのを)忘れちゃうようなことは避けたい。

VR(バーチャルリアリティー)と現実

 

まじない(呪い)とか祈祷とか、浄化というような概念は、私にとっては「余計なことに手を出す」というような行為になりかねないので、そういった概念よりも「ストレスケア」という方向性で心体カウンセリング・セラピー・ケアを行なっていく所存です。

 

こう言った私が希望する方向性によって、上位概念や○○教と言われるような思想や教えや法則を当たり前とせず、それをインプットすることが良いことだという常識感も注意していたいとも思っています。何にせよストレスケアをシンプルに行いたいという個人的な好みによる考え方です。

 

確かに、スピリチュアル的なアレコレは飛びつきやすいし、耳馴染みも良かったりするし、ヤケに脳内のおさまり具合も良いのだけれど、やっぱり物事を複雑化しているような気もするし、無考えになっていく気がするんですね。(無考えとシンプルは意味が違うと思っています。)

あえてシンプル化を保っていきたいという個人的な嗜好だとご理解いただければ幸いです。

(2021/07/07)

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