人智学という考え方ー7 感覚、悟性
五感や六感、これ以外にも感覚があるとう説を割と前にどこかで目にしたことがありますが、ルドルフ・シュタイナー氏の考え方は十二感覚に分類されています。
書籍の中での感性について書かれていることを私がそのまま書いても意味が無いので、書籍の内容は各自でお読みください。
私は相も変わらず、体験、経験と書籍の記載についてのコラムを書いて行きます。
感性
嗅覚
有り難い偶然が重なり、嗅覚に関して、私が過去に「鼻が利く」「嗅覚が働く」と書いたことがあります。全部が全部それが正解ならば、私自身すべったり、転んだり、うっかりしたりしないはずですが、自分の感性との付き合い方が今日現在のようには慣れていませんでしたので、やはり間違えることもありました。
ルドルフ・シュタイナー氏の考え方によると、嗅覚は善と悪を見分けるそうだ。それは本能や衝動を嗅ぎ分けているとお考えになっていたとも読めた。
また、匂いについては、
- 我を忘れる
- 感覚を麻痺させる
- 覚めた意識を失う
というような事象を引き起こさないためにも、上手に付き合う方がよいようです。
「脳コチョコチョ」の記事を書いている時にも、(なるほど!)と思った事があったのですが、なんにしろバランス良く付き合うという感性もどうぞ大切にして下さい。
聴覚
また、聴覚については、私個人の感覚として、コウモリ(イルカと書けばいいのに。(-_-))のようなエコーロケーション感覚について過去に書いていますが、これは自覚をしていなくても使っている方が多い能力です。アスリートさん達などは当たり前に使っていますよね。
コウモリやイルカのような感覚もわかる時があるんですが、私が個人セッションや施術などをしているときにはその生体電気の様をエコーロケーションしているだろうな。
感性
私の場合はこれらの感覚について、ルドルフ・シュタイナー氏の考え方の「運動感覚」が発達しているから、自覚・認知できるのかもしれないですね。
そうか、自分のカラダを内側から感じられるこの感性のおかげで、解離・トランスしにくい(それらをしてもあんまり良いこと無さそうと感じる)のかもしれないです。
・・・いや、書いておいてなんですか、この辺りはどうでしょうね。私もポケッーーーっとしている時はトランスしますし。
まぁここいらの真偽は不明ですが、武田の好みと感性だけでコラムを書いています。
時々同じような事を提唱しておられる(今回のような)ルドルフ・シュタイナー氏の考えに出会ったり、触れたりすると嬉しく感じます。
感性を育てる
また、焦らないという事についても「若い人は判断を急ぎがち」と書いてありましたので、焦り症の方は「私は若いんだわ!」と思われてはどうでしょうか?
今は若いけれども、大人になっていきたいと思われたらば、書籍の文章で言えば
意識魂で、新たな嗅覚器官を培っていかなければなりません。
となります。
下は私が過去に書いたコラムです。
潜在意識お任せという事よりも、(しつこくて申し訳ないのですが、)顕在意識も活用させてみませんか?
お酒を造る方も同じことをお考えでした
私は、目的地、到達点を設定せず、コツコツ、粛々と行っていたら思いもよらぬ良い結果が出た。というような事を好むタイプです。
そしたら、手に取った雑誌の中に登場した果物酒(フルーツブランデー)を造っておられる江口宏志氏の
基本的に果物をお酒にするときの過程では、ゴールが先にあるんじゃなくて、やる事をちゃんとやっていく事で、結果的にいいものができるっていう考え方で作っている。まだ逆算するほどの能力がないし、その方が結果的にはいいものができると思ってやっています。
ー雑誌「ana-logue」2020 vol.13より
という話を目にした。
この逆算というのは、私が順行ルート、逆行ルートと表現したような事だろう。
逆行ルートは一見合理的なようであり、物事によっては、その取り組み方が迷宮の入り口になっている時がある。(こんなケースを目にしたことがある)
脳を鍛える。脳を創っていく。
やはり、顕在意識、自意識を活用して、脳を鍛えていく、創っていくという事をルドルフ・シュタイナー氏もおっしゃっていたようです。
バランス調整(ストレスケア)だけじゃないんですね。
意識をしっかりもって、自分の人生を考えてみるって大切だと思っています。
別に「解脱」しなくても「幸せ」は感じられるし、なんのために「解脱」したいのか?悟りたいのか?という辺りはよくお考えになった方が良いと思います。
大切な「why?」を意識してみた時に、どんなanswerが出てきますか?
自分が求めていることはなんだろう?という認識をするという意味で。
私個人的には、解脱や覚醒や悟りよりも、他人様や大切な人の幸せを祈るという感性を大切にしたいです。
大切な人を「大切だ」と感情も感性も活き活きと働いている人間として現実に感じていきたい。
苦しみを何とか減らしたいと思って、解脱や覚醒や悟りをお求めの場合は、是非ストレスケアから取り組んでみてください。
その考え方も私の場合は自分の体験上お察しできるような気持がありますが、舵をきるのならば、第一択はストレスケアをおススメします。少なくとも私はこういった選択が功を奏しました。
悟性
魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3) こちらの書籍の中で、久しぶりに再会した言葉がありました。
それが「悟性」です。
前回どこでこの言葉を目にしたのか覚えていませんが、近年お会いしていませんでした。なんだか(はっ!)としました。
こちらの書籍の中では、悟性魂と感情魂という言葉が使われていましたけれど、
悟性というのは、知性とも感情とも全く別物
と書かれていました。(どうぞあなたも、悟性とはどのような意味なのか調べてみてください。)
今日のコラム、ここから先を私は是非書いておきたい。
それは、健康的な人間的悟性は(私が表現したい意味での)「人間道」の灯台の灯りだということ。
健康的な人間的悟性は、
天国から携えてきた最後の小さな羅針盤
だという事でした。
ですから、
「考えるのもメンドクセーから適当にコレで良いや。」は悟性とは真逆だという事ですよね。
うつや、ストレス耐性が低い時期に、やたらと「面倒」とか(沖縄だと)「なんぎ」と言ってその先の思考も行動もストップさせてしまう事があります。
おそらく、(おそらくですよ)、私の理解が間違っていないのならば、
赤信号だから〇〇ってことにしとけばいいや。ってことも悟性とはちょっと違うと思う。(と、思う)
しかし、これも書いておきたいのは、
ヒトは疲れていたり、燃え尽きてしまうと、悟性とはかけ離れているかもしれないが、こういった選択方法しかできなくなる時があるんですよね。
正解とか、間違いというものが人生に無いという前提にするのならば、考えるのもメンドクセーから適当にコレで良いや。という選択方法や、天気が悪いとか、タイミングがどうとかという事だけで選択することを自分に納得させたい(させた)ということも間違っていないという事です。
おそらく、
- 考えるのもメンドクセーから適当にコレで良いや。
- 天気が悪いとか、タイミングがどうとかという事だけで選択した。(○○ってことは、神様は○○しろって言っているんだ。的な)
これらのその後の経過や結果からナニカ学ぶ物事があるのかどうかも、個々の人生観によりますものね。
疲れた時期から回復したり、気がつくチャンスに恵まれて、健康的な人間的悟性が働くようになる時期が来た時に、(あれ? なんでこんなことになってんだ?)と思うことだってあるでしょう。「それに気づく時期が来た」と呼ぶのかもしれません。そして、その気づきはあなたに痛みを起こすかもしれないです。
自社データによると、大抵は何かしらの痛みが伴う事が多いです。
ルドルフ・シュタイナー氏はそれを肯定しているようです。
痛みを覚えることなしには決してまっとうな人間にはなれないように
と書籍に書かれていました。
痛みを知らないと強い子供には育たない。
という意味でもあるようですが、
もし、あなたが(あれ? なんでこんなことになってんだ?)と思う時期が訪れた時には、そのまま知らないふりをすることも、立て直せるのかどうかチャレンジすることも出来ます。
下のコラムでは、逃げるんじゃなくて対処するんです。と書いていますが、誰が何を言おうと、わたくし武田がなにを書こうと、人生はあなた(自分)持ち。
どうぞ大切にしてください。
そのまま知らないふりをすることを選択する自由だってあるのですから。
どうぞ人生を大切に。
私も心がけます。
(2020/12/20)
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