感情をコントロールすることを覚えていく。覚え直す。

毎度、長い前置きですが

  • 自分の中の循環、流れを思い出し、
  • 自分の生まれつきの機能を回復する
  • 自己存在のあやふや感 
  • 自己存在の意味探し
  • 次元と感じる感覚と、電気、電圧のようなものは関係してるんだろう。

 

ということをこれまでも書いてきたのですが、また別の切り口で書いてみようと思い下書きにメモしていたところ、あるお休みの日にapple TV+「BECOMING YOU」-誕生からの2,000日 という番組を目にするという僥倖に預かりました。

ここでまた、成熟性と感情コントロールという兼ね合いが今までよりクッキリしてきました。

上のは下書きの一部だったのですが、この番組を見てしまったため、次回のコラムに回りそうな下書きがありそうです。

しかし、今日は「感情コントロール」について過去に書いたことと合わせてご紹介していきますね。

 

成熟という言葉を、「大人」と表現してコラムを書いています。

覚醒とはなんだろう?

 

精神的な成熟というのは分かりやすく目に見えない

社会的な成熟と、精神的な成熟が一致している方がどの位の割合いらっしゃるでしょうね。経営者さんやお医者さん、先生、治療者、哲学者、宗教家、勤め人、お母さん、お父さん、夫、妻、祖父、祖母、カウンセラー、セラピスト、ヒーラーという社会的な名称は身にまといますが、精神的な成熟性は年齢や立場と自動的には連動しないですね。

年齢や、社会的な活躍、稼ぐ力、知識量とこれらは自然には連動しないですが、自然に連動しないということを知覚するか?興味があるのか?ということも個々の人生観によりますし、学歴も収入も名声もあるからそれ以上は別に要らないと思われる方や、興味のない様も自由選択ですね。

情報量や知識量というものを脳内に蓄えていっても、それが精神性の成熟には自動的に昇華されないし、他人を評価やジャッジしたり、見抜くということが得意でも、それが精神的成熟とはならない。が、他人をジャッジしたり評価できるソレを自分の成熟性が故にと思い込むことは多くあるように感じます。

 

成熟ということについてお免状がでるわけでもないですしね。

見た目がどうとかあんまり関係ないですね。

若者でも成熟している方はいらっしゃるし、子どもでも、あと少し体験を増やすために年月が必要なんだろうなという内面が大人の子ども達もいた。IQは関係ない。EQも必ずしも直結していない。あなたが嫉妬心、怒りを感じている相手が、全くもって同じ土俵にいないことだって多いですよ。ただの一方通行、独り相撲ということもある。 好きという気持ちや尊敬の念もあっと言う間に逆に針が触れることだってある。という事象は自分次第でおこることに気がつく事も成熟に含まれています。(こういった事は、あなたの視野が広がったり、視点が変化すると全く逆の顔が見えてくることがあります。EIKOちゃんも先日「苦手→愛しさを感じる」という変化が起きたことがありました。ビリーフチェンジという言葉など知らなくてもそれは起きるし、それは一瞬だ。私もこんな経験が本当に多いです。ヒトは見たいように見て、反応をしています。)

成熟度というものがキャッチ―な一言で表せるかどうかも今の私には興味がありません。

解離のグラデーションについて 傾向と対策をまだ考えています

 

成熟したらホンモノになるのか?

具体的な言葉になっていませんでしたが、私がかつて目指した「ホンモノ」というのは「成熟」という事だったのかもしれないなぁ と思えてきました。まさしくその通りではなくても、かなり似ていることは確かです。「成熟」という言葉も人によって様々だということはいつも通り書き添えておきます。

 

感情を「モノ」のようにコントロールしようとするやり方と、ヒトとしての機能・事象として「変化という成長をする可能性を扱っていく」のとは向き合い方もケアの仕方も違ってくると思えています。

旧記事)さとり・悟りについて

 

そして、先述した通りapple TV+で「BECOMING YOU」-誕生からの2,000日 を見た時に、誕生し成長していく過程で、精神的に成熟するための土台を構築していく様や、身体の機能(発達も含め)との関わりが私にはとっても分かりやすかったです。

こういった発達の過程をまとめた番組やコンテンツは沢山ありますが、この番組も良かったと思います。

 

忘れてしまったのだろうか?

感情のコントロールについてはこちらでも触れています

過去と現在と未来の不安、感情の暴走へのストレスケア(楽になるヒント・対応方法)

 

感情はあるものですし、感情という言葉に含まれる状態も様々なんですよ。全部が全部、「コントロール」という表現が果たして適しているだろうか? と度々考えるのですが、他に変わる分かりやすい言葉も見つかっていません。ただ、私達は誰でも成長して年齢を重ねていくのですが、その際に、ご自分の成長期に行ってきた「チャレンジ」を多くの大人が忘れてしまっているんじゃないだろうか? という気がしてきた。

 

それが先ほども書いた、

感情を「モノ」のようにコントロールしようとするやり方と、ヒトとしての機能・事象として「変化という成長をする可能性を扱っていく」のとは向き合い方もケアの仕方も違ってくると思えています。

という言葉の元になっている考え方です。

 

 

それは、ある種の基本を忘れてしまったか、手っ取り早そうな知識・情報を得てそちらを選択しているか(バランス調整も含む)、練習などしなくても自分にはできると思っているのか、他にもいろんな可能性があるのだろうか?

感情は「モノ」なのか?

感情ソノモノをコントロールするんじゃなくて、その後の反応や行動を習慣化していくことが成熟とか学習ということなんじゃないのかな? ですから、感情に巻き取られ、揺れるままでいる限りは、バランス調整をいくらしても一時の「快」や「その場しのぎ」になってしまい、あなたの今後の反応も余り変わらないのかもしれない。以前も書いたけれど、感情をストレスケアをしたら自動的にモノが考えられるようになるとも限らず、ご本人の顕在意識、意識を抜きに行動変容は習慣化しづらい(絶対無いとも言えない)。

気合と精神力、素直さではカバーしきれない、あなたが気がつけない脳のクセ

上のコラムの中のこちらのイラストがそれです。

 

年齢によって、「本能や感情と、その反応と学習」についての変化はあるのだろうか?

赤ちゃんから年齢を経て、成長していく際に、自動的にできた発達や訓練が、ヒトによって差があれども、「自動的に出来なくなる」という変化が起きてやしないだろうか?

そんな気がする。

ということは、「自動的変化」を遂行しているかのような「潜在意識」にそれまでと同じように依存するんじゃなくて、意識的にその変化を継続するような心がけと行動がないと脳がグンと成長する時と同じような脳の変化はある年齢以降起きないのかもしれないですね。

 

違う言い方をするのなら、「年齢にあった脳の成長のさせ方」だろうか。

私達がまるで「当然だと思っている」ロジックって実は成り立たなくて、経年によって取り組み方を変える必要があることって思いのほか多いのかも知れないな。などとこれを書いているうちに思うようになりました。

脳は年齢によって学習の方法が変わる。なんてことも、このように書いてみると想像以上にしっくりするし、それは加齢によって衰えていく変化ばかりじゃなくて、「誕生して、とある年齢までは自動的に行われるシステムはその年齢に達した後終了する」という変化が成長途中にもあって、それが本能や感情というものと、その反応についても該当するとしたらどうだろう?

 

意識的にその変化を継続するような心がけと行動がないと脳がグンと成長する時と同じような脳の変化はある年齢以降起きないのかもしれないですね。

とは、成長しながら自分で構築していく人生観や智慧、知性、倫理観というようなものが、それまで自動的に行われていたこれらに取って代わって「リード」していく時期・年齢がくるのではないだろうか?という推測の話です。じっくり考えてみても、その方式に切り替える必要があるようにも思えてくるし、こういった事を誰に教わらなくても感覚的にやり続けている人はいると思っています。

 

感情との付き合い方や反応が起きた時の付き合い方をレッスン(練習・訓練)していく時の潜在意識と顕在意識の陰陽のバランスというのは、こう言った事も含まれていないだろうか?

解離のグラデーションについて 傾向と対策をまだ考えています

 

スキルやテクニック、合理性や「教え」、法則、統計学という占い、メッセージ類、呪術的な行いを利用して 手軽にヒョイっと。 と行かないのは。一つはこんな理由がないだろうか?

 

脳のシナプスを繋げていく、それを維持するという泥臭い地道な行動、レッスンが、誕生からとある年齢まで自動的に起こった成長を維持継続するというのは、脳の機能の話としたら当たり前に聞けるし理解できるけど、自分の感情のコントロールと関連しているとはなかなか気がつけない。(この表現が合っていたらという前提で読んで下さいね)

加えて、潜在意識という知識と情報によって見えなくなることもあるのか?

また、潜在意識を都合よく理解し過ぎている可能性も0(ゼロ)じゃないのかも知れない。

私もロジックなどは好きな性質ですが、現実に起きていることを先入観無しに受け止めてみると、大手を振ってまかり通っている「ロジック」「説」なども結構大きなほころびがあるんじゃないの?と疑問がわくことも多いです。(真偽はわからないことも多いですが)

 

よくある(あちゃ~ 鵜呑みにし過ぎちゃったな~)というやつです。

コントロールをしようとして、感情が湧き出る泉を枯渇させるのが幸福ではないだろうと考えていますし、

また、バランス調整はその泉を枯らすためや、感じなくするために行うわけじゃないだろうが、バランス調整という知識や情報を得た後に、「それをしようとする」「それが瞬時に叶う」と考えるようになる方は多い。

 

それって、潜在意識論に頼りすぎということなのか?

そう在って欲しいという願望なのか? それとも事実か?

「感情が動くから人間関係で困ったりする」と認識することって多いでしょうが、この文章(考え方)が落とし穴で、

「感情が動く → 反応をする → その人間関係で困る反応の現れる先、反応の仕方を変える訓練をする」

というような文章がより近いだろう。

 

ですから、「感情コントロール」という表記が、その先の思考を停止させちゃっているのかもね。最初から「感情による反応を変えていくレッスン」と表記されていたら「怒りや嫉妬は悪い感情だ」という感情に良し悪しをつけるような刷り込みをされにくくなりそう。

 

枠を創ったり、抑え込む方がラク??

感情表出に対してキチキチの枠を創り、それを守るべく我慢を重ねるよりも、枠など持たずバランスをとり続けることの方が難しいのかもしれない。

 

だから、ヒトは教えを求め、そこに自分を当てはめて安心を得る。

 

そういう事が頭に浮かんだ後、感情を押さえ込む方式(上手にできているのかは怪しいが)の方が心体には障ったり、そのあと厄介が起きたとしても簡単で手っ取り早いと感じるという事に思いついた。

自分でバランスを取る方法を構築するのは時間も手間もかかる。とりたてて先生もいない。教えてくれるヒトもほぼいない。自分で時間も手間もかけて考えて、トライして、修正していくというエネルギーがいる。生まれてきたときはそんなことを当たり前に行っていたし、時間がかかるという意識もなければ、先生が欲しいとも思っていなかった。だから努力という概念も無かった。

感情コントロールという概念も無かったが、しかし、とあるレベルまではそれが自動的に学べるような脳の状態だった。

成熟に興味がなく、子供のままでいるという事は、そこから先の成長率が違ってくるんだと思う。脳の成長率という表現で在っているだろうか?

だから、感情ストレスをストレスケア(バランス調整)をするということは賛成ですが、その後自然に「考えられるか?」ということは自動的には起こらない脳の状態もあるという事だろうと思えている。

 

そのレッスンの仕方を自分で考えるか、誰かにサポートしてもらうかは自由だが、大人になるという事に興味があればトライされることをお薦めしたい。

 

apple TV+の番組「BECOMING YOU」-誕生からの2,000日ではこういった事を「感情的レジリエンス」と表現されてもいて、成長とはこれを身につけることであり、感情的レジリエンスを持ち合わせていて初めて「感情コントロール」が可能になるのだろう。

なぜ幼児の時期にこういったことを自然に行えるのかという理由については、「コントロールしていた方が心地よいと感じる」と解説されていたように思うが、大人になるにつけ「感情的レジリエンス」のレッスンを忘れちゃう方も多いようだし、知識や情報を得るだけ、バランス調整だけをしていても脳内の「感情的レジリエンス」は鍛えられないようだ。

 

ケアと育成というのは、役割が異なっているからだろう。

両方を併用していくのがおススメです。

 

冒頭のメモとの関係性が無い?!

具体的に冒頭のメモに触れていないので、「感情とどんな関係があるんだよ!」とお感じかも知れない。

 

お気持ちわかる気がします。(笑)

 

しかしですね、まとめてみますと、「自分に還る」「自分を思い出す」ということも大切だと思っていますし、確かに大きな肝だと思っていますが、

それとは逆に、進んでいく、成長していくことで「自分がフィットしてくる」という感覚があるんですよね。

これも陰陽バランスと表現してみても良いと思う。立体的な動きだろうし、次元は幾つか交差していると思う。

脳は発達させながら、一方「本来の自分」も大切にするという人間ならではの複雑さのバランス感覚というものも、人生の一つの醍醐味とも言えるような気がしてきた。ここまで書いてきて、書きながら理解した。

 

apple TV+の番組「BECOMING YOU」-誕生からの2,000日では、

感情のコントロールは幼児性の発達に含まれており、それは「言葉で表現」することで行われる。

とあった。

私は度々考えや悩みなどを「書くこと(アウトプット)」を進めているし、心理療法として病院などで行われる認知の修正にも含まれています。対話や会話がアウトプットになる。別の言い方をすると、これにより「脳の機能を発達」させていたんですね。

 

考えているから「自分の思考」「現状」「願望」をサラサラ書けると思いきや、書けない方も多いです。まとまった言葉にできない方も多い。

 

言葉で表現するには、自分を感じていないとできないんですよ。

書くことが得意な方も、自分の心理・感情・矛盾・葛藤が把握できるとは限らないのは、「自分を感じているとは限らない」からでしょうね。

考えを書けても、「感じる」ことができないことは当たり前にある。

 

このバランスというのは、個々によるからこそ、感情の反応もバリエーションが尽きない訳ですね。

 

 

次回予告

この後、まだイメージがクッキリしていないけれど、このコラムの続編で、また少し関連したことを書けそうな気がしています。

 

以前、複利曲線の話や、金の卵を産むガチョウの話を書いたことがあるのですが、そんなことも関係するかもしれない。

名より実を取る。損して得取れ。

 

自分を失ったり、遠ざかっている時の特徴

 

村上春樹さんはこのように書かれてた。

時間を自分の側につけることの重要性
ー小説「騎士団長殺し」より

 

いとも簡単に ヒョイっと。という事には、素晴らしい面も、それはどうかな?という面もある。

「人生と時間」というような事について、心理や精神も含めて書きたい気がしています。

 

(2020/11/16)

 

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