あなたが求めている人生とは?
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あなたが求めている人生とは?
まえおき
前回のコラムは、その前のコラムを書いてすぐ取り掛かったのですが、アップする前の晩は睡眠中に内容を推敲していた。我ながら驚いた。途中、寝る時は寝ろよ。と思った。 その寝ている最中に前回のコラムに書いた、私の書き方が優しく無いと暗に言われたエピソードを思い出し、(確かにキビシイかも)と当時のあの女性に共感できた。
睡眠は大切ですね。寝ている時に脳内を整理している(「脳内のデフラグ」と心体の深部にアプローチするリンパドレナージュの施術を受けたときの感想をお友達から教えて頂いたが、そういう意味で)というのはそうだろうとまたまた思った。
私は寝ている最中、(なるほど)(そうか、確かに)と何かが腑に落ちていく感覚を持つことがある。(なるほど)(そうか、確かに)と思った時にほんのちょっと意識が目覚めるが、見た目は眠りっぱなし。睡眠と脳活動の関連性は実感がある。
皆さん、眠れていますか?
また、私がやたら「シンプル」という言葉を使っているのは自覚があるのですが、書籍「嫌われる勇気」も同じだった。
関心の矛先は自分?他者?
そこはそっとしておいて!と思うような、他者からはわからないように床下に隠していた恥部やら秘部と感じている心の中のものを日の光の下に出してくるような取り組みについて、前回のコラムでは「中々キツイ」と書いた。
これは覚悟がないとできないんだよね。
認めやすい心の表層や、地下1階位まではセッションでも出しやすい。セッションしなくてもセルフケアでも取りだしやすい。地下2階は、もうちょっと覚悟があると自覚できる。その下は、本気じゃないとまず出てこないし、見ないと決めているのなら見えない。
AppleTVの「あなたに見えない、私のこと」の中では、海底の牡蠣探しと表現されていた。その海底の牡蠣探しも、浅場から深場までありますよね。探すつもり(知る覚悟・勇気)が無いとまず出てこない類の「本当の気持ち」ってあると思う。
余談
私は海の夢をよく見ていた時期がありました。寝ている間に、施術を受けている最中のような「深層」へ潜っていっているのかもしれません。
以前ダイビングをしていたので、その夢の中の海はとても感覚がリアルです。海面も海中も海底もリアルです。童話のなかのに入り込んだようなとても素敵なストーリー展開をするときもありました。
一人で責任を取るのは嫌だ
理由付けや意味づけをしないのは、シンドさの責任を誰かに一緒に負担してもらいたいと思っても、「ダメ!自分一人で持って」と言われたように感じるかもしれない。
全責任が自分あるような事態は嫌で、だってこうなったのは〇〇〇のせいで と、理由や意味を探しちゃう時も確かにある。仕事の現場で人間関係や業務がギクシャクするときにもこういったやり取りがありますよね。本当に理由があるのに、聞いてもらえない、信じて貰えない時に感じる悔しさもある。今は、「わたしの価値観」「わたしの人生」について取り上げているので、仕事の際のアレコレを話に加えずに筆を進めます。
〇〇だから、オレは(私は)そうしたんだ。と、理由が有れば、自分一人で責任を負うのではなく、誰かや何かと責任を分担できる気がするし、実際それを希望してる。 被害者という立場をキープしたい方もいる。
しかし、理由付けや原因論を採用しないとなると、それを封印される。そうだよね、確かに理由や原因と言えるものは過去に有ったかもしれないけど、「今」のあなたは同じ状況にいないよね。ということは、それらが過去にあったにしても、その後あなたは何も対策を講じなかったのですか? 何もしないという選択をしたのはあなたですよね! とググっと迫れられる気がするのではないだろうか?
見たいように見て、聞きたいように聞いて、感じたいように感じていたいがゆえに折角はめていたバーチャル眼鏡を取り上げられる恐怖なのかもしれない。自分に限っては、理想を見ていたい、現実は見たくない。
また、見かけの因果律。とスッパリ書かれると、ムカッとする方も居るのかもしれない。(見かけの因果律という観念を採用すると、引き寄せの法則も「見かけ」ということになるなぁ と思った)
「嫌われる勇気」の中の自立ってこんな事ですよね。キツい方にはキツいよね。フワッとさせてくれないもの。
ただ、思い通りにならない=(イコール)他人(社会)に承認されていない。という物事の捉え方は、0(ゼロ)100(ヒャク)感性的なのではないだろうか。ちょっと針が極端に触れているような気はしますね。多分感情・情動に振り回されがちな脳のクセの方ではないだろうか?
セッションでは ググっと迫らないです
勘違いされたくないので補足しますが、私が行っている心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアではこんな展開で話はしません。文章や内容は似ている箇所が多いかもしれないけれど、実際のセッションは、クライアントの「今日のセッションで取り扱いたい事」をサポートします。
私の価値観を理由として、ググっと迫ることはありません。どうぞご安心を。(^^)
というのは、個々の選択があり、価値観があり、人生があるので、ご本人が不自由が無ければ良いと思っている。
人生観によるので、求めている楽になるレベルまでで良いんだろうし、以前も書いたけど、生きてるだけでOKなんだ。
下のリンク内の2歳ちゃんは、鼻歌を歌いながら人形遊びをしていたら、周りの大人が全員天国にいるような癒し感を味わいましたよ。2歳ちゃんは好かれようとか、癒そうとか何にも考えていない。存在していただけ。好きなように遊んでいただけ。
こういった経験があるので、クライアントが望めば別ですが、望みもしないのに掘り起こさない。この先はどういう方向性で行きたいですか?とは訊ねます。
強運とは?
いや、「嫌われる勇気」について書いているのに、「運」を取り上げて申し訳ないのですが、ちょっと書きます。
私のサラリーマン時代の会社の先輩のことを私は最強、強運だと思っています。こういう最強人は数多いのですが、先輩はその中のお1人です。そして先輩が人生初めてほんの少しバランス調整を経験されたのは「晩御飯でも食べようか」と行った焼肉屋さん。(バランス調整の前後の感覚は「違う」とお感じになっていました。)
それまで一度もバランス調整しなくても既に最強だった。ストレスが無いという意味では無くて、私が感じる強運な人生だった。
上のブログ内の先輩以外にも、以前勤めていた時の上司も同じく、私の感じる「強運人生」です。
確かに、ストレスケアなどが無くても、幸せな人生はあると思っているし、お話を聴いていると(そんな人生もあるんだ!凄いな!)と自分のことのように嬉しい。
ご紹介したのは元上司、元先輩ですが、友達が幸せにやっているのが嬉しい。というような感覚です。
リンクを貼ったブログに中にも書きましたが、私にはこのお二人のような最強さ、強運はなかった。
それでも、強運が無かったゆえに「嫌われる勇気」的な実践を試すという展開になり、チャレンジしたことによる体験が今となっては非常に活きているので、言葉にできないほど有り難いのです。
私の場合は、チャレンジできたことが強運でした。
どこまでやるか? 取り組むか?
そして、これも以前に書いたが、今が滞りなく生活できているのなら、無理くり心の奥を掘り返さなくて無くてもいいと思う。
「嫌われる勇気」的な人生を求めるのなら取り組めば良いし、個人的にはやって良かったと思っている。これは確かです。
また、その取り組みの期間はおそらくある程度長くかかると私も過去に書いているけれど、書籍では20年となっていた気がする。
だから、「嫌われる勇気」的な感覚を、セルフケアやセッションを受けたら1年くらいで得られるつもりでいると耳にしたら「もうちょっとかかるから、焦らないで」と伝えている。
冷静に考えて、ある程度出来上がった大人が「嫌われる勇気」をその通り実践するのは中々ハードだと思うんですよね。根気もそうだし、意識し続けるってこと自体が人生観とも言えて、それを今までやっていなかった場合に「意識し続ける」と言う習慣が身に付く前に忘れちゃったりする事もあるんだろうと思うんですよ。また別の目の前に現れたものに気を取られることだってあるし。
こんなことも考えたりすると、ちょこちょこっとストレスケアしてそれで人生がOKならそれで良いよね。と思うところも正直ある。
ですから、私の意見としては、
1.「嫌われる勇気」的な取り組みは取り組んだら取り組んだだけの成果というか、変化はあると思いますが、長期展望として取り組む算段にしておく方が良さそうだ。
2.無理に取り組まずとも、生きてるだけでもOK。とも覚えておく。
3.予測より一皮も二皮も下を捲ると、マジか(T_T) と想像以上にがっかりする自分が出てくるが、それを受容するとあら不思議、これまた最強に近づく。
4.他人を気にせず、自分の価値観を認識すると、自分との付き合い方がわかってくる。
こんなことになっている。
存在が社会貢献
無理して明るくして居なくても、存在がすでに社会貢献だということがある。
今回はここまで。
次回でこのシリーズはラストの予定です。
(2021/8/11)