人智学という考え方ー5 生命意図
前書き
前回の記事の「ルドルフ・シュタイナー先生に賛成!」の項で「〇〇の法則。それが視野を狭くして、気付きを遅らせる。一度解き放たれては?」という過去のコラムのシェアを1つ加えました。
当たり前と言えば当たり前なのですが、鵜呑みが好きな脳・得意なタイプ方はやっぱり法則や教えが好きなんですよね。いつも書きますが、人生観は人それぞれなので、それに対して、例えば「目を覚まして!」という事が一体どういうことなのかは割と難しい問題かもしれません。
なぜなら、「目を覚まして!」と言ってる側も、別の法則や教えが好きだったりするからです。違う事を鵜呑みにしている。そして、「目を覚まして!」という内容や伝えることを正義だと思っているという案外厄介がこじれていることもある。
こういうことを考えるたびに、(私は今どのような状態だろうか?)と点検せずにはいられなくなります。
上の記事のタイトルを変えたいですわ。
この記事を書いた後、誰にでもあるという事に益々気がついたからです。出来事から学んで、行動修正しない限りはおそらくずっとスリップしてるような気がしています。
ただ、この「出来事から学ぶ」ということが割と難しくて、私はここに「ストレスケア」を組み込むことを強くお薦めしたい。スリップ・横滑りを起こしている心の奥(脳の反応の奥、体の反応の奥)をバランス調整(ストレスケア)することはとても有用だと思えているし、「出来事から学ぶ」という言葉の「出来事」の認識は、自分以外の方と対話や会話(個人セッションをお薦めしますが)すると一人で頑張っているよりもクッキリと浮かび上がってきて明確になることが多いと思いますよ。
この連続シリーズのコラムは、魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3) という書籍の記載に沿って話を進めており、概ね私個人の嗜好と重なっているからこそ、論調というか、体験談や挙げる例などもそういったものになっています。
ですから、正しいとか間違いとかいうある種の戦争ではなく、武田個人の趣味嗜好と、ストレスケアの考え方や実際の変化などを個人のホームページに書いているに過ぎません。
信念というような事は、ヒトが変われば微妙な違いがあったりしますよね。育ってきた環境や仕事や、家族構成が異なったり、国が違っていたり、文化や文化の背景に流れている宗教感、読んできた本などで、同じような「神」という単語も意味やイメージするものが違います。私たちは、考え方や嗜好が元々違うというスタート点に立っていると妙なパワーゲームをしなくて良いのかもしれないし、受容という事も身近になるでしょう。受容するということは、言いなりになることではありませんよね? 認めたら損するわけでもない。受容したうえで付き合わないこともあるし、認めたうえで関係を断つことだってできます。
生命意図
前回予告したので、今回は「生命意図」について触れていこうと思うのですが、これがなかなか難しいわけですよ。
「人智学という考え方ー2 大前提」←こちらのコラムで下の例を挙げましたので、これがもう一度使えそうです。
(この辺りがちょっと難しく感じていますので、今日現在の私の理解ではという注釈をつけさせてくださいね)
これはおそらく、日常に起こるすべてのことに意味があるという考え方の元に、
信号が赤ってことは、今日は行くなってことだろう。とか、
曇りだから家に居ろってことかしら。という考え方の元を現わしているのでは無いだろうと私個人的には思っています。
これは、事象を自分の行動の理由にするという例のつもりでした。
事象占いという思想があり、それは、目の前の事象に意味をつける。意味を見出す。理由をつける。ということですけれど、おそらく私が感じているのは、オーバーに書くと、「事象占いが使われ過ぎで、人生が乗っ取られてはいないか?」というような事のようでした。
ルドルフ・シュタイナー氏は「事象を行動の理由にする」という考えとは逆で、「その事象はあなたが引き起こしている」と考えたのではないだろうか?
先程の例をそれに基づいて書き替えると、
行きたくないあなたが赤信号で自分を止まらせた。赤信号で止まるように現実を創造した。
出かけたくないから曇りの時に空を見上げた。
というように、あなたが理由が欲しいから、そのために理由が現れている(創り出した)というような事を「意図」とおっしゃっていたのかしら?と感じたんですよね。
運命論 VS 意図論 とでも書いてみると違いが分かりやすいでしょうか?
そして、霊的透視能力を備えていると、その理由を必要とする様が見えて、その背景のパターンであるフラクタルパターンが見えるという事が書かれているんじゃないだろうか?
その1つは、同じく「人智学という考え方ー2 大前提」←こちらのコラムに書いたような
それは、考えられない、考えたくない、決められない、決めたくないから、気が向かないことを赤信号のせいにしたり、天気のせいにして「自分以外に責任を負って欲しい」ということの領域では無いだろうか?
やらないことにも、ヒトから責められない理由が欲しい。とか。
というパターンで、
こういった事をルドルフ・シュタイナー氏は「生命意図」と呼び、「生命意図」とは別名「カルマ」だとおっしゃったんじゃないだろうか?
(かばうわけじゃないですが、疲れていると考えたくないし、考えられない時ってありますよ。ですから、スッキリとした思考でいる時に物事を決める事が推奨されたり、日常的なストレスケアが大切だと思いますね。)
じゃあ私は霊的透視能力を備えているんですかね? (笑) わからないですよ。この理解がルドルフ・シュタイナー氏のお説に沿っているかどうかもわからないのに、そんなことはわからない。
あなたも是非書籍を読んで、あなたの理解を深めてみてください。
しかし、「全体を見ろ」という言葉は、「脈々と繰り返されているフラクタルのパターンに気がつけ」という意味ではないか?という理解は良い線行ってるような気がするんだけど、どうだろう?
そうなると、私がほぼ使わない言葉群に含まれている「カルマ」ということも「脈々と繰り返されているフラクタルのパターン」と理解したら敷居が低くなりますかね?
今のあなたの苦しみが「カルマのせいだ」と思われているのなら、それは
あなたがカルマのせいにしたいからだ
と言葉を変換できるよ。という理解で良いのかしらね。
しかしですね、私個人的な体験で言えば、カルマのせいにしなくても、今のあなたが感じる悩み、苦しみをストレスケアしていくと、なんだか不思議な変化もおきたりして「カルマに囚われている自分」から脱出できると思う。
そうなると、次は
カルマから脱出したいというあなたが、それから解き放たれた
という事象が起きるよ。という理論のようです。
個人的には「カルマ」という言葉をやたら使うことも、ふわふわっとしたスピリチュアルに感じて好きじゃないんですが、その理由は、「カルマ」が理由ならもうしょうがない。といってそこから先へ進もうとしないように感じた勝手なイメージや、「カルマ」をなんとかすることが人生の目的になっちゃってない?と本末転倒のように(これまた勝手に)感じたからですが、
ルドルフ・シュタイナー氏も「生命意図」「カルマ」という言葉を用いつつ、そこに留まるんじゃなくてその先へ行こう。とおっしゃっていたようだ。
私もこの本を読む前に既にそうしていた。
私で連鎖を終わらせる。と決めてから随分年月が経ちました。そんなことを決めたことも忘れて毎日お陰様で幸せに過ごしていました。
そしたら、「前世」「輪廻」「カルマ」「遺伝子」「世代間連鎖」が終わったように感じる体験をしたので、(そうだった、私の代で終わらせると昔決めたんだった。)と思い出しました。ーコラム「過去と認識される、世代間連鎖、カルマ、前世、遺伝子、輪廻のケア」より抜粋
それはおそらくルドルフ・シュタイナー氏的には
終わらそうと意図したから終わった
という事なのでしょうね。(あー良かった。)
運命とか宿命とか、悩む時期にはこんなことも頭の中をぐるぐると回るだろうし、こういったところに理由や解決策を探したりしますが、もしよろしければ今のあなたのストレスケアをしてください。
出来ることから始めてください。
「カルマ」という過去の時間感覚を手放す
私が書籍のこの辺り(生命意図に触れている辺り)の記述を読んでいて感じたのは、時間の使い方、作用の仕方と言う事でした。
それは数えきれない時間が並行している、まるで私たちの「バックヤード」と感じるような領域と目の前の事象が関連づいているいう例の感覚でした。
わかりやすく書こうとすると、アホ程長文になりそうなので、あえて結果だけを書きますと、
ナニカ理由を探すのではなくて、今の自分をストレスケアしてみてくださいね。
ということをご提案したいです。
その際に、理由にしがちな占い類や呪術的なもの、メッセージ貰います系を一時お休みしてみることもお薦めしたいです。
理由は過去のコラムに書いています。
人生変えるぞ!というのは、言い方を変えると、
- フラクタルパターンを変えるぞ!(終わらせるぞ。または、新しいパターンを創り出すぞ。)
- 生命意図、カルマに働きかけるぞ!
というような意味だと考えて、集中的にストレスケアをする期間だけでもそれらをお休みされてはどうだろうか?
こういった類のことをお仕事にされている方も多いので、私のこういった提案に「イライラする」「腹が立つ」ことも十分承知しておりますが、私は「ストレスケアを優先に考えた場合」という視点で自分の考えを書いています。(正誤ではないです。)
ですが、占い類や呪術的なもの、メッセージ貰います系を続けたい方は私の影響など全く受けずにそうされると思うので、選択はご本人がする。という事でこれについては終わりたいと思います。(そもそもこのコラムを指して、あんなの嘘だ。という感性もありますからね。嗜好は各自にお任せします)
ですから、引き寄せ系の考え方も、今の「成功したい」「お金が欲しい」などの欲望の背後にある、あなたの深淵な生命意図とどのような足並みになっているのか?が関わってくるという説について、深淵さを浅く見るのか、深く見るのかでは違いますね。
放り出されたショックのようなものがあるのなら、先ずはそこからってことになるんでしょうか?
どうぞ先を急がずに、丁寧にストレスケアしてくださいね。
素質とはなんだ?
上のコラムでも書いていますが、私はずっと以前から度々
社会的な成熟と、精神的な成熟が一致している方がどの位の割合いらっしゃるでしょうね。経営者さんやお医者さん、先生、治療者、哲学者、宗教家、勤め人、お母さん、お父さん、夫、妻、祖父、祖母、カウンセラー、セラピスト、ヒーラーという社会的な名称は身にまといますが、精神的な成熟性は年齢や立場と自動的には連動しないですね。
年齢や、社会的な活躍、稼ぐ力、知識量とこれらは自然には連動しないですが、自然に連動しないということを知覚するか?興味があるのか?ということも個々の人生観によりますし、学歴も収入も名声もあるからそれ以上は別に要らないと思われる方や、興味のない様も自由選択ですね。
情報量や知識量というものを脳内に蓄えていっても、それが精神性の成熟には自動的に昇華されないし、他人を評価やジャッジしたり、見抜くということが得意でも、それが精神的成熟とはならない。が、他人をジャッジしたり評価できるソレを自分の成熟性が故にと思い込むことは多くあるように感じます。
と書いていますが、読む側からしたら「生意気」「小娘(私は小娘と言う年齢ではありませんけれど)のクセに」とお感じになるだろ言うという事は想像に難くないです。
が、ルドルフ・シュタイナー氏も同じことをおっしゃっているようなので、私が書いたものを読むと腹が立つのでしたら、どうぞ書籍を読んで下さい。(笑)
そして、大人よりも子供の方が知っていることがある。気づくことがあるということも書かれていました。
上のコラムの一文で、先程の例を書き替えると
「成長の過程で、いつから問題を恐れ、知識や情報、理由を最優先にして、自分で何とか出来る可能性を試すことや、考えることを忘れていくんだろう?」
になるでしょうか?
そのためには脳の習慣を変えていくレッスンも必要なようです。
脳を鍛えるという表現をした時のコラムです。
そうこうしているうちに(非常にザックリと書きましたが)、運命を知覚する感覚、運命を知覚するための器官が育ってくるとルドルフ・シュタイナー氏はお考えのようでした。
予告
いやはや、年内にコラムを書き終える。と簡単に考えていましたが、この調子では
- 随分頑張るか、
- 書こうとしていたことを大幅に削るか
しないといけなさそうです。
書きながら考えますが、次回は以前こちらに書いた請求書という考え方について書き始める予定です。
「弾みのついでに「請求書」について」ーサイト「こすも」より
(2020/12/18)

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