波動よりも、私がしっくり来る感覚「電子・電気・磁場・重力場」


波動じゃなくて?

世の中のもの全てを波動で説明することが得意な方がいます。

言わんとされていることも勿論わかります。

それがお仕事になっている方も多い。

 

しかし、私の場合は、電気の質や磁場、電波というような感覚の方がしっくりきます。

「重力場」というのも、よくぞこの感覚を表す言葉を私に知らしめてくれました! 神様ありがとう! 岡田さんありがとう! という気持ちが湧くほどしっくりきた。

重力場という言葉は知っていたけれど、自分の「心理」を感じる時の体感覚のようなものとこの言葉が見事に紐づいて、明らかになった気がしたほどだ。

脳コチョコチョのヒントはアニメ「かぐや姫の物語」の解説にあった

 

ですから、物事の説明を「波動」と説明されるのを聴いていると今までなんだか違和感があり、私は余り波動という言葉を使ってこなかったが、波動という表現については、それはそれで「そうだろう」と認めていた。

 

確かに世の中のもの全てを波動と解説できるだろう。異論は全くない。

先日も波動、波動とその言葉を使っていた方とお話していた最中に、「波動という言葉が使われ過ぎたと感じるせいか、私は波動という解説を否定もしないけど率先しても使わないんです」と正直に打ち明けた。この方はある意味、「波動測定」に関するお仕事もしているので、こんなことをいくら正直とはいえ伝える私も私だけど、お陰様でこの方は感情的な反応をすることなく、「じゃあ武田さんはどういう言葉を使うの?」と質問された。

この質問は私には大ヒットで、コラムを既にアップした後だったので、「変な意味の電波ではない、電気系の電波だったり、磁場だったり。という言葉を使いたいです」と答えました。すると、「確かに、ラジオが聞けたりするのは電波だものね」と ふむふむ という反応でした。(笑)

「電波も波だから、波動でもあるんだけど、『波動』という言葉はあまり使わないだけなんだけど」と補足しました。

 

そう、私には電気の方がしっくりくる。

ブースターという感覚(リンク先にも書いているように「後押しする人」「後援者」という意味があるそうです。私自身がブースターと感じる時に、サポーターという意味合いも同じく感じているところもビンゴな感じなんです)もそこから来てる。周波数や、電圧が変わるという感覚がしっくりくるという事がようやく自分で理解できた。なぜ波動という言葉をあまり使わず、なんだか馴染めない理由もハッキリした。

その理由とは、波動という言葉の否定ではなくて、もっと、より自分にしっくりくる言葉が見つかっていないからだった。

 

補足〉周波数ってなんですか?

https://mainichi.jp/articles/20180410/kei/00s/00s/019000c

 

 

それが磁場でも良いし、重力場でも構わない。が、そこには電流というか、電子?電気?の変化がある事が前提のようだ。

 

それはおそらく、私が「ヒト」という生物の心や身体に興味があり、意識を向けているせいではないかと気がつけるようになった。

 

生物には電気信号がある。

脳の研究をする際に、反応しているところを光らせたりして指し示すが、要するにアレだ。

 

 

 

神経だって電気信号でしょう?

DNAと電気の関係は?

Pete LinforthによるPixabayからの画像

 

だから、

どこかの誰かが感じたり、言い始めた考え方や説の「すべては波動」説、確かに波動説(説じゃ無くて事実でも)は有るだろうと頭で理解しているけれど、私自身の感覚は電気信号、電子の波?、電気の質、振動や磁場の方が自分の感覚として捉えやすい。重力場も同じく。

そして、私は自分のこの感覚を割と信頼してる。

 

なぜならば、今までは、すぐには表現できずに来たけれど、そのうちに(今のように)しっくりくる表現に出会うからだ。

 

ですから、

まるでサイキックの様に何かしらが見通せるようにナニカを感じたとしても、それはサイキックと言う様な事では無くて、私の体質として、電気信号にヒトより敏感なのだろうと今は思ってる。(こんなことは施術・心体カウンセリング™ をしなければ一生気がつかなかった。)

 

おそらく、精神の状態(または、身体の状態やその両方)により発せられる電気、生体電気は特徴があるのだろう。

それを私の脳のどこかしらで解析したり、処理したりしてるんだろうな。

 

犬や猫やイルカやクジラ、そう、動物たちはこう言ったものをキャッチしている。野生のようなモノが退化した完全ペットちゃんからは消えている能力もあるようだが、人間だってこういった能力は勿論ある。

 

ギフトの使い方

特別というよりも、おそらくデフォルトだと思う。

だから、ギフトという言い方もあると思うが、ある意味では特別視するものでもないのかもしれない。他人様にこういった能力を使わなくても、自分のために使えばいい。

自分のために使う。既に使っている。

ギフト=他人のために使う(使った方が良い。使うべきだ。) という考え方もおそらく誰かの刷り込みだろう。なぜなら、こういった類のことはデフォルトとも言えるからだ。ということは、生きているうちに感覚さえ鈍くなっていなければ(鈍くなっていても)すでにギフトは使っている。

当たり前に使っている。

気がつくかどうかはまた別だし、それが訓練によって伸ばせるのか?伸びるのか?もまた別だ。

 

心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアと電気反応について

だから、生物 対 生物 という物凄くシンプルなところで心体カウンセリング、セラピー、ケアをしている様な気がしている。

 

そこには、嘘か本当かよくわからない、まことしやか、それらしい「教え」「メソッド」なども関わってこないし、出来れば私は余りそう言ったモノを絡めたくない。

 

ですから、とてもシンプルな陰陽という所をバランス調整している様な気もするし、この先も、複雑化するよりも、よりシンプルな調整をしていきたいと考えています。電気の反応のプラスとマイナスのバランス調整というイメージも中々気に入っている。

 

特に統合心体カウンセリング™ では、セッションに時間がゆっくり使えるため、波動も勿論、電子、電位、電気信号にも意識を向けてストレスケア(バランス調整)を行えていたら良いなぁというのは願っている。そういったものはアイテム(服用するものも含めて)以外が整いやすいような気が最近はしてきていて、今行っている手技・施術を引き続き大切に捉えています。

 

ご本人のリソース(resource)をブーストする

心体カウンセリング、セラピー、ケアでは

ご本人のリソース(resource)をブーストするという事で、ご本人に負荷のかからないペースで回復していくと考えています。

そういったご本人のペースを、当のご本人が知覚できるようになると良いなぁ とも思っているし、ご本人が過剰に焦らず、自分の回復のペースを知覚できること自体がご自身のギフトを使えている証拠とも捉えている節もある。

 

 

  • 音を発するモノ
  • 香りを発するモノ
  • 波動という意味のものを発するもの
  • 意味の込められた調整に使うカード類、言葉(メタファーも含み)、数字など
  • 口に入れるモノ、体内に入れるモノ

など、この中の幾つかは私も使ってきたし、この先もご本人が希望されるなら使います。また、今後も使う事を否定していないですが、

こういった、おそらく波動を発するというか、大きな括りでざっくり言うところの『波動調整アイテム』は個人セッションの際は使わない時も多いです。このやり方(アイテム系を使わない)をすることが以前よりも確実に増えました。

 

身一つ(みひとつ)

身一つ。

クライアント(相談者)も見一つ。私も身一つ。

No アイテム。

クライアント(相談者)の世界観を私の世界観でサポートする事が、触媒(ブースター)と感じるようです。

 

なので、身一つでも特に不足は無い事が多い昨今です。

身軽な感じも好きだ。

 

ご本人のリソースだけでバランス調整って完了するし、そのために対話する時間をセッションに取り入れていますし、ただマシーンのようにバランス調整すると言うより、先ほども書いた

  • 生物 対 生物
  • ヒト と ヒト

として居たいと思っているし、

回復していくのはご本人がお持ちのチカラの結果だと思ってる。

 

リソースと言うものの中には、(私は誰にも教えて貰った訳ではないが)初期のセッションから行っている「クライアント(相談者)が行う、自己との対話」を行い易くする「場」によるモノも大きく含みます。クライアントの純度を優先させた「場」を創りたいと思っています。

電気を帯びた磁場(なんと、電流によって磁気が発生するそうだ)というこの感覚があながち的外れじゃないのならば、順行という方向を感じるのもなかなかいい線いっているような気もする。電気の流れる方向という意味で。

 

そうですね、

場の提供、心体カウンセリング™ (特に統合心体カウンセリング™ )もある意味の磁場を利用しているのかも知れません。ご本人の本来の磁場を再現(思い出す)するようなことかも知れませんが。

 

となると、そのクライアント(相談者)自身の自己対話の純度をなるべく高めておきたいと思えば、心体カウンセラー、セラピー、ケアを行う側の私自身も丁寧にケアしておく事が大切で、乱暴に書いてしまうと、知識量より、私自身が整っている事の方がクライアント(相談者)には良いような気がする。なぜなら、私自身の知識量よりも、クライアント(相談者)のリソースの方が回復のためのエッセンスが無限大だからです。

 

ヒトとして付き合う時に、知識量より心体が整っている事でコミュニケーションの質が変わるように。

少なくとも、私の知識で回復の進行を邪魔することのないように。

 

別に知識量を軽く見るつもりは毛頭無いけれど、何故か知識偏重が引き起こす弊害も少なからずあるわけです。

  • 知識が増え、思いやりが減るとか
  • 知識が増え、視点がズレるとか
  • 知識が増え、承認をもらいたい飢餓が増すとか。

 

不思議です。

不思議ですが、やっぱりある。

こういった事も鑑みると、自分を整えておくって言う大切だなぁ。自分を知るって大切だなぁ。としみじみ思います。

 

私も免罪符を貰っているわけじゃないので、整えておく。自分を知っておく。というのは大切にしてます。

気のせいではなくて、本当にヒト様より電気信号、電気反応に敏感だとしても、それはある種のギフトにはなるだろうが人生の質に関わる免罪符にはならない。そう、この辺りにギフトと感じる能力と魔境(魂のインフレーション)のとても人間らしい関係性があることを今はまだ理解しているつもりでいる。

 

常に後者を選べ

と、ここまで下書きをしていたら

まさにコレを言いたかった! 古代ギリシャの医師ヒポクラテスは遥か昔にとっくに言っていたんだねというセリフに出会った。

それは、

「もし患者が罹患している病気について学ぶか、病気を患っている患者について学ぶかの選択を迫られたら、常に後者を選べ」

書籍「ひとの気持ちが聴こえたら」を読み始めたら、すぐに登場した言葉でした。

 

  • 診断名のようなモノ以外にも、私達の不調には色んな要素が組み合わさっていることを、常に意識には置いているつもりだし
  • 診断名がなくても、とても大切な事はあるし、
  • 診断名がつかないから手をつけない。軽く見る。という事もある。

 

知ってる。と思う事が厄介を生むことだってある。

知っている。と思う事が自信になるのなら、それは素晴らしい事だと思うんですが、だからと言って皆が皆 傲慢にはならないんじゃないかな?

自信の先に必ずしも厄介がある訳じゃないような気がしているんです。しかし、自信に似たものが厄介を生むこともある。

 

知識で自分の性格の何かが埋まった気がしてるから、ある時はそれが下手すると自分で自分の足元をすくってしまう傲慢さになるんじゃないかしら? または、知識で何かパワーを得た感じがするのが妙なことになってるというか、パワーを得たと思うと多くの場合当然そうなると言うか。

 

しかし、クライアント、相談者について学ぼうとする姿勢は、自分の世界だけ(知識にあまりにも偏重することも含め)しか見ないことにより生まれる厄介さの微かなストッパーになる様な気がする時もあるんです。他人の世界も知ろうとすることと、他人の世界だけを知ろうとすることもまたちょっと違うように。

 

シンプルに

セッション、面談、施術、カウンセリング、セラピー、ケアには様々な要素が関係してきますが、なるべくシンプルに。ということを以前にも増して思うようになりました。そのシンプルの意味は、バランス調整アイテムを1種類しか使わないという意味ではありません。

また、セッションをして、セッションする側が「(ダメージやストレスを)もらう、もらわない」という事がよく言われますが、ヒトさまの電子、電子の波、電荷、生体電気というものとある種の同期ができない場合や、耐性も含めたある程度の強さがないと、セッションを続けていった時にリスクもあることは知っておく方が良いと思っています。

 

それを、人間としての弱さに原因(意味づけ)を変換せず、いっその事アレルギーだと思っていたら楽だろうし、そういったアレルギー反応をある意味克服できる種類のことならば克服した方が自分も強くなる。

先述したように、いくらギフト(デフォルトだとしても)アレルギー反応も後天的なものと先天的なものがあるからこそ、必ずしもそれを活かさなくてはいけない訳でもないし、活かしたくても自分のアレルギー反応が悪化する事態を招かないとも限らない。HSP的能力などは感度やキャッチする能力だけに焦点をあてるよりも、もう少し広い視野で自己のバランスを知覚していた方が安心であり安全だろう。

 

そんなことも念頭において、セッションや施術を行う事も大切かもしれない。精神論だけじゃないということも可能性として知っておくのも良い。

自分に合うものを知る。ってシンプルでもあり、奥が深くもある。

 

自分を知ることに含めても良いと考えていること

重力場の耐性というか、なんというか、そういったものがあった方が、くるくると他人様に巻き取られていく頻度は下がるだろう。多くの視点を持ちやすいことにも繋がるかもしれない。

そういった耐性が低い時に、

  • 訓練が必要なのか、
  • アレルギー調整が必要なのか、
  • これらで何とかできるものではないのか?

ということも、時間をかけて自分で確かめていく方が良いと思う。

 

アレルギー調整ではなんともならない反応ならば、自分の健康のためにセッションや施術を行う事を控えたり、止めたりした方が良いし、無理して続けることで自己存在の証明・価値を確認する以外にも他に方法があるだろう。

 

カウンセリングやセラピーやケアに携わることに独特の魅力があることは知っています。ヒトの役に立ちたいという意識も関係してくるとも思う。ヒトの役にたって評価されることは善き事と感じる。

それと同じくらい、自分を大切に思う事も優先した方が良いな~と今の私は思っています。力量を知った方が良いと書くと、意地になったり、精神論になったり、劣っていると言われたかのような反応が起こる時があるけれど、アレルギーと言い換えたら、ただそれだけのこととも思える。

 

対処をする。対処を知っている。ということは大切ですね。

それが向く対象は、他人様だけとは限らずに、自分にもどうぞ置き換えてください。私もそうします。(^^)

 

 

 

(2020/10/22)

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