自分を失ったり、遠ざかっている時の特徴
前回の記事に、「独特な表情」と書きました。
もっと具体的な描写もしようかと思ったんですが、それは止めました。書かない方が良い様な気がしたんです。
描写は止めておきましたが、前回のコラムをアップした翌日(さーて読書しようっと)と本を開いたら、(あら?これってあの表情を伝える時に使える専門用語かな?)という言葉が目の前の本の中に現れました。
感覚遮断
それは感覚遮断という言葉でした。
言葉をネットで調べる前、文字を見た瞬間、(あぁ、これだ。この感じだ。)と思いました。
フワフワしつつ、確かに感覚を遮断している感じが伝わってくるというか、感覚が鈍麻している様が伝わってくるというか、
トリップ・解離している感じもするし、昔なら「ナニカ憑いたの?」と言われそうというか、ナニカ憑いてるなら、それは境界線が危うくなったからなのかな?という感じがするし、心酔という言葉もありますね。
非常に落ち込んでいる状態の場合も感覚遮断や感覚鈍麻ということが起きます。
いろいろな表現はあるものの、何より、本当のご本人とコンタクト出来ない感じがするんですね。
フワッとしていながら、閉じている感じというか。その逆の心理状態でも閉じている。
なんなのかわからない膜のようなモノに入ってるというか。
コンサートやライブや合唱という時に、グルーヴ(groove)、グルーヴィー(groovy)という事象?感覚が起きる時があります。
アノ時も「酔っぱらっている」「うっとりしている」という独特な表情を見ますし、場の雰囲気も独特な感じがしますが、どうしてそうなったのか原因は違えどもこの2つは似ている。
恋の病と呼ばれる時もそうなる時があります。
ですから、この現象自体が悪性とか危険とかいう事ではないんです。
人間は誰でもそうなるし、良いも悪いもないのです。が、非常に特徴的だというのはそうだと思う。
表情はとても鮮明に頭に思い出せるので、特徴も描写できる気もするけど、やはり書くのはやめておきます。
何故だか書くことが良いことは思えなくて毎回ブレーキがかかるんです。理由は私にもはっきりわかっていません。
で、私はこういう状態の方に遭遇すると
(あぁ、今は話は通じないな)と思います。
思いますが、話す必要がある時は、いつもの私の会話のスピードから遅くしてゆっくり話します。しかし、会話が成り立たなくても腹が立ちません。最初からあきらめているから。
膜のようなモノにくるまれてる感じがして、どうやら声が耳に届きにくいようだし、思考の速度もおかしなテンポになってるみたいな感じが伝わってくる。そもそも脳に言葉が届きにくいみたい。
熱病の実際を見たことがないのですが、小説の中で使われる「熱病にかかったみたい」に似ているのかな。
誰でもこんな感じになる時はあるんですが、私が思う厄介なことと、よくある「意識がちょっと持っていかれる」の大きな違いは
『戻ってきた』とご本人が自覚するまでの所要時間だと思う。そして、戻ってきたならば、はっきり「戻ってきた」とわかる。それは側にいる私もわかる。(ような気がする)
戻ってきていないのに、ご本人が「戻ってきたよ」とおっしゃることもあるのかも知れないが、違っているのにそう思っていても余り意味がない様な気がする。それよりもケアを始めた方がご自分のためになると思っています。
感覚遮断からの脱出、回復のコツがあるとしたら
コツがあるとしたら
急がないこと
焦らないこと
誰かに褒めてもらおう、成果を認めてもらおう、無かったことにしようと体裁を整えようとするんじゃなくて、自分で自分を褒めたいと思えるようになることも大切です。他者からの評価を目的にしたケアではなくて。
金の卵を産むガチョウの寓話をご存知ですか?
自分の回復のペースや定着のペースを急いだり焦るということを考えるたびに、この寓話が度々頭に浮かぶんですよね。
あなたの生命力、精神力、幸せ力、健康的な感性を育む「金の卵」を生むガチョウを急かしたり、欲望に任せて痛めつけないで欲しいなぁと思うんです。
そのガチョウは、あなたの回復のサポートをする為に大変役に立つ金の卵も生んでいます。金の卵はあなたの光の元。
金の卵をもっと産め、早く早くと回復を焦ってガチョウを絶命させるのだけはやめてほしい。その卵はお金には変えられないものをサポートしています。
おそらく、欲望の大小のビックバンで厄介な事態は起きてて、ここと折り合わない事には次へ展開していかないような気がする。ということは、ビックバンを引き起こした欲望に先ずは気がつくまではin樹海のまま。
気づいても、直ぐには行動パターンは変わらない事も多い。が、そのパターンを変えるレッスンを自分でする必要がある。
金の卵をガチョウに大切に産み続けて貰いながら、貴方はあなたの思考の癖、脳の癖を修正していくレッスンをするんです。
この2つは、得体の知れない膜から出る為の両輪の輪です。一線から帰ってくるためのサポートです。
自分を大切にすることや、人生を大切にするということには、沢山の事柄が関わりますが、本質を無視しては成り立たないような気がしています。
本質の一つには、「自分のために」という意味があるような気がする。
他のダレカは関係ない。
自分のために。
あの膜はなんだろう?
遮断や鈍麻させる時ってどんなことが考えられるだろう? と考えが進みました。
酔っぱらいたい、ウットリしたいという事は自分を無くしたり、薄くしたり、場所や人や色んなものと同化したいときもあるんだろうけれど、
自己、自我、精神を守るための自己防衛機能の場合もあると感じます。自己防衛機能だとしたら何から守りたいのだろうか?
自己統合しないことで何かしらのメリットを得たいわけですよね。
直ぐに思い浮かぶのは
- 痛みからの回避? 痛みから自分を守りたい?
- 恐怖からの回避?
- 感情、感覚から自分を守る?
ということでした。
何を痛みと感じるのか?
何を恐怖に感じるのか?は個々による。
繊細で大切な所なので、優しく丁寧にゆっくりとケアして欲しいです。
最初は赤ちゃんを世話するように自分をケアしてほしい。荒々しいものではなく、優しく。焦るのではなくて、回復には10年かけた方がその後ラクだし幸せにつながりやすいと思うくらいの構えがあっても良さそうだと個人的には感じています。
時間はかかるかも知れない。
でも、諦めなければ、また一周回り終える時が来る。
回り終えたら、一周回り始める前より強くなっているし、人生に対する覚悟のようなモノができていたりしますよ。
誰の人生も続いて、大変な時期も、うっかりな時期も、黒歴史も、厄介山積みな時期もあります。
でもまた あなたが朗らかに笑う時が来る時を私は勝手に願っています。
(2020/08/05)