名より実を取る。損して得取れ。
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メインブログのこちらの記事の続きから始めます
ほぼ毎日更新しているメインブログのこちらの記事の続きを書きます。
アセンションについては上にご紹介しているブログで触れました。
このアセンションということと、以前に書いたこういった事もフラクタルだということを少し書きたいと思います。
コラム「居る場所。居たい場所。」の中で、「魔境」とか、「魂のインフレーション」という既存の言葉を使用しました。
私はそれが起こる、其処に入り込む境界に感じることを「一線」と呼んでいます。この感覚すべてが個人のセンス、価値観ですが、センスや価値観を共有できる方はいて、その共有感も深さや幅がある。
コラム「伝わらない、伝えられないジレンマ。のち、それで良いという想いふたたび」の内容との共通点というのは「欲望」とか「煩悩」とか、「執着」「依存」があるからこそ魅かれていくことが世の中には多くて、
「欲望」とか「煩悩」とか、「執着」「依存」があるからこそ振出しに戻るということが多いという事でした。
無くそうと思っている時点で、それこそが「欲望」「煩悩」「執着」「依存」
アセンションで救われる。救われたい。選ばれたい、選ばれていると思うことが「欲望」「煩悩」「執着」「依存」
それらしく聞こえたり、見えたりする「型」に「教え」「思想」にハマろうとすることも「欲望」「煩悩」「執着」「依存」
私のモヤモヤも「欲望」「煩悩」「執着」「依存」の反応だった。
目に見えること以外の出来事を理解したら、私のモヤモヤはラッキーに変わった
私が、自分がどう感じようとバックヤードでは善きことになっている。と感じたことについても
- 私のアイデアを流用していると感じても、
- マネと感じても、
それが起きたという事はそもそも相手の心に響いたんだということに気がついた。「それいただき!」という魅力があったんだろう。だから「いただいた」。
心に響いた時に、それが自分の考えなのか、他人の考えなのかわからなくなることがある。(私もそうやって自分の血肉になってきた)
私が「これをやろうと思う」と話した事や、行っている事、伝えたことを 聞いた方、見た方が「それいただき!」とその方が考えたものとして先に発表されたこともいくつもあった。
そんなことが重なると、モヤモヤが増えていったんだけど、あのバックヤードをチラッと見せて貰ったときに(私の役割がそれなら もうそれで良い。素晴らしいことだもの)と理解した。
良いものは伝播する
良いものは伝播する。
出所が「え? それって私でしょ?」と思っても思わなくても、「せめて断って欲しかった」と思っても思わなくても「良いものは伝播する」。
私がお伝えしていることも、これと同じ要素(パターン)が含まれていて、閃いたものだとしても、閃くまでの情報蓄積ということも誰かかしらの知恵をお借りしている。
だから、その伝播がその先の多くの方のストレスケアや生きやすさのお手伝いができたならそれが一番素敵だなって思った。だって、そもそもそれをしたくて私は考えて、ひらめいたんだから。経由地点は変更されたかもしれないが、届いた先でストレスケアに皆さんが利用して頂ける機会に寄与している。
私は昔から、損した。と思う事があると、自分に「損して得取れ」と言い聞かせてきた。そう、わだかまりがあっても、言い聞かせてきた。報われる保証なんてないからこそ、一生懸命いい聞かせてきた(笑)
得取れ。というのはその囚われやこだわりから自分を引きはがすための、ただの言い聞かせだったが、ここ5年くらいは
「マジで得がとれてんじゃん」と気がつけるようになった。(笑)
こういった事は、利息がついている最中は余りに静かで数年、いや、十数年、いや、数十年は気が付けない。長い沈黙の時を経て、「得」としていきなり身の回りや内面に登場する。「得取れ」といい聞かせ続けて、(得ってなんだよ。なんも変わらない。)と思う時ことばかりだった時期もあったし、こう感じる期間は十分(長い・・・)と感じたけれど、それでもその囚われやこだわりから自分を引きはがすために自分に言い聞かせてきたら、「得ってこんなことだったんだ! ラッキー。お金でも買えない、探しても見つからない。これこそ得だね」というラッキーが現れた。
それは我慢の時間がやけに長い複利曲線と似ているのかもしれない。
と思ったら、この複利曲線を書くためにネット検索した中に、「ドラッカーの成長曲線」というものも同じような曲線で表示されていた。(ドラッカーは流行ったし、有名ですが、私は未読です。)
どうやら他にも、人生の成功曲線と名前をつけてメソッドを伝えている方もいらっしゃるようだが、私はそんなオシャレな話では無かったので、「損して得取れ 言い聞かせ曲線」としてこの曲線をご紹介したい。ただ、この曲線通りにいくという法則を発表するつもりはない。法則とまで言えるのか言い切れない。私はたまたまラッキーだったのかもしれない。そして、この曲線がググっと上がって得として自分が実感できるように身の回りに現れたり、事象が起きるようになるまでの時間は、私は長かった。
この長さは、途中私自身もグラグラして、(一体私はナニをやっているんだ?)と自分が嫌になる時期もあったので、そんな時は複利が後退したり、複利が適用されなかったのかもしれない。
結果が直ぐに欲しい方は、こういった考え方は向かないかもね。そういうことが人生観だったりするんだけど。
なんにせよ、こういった曲線もパターンの1つで、そこに「時間」が関わってくる。
過ぎてしまえば「時間」は無くなるんだけど、根負けというのは、時間に対して根負けするのかもしれないね。
しかし、今に至る前にはこんなケアをしました。やり方を改良したんです。
今のような将来など知らない私は、
幾つものアイデア油揚げを、何度もトンビに油揚げをさらわれるような事があると、「損して得取れ」というぼんやりした言い聞かせでは収めたくなくなってきたので、「損したら100倍得する」と、随分前に自分にいい聞かる言葉を変えたもんね(笑) トンビも(しめしめ、あそこに油揚げがあって、取るのは簡単だぞ。)と思えば そりゃあ繰り返される。
やってられんわ。と思うけれど、だからと言ってなにもできない。
私もあまり手を抜けない性質だし、取られるのか嫌だから隠すために最適なことをあえてしない。ということができない。ついやっっちゃう。「あ!これ(ひょっこり思いついた手法)良いじゃん!」「私今度これやろっと」とかつい言っちゃう、見せちゃう。
それを見たり聞いたりして、「このアイデア良いですね。マネしても良い?」とか「これ使いたい」と言われた時に「ダメ」と言った事など無い。コンテンツなどは、そのスキルを使って頂ければいいだけで、流用ということはお断りしているが、テクニックとかやり方とか、表記の仕方とか、組み合わせとかはいつも「どうぞ」と言ってきたし、私が思い浮かぶ範囲のことは喜んでご提供してきた。こういう方は全然トンビ感は無いし、気に入ってくれたんだ!と私も嬉しい。
私はアイデアは豊富に湧いてくる方みたいなので、それがトンビにとっては油揚げだったりする。影響しあって良くなっていくことは大歓迎だけど、「今度私これをやる」「この先私はこれをやる」とはっきり言ったものを、先に自分の考えたモノのように発表されるのはどうにも合点がいかなかった。
しかしトンビは無断だからトンビと感じる。
繰り返しこんなことがあると(私が)感じると、せめてあてにもできない「口約束の『得』」くらい沢山ないとやってらんわ。という気持ちになった。
だから、損するたびに(と私が勝手に感じるという事ですが)、100倍の得がもう随分溜まってんな。と考えては自虐的に心の中で笑っていたが、そのうち、これを損と感じる事が邪魔くさくなり、「こっちが私の肝だ」と気がついた。
「損して得取れ」というそれっぽく思える言葉・思想から離れることにしました。
だれだ! 損とか得とかいう考え方を私に埋め込んだのは! おかげで結構邪魔くさいんだよ! という感じ。(それは私自身だという事はもちろん知っている。)
だから勿論セルフケアした。

イメージしやすいようなデフォルメです。もらって当たり前のように ヒュッ とさらわれる感じがしたので。そう、「事前に教えてほしかった」し、やはり「引用元を示して欲しかった」んですが、今は別の場所からHappyを頂戴しているのでもうチャラでいいです。報われたんで(笑)
私のゲンキンで人間性の小さい様が浮き彫りになりますけれど、報われたんでもう全然OKです(笑)
似たようなケース
私のケースと似たようなケースがあったよ。と教えてくれた方がいた。
そのアイデアを自分のものとして発表した数名の方はどんどん出世していった。
しかし、その数十年後は、アイデアを出していた人は会社をおこしていつまでも仕事もバリバリしながら人生をとても楽しく満喫していて、その方のアイデアを自分のものとして出世した方たちは定年退職後は自分では何もできすぼんやりと過ごしているという事でした。
どこにでもある。遠くのものも近くのものに含まれている。
私もこれからもHappyにやっていく(^^)
損か? 得か? 得とはリターンのことなのか?
やったことは返ってくる。どんなジャンルのことも返ってくると昔から言われているけれど、「欲望」「煩悩」「執着」「依存」も先延ばしにすると利息がつく事が多いような気がする。
私のアイデアなども、元をただせば、それが自分のアイデア・閃きして生まれてくるまでの他人様の知識やアイデア、情報の集大成であるので、ご多分に漏れずグルグル回っている、その中の一人に過ぎない。
そして、私の名前で世の中に出ないのは、私自身が名声や「賞」、権威になりたいという欲望が薄いんだろう。
私は「出所の正しさ」「引用元として示されない」には反応しているが、名声、賞、権威といった事はアセンションと同じように興味が無い。(私の脳のクセが感じるような「正当な」評価を貰えたら御の字だとは感じるけれど、今回の話題についてはもう精算済みで、神様から報酬は頂いています。ありがとうございます。)
だから、私が何をどう感じようが、皆にストレスケアを活用して欲しいな~とか、生きやすさを感じる方が増えると良いな~という事に関しては大きく寄与しているじゃん。ということに気がついたら、モヤモヤなどチャラになって恩恵だけがクローズアップされた。
だから、今感じるような「得・Happy」があったんだね!と、その大きな仕組みが理解できたような気がした。
昔から、「名より実を取る。」(名を捨てて実を取る)と思っていたんだった。この言葉を使う時は(外部の評価はどうであれ、実力は自分に付くんだから)と自分に言い聞かせる時だった。それとはちょっと意味が違うけど「名より実を取る。」という方針で行くと、自分に起こることもそうなったんだね。「私の」とか「私が」ということを出来事から抜いた「実」は素晴らしい循環を起こしていた。
充分誇らしい働きしてるじゃん。と喜んだもの。
自分だけで(私って凄いじゃん)(なかなか良いじゃん)と喜んでいたらいいのだ。有り余るほどの自画自賛ごっこをしていたらいい。物凄く平和だもの。
お陰様で、こんなに気楽な境地に至ったので、どんどん発信したものやアイデアを使ってください。
どうぞ、と言おうが言わまいが今までも同じだったんだし、境界性・解離性の脳のタイプの方に「事前に断って」とか「それは私が考えたことですよね」と伝えてもあまり意味が無い。そう、脳の仕組みがそうだから。悪気とか精神性の話じゃないんだから。というのは理解していた方が自分が楽だ。
そう、何も変わらないけれど、私は変わった。 今は「いただき!」と思う程 心に響いたということが光栄で、その結果の「得・幸せ」をありがとうと思っている。
既に感じた「得・幸せ」を考えると、今これらが使われていることにも感謝の気持ちが湧くし、これからもストレスケアが進む方のお役に立つと良いな~と思っている。
そして、これからも、私にもそのお役に立った分×100倍の「得・ハッピー」があるということにして笑っていよう。(先に、得をありがとうございます!とお礼を書いておこう)
今感じているHappyには、ちゃんと利息も付いてた。複利だった。(神様ありがとう)
近くばかりを見ていると見えてこないし、加えて自分の脳のクセを理解すると気づきやすい、大きな仕組みの中のwin×win。
こんなことが「キモ」だと今は思っています
ただ、間違えないでおこうと思っているのは、「私の」とか「私が」ということも大切だという事です。全部が全部「私の」とか「私が」を無くせば良いとは私は思っていない。言葉やその意味の使い方にもよるけれど、「無くせ」「消せ」というのは、あなたの人格の全否定や、存在の全否定にもなりかねないので、その内容いかんによっては従うことなく、是非抵抗して頂きたい。抵抗とは、やり合う事だけじゃない。離れるという抵抗の方法がある。離れる事は双方の業(「欲望」「煩悩」「執着」「依存」など)をそれ以上深くしないためのストッパーになる時があるし、平和で賢明な対処法だと感じる。
誰にもあなたにそれを言う権利はない。(言葉やその意味の使い方を良く聞いてくださいね。その意味をそれを発したご本人に訊ねたって良い。そこに人格や存在の否定が含まれておらず、単に言葉の使い方のクセだということもある。) 私が感じるヤバい洗脳というのは、こんな仕組みが使われている。
そして、集団・団体になると影響を受けやすくなる度合いがアップするようで、元々影響を受けやすい素質があるのでほとんどがYESマンになってしまう。こういう状態の集合体はみんな亡失していて、集団催眠でもかかっているかのように一様の独特の表情をしていることがある。また、発言する言葉もどんどんヤバくなる。それを見ると、私の中では注意信号の黄色を通り越して、緊急事態発生中の赤灯がグルグル回る。
一線の先にも、崩壊を踏みとどまれるかどうかの非常に危ういラインがあるが、赤灯は、崩壊まで突っ走るかどうかのまさに緊急事態に点灯することがある。
そんな表情をしている方のナニカを止めても聞こえていないし、加えて、集団催眠にかかっているような集団内の誰も止めてくれない。それどころが、お互いがマッチポンプのようになる。そう、(そこをくすぐられると弱い)と言うところが反応し合って加速する。特別なナニカを知ったとか、特別なナニカを手に入れたというつもりになっていくため、考えの違うモノを(わかっちゃいないな)と瞬時に排他していくようにもなっていくので、余計に異なる意見は届かない。おそらく一線を超えると一気に加速していくと書いたのはこんなことも含んでいる。
マッチポンプは良い働きをすることもあるし、逆の働きをする時もある。
こんなことも見たり感じたりしたので、私は信頼している人に「私が何かおかしいと思ったら教えて。言ってね。」とお願いしている。(これは価値観の違いをコントロールするのとは異なる、些細な違和感を「なんだかおかしいよ」と感じる感性の話で、この感覚を深く共有できる方はとても少ないし、身近に頼める方も今は他に居ない。)
「何か言われて その時はただの反応として カチンとしてあなたが腹立たしく感じる顔もするかもしれないけど、〇〇さんがあんなことを言うのには理由があるはずだ。って絶対そのあと考えるはずだから、それまで待っててね。」と伝えた。
そう、私もそういったリスクを免除されているわけじゃないというのを知っているつもりだ。こういったことの免罪符って存在するんだろうか? わからない。
今、こうやって典型的なパターンを書いていたって、(これも私だ)と思える。私はなんの集合体も団体も持っていないが、だからと言って高みの見物などしてられない。
こちら ↓ にも書いたけれど、全てが私なんだから。
リンク先には他のことも書きました。亡失と融合・統合は違うと今現在の私個人は感じているし、亡失は厄介事が起きることが多い。
色んな出来事をどこまで受容するのか? 色んな在り方とどこまで融合・統合するのか?ということは「私の」とか「私が」という個がしっかりとある方が本来の目的を果たすような気がしている。
いろんな思想や教え・法則的にはわからないが、私はストレスケアということに重点を置きたいので、思想や教え・法則が新たなストレスや混乱を生むのなら採用しない。私はその先に生きやすさがあると考えてストレスケアのサポートをしているため、誤解を招くかもしれない「個」「私」を無くす、消すというような究極性は必要ないと考えています。それら思想や教え・法則に関しては個人でされたら良いというのが私の今の考え方です。
それは、私自身、「個」「私」があるままで幸せを感じているからです。「個」「私」を無くそうとしていた時には感じられなかった感覚です。
今に至るまでに行ったのはストレスケアでした。
これらを踏まえて感じるのは、理性ということや、考えるチカラや、人生観ということが大切になってくる。亡失しているとこれらが働いていないみたいだ。
ちっぽけな私では受容できなかった事、融合・統合できなかったことも、それでもコツコツと解析して考えて、自分をよく見て、目の前のことをよく見て、よく聞いて、自分に耳を傾けて、また解析して統合・融合していく。という気の長い作業を続けていたら受容と融合・統合の幅が広がりました。
そのおかげで、私が感じる「実」が、「名」を取った(選んだ)方を経て、皆様の生きやすさ、笑顔のお役に立っていることもあるというお宝に気づけた。
気がつくことも様々な段階がある
フラクタルも小さな視野と大きな視野では見えるものが全然違う。
「名」を取った(選んだ)方が、どんなフラクタルの一部になっているのかは神のみぞ知る。私が関与できることじゃないし、関与できても、それをすると自分の純度が落ちそうな気がするのでしない。今まで気づいても何もしなかったのと同じ。
が、それすらもパターンがあるような気がしている。その出来事のエッセンスというのもやはり伝播するものだ。直ぐには分からないが、私の「得」がある日長い沈黙の後現れたように、その逆のことも長い沈黙ののち現れることもあるだろうとも思える。楽しいパターンじゃないような感じがするのは気のせいだろうか?
それに、こっちの方が大きいし、そもそも論になるんだけど、「それいただき!」と思って実行した方が、もう記憶が書き換えられていて本当に無自覚という事があるという事例も十分見てきた。だから、関与しても意味が無い。同じようなことは私にもあるだろうし、誰にでもある。
もし、覚えていたら? 覚えていて知らん顔していたら? 多分そういったことは、時間をかけて内面を腐食させていきがちで、それこそが損で、人生を長い目で見た時に自分自身にとってリスキーだ。下の曲線図形の縦軸の収益の部分が、何に変わるんだろうか? ・・・考えるだけでも怖い。
私にとっては、「名」より純度が落ちることの方が損が大きい。
そして、今となってはどうでもいい。いや、かえって、得・Happyをありがとう!という感じだ。(笑)
また、パターンの「解析」をしたら、スコトーマ(盲点)が無くなる訳じゃないということは私の体験談です。フラクタル図形をどう捉えるかで盲点の現れ方も違う。1つ分かっても、フラクタルのパターンに気がついている訳じゃないと、いつまでも繰り返す。
こういった要素の中には脳のタイプや脳のクセも含まれているので、やはり正解はないだろう。
そのことも(パターンは見えないということも、わかったつもりになるということも)「パターン」と呼ぶが、まさにフラクタル図形のパターンと同じだ。
何度も「わかったつもり」になって、その後、やっぱりわかっていなかったことに気づく。
わかったつもりになっても、似たものに横滑りしていくという強烈な脳のクセだって1つの特徴だ。誰にでもある。
1つずつってことなのかな。
1つずつしかできないよってことなのかな。
1つずつが良いよってことなのかな。
Love Yourself
Love Myself
皆様に、 あぁ 幸せだ! と感じる瞬間がどんどん増えますように。
最後に
自分を支えるために唱えてきた言葉
自分を慰めるために、私は多くの先人たちが残してくれた言葉を自分に言い聞かせてきた。
タイトルの「損して得取れ」もそうだし、「名より実(を取る)」もそうだ。他にもいろいろあるけれど、報われない(泣)と思うたびに「神様は見ている」とやけくそや、すがる思いで唱えてきた。見てはいるだろうけど、見ているだけなんだよね!と八つ当たりしたい時もあったが、実はこれも「あぁ 見ていてくれたんだ」と分かる時があった。数年前の話です。
この話はサイト「こすも」に書いて既にアップしました。
寄る辺の無さ
実は、私は変わった。
それはアセンションという話題になると「しっかりしろ!と思っていた」と書いたような私から変わった。
私もそうだったように、過去の私が少々辛口になるアレコレは確かにあったけれど、それはそれぞれが寄る辺の無さを埋めていたり、それで自分を支えているんだなと思うようになったからです。私は今は占いをしないが、依存せずにはいられない方もいる。
こういった私が(うーん・・・・(-_-))と思うようなジャンルは確かにあるんですが、これは好みであって、一線を超えようがなんだろうがそんなことは関係ない、気にならない、気にしている場合じゃないほど寄る辺が無いのかもしれない。
土台の部分の話にはなるんだけど、そこも人それぞれなんですよね。
私が自分の寄る辺の無さを早くから意識して、そこを先ほども書いたような「言葉」「自分の中の一種の信仰心」「信念になると良いなと感じた考え方」で意識的に支えてきたことと、アセンションというような考え方やスピリチュアル、カルトなどは、やっぱり「自分を支えたい」という意味では同じなんだと思うようになったからです。
シンドイ、報われない、気にして貰えない、さびしい、理解されない、うまくいかない・・・色々な思いを抱えます。感じます。
利用してみても良いかな?と思ったらストレスケアを日常に取り入れてみてください。ずいぶん楽になります。私も楽になりました(^^)
今のあなたの支えが、(なんだか不健康な方向性に傾いている?)(私はいったい何をやってるんだ?)と感じるようなことがあれば、一度 思想・教え・法則などを脇へ抜いて、シンプルなケアを取り入れてみてください。
チャクラとは書いていますが、教え・思想などはありません。身体の仕組をつかって、ストレスケア、心のケアをシンプルに行っていきます。
なんとAさんも!
この記事を下書きに保存して、違う事をしていた時に、凄いことに気がついた。
冒頭のブログの中のAさんも、名より実を取ったんだ!と気がついた。
以前は「名」を取りたかったことは知っている。そういう世界だもの。しかし今は「実」をとって、この辛口だった私の脳に、アセンション済みか?と湧いてくるほど幸せそうに笑っている。
これまでも、これからも、名前を残さなかった、残せなかった方はそれはそれは沢山いるだろう。
しかし、名前を残さなかった方、今後も残せない方は、名前を残した方よりもHappyな人生を送るという事は多いんじゃないか?
確かにとある瞬間は挫折感を感じる事があるだろうけど、名より実、損して得取れ、神様は見ているということを私自身が実際に体験すると、「きっちり頂けるものは頂戴しました。ありがとうございます。感謝します。」とお礼を言いながら、幸せな人生を送った(送っている。これから送る。)ことってあるな~と信じられる。
あなたが人生の糧にしている言葉は何ですか?
お会いした時に聞かせてください。(^^)
(2020/05/06)