一考 ゾーンについて
Contents
ゾーンについて
ゾーンについてコラムを書く予定でした。
思うように書けなければ、後日補足しますが長文になりましたのでお時間の有る時にご一読ください。
ゾーンは無限大。それぞれの体験があるんだね。
上のコラムに中に
世の中の仕組みがわかったような、現実だと信じていた世の中の裂け目からチラッと舞台裏を見てしまった気がする体験があった。下の記事の中の「スプーンなんて無い」ということを見ちゃったきがした。
余計なものがそぎ落とされて、通常見えない世の中や常識の舞台裏を見るルートにスポンとはまったのだとしたら
と、こんなことを書いた。
今日のメインはここについて書いて行きます。
体感する時もある
あれよあれよと体の反応に引っ張られて運命(人生)濁流に流されたこともあるので。一呼吸置くというちょっとした考える隙すらも無い案件があることを体験済みだ。
物凄い吸引力があるもの・激流に引き込まれるきっかけや出来事は世の中に存在する。
視覚も聴覚も動いているから、何があったのか記憶はあるのだけど反応するという行動ができない。なんて種類のこともある。
動けないままに すぅーーーっ と流されていく事しかできない事も確かにある。時として、すっーーっと流されることがその後安心を生むこともあるし、その逆もある。多分どっちも体験したと思うが、おそらくどっちも体験する道を私は選んだのだと思う。
人間は、あらゆる面で統合という見方があり、日頃目に見えていないゾーンという領域も含めて関連していることは多岐にわたる。統合にも薄っぺらいものからぶ厚いものまでグラデーションがあると感じています。
繋がっているところ?の優劣
よく、霊視やら口寄せやら、波動について
「高いところと繋がっているのは優れていて、低いところと繋がるのは劣っている」という説がある。言わんとしていることは分からないでもないけれど、おそらくゾーンに高低はなさそうだ。
一つにはこういった事とも言えるし
一つにはこうも言える
そこに高低をつけているのは個々の認識で、現象には高低はない。
ヒトに優劣をつけるのは個々の認識で、存在という事自体に優劣はない。
モノや考え方に優劣や正誤をつけるのは個々の認識で、モノや考え方はただ在るだけ。
そんな感じ。
本当に高低が無いのかどうかは、科学者か、宗教家か、だれか適した人に聞いてほしい。
今は私の「ゾーン」についての考え方を書いているだけだという事を私自身も自覚しておく方が良いから。
夢から本当に覚めているか?
夢から覚めたつもり、気持ちになることがある。
そして、ある日私は気がついた。
夢から「覚めた」ケースもあるだろうが、夢から覚めたという「別の夢に突入していく」というケースがあることを。
そう、覚めてない。
別の夢に横滑りしていくケースは、恐らく、本当のホントは、夢の中に居たいんだと思う。私はそう理解した。
夢から夢へ渡り歩くような時、こういった事が起きているようだ。
ある種のパターンを繰り返すことをここに含んでも良いと思う。
下記の記事の中で、それを「うっとり」と表現している。
そして、一線を超えて「純粋さ」が妙な変化をしたようにも感じる時がある。
人に話す時にニュアンスが理解してもらえそうならば「純度」と表現する時がある。
そりゃあ うっとりしていたいだろうと思う。気持ちいいものね。
ですから、夢の中に居たい、覚めたくないという気持ちもお察しするし、その夢の中が本当で、現実は夢だと思いたいよね。
どういう状態が夢から覚めている状態か?というのは、夢から覚めている人と接すると分かるのかもしれない。
そういう方がどこに居るのか? どこへ行ったら会えるのか? を私は知らないが、「私がそうである」と言う方は覚めてないと書籍には書いてあった(ような気がする)。
私なりに色々感じたり、考えた結果、個人的見解としては「こういった事(とある思想)は気にしないのが一番じゃないか」と今は思っている。求めている時点で「あなたの中にその状態が無い」わけだから。
うっとりするのも止めないし、恍惚感に浸るのも止めない。心酔も傾倒も洗脳も覚めたら気がつく。覚めたくなければまた別の夢に入っていくだけだろうと思うようになった。
私が「一線を超える」と感じていたことの別の表現
私が過去、注意案件としていた「一線」についても、何かしらの結果が出たらわかる。それまでは分からないし、その一線を超えて出た結果のその先もいろんなケースがあるようだ。
私は私の夢の中でこういった事象を見ている(検証している)んだろうと思うし、似たことを、今回ご紹介したい書籍「マアジナル」の第1章では編集長がオカルトとスピリチュアルの違いとして発言していた。
真実や本当のものがあるという夢を見たい方もいれば、
真実や本当のものがないという夢を見たい方もいる。
どちらも現実であり、夢なのかも知れない。
今は、ゾーンの一端、一部、一瞬を見たり感じても、それが全てではないんだな。という感じがしている。
だから、その一端、一部、一瞬に執着する意味もないんじゃないかと思っている。
求める人に与えられるという説はどこまで通用するのだろうか?
求めない人に与えられるという説はどこまで通用するのだろうか?
参考図書の中にも
「学べば学ぶほど愚かになる」「納得して傲慢になる」
というセリフが登場しますが、どうでしょうね? あなたはどう思われますか?
(それはヒトによるんじゃないかな。と今の私は思っています。)
それが必要なら求めなくても自然に観える(感じる)ようになり、必要なければ観えない(感じない)のかどうなのかの答えは知らない。
そこにも、それを踏まえてどうするのか? というあなたの方針が関わってきませんか?
「独自のアンテナ」ーサイト「こすも」より
とどのつまり「選ばれた人になりたい」という承認欲求か?
選ばれたいですよね。
選ばれたと思いたいですよね。
そういったことが選民思想にもなって現れるわけですが、それがなんだか不調和をおこしているのならば、多分、その「選ばれた人」という対象エリアである「どこから選ばれるのか?」の設定が小さい。狭い。
このエリアを広くしたら選民思想も選民意識も持ってる方が恥ずかしいじゃん。ということになると思うけれど、人は見えている世界に反応するのです。視界をワイドに!と伝えても、体感がないと視界も広がりにくい。
ゾーンという「宇宙と一緒か?」と思える無限の領域・エリアを体験したら自然に視界がワイド(縦・横・高さ・時間とか無いし)になるため、「えっ!? 選ばれるってどこから選ばれるの?」 と当たり前に思えるようになるから益々視界も認知も広がる。
先述したように、高低や正誤などにこだわる必要がなくなる。
それぞれの脳活動や、次元認識に高低や正誤というモノサシをあてようとすること自体がナンセンスなのかもしれない。
私も過去、高低や正誤にこだわったし、そのこだわりは大切だと思っていた。今でももちろんこだわりはある。そうじゃないとこんな(ひとり)ぼっち研究などしないと思う。
ただ、以前の私が認識していた高低や正誤というものはもう随分カタチを変えた。そうしたらゾーンの認識が進むという反比例なような現象が起きた。
では、そのゾーンはどこにある?
ゾーンは探しに行くものではなくて、今もあるしいつもある。
あなたは既にそこにいる。
あなたの隣にあるものではなくて、重なっているのでいつも同時にある。
あなたが感じている現実とそれは案外解離しておらず連動していたりする。
参考の書籍には相似形についても触れられていましたが、これについては私も過去に書いています。
身近な事例「ご縁」
縁というものは、そういったゾーン(今の私の立ち位置から見た時に、なんだかこの領域をバックヤードのようにも感じるが)のなかでいろんなパターンや変化のあったものが現実に現れるのだろうと思うに至った。毎分毎秒、着々と無数のパターンの過去、現在、未来(時間が無いのなら過去・現在・未来ですらないことになる)など多次元が形成されており、私たちが選択しなかったものは認識化・視覚化できないが、ゾーンの中にはある。
ヒョイっとした瞬間にそれ(選ばなかったものや裏方作業の進行)が見えることがある。舞台裏がちょっと覗けちゃったみたいな感じで。
だから、嫌な想いをする相手はあなたが選んだ。
だから、素敵な思いをする相手はあなたが選んだ。
これは確かに一理あるわ。と思えたし、それがバックヤード(ゾーン)で処理されて現実に「見える化」するんだな~と体感した時があった。
そう、ある時期、過去最高に(なるほど! バックヤードでこういったことが行われているんだ! (◎_◎) )と隙間どころか、そこに参加して、バックヤードの作業経過が見えちゃった(ように感じた)ことが続いたときに「大きな仕組み」の可動の仕方を感じた。
その「大きな仕組み」を動かすコツがあるのかどうかまでは知らないし、そのコツも知りたいとも思っていない。私の勝手な信念として、こういったことは無欲が一番だと思っているからだろう。
ただ、超スペシャル恩寵だという自覚はあるので、とても感謝をしている。
こういったスペシャル恩寵も私の体感覚をBOOSTしてくれる存在・ご縁の恩恵によるという事も理解できた。独りでは起こらないことも、2人ならいとも簡単に完了するということがある。そういったご縁がある。
そういったこともゾーン(バックヤード)で幾種類もパターンが形成され、どんな結果が欲しいか?という意識(無意識)が影響しているようだ。
だから、心理的逆転や自己矛盾はマメに解消しておくといい。個人セッションでも良いし、私がお伝えしているセルフケアではそれも含めてお伝えしている。
望んでいるのにそれが遠ざかる場合、1つの理由はおそらくこの辺りの逆転や矛盾が関係しているんだという舞台裏を見せて貰った気がしたし、選ばれなくたって、何も観えなくたって、ただシンプルに生きていれば良いんだなって思った。ストレスケアをマメにして、朗らかに生きていたら良いんだなって。
しいて言うのなら、それに囚われていないことが「純度」を上げるコツなのかもしれないと今の私は思っている。
こういった事が、参考図書のなかで量子論として紹介されていた。
ゾーンには無限大のバリエーションがあるので、固執すること自体が無意味だ。今はそう思う。
ですから、潜在意識だけじゃなくて、顕在意識もとても大切で、精神活動も大切。本能のまま、感情のまま、興味のまま進むのがベストとは今は余り思っていない。あるがままを観るというある種の洞察は忘れない方が良いと思っています。
これらの体感(体験?)と、私が施術中に感じることがある(ウチは宇宙診療所か?(笑))と思うあの脳内映像もゾーンの一部だなというのは現在のところの結論です。
だから、(よし、ゾーンについてコラムを書こう!)としていた時に今回ご紹介する書籍を読んでビックリ。非常に似たことが書いてある。書籍の中はUFOに関したことが取り上げられているんですが、それはそれで宇宙診療所感と通じるところがあったりした。
宇宙診療所 -サイト「こすも」より
結局今の私がゾーンを感じるのはBOOST機能のオマケのようだ
私の役割らしきものの1つ
私一人ではあまり意味がなく、BOOSTする場があって初めて私の能力のようなものがお役に立つ。
クンダリーニ3 -サイト「こすも」より
ご本人の才能や能力が伸びる、目覚めるお手伝いが出来ている瞬間があるとしたらこんな嬉しいことはない。
統合のサポート
統合の意味合いも何層もあり、この辺りを丁寧に取り組むことを「バランス調整する」ともいうのですよね。
「法則を超えた法則がある」という一文が書籍にあったように思いますが、そういったことがあっても良いし、無くても良いと思いつつ、私はやっぱりあるような気がしています。
今後のわたくし
この手のことを私は今後も何の義務もなくてもサイの角ように歩いて、そして書いていくのだと思います。
サイの角のことわざように孤独に歩くのともちょっと違って、あっちこっちでユンタクしながら、ご縁のあるかたからBOOSTされつつ、しつつで良いかなと思っています。サイの角歩きも何名が集まれば孤独感もまた感じ方がかわることもあるようなので、笑いながら、愛情あるサイの角歩きをしていきたいと考えています。
参考図書
今回の参考図書は「マアジナル」 田口ランディ著です。
(2020/03/16)
ご予約