感動していないと落ちこぼれているように感じますか?

キラキラしていない自分は嫌いですか?

今回は、感動依存、感動中毒について書いていきます。

なにかするたびに感動が欲しいという心理。依存症、中毒の所以は、「何かするたびに」というところです。「あの感覚をまた味わいたい」という習慣性です。感動という刺激依存、中毒だと考えられます。

独りで趣味のように感動を求めていたら、とりたててなんということは無いのかも知れないと、思っていましたが、ふと、きっとそれはモチベーションにも繋がっているだろうと気がつきました。

 

日常生活には淡々とした時間も、粛々とした時間もひたすら我慢だ。などという時間があってその最中にはさして感動的なことがないことも多いです。

感動依存、中毒の方は感動がないからそういった作業的なものなどは続けることが難しいわけです。

キラキラとした感動の無いことは刺激がないからつまらないし、モチベーションの火が消えるのも早い。人の目を気にしなくていい、義務だと責められないものなどはてき面ではないかと思います。精神の成熟とは様々な要因が関係しますが、キラキラとしたヒロインな自分しか認められないというのは成熟への道途中ではないかなと思う次第です。

一見 単なる趣味嗜好にも思えますが、こういったことの積み重ねが心を消耗させる一面はあると思います。

毎回 何事かにつけ 感動したい!と期待をつづけ、それが叶わないこともつづく。「私の人生のドラマティックはいつ どこにあるの?????」と旅に出そうです。

 

他の依存や中毒同様、満たされない心を感動で埋めたいわけでしょう。

感動という言葉は美しい響きがあるので、感動を求めることは 佳き事 というような免罪符もひっそりと持っていたりします。

感動することも、感動を求めることも佳き事と思いますが、それが自分の存在価値になったり、存在価値のアピールだったりするとおそらく厄介になってきます。

なにがなんでも 感動を捻出しなくてはいけなくなるからです。それは自分の存在価値の証明のために。

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お姫様、王子様の自分しかいらない?

リア充

「リア充」という言葉を ちょっと皮肉に使われるケースがあります。一生懸命にアピールして「無理しちゃって 😕 」 というニュアンスを含んでいるように思いますが、この感動依存、中毒は「リア充」に含まれている1つの心理だろうと思います。

それが自然でないのなら、皮肉なことに、感動を求めるあまり感情が安定しにくくなることでしょう。

それを自分以外に求めている場合は 周りは疲れますね。あなたがそれを求めているお相手、環境がおとぎの国の魔法が使える王子様(お姫様)じゃないと そうそう期待に沿えませんし、そんなに感動を求められても困る・・・・と困惑するような気がします。

 

これは生来の性分の場合もあると思っています。治すとか治さないとかではなくて。ロマンティックなタイプということになりますか?

誰にでも このような要素はあるんだと思っていますが事あるごとに 感動 感動 と期待し、探しているのは1つの人格の特徴になるかなと思っています。そして、もっと もっとと感動欲求は肥大していくのでしょうか?

感動って内側から自然に湧く感情だと私は思っていますが、感動を「探すものに分類されていませんか?」

 

私は興味のあるものは見たい! と思いますし、それが足を運ぶものなら行きますが、来たからには感動しなくちゃ! ということは多分ないかな。時には、あれ? 拍子抜けだなってことありますもんね。

多分、何事かにつけて意味づけし過ぎて、「ただある。」だけでは気が済まなくなっちゃうのでしょう。少しでもなにかしたらそれ相応のリターンが必ずほしいというのは・・・・それは強欲なのかなんなのか?

そんなにチカラが入っていたら、益々感動しずらくなりそうですね。

刺激に慣れてきて、当たり前の生活で欲しい感動が得られなくなるという難しい領域まであっという間に到達しますよ。そうなると当たり前の日常が非常につらく感じないかな?

精神科医が青い鳥症候群という言葉を提唱したそうですが、探し続けるという意味では 感動中毒や感動依存もいわんとしているところは似ています。

 

それは結局自分に条件付けをしているのですね。

  • 感動する感性がある自分が好き。
  • 毎日感動する日々を送る自分は好き。
  • キラキラしている自分が好き。

ただ存在している自分が好き。で良いと思うんですがどうでしょうか?

  • 誰も見ていなくても評価がなくても黙々と作業している自分が好き。
  • 毎日粛々と平常心で過ごしている自分が好き。
  • 瓶底眼鏡のすっぴんでスーパーに買い物に行く自分の勇気が好き。(私のことですね。失礼しました)

 

多分 条件を満たしていない自分が嫌い。な方は、そのような価値観を育む環境に居たのだと思います。私もそうでした。

なかなか 丸裸の自分が好きなんて そんな根拠ないし! と思っていましたが、そんな私にも 自分以外の何かに根拠がなくても ただ単純に好きなことがあったんですね。

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条件がなくても好きなものがあるなら

条件がなくても好きなものがあるなら、自分にもその考え方を適用したらいいのですね。

例えば 犬です。 (私は庭のある家で犬を飼いたいと願っていますが今は集合住宅です)子供の頃から好きです。居て当たり前の家族として。物覚えが早い犬も遅い犬もいましたが、飼ってきた歴代の犬は好きでした。

ここで、犬は可愛いよね、純粋でひたむきで。の場合、「それに引き換え 人間は・・・・」という事を考えているならば、嘘つきで裏切る人間が嫌い。などが隠れている場合があります。(よく聞きますからきっとこういった方は多いのでしょうね。私もそうでしたよ) これを顕微鏡で じーーーーっと細かく見ていくと、驚くことなかれ「嘘つきで裏切った自分」「誰かの何かを嘘つきで裏切ったと今でも許していない自分(でも多くは嘘つきで裏切った自分のケースが多いと思います)」が出てきます。

それを許すまでは 丸ごとの自分は好きになりづらい。

 

こんなことがいろいろ積み重なると、満たされない心を何かで埋めなきゃ! と執着がおきます。今回のケースで言えば「感動しなくちゃ!」と執着が起きるのだと考えています。

 

そこが、心の結び目を解く鍵になるのではないでしょうか?

そして、ここには「共依存」というキーワードが隠れているようです。各種依存症・中毒を分けて書いてきましたが、1つのまとめとして「共依存」の記事を書きます。そちらもどうぞご一読くださいませ。

感性って目に見えませんね。感性にもいろいろな側面があります。

本当に人間の心理は奥深いものです。どうぞ 心の結び目をほどきに心体カウンセラー™ 武田美紀/カウンセリング沖縄へお越しください。

キラキラを求める。の例が載っていました。


モンスターマザー―世界は「わたし」でまわっている (光文社知恵の森文庫)

共依存とはどういう事だろう? キラキラした自分のアピールとは? 感動していないと不安なのは? ということが理解しやすいと思います。

 

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沖縄と名古屋でキネシオロジー・深層リンパドレナージュなら

沖縄と名古屋で活動している心体カウンセラー武田美紀では、各種キネシオロジー、深層リンパドレナージュ、フェイシャルキネシオロジー、ハンドタッチにより愛着問題や依存、共依存についてサポートする心体カウンセリングをおこなっています。深層心理や体の仕組み・根底に働きかけることで日々暮らしやすくなることを提唱しています。体調を何度も崩してしまうと気持ちも弱くなり、うつ症状、強迫性障害、パニック障害など精神的な面にも体の痛みとしても色々な場所に影響が出てしまいます。愛着問題や依存、共依存からの回復、ダメージからの治癒力の喚起などにも心体カウンセリングをご利用頂けます。沖縄や名古屋で人お悩みを抱えている方は、一人で問題を抱えこむのではなく心体カウンセラー武田美紀にお気軽にご相談ください。