「時間」や「言葉」という概念の影響
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「時間」や「言葉」という概念の影響
最初に余談
前回のコラムでシェアした動画の中で映画「インターステラー」がサラッと登場していた。
どんな映画か?と確かめるために観てみたら、以前に視聴したことがあったことを思い出した。
この中で、ブラックホールの中に入り、多次元並行宇宙空間へ入るというシーンがあるんです。このシーンは(こういう映像があったなぁ)と全然スルーしていたのですが、気になっていたのは、劇中に使われていた「高次」という言葉でした。
私はスピリチュアルに傾倒しているの?と感じる時に、時々耳にする「高次」という言葉が全然ピンと来なくて、正直(ナニソレ?)と思う事がほとんどだった。
今はヒトの好き好きだと思えるが、以前は(高次? どうしてそう思ったの? その理由は例えばどんな?)と、「高次」という言葉に反応を起こしていた。
その言葉を日本語吹き替え版のセリフで耳にして、そのシーンを見た時に、(この映画の中では「高次」ってどういう意味で使われているんだろう?)とネット検索して出てきたのが次の文献でした。
研究レポート?「高次元ワールド」
https://www.nagano-c.ed.jp/seiho/intro/risuka/kadaikenq/paper/2007/2007-09.pdf
文献の中に、前回のコラムを書く際に私が比喩というか、例えに使った言葉が使われていて驚いた。しかし、そのお陰で、科学、物理について専門用語で書けない私が書いたコラムの内容が皆様にも理解しやすくなるのではないだろうか?そして、書いた私もお陰様で数段利口になった気がする。(気のせいか?)
身を乗り出して文献?レポ―ト?を読んだ箇所
- 「点」とは0次元。というのも、私には(そうなんだ!)と今までで最高に理解できた気がした。書籍「嫌われる勇気」の中で「点」と書かれていたこととも関連性があると思えましたし、私の理解も大きく外れていないんじゃないかと思えた。
- 「自由度」という表記も私には良かった。心理・精神的にも、視点が幾つかあると「自由度」が高そうだと思うから。
- この研究文を書かれた方の理解の進み方が、以前私が(そうなんだ!)と思った道筋と似ている気がしたところ。
- 私がしっくりくるとコラムに書いている「電磁波」も登場した。「電磁気力」というそうです。
- 私が用いた比喩の「影」という言葉がレポートに登場したときは、ちょっと鳥肌がたった。その「影」の意味するところは、私が使った「影」という意味とは逆?なのかもしれないが、しかしやはり「影」でもあると思えてなりません。
自分について分かったこと
どうやら今までは「上下関係」「優劣も含まれた」という意味で使われているんだよね?それって。と私が勝手に感じた「高次」という言葉に反応していたようだ。
それが擬人化されて、神≒(ニアリーイコール、または イコール)高次みたく使われていることに反応していた。理由は分からないが、神とは言わずに、高次の存在と言いたいだけでは?と勝手に臍を曲げていた。理由を挙げると、それは私がバカだからだ。馬鹿だよね。気がついて良かった。
多分それが、私が感じている「並行宇宙」には無い観念だったので、勝手に「違うよね?」とジャッジしていたんだ。
今回の研究レポートを読んで、単なる理論というか、事象が「高次」という方向性で私は一旦理解すると決めることにしました。擬人化する時は私の場合は「存在」という大きな括りにさせて頂く。そして、その存在は上下、優劣というよりも「一緒に」という感覚があると既に書いています。
私がこれまでも何度も自覚してきた、「言葉」の理解、ある意味での「言葉の概念」、正しさ、にまたまた囚われていたのだということが理解できた。おそらくこの辺りは、私の脳のクセが発動しやすいところなんですよね。
時間と同じように、「言葉」の概念にも影響を受けているという説でした
上の項には私が「高次」という言葉の概念に囚われている具体例を書きましたが、前回ご紹介した動画の中では、私たちは「言葉」の概念にも大きな影響を受けているという事でした。
時間(過去、現在、未来)を現わす意味の「言葉」を利用している時点で、時間の概念に囚われるという分かりやすい解説でしたね。
言葉の説明の時でしたっけ? 今西進化論のお話しの時でしたっけ?
「自由意志は幻想である」という言葉も印象的でした。
次元心理学、量子心理学っぽくなってきましたね
自覚の有無にかかわらず、概念などが精神・心理とどうかかわっているのか?などを考えていくと、またまた次元や量子的な理論を持ち出したくなりました。
それも当たり前です。
私たちには身体がある。
今、ふと、思考を生み出す脳は電気を帯びている(発電している)のはそのようですが、思考により発生した実体のない「思考」は帯電しているのでしょうか?
意識は電気を帯びているのか?
他者に波及するということは、やはり、目に見えない「思考」も電気を帯びているような気がします。
電気生物が、電気を発しながら、電波を発信している。そしてそれを個体間でやりとりしている。
これはもう充分 エイリアンですな。
下のコラムに
私が「脳コチョコチョ」と書いてきた事についてコラムに書く予定ですが、これもセミ・フィールド理論が成り立つのなら全然トンデモ話じゃなくて、アルアル話ですけど。(笑)
と書いたことも、よくよく考えたら、エイリアンですな。
昔なら(この人ヤバいこと言ってない?)と思えたこんな文章が、今は(そりゃそうだ)と思えるほどに変わりました。(笑)
この仕組みが本当でも嘘でも、これを知るや否や 「あっ!そう!? 悩むなんて無駄じゃん!」 と思える方も時々いらっしゃるみたい。
それならそれでOKです。
これと今の悩みがどんな関係が?と感じる多くの方は、やはり具体的、現実に沿った対処法や視点が必要だと思われます。
思考が電気質なら磁場にも影響をうける
その時に、自己分析のつもりが、理由付け、意味づけになってしまっていないかを確認することもおススメしています。
意味づけや理由付けは、とある方面からみると、その意味づけや理由付けという磁場に引き込まれているという見方もできますね。
あらゆる方向で磁場が発生しているという前提に立つと
- 磁場に囚われている ー わからない
- 磁場から解放される ー 今までわかっていなかった。ということに気づく
こんなことも言えるでしょうか?
ナニカが分かった後に初めて、あぁ私は分かっていなかったんだな。と気がつきますよね。
その概念に魅了されているとも言えますか? 魅了というか、囚われというか。(善悪や良し悪しについてではありません)
「無意識」という概念に囚われているのか?
精神や心理を、次元とか、量子を組み入れて考えると、「無意識」という概念をテーブルの上に置いて、「これは? これについてはどうするの?」という反応が起きたりする。私は答えを知らないので申し訳ないのですが、それを理由付けや意味づけにしていることもあるでしょうね。
私はヒトによって脳のクセがあると思っています。そう思うのは、自分の傾向について自覚する部分があるからです。それらを認知することで習慣や行動を変えていくことも出来ることもありますが、出来ないこともある。
一言では言い切れないことは多く、判断できないことも多い。それらも内包しての人生ですね。
もう少し自分の心の深みを見て、見えてきたものに気づいて「痛い!」と思ったりしますが、こういった体験も大切な時がありますよ。
理由付け、意味づけで終わっていると、行動修正・行動変容までなかなか進まないことが多いようですが、「今より先」を捉える視点を是非考えてみてください。
そろそろ自分に向き合ってみようかな?と思った方へ
どうぞ、あなたのその具体的なストレス、悩みを話にいらしてください。
一緒に対策を考えましょう。
疲れている方は、どうぞ心体を休ませにいらしてください。
ご相談受付について
現在のところ、2021年9月はスケジュール調整について今の段階でははっきりしていないため、一旦closeにしています。
随時スケジュールを更新して参ります。
終わりの余談
余談ばっかりで申し訳ありません。
前回のコラムで、次回に書くというようなことを宣告してしまったので、「シュレディンガーの猫」について。
シュレディンガーの猫
私が既にこの科学用語らしい言語を知っていたわけもなく、矛盾とか、パラドックスの意味で使える画像がないかな~?とフリー画像サイトで検索したら現れたのがこの画像。
ナニコノ猫? と説明文を読んだら、シュレディンガーの猫とのこと。
おもろいからコレ使わせてもらおーっという簡単な経緯で使った言葉でしたが、参考動画の中にも登場したので、科学素人はワクワクしました。偶然の重なりぶりが相変わらずスンバラシイ!と一人悦に入ったというお話でした。
定点を維持するのは至難の業?
前回「時間の概念に囚われている事が無意識だ」と書きました。その概念の理解にも段階も深さもありそうです。
概念の囚われが多い方は、(前回、今回風味に言い換えると)煩悩や我、自我、欲と仲良しという事になるの?でしょうか? あっちもこっちも繋がってますね。
概念から一時解放されて、並行世界を垣間見た(ような気持になる)事があっても、それは「点」だから、その先もその「点」と同じ状態とは限りません。
例えば引き寄せとか、占いとか、前世、有名になりたいなどの概念に囚われているとこれまた「時間」からは解放されない。時間から解放されたその並行世界を見たのは一瞬でしかないから。記憶はあるが、意識も肉体も時間の流れの中にいる。
しかし、「並行世界を知っている私」という要素が今度は自我肥大を起こしたりすることが考えられて、これまた案外厄介だったりする。いや、別に自己肥大を起こそうがどうだろうが、それがその方の人生の楽しみ方かもしれないから厄介とも言い切れないよね。生きているだけでOKだし。
囚われていないように見える方々
私がお会いするクライアントさん達には、並行世界を見たような気持になっても、普通の生活を淡々と送られている方が多い。そして、全然フワッとしないし、ブレない。私がお会いした時に既にそうだったし、バランス調整を終わった後、お帰りになる時もそうだし、しばらくお会いしなくてもお変わりないだろう。
そもそも、悩みのご相談と言うよりも、
- リラクゼーション&その後のユンタク
- 誰かとその先の方向性を対話して、自分の考えをまとめたい
と言った感じでご予約頂く。
お勤めして、お子さんやお孫さんと関わって、(あらまた不思議な事があったわ)と淡々と生活されていて、特に解脱や悟りは目指されていないが、その方の中には信じているナニカがある。
教えや法則を説く側に回るつもりがない方が、それらを説いている方よりも概念から解放されているってことありますね。
補助線0(ゼロ)に居ることに慣れているのか、補助線0(ゼロ)に戻る習慣があるように思える。
地に足をつけて、一瞬一瞬を生きていらっしゃるのかもしれません。
(2021/08/26)
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