他者との「境界線」と「課題の分離」についてー2
「境界線」と「課題の分離」に順序がある?
前回のコラムの続きです。今回は短いです。
「境界線」と「課題の分離」を考察してみました
「境界線」が一度気になり始めると、もうやたら気になって、もはやストレスの域に達する方もいるのかもしれないが、順序としては、「課題の分離」が先だと境界線について捉えやすくなるのではないだろうか?と今は考えている。
境界線を思念、思考だけで理解しようしても、人間関係は数限りなくあるので(じゃあこのケースは?)(じゃあこのケースは?)(じゃあこのケースは?)と1つ1つ考え始めてキリがない。
すると、今度は何を見ても「あれは境界線が問題なんだな」と思うようになるかもしれないし、その「あれは境界線が問題なんだな」は、知識をもとに目に見えている事象の表層に分かりやすいレッテルを貼るだけに終ってしまう。(ような気がする)
それは、そのレッテルを貼っているご本人も「課題の分離ってナニ?」という状態だからなのかもしれない。
そういう意味では、書籍「嫌われる勇気」に書いてある「課題の分離」は大切な基本に使えると思える。
「見守る」について
また、成長を見守る。って言い方は綺麗だけど、
- 関わると面倒だ
- 指摘したり嫌な事を言うのは疲れる
- 指摘したり嫌な事を言う自分が(格好悪くて)嫌いになりそうだからしない
などの本音があるのか?ないのか?こそ大切だったりする。
成長を見守るのが、
- 今のその方を受け入れているのか、
- 将来自分好みに成長するのかどうかを観察している(試している)
この2つは全然違いますでしょ?
信頼して、そして見守っているのと、どれどれどこまで気がつくかな?と試しているような感覚は違うもの。
その方の成長や気付き力を試すくらいなら、一言「〇〇なんじゃない?」と声をかける方が余程優しいというケースもあるんじゃないだろうか?
友達同士で勉強の解らない所を教え合う時みたいに、「その問題は、こう考えると解けるよ!」という感じです。
自分で気がつくまで気がつくような(ヒント)ことはナニもしてはいけないというのは、誰が決めたことでしょうか? 勿論ケースバイケースですからこの辺りは難しいかも知れませんね。
正解は知らないが、書籍を手にして、「タテとヨコ」って読むのは簡単だけど生活レベルに落とし込むってなかなかハードルが高いというか、なんというか。
こういった理由から、タテ方向から見ているのか、ヨコ方向からみているのかってことが書籍には書いてあったと思う。だから、見守っているつもりの側にも「課題の分離」に取り組んでも良い事柄はあると思えるんですね。
人間は一緒だと思いますよ。本当にそう思う。
海の一滴、と表現されているのを聞いたことがある。
雲の水蒸気の一粒でも同じだろう。
地球上の水分の一滴でも良い。
一緒に世界を構成している。
私個人も、(なんだか 人間的成長は大切なんじゃないか!? と頑張ったつもりの割には大したことにならないもんだな~)と思いますが、この大したことがないってことを知ることも人生は大切で、その大したことがないことを受け入れたり、愛したりすることも大切で、そういった事を実感すると過剰な投影もしなくて済むようになるし、それらに反応し過ぎて疲弊することも減るし、理想とは異なる社会も受け入れることができるようになるような気がしている。
こういったことを今は、一旦のまとめとしています。
補足
このコラムに、他者信頼と「人物」について書きました。
補足をしますが、「人物」と付き合っているとかそういう関係ではありません。
It's not like we are dating. って英語で合ってるかしら?
正しい英語は、We are not dating. なのかしら?
全然お会いしていません。
私も人生初めてなのですが、時間が経ったらこの感覚は変わるのかな? 打ち上げ花火みたいに バーン と衝撃が走って消えていくのかな? とすら想像もしなかった。なぜなら、一緒にいなくても「一緒」感が増したからです。
そして、何の保証もなくても、年数が経っても、全然変わらないです。年数が経つ間に、いろいろな感覚を得たのですが、信頼感は変わらずあるし、「一緒に」という安定感も同じです。私だけの感覚なのでその「人物」がどう感じているのかわかりませんが、特に確認したことはありません。
今のように在る事に感謝しています。今のように居られることに感謝しています。
それは、安心感が伴っているからです。
先のことはわからない
キネシオロジーの先輩のトーマさんが急逝されました。
ほんのつい最近まで日本のアチコチに行かれてセミナーを開いたり、懇親会をされて人生を楽しまれていました。
残念です。
生前、貴重なご意見を聞かせて下さったこともあり、大変感謝しています。
私はコラムにもブログにも先のことはわからないと度々書いていますが、本当にそうです。
あなたも私も、人生の一日を大切にしたいですね。
トーマさんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみを申し上げます。
(2021/08/20)