イメージを実在化する。私風「引き寄せの法則」の納得のいく解釈。
Contents
「引き寄せの法則」を検証してみた
まえがき
以前から「法則」や「教え」とネーミングされているたあらゆる「思想」について、鵜呑みするより検証してみては?という御提案をしてきたつもりだ。
私はこういったご提案をしてきたつもりだがコラムを読んで下さっている皆様に伝わっているだろうか?
ブログの方には、本日のコラムの予告を書いていますが、ブログの中にリンクを貼った養老孟司先生のお話も素敵なので、是非ご一読ください。
こういう事を書きながら、私自身も「法則」や「教え」とネーミングされている「思想」を鵜呑みにしていることがあるとは思っている。余りに信じすぎると自分が考えたことと他者の考えたことの境界線があいまいになるものだし、教育はその仕組みを利用して構築されていくのだろうから、これらを知った後の良いも悪いもある意味自分次第だろう。
さて、「イメージを具現化」というものを解剖してみよう
今日はイメージを実在化、具現化すると言う、ある時は引き寄せと呼ぶ方も多い状態を、嘘でも無いが、かといって、取らぬ狸の皮算用的な飾り立てもし過ぎないことの大切さ的な事を書いてみたい。
今回もあらかじめ書いておくと、なにをどう感じて、信じないのも信じるのも各自の自由です。
具現化という言葉の虜になる
引き寄せ的には
より具体的にイメージすると引き寄せられるという説がある。
確かにその通りになる事だってあるだろう。
しかし、そうならない事もある。
この、そうはならない時に多くの人は
「私のやり方が不味い」
「スキルが足りない」
と、テクニックの追求ルートを進むことが多い。
法則をより達者に使える、操れる、コントロールできる様になれば鬼に金棒だものね。
そうか!雑念がマズいんだな! と瞑想世界へ入って行かれる方も多いようだ。
それが高じて悟りへの渇望とステップアップされていくケースもあるだろう。
そうして、欲望に薪がくべられる。
引き寄せの法則という名前の「欲望」
引き寄せたい。ということは、引き寄せたい物に対する欲望があるのだが、
私が面白いな~と思ったのは、私には欲望がある。ということは格好悪いが、「引き寄せの法則を使う」と言うのは涼しい顔で言える。というか、かえって「こういう法則を使いこなせる」となるとなんだかハクがつくような錯覚にも陥る。それは「潜在意識を活用」ということも似た傾向があるのかもしれない。
下手したらこれに信仰的なものを絡めて「あたえる」と言うような事を考える方もいらっしゃるのかもしれない。
あくまでこれらは、一面にある。という程度のことですが、いつの間にが見えなくなってしまった出発点の「欲望」のことを自己認識できる方はどの位いらっしゃるだろうか?
しかし、その欲望について対応策を考えたり、目の前の事にしっかり取り組むのが馬鹿馬鹿しくなってくることだってあるだろう。
自分のその欲望について考えてみることも遠くなるだろう。
この引き寄せテクニックさえ手中にしたら、そんな努力などする必要もないし、
気に入らないことなど「想い」「イメージ」一つで引き寄ってこない筈だ。
嫌なことがあったり、思い通りにいかないのは引き寄せのテクニックが上手く使えてないせいだと考える様になる。または、これは私が「引き寄せた」と思う。原因や対応策などが吹っ飛んで、全てが「引き寄せ」という回答になっていくこともあるようだ。
その際に、うっかり期待に沿わない引き寄せをうっかりしちゃわないように、心体の根底に不安や恐怖が無い方がいいと言う論法で 瞑想や悟りへの新たなゲートが開く方も少なく無いようだ。
具現化という言葉が欲望色に染まる
潜在意識至上主義というか、
潜在意識陶酔型というか
その奥底に、楽に救われたいという切望に似たものを感じる時がある。その楽なテクニックがあるのなら教えてくれ!という心の叫びなのかもしれない。(楽になりたいという意味ではなくて、努力なく救われたいという意味です)
この世の中の真実を知りたい。
真実を使いこなしたい。と、自分のことはさておいて、情報や知識を求めて意識は外へ外へと向いていく。
(医学的な意味とは異なるが)1つの解離ということも起こすだろう。
また、外へ外へ意識が向いて、置き去りになった自分のエゴが しばらく会っていない親戚の子が驚くほど大きくなっているのと似て、すっかり肥大しているということもあるようだ。
法則や真実を手中にしたらなんでも願いは叶うのだ。
そりゃあ一世を風靡する法則だよね。納得である。
ヒトに欲望があるのは当たり前だけど、自分にあるのは認めにくい。そこは美しい言葉で修飾したい。欲ではなく法則や真実を知りたいという研究心・探求心・好奇心だと変換していた方が楽だろう。
しかし、私は次のこんな一文を目にした時に、この思想の継ぎ目が見えた気がした。この一文の前半など、もう何度目にしたのかわからない位頻繁に目にしていた時期があったのに、継ぎ目が見えた(ような気がした)のは今回が初めてだった。
※「引き寄せの法則」好きな方はここまで読んでいて(途中で ふん!面白くない!もう読まない! と思われていることも想像できるが)気が滅入る方もいらっしゃるかも知れない。が、この先にもう少し系統の違う事も書く予定です。私の書く文章にアレルギーが起こる方はどうぞ読むのをやめてください。アレルギーを起こしてまで読むことは無いと思います。
具現化とは?
著者と、私の言葉の意図が同じなのかどうかはわかりませんが、少なくとも私は、以前にも読んでいたこの本の中のこの言葉を目にした時に、(そうか、私が感じていた違和感の正体はコレか。)とその隙間が見えた。
イマジネーションは非現実を実現化させる力です。
だからモノリスは実在であって、非現実なのです。神と同じです。ー「マアジナル」 田口ランディ著
解説をしていこう
例を挙げると、私は新しい家に引っ越すことを考えると超ワクワクすると書いた。
この時、何かをイメージしてワクワクしているわけですが、私の場合は
- 部屋のレイアウト、インテリア
- 台所の広さ、使い勝手
- 今の家とは異なるお風呂場とトイレ
- ベランダ、窓から見える四季の風景、聞こえる音
- マンションのエントランス
- 一軒家の庭、玄関
- あぁ~やっぱり引っ越してきて良かったな~というしみじみした思い
などがあります。
私は元々空想の世界で遊ぶことだって得意なので、空想・イメージしてワクワクした。
ちょっとイラストを用いて説明してみたい。
そして、これが既に「実現化」なのである。
「えっ? まだ今の家に住んでいるんでしょ?」 ということも事実であるが、潜在意識至上主義の方が度々おっしゃるではありませんか、「脳は現実と空想・イメージの区別がつかない」と。
だから、この私の理想をイメージした空想上のマンションA、Bも一戸建てCも
空想・イメージしてワクワクした。
この時点で「実現化済み」ということになるんである。
おそらく、
えっ? まだ今の家に住んでいるんでしょ?
と思われた方は、「手に入ること」と、「実現化」を勝手に一体化させているだけであろう。
具現化、実現化の拡大解釈というか、欲望化である。いや、欲望化というよりも、言語のご都合主義的解釈ということになる。
念のため補足しておくが、それが実際に現実になることもある。私が将来イメージ通りの家、もしくはそれ以上の家に引っ越しをしたらば、それは「とある意味の現実化」ではあるが、イメージした時点でも十分、立派に「現実化」は叶っているという理屈だ。
多次元も引用しよう
A.多次元と言う視点を足したら理解しやすくなる
また別の話を次回のコラムに書くが、「引き寄せの法則」という一次元的な考え方だけでは、法則が叶った、叶わない。という証明は出来ないんだと思う。
それを漏れるケースの無い、例外のない法則にまで昇華させるには
イメージした時点でそれも「具現化」「実現化」という考え方をより一層理解するためにも、「多次元」と言うエッセンスと加えると分かりやすくなるだろう。
ここで、参考にして頂きたいのは次でご紹介する過去に書いたコラムの内容です。
B.みんな既に多次元を体験している
私は下に書いた事実に気がついた時に、大発見だと思った。
私って凄い!と自画自賛した。(笑)
私の場合、現在ハードルは低く設定しているので、自分を褒めることも得意である。
五次元?六次元?それ以上の多次元?について諸説解説もあるし、理論もあるけど、「じゃあそれってどんなこと?」というイメージがわかないことにはただの理論だし、小難しい机上の空論としか感じない。私が過去書いてきたコラムの中にもそんな文章が沢山あるが、これはメガヒットというか、人生でかなり上位にランクされる気づきだと思っています。
だから、情報や知識や理論に夢中になっても、本質のようなものを感じるのとはまた別だろうと思っています。
(と、1つのことから、途端にすべて分かったつもりになったような事を書く辺りが私自身の小物感、人間らしさが噴出しておりますな。(笑))
AとBをMIXして解釈してみる
また1つの例を挙げてみます。
そうですね、何が良いかな。
繋がりが良いので、「武田の引っ越し」にしてみましょうか。
またつたないイラストを差し込んでみる。
次元と言うのは多次元であり、既にイメージした時点で叶っているのは、その多次元下という考え方をすると一層理解しやすいのではないだろうか?
だから、この私の理想をイメージした空想上のマンションA、Bも一戸建てCも
それぞれ次元D、C、Bで叶っている。叶い済み。具現化済み。
もちろん、
えっ? まだ今の家に住んでいるんでしょ?
も次元Aで叶い済み。
それを「現実」で手中にした方は、具現化・実在化が次元Aでされたのだろうし、イメージしたのに叶わなかったとお嘆きのあなたは実は次元BCDE・・・・で叶っているわけである。あくまで、潜在意識、脳はイメージと現実の区別がつかないという説に乗っとるならば。
ここまで書いてきてふと思ったのは、その具現化を次元A(それは 今 此処 という意味になるのだろうか?)で行いたい場合は、次元Aで具現化するべく「行動」「働きかけ」が必要なのかもしれない。自分が思い込んでいる具現化するべく行動ではなくて、具現化するための正しい方法を選択をするという事とも言えそうだ。そして楽したい方には残念なお知らせになるのかもしれないが、具現化するための方法の中には「泥臭い継続行動」ということも選ばざるを得ないケースがあるやもしれません。
あーーー長年の違和感が一旦解消され、清涼感を感じる風が吹きまくりである。
後年、この文章を読んで「理論が穴ぼこだらけで矛盾し過ぎだぜ」と思う日が来るのかもしれないが、今の私はこの気づきに小躍りしている(笑)
思い込みの継ぎ目をグイっと広げて中身を観たような気がしている。
とっくに気がついている人は他にもいる
今回の記事に書いたことを、どうやら同じことをお気づきの方もいらっしゃるようだし、解説されている方もいらっしゃるようだが、既存の「引き寄せの法則論」が固定観念になり過ぎて、受け手がそれを受容するお皿がないので聞いたはなから、読んだはなからこぼれているんだという事に気がついたことが今日のコラムを書こうと思った発端でした。
ですから、上の「脳内は多次元じゃん」というひらめきと言うか、気づきと比べると、状態としては一段低い感じですが、
はるか昔、10年以上前に因果応報とは異なって「引き寄せの法則」と紹介されている思想を知ったその後、理由は説明できないけど「違和感」を持つようになり、使いこなすことに意識を向けるよりも、先ずはその法則を使おうとか、知りたいという意識の方をやめた。
私がなぜ違和感を持つようになったのかは、その時々の感じ方はあったけれども、現象を語るだけで明確に腑に落ちるところまで行ってなかった。
今回このコラムを書こうとした時にワクワクしたのは、単に個人的にスッキリと(全解説とはいかないまでも)自分の違和感の出所が理解できたからです。
そして、また、今回、私は自分が「ひらめく」「気づく」時に脳内で何が起こっているのか? も体感することができたので、次回のコラムでご紹介します。
脳内シナプスが繋がって、(あぁ!そうか!)とその脳内活動がちょっとクッキリした。
今回や、通常の私が感じる「ひらめく」「気づく」というこれらは、自己発生(内部対話)の思い込み系やスピリチュアル系のひらめきではなくて、データの集積によるものです。
今回書いた「引き寄せの法則」私風理解(解説)論や、私の通常の「ひらめく」「気づく」という感覚などは対したことではなく、皆がやっていることかも知れないが、それを体感として捉えている方は少ないかもしれないなぁという意味で次回のコラムを書いてみたい。
もう一度書くと、
今回のコラムは、今まで自分が考えてきた事、書いてきた事が土台に在り、それらの一部分が連結する一瞬が訪れたから書けたことです。
シナプスよありがとう!
(2021/04/28)
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