行ける所まで行こうとしている方にお会いしました
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行ける所まで行こうというのはこう言う事なんだ
私には自分でもハッキリわかっていない「行ける所まで行こう」という意識があることを書きました。
そしたら、私の「行ける所まで」感とはまた異なる、実際に「行ける所までイメージできている」という方にお会いするラッキーチャンスにお会いしました。
そして、この記事を書くという予告もしていましたので、書いて行きます。
人生や、実際の生活や、成功哲学や多くのメソッド、個人セッションで「目標設定が大切だ」と言われているし、どこかの誰かが設定した「目標」を自分の目標にする方もいらっしゃるし、それが他人の目標だと自覚しないままに勘違いが起こることもあるし、他人の目標だと知りつつ自分の目標にする方もいらっしゃる。良し悪しはない。自分が納得できていればそれで良いのだろう。納得できていないと後々(月日が経つと)「やっぱりコレは違うな」と気がつく事もあるが、それはそれで学びになる。
「行ける所までと捉えた先がイメージできている」という事も、自分の名声や収入や地位、タイトルがそれだという方もいらっしゃるが、それは「私」という存在が脚光を浴びるということなんだろう。社会に良い影響を起こしたのは「私ですよ」という事かも知れない。私の感じ方はこういった他者からの評価というようなものは関係なくて、自己完結型だということは薄っすらわかっている。両者の好みはそれぞれ。満足感に違いがあるような気がしますが、実際はどうでしょうね。違いがあるような気もしますが、別にないのかもしれません。
人生でナニになったか? と どういう生き方をするか? という命題が用いられたりするが、こう言う事ですかね。
しかし、私が今回お会いした方はご自分が脚光を浴びるとか、評価されるとか、そういった類のこととは全く違う「行ける所まで行こう」と思われている方ではなかっただろうか?
どうやって生きていくか?を心がけていらっしゃる方ではなかっただろうか。
名前が出なくても、自分にはどこまで出来るだろうか?ということだったんじゃないだろうか。
ですから、こういったことはもう用意されている「型」「答え」を好む方と、自分で答えを出していくことを人生と捉えていくことを好む方がいらっしゃるんだという事を、コラムをアップするや否や現実として目にするラッキーチャンスでした。
そして、この方から、私は「ESD」という考え方の「名称」を教えて頂いた。
私は無知ですが、こうやって出会う皆様から色んなことを教えて頂いて一つ一つ学んできた。また1つ教えて頂けました。ありがとうございます。(^^)
幻だとして、自分を持っていよう
遥か以前、私自身「この世は幻」と心底感じた。人生のはかなさという意味での「無常」をしみじみと感じた。これまでずっと繰り返されてきた刹那が今を創っているようでもあり、無関係なようでもありというような映像も見えたような気がしたときがあった。そういう意味では真理はないという気持ちにもなったことがありましたが、この映像というか、ナニカがわかった気持ちになった(年月が経った)随分後に幸福感も感じたし、感謝が湧いてくるというような体験もした。
この世は空(くう)で、幻でも、【満ちるし、欠けていない、すべて揃った】という、こんなことを人生の最中に本当に体感できるんだ!という僥倖に恵まれました。
幻だと思っても(知っても)、その感覚の後でも「自分を持っている」という事は大切だと考えています。
いくらこの世が幻だとしても、自分を無くしちゃマズいんじゃないの?ということを一時やたら書いていた。(笑)
本当にヤバいのかどうかの答えを誰が持っているのか知らないが、現実に私の目には「あらまぁ 厄介な事になっていないか? 大丈夫か?」と思えるように映っている。
知識や思考だけをこねくり回してしまうと、バランスを崩すこともあるものね。どうしてバランスが崩れるのかというその理由の1つには「自分を失っている」という状態があるのではないか?ということもしつこいほど書いてきた。
顕在意識が潜在意識を押さえ込んじゃうという表現を使うのならば、これは割と当たり前に起きる。
今回お会いした「行ける所まで行こう」という方針で生きていらっしゃる方も、「顕在意識が潜在意識を押さえ込んじゃうということはこう言う事か!なるほど!」と体感されたと教えてくださいました。
押さえ込まなければ、潜在意識というものは自由にしているし、「潜在意識を使うぞ!」とリキんでいなくても、リラックスして日々過ごしていける。
人生にあると良い、お薦めのストレスケア
私はコラムを読んで下さっているアナタが、どのようなストレスケアをしていらっしゃるのかわかりませんが、私は場合はこれらをご提供しています。
世の中にいろいろ良いモノはありますが、私のおススメはこちらです。
自分から抜け出ちゃう、ナニカを入れちゃうということについて
(私自身は「お役目」という表現や、こういう時のお役目という考え方は好みませんが)なにかしらのお役目感覚で解離や憑依、トランスを好む方は案外多いみたい。
前世がどうとか、(神様、妖精、宇宙人、霊etcが)見えちゃうから、云々というそれをする理由があるんだろうと思う。興味本位だとしても興味本位でそれをする理由があるんだろう。
それはそれで人生観の好みなのですが
- 自失状態
- トランス
ということをしながら、自分の人生を考えていくのは まぁ 行動の種類としては逆ではあると思うんですよ。
ですから、もう自分の人生じゃなくて、お役目人生よ!という事をご自分で決めておられるのなら そうなんでしょうが、ただフワフワと自失状態(トランス)が気持ちいいからというのも 私は う~む・・・それは健康だろうか? と考えちゃう傾向があるため、自分で居ても、いや、自分で居たら楽しいよ!気分いいよ!という姿勢でいます。
成熟という、大人になる時には通る道じゃないだろうか?
こういった考え方を選択してくださるのなら、ストレスケアを是非続けてください。
- 自分で考える事を恐れるようになったのは何故だろうか?
- 自分の意思で決めるということ避けるようになったのは何故だろうか?
- 「型」にはまる事が、あなたが選びたい人生だろうか?(それがYESならそれで良いわけですよ)
- 人生ということを考えたことがあるだろうか? なければ、今から考えてみてみようという興味があるのだろうか?
- あなたの「行ける所まで行こう」とはどういったものだろうか? 興味があるだろうか?
最後に
個人的な体感なのですが、解離してなにかメッセージを得ようとしなくても、メッセージを得て不安を解消しようとしなくても
不安ならば感情ストレスケアをしたら良いし、しっかりと自分で居るままで、必要なことは「わかる」。
早く答えが欲しいというそのお気持ちは私にもわかる。私もそうやってきた期間があったからです。しかし、本当に大切な事は心体を健康にしておくと「わかる」と思う体験が多かったので、それらをやめた。
それらをやめて純度が上がったということは証明できないが、調子が良くなったことは確かだと思う。
(2020/11/24)
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