タイトルが長くて失礼します。

一番最初につけたタイトルは、「悟りについて考えるのをやめて、仏教などについて考えるのも止めたら、一周回って知らぬ間に体験していました」でしたが、これは長過ぎですね。

既にあるコラム一覧です

これから書くコラム以外に、悟り、仏教、心理学のプチシリーズがあります。

 

旧記事)さとり・悟りについて

「さとり・悟り」について

悟りと言うイメージに救いを求めるとき

仏教と心理学

意識と無意識に書いたブログ一覧です

そして、下記がメインブログに書いた「意識と無意識」について私の体験談シリーズです。番外編もあります。

こちらです

 ↓

ラーメンは画像だけ。内容は意識・無意識。

意識と無意識 2~これも1つの切り口だと考えます。

意識と無意識 3~甘えたいから共依存?

意識と無意識 4~「与える」の矛盾

意識と無意識 5~これも愛情

意識と無意識 6~無意識を使いこなす前の準備

公平性が気になりますか?

包容力のつもりがゴミ箱になっていた? ところがどっこい宝物。

 

下はまた少し違う内容にはなりますが、参考までにご紹介しました。

今日は別の話。と、思って書きだしたのに!(◎_◎)

カウンセリングの際に感情を感じきらないとダメなのか?

無理やり絞り出した、感じようとしたソレは本当か?

意志と無意識については改めてコラムに再構成して追記予定です。ただ、このブログに書いていた私の内部変化が以前から「読むリスト」に入っていた本を読んだときに裏付けをされたような気持になりましたので合わせてご紹介しています。

私がとった行動で、今となっては正解だったと思える事

私がとった行動で、今となっては正解だったと思える事は、自分の心のケアを優先したことです。優先した経緯も先にご紹介した記事に書いていますが、「なぜそれを知りたいのか? 体得したいと思ったのか?」という根本原因に気がついたからです。情報も他人も身内のことも一切考えるのをやめて、自分の動機に意識を集中させました。

その結果、世の中に数多くある「教え」、それは古典的なもの、宗教的なもの、流行りもの、常識的なものについて、ゼロにはできませんでしたがとりあえずそれらをお休みさせていきました。そして、自分の心理を何かの「教え」に当てはめていくのではなくて、あるものとしてジッと見て、そしてストレスケア、バランス調整に絞りました。頭にどんどん情報や知識をいれることよりも、行動変容にエネルギーを使ったとも言えます。

先には「仏教と心理学」という記事も書きましたが、仏教とは何ぞやもわかってない。耳障りの良い言葉を少し知っていることが仏教を知っている事ではない。私が仏教に対してしたことは、劇的な行動変容をしてまで「知りたい」わけでもなかった。自分でわかっていたのは「私はそれについて知らない」という事だけでした。

しかし出家してまで知りたいわけでもない。

そしてそして、もっともっと初歩的なことすらわかっていなことが解りました。

私はそもそも「三教」をごちゃまぜにしていた。違いすらわかっていなかったという事でした。

本当に今思う事は、あの時、「心理でいく」と決めて良かったと。何かを知ろうと外へ求めるよりも自分の心のケアを優先して良かったということです。(私の個人的な感想です。皆様は皆様の選択があると思います)

仏教と道教?

この下で書籍をご紹介しますから、どうぞお役立てください。私には役にたちました。

結論を先に言うと、私が勝手に思い描く仏教は神道や道教や儒教がごちゃまぜで、それは神道にしてもそう、道教に至っては内容はいつの間にか知っているようだけど道教という意識もなく、TAOがこれに当たるとも知らず、そして、今回このTAOについて書かれている書籍に私がたどってきた道(タオ)が表現されていました。

これはおそらく、仏教にも当てはまることは多いだろうし、神道にも儒教にも当てはまることが多いと推測しています。断言できないのは、断言できるほど知らないからです。

書籍「タオのプーさん

 

最初読み始めた時は、この本の独特な文章が読みづらく感じて引き込まれませんでした。しかし、なんのなんの、読み進めて行くうちに このテンポだから表現できることがあるんだなと受け止め方が変わり、最近私がした会話などと重なることが増えて、

「これはこの本の通りのことを意図せずやっていたのだな。」と思えました。

 

それは、この本によると当時自分なりの「悟りたい」とか「わかりたい」という欲求を捨てたからのようです。それは今も同じで、分からないから努力でわかろうとすることはあまりなくて、そのわかろうと努力するという事が向いている事と それはちょっと違うということがあるということなどの理解もあながち外れていないようでした。

物事には厚みや段階があるので、私もこれで終わりという事はなく、生きている間行ったり来たりしながら過ごしていくのですが、自分の選択がなかなか良かったようだ。と思えることは私の今後になにか影響があるのかもしれませんね。

 

そして、この本の中にはそれほど直接的に依存とは書いていないけれど、そいういった方面のことも言及されていたように思います。

 

2017年4月の今の心境

私の経験や行動変容が仏教ではなく道教「道(TAO)タオ」という1つの教えに似ているように思えたというは良い経験だと感じています。誰かや何かに対して優越感でも感じるのかと思ったら、外部は全然関係なくて、自分の内部で、「あら!? そうなのね。なんだかよかった気がするわ。」と感情はフラットなモノでした。自分がどうとかいうよりも、この本を私と同じような体験をして、これが必要だったと気がつく方にご紹介したいと思う方が先でした。

今回のコラムでは「道(TAO)タオ」についての記事になりましたが、ご紹介した書籍のほぼ冒頭「*・・・・どおいうプーさん?」という見出しの内容に、儒教と仏教と道教がとてもシンプルに表現されています。この箇所を読むだけでも「あぁ自分はこの違いを分かっている」「私はわかっていないようだ」ということがわかります。頭の中がごちゃごちゃしてる方にはこの部分だけでもお役に立つと思います。

 

その先は自由です。

 

 

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