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一度ブログに書いた内容
以前ブログに大人のチック症状について記事を書きました。
それがこちらの記事です → http://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12180178417.html
この時、自分の「チック症状か?」と思われたその症状の反応調整をしました。
そして、やはり外からは分からない、自分の心の中のその反応はいったん収まりました。
が、しかし、しばらく経ったら 微かに、心の奥底か片隅ではまた反応しているのを感じることがありました。
以前のその反応が100なら、その微かに感じるのは10?15?という感じ。
改めて振り返ってみた
冒頭に書いたように、私が自分で気になっていた心の内面のチック症状に似たものは、会社員時代に他人様からうつったものでした。
ストレスフルな会社勤めをしていた時に、私よりももっとストレスフルなのだろうと感じる先輩がいて、
その方は本音が言える相手に愚痴を言う際に「シネ」「シネ」と連呼していました。その方のそのような姿はほんのほんのごく一握りの人しか知りません。いたって出来の良い、成績の良い方でした。
ストレスフルのため、新しい不快なことがあるとストレス耐性のコップはすぐに溢れてしまいます。
私という聞き手が登場したために、不快な事=反射的に他人へぶつける。という心のルールが決まってしまい、常にストレスのコップは表面張力状態で、不快な刺激があると堪えることが出来なくて溢れます。
私はその愚痴をちょっと常軌が逸していると思われる数時間にもわたって聞いていました。
会社の上下関係ということもあるし、私も我慢しましたね。
そしてある日、恐ろしいことに気がつきました。
会社のその先輩のようなちょっとした不快な事よりは、私はもう少しストレス耐性があると思いたいですが
反射がうつっていました。
心の中で「シネ」という言葉が湧き始めた時には自分が一番驚きました。
とんでもないものがうつってしまったんです。
それも、会社にいる時じゃなくて、辞めた後、しばらくしてこれが始まったと記憶していますが、本当のところはどうなんだろう?
なんとも悲しかったし、木乃伊取りが木乃伊になるというのは、こんなことも含まれるんでしょうね。
数時間にもおよぶ愚痴を聞くのは嫌だなぁと少しは感じたけれど、良かれと思って愚痴を聞いていたらこんなに影響受けちゃってましたよ。
与えるという事は素敵な事ではあるし、マザーテレサも与えなさいと言っているが、
しかし、そのマザーテレサは「私は反戦運動には参加しない。平和運動に参加する。」とおっしゃたそうですね。
マザーテレサも与える方向性は自分の中で決めている。なんでもかんでもじゃない。
それでも与えなさい。という言葉は私もしっていますが、それでも反戦運動には参加しないということですものね。
やはり智慧というものは大切です。
しかし、実は結構いるみたい
私はその先輩のうわごとのような怒りの言葉「シネ」というフレーズを繰り返し聞く前には、私のメンタリティーにはこれは無かった。
「クソッ」という言葉で怒りの発散はしても こんな恐ろしい、自分にその呪いが返ってきそうだと感じる言葉をいとも簡単に口にしそうになり慌てて口を閉じるようなことは無かった。しかしそれは多分ストレスフルになる前のその先輩もそうだと思うんです。
ですから、環境を呪うというストレスはやはりヒトを変えてしまう力があるように思います。
その後今のキネシオロジーに出会って調整しなかったら、多分私は今も心の中にこの言葉が沸き起こっているはずです。キネシオロジーに出会っただけでは何も起きないので、せっせと自分の心のケアをしたことが良かった。
本当に有り難いスキルを手に入れたと思っています。
世代もあるようですが、
私が自分のストレスケアに励みつつ周りを改めて見回してみたら、
リンクをはったブログに書いたように
嫌な事・不快な事がある=すぐに「シネ」「シンデクレ」「キモイ」「うざい」「面倒くさい」という動物脳反射を起こしているヒト様の反応に前よりもっと気がつくようになりました。
あら、気が付けば世の中こんな言葉が溢れてるんだね。と。
「怒り」は伝染していくんだね。
お互いに影響しあって社会は出来ていますが、「快」な影響も「不快」な影響も「ただ影響する。ただ影響を受ける」という事象なのでどっちも伝染するのでしょう。
怒りも、悲しみも、喜びも、光も、闇も。
そしてきっと、私がそのストレス反射の影響を受けたように、それに気がついて、対抗策というか自覚しておかないと、どんどん伝染していくんだなとも思いました。
その対抗策というか、自覚が「自我の強度」というような事に言い換えることが出来るようにも思います。
ですから、そりゃあ気がつけば沢山 大人のチック症状のような人々が居たって何ら不思議はない訳です。
大切なのは、「気がつく事」と「改善するために手を打つこと・行動すること」です。
言葉が心の中に出なくなった。代わりにあることに気がついた
そもそも、ヒトから影響を受けずには生きていけないわけです。
学習だって、経験だって、情報も知識も影響を受けています。
文章の語り口だってうつりますよ。口癖だってうつります。
元先輩の「シネ」も口癖ですよ。
私はうつりたくもない口癖がうつってしまったわけです。
こんなことを考えていたら、「そういえば私はうつりたくもない癖がうつったことが2度目だ」という事に気がつきました。
いやいやもっとあるはずですが、それは自分では「嫌だなぁ」と思うまでじゃないんです。
最初に「喜ばしく無いものが伝染してしまった」と思ったのは爪を噛む癖でした。
小学生の3年?4年?で同じクラスになった女の子がある日校庭で爪を噛んでいるのを見たんです。
不思議なほどくっきりその光景を覚えていたので それが心の奥にスッと入ったんだと思います。
私はそれを見た後、爪を噛むようになりました。
成長するにつれその癖を自分で気をつけて矯正していきましたが、それを見た後の小学校高学年と、中学生の頃はまだまだ爪を噛んでいました。
私の同級生の女の子はきっとストレスフルだったんでしょう。
それを見た私は私もストレスを感じると爪を噛むようになりました。
なにが起こったと思いますか?
これは私の 自分の心の推測ですが、「ああして爪を噛んだら楽になるのかも」ということを学習したんじゃないかと思っています。それは一瞬の「快」でしかなく、根本原因の解消にはなにもならないのですが、一瞬の「快」を求めることが本能の働きでしょうから。
「シネ」と言ったらその瞬間だけは楽になるような気がする。
八つ当たりしたらその瞬間だけはスッキリした気持ちがする。
自分を痛めつけたり、他人を痛めつけたりしたらその瞬間だけは気がまぎれる感じがする。
心にとめておけない、それをやめられない。
繰り返し繰り返し起こること。
頭の中に浮かぶこと。体に現われる反応。
その脳の反射の現れが「大人のチック症状」と私が感じることのようです。
私がその気になる症状からどのように抜け出したのか?
この脳内に浮かんでくる言葉はなかなかしつこくて、キネシオロジーに出会ってから数回に渡って調整しました。
そして右肩下がりに脳内に浮かばなくなりましたが、
が、しかし、しばらく経ったら 微かに、心の奥底か片隅ではまた反応しているのを感じることがあったんですね。
祝!改善!まであとほんのちょっとなんだけど。
それでもそのあとちょっとをバランス調整しているときにようやく気がつきました。
嬉しくないものが伝染ったな~と思うたびに、あの小学生の時の
同じクラスになった女の子がある日校庭で爪を噛んでいる光景が浮かんでいることに。
爪を噛む癖は自分で矯正しましたが、
私のストレス反応の中でも「チック症状」と感じることとこれはリンクしていることに。
ですから、
- あと少し微かに感じる心の奥底の 元先輩の愚痴を聞いていた時に感じた「こんな風にうわ言のように『シネ』という話を聞きたくない。」という私が感じた不快感
- 同じクラスになった女の子がある日校庭で爪を噛んでいる光景
2つとも調整しました。
そしたら、あんなにクッキリ脳裏に浮かんでいた校庭の女の子の風景も
心の奥底に感じていた違和感も解消されました。
私は我ながら非常に喜んでいます。
本当に良かった。
ですから、影響を受けやすい方々のお気持ちや体感、その現れ方も私なりに実体験済みなので
心体カウンセリング™ でお話を伺う際にも今は役に立っています。
調整も大切。もう1つ大切な事。
それはこのブログ(http://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12278314162.html)にも書いたのですが
やはり、調整した後の経過観察をする事で
順番に必要なバランス調整が浮き彫りになってくるという事でした。
私の場合は 心の奥にスッと入ったものは
自分が考えている以上に奥に入り、そし関連トピックとつながりができていました。
ですから、気になることを丁寧にストレスケア・ストレス調整していくことで
今回書いたような最後のピース(または残りの調整)がなんなのか?が浮き彫りになってくる。
ストレスのバランス調整というものは
その事柄によっては、調整に加えて時間が必要なんですね。
時間薬(ときぐすり)
日にち薬(ひにちぐすり)
私は最初にFacebookに「大人のチック症状」について短い文章を書いた時に、こんな言葉が思い浮かびました。
やっぱり時間も必要です。
私は次元系の話は詳しくありません。時間は観念上のもので本当は無い。という話を聞いたような気がするなぁという程度で、元からそこにはあまり興味が無いのですが
私が感じることは 観念上時間が無いとかあるとかということよりも
時間薬(ときぐすり)
日にち薬(ひにちぐすり)という言葉を生んだ人間の感性を大切にしたいという表現が近いようです。
心体カウンセリング™ では人の心と体のご相談に対応しているからです。
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