人智学という考え方ー11 心と体のつながり
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まえおき
もともと皆さんに書籍を読んで頂ければ、私がひょっとして解釈を間違えるというリスクなく事は終わるのですが、そこをあえて、1冊の本に沿って、私が今まで書いてきたコラムなどのとある方向から総括も兼ねて書いています。多くの方の目に触れているようで有り難いばかりですが、いつも思うのは、やはりご自分で判断して頂きたいという事です。
私は一個人で、名声があるわけでもないし、有名でもないからこそ、割と率直にいろんなことを書けますが、もし、私に大きな影響力があったら、書かないこともあると思います。
私の安心材料としては、私に影響力が無いからこそ、皆さんに鵜呑みにされる確率が低くなるだろうということです。
何処かに住んでいる(沖縄ですが)、実際に会ったことが無い女性(写真を見るとそうらしい)が、人智学やその他もろもろについて書いている。(まぁちょっと読んだろか)という距離感がとても良い様な気がしています。
この人がナニモノが知らないが、書いていることは受け入れやすい(受け入れにくい も大いに有り)が、鵜呑みにはせずに私は私の、俺は俺の考えを改めて確認しておこう。
というようなキッカケにして下さっていると嬉しいです。
そして、特にコラムで触れなくても良い(私はそこには興味がない(この本の中で言えば星座を例にした件などです)も含めて)と思えるところについて触れず、そして頑張れば年内に記事を書き終えられそうです。
今日も含めて1回、または2回で締めくくることができたら良いなぁと思っています。
今回もしばらくの時間、お付き合い宜しくお願いいたします。
心、精神と身体性は密接に結びついている
ルドルフ・シュタイナー氏は、心、精神と身体性は密接に結びついているということを十二感覚や生命感覚という表現を使った学問として確立されたと理解していますが、
私はこの人智学という考え方を知る前から
「心体カウンセリング™ ・セラピー・ケア」という名称を使っています。
今までも書いてきましたが、ルドルフ・シュタイナー氏の「感覚」とおそらく似ていると言っても良い様な感覚が私にもあるようですし、おそらく、本当に勝手な憶測ですが、私も「心と体の双方向からのアプローチ」という言葉を割と以前から使っていますが、この感覚も似ていると思います。
理論や言葉のイメージではなくて、実際の感じ方の話です。
あくまで個人的な感覚ですが、潜在意識云々もありますが、もう少し現実的というか、物理的?科学的?な、電気や磁場、重力場というような感覚をルドルフ・シュタイナー氏も感じておられたのではないだろうか?
というのも、書籍 魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3) の中で紹介されている分類に
- 身体性
- 魂
がありまして、それぞれには感覚が分類されているのですが、
「嗅覚と味覚だけでは夢見心地・トランス状態となり、ここに平衡感覚が強く結びついて初めてバランスが整う。」というように書籍にも書いてあったように思えるし、私自身もよくわかるような気がするんですね。
平衡感覚とは、「地に足がしっかりついているか?」という指標になるそうだし、重力場・磁場・生体電気の状態を無意識的に感じるという一種の勘のようなものが働くバランス感覚のようです。
ですから、フワッとしていたい。人間じゃなくなるもの(あくまで私の感覚です)、人間性を薄めたり感じたりしないものを好んだり、魅かれて、実際にそっちへ持っていかれちゃう行動自体がルドルフ・シュタイナー氏の表現を借りると、平衡感覚を欠いている状態であろうとも感じます。
人間嫌いになる理由の1つかも。脱出願望が起こるきっかけの一つ?
過去のコラムです。
馬にもう一度登場頂きます
魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3) で「(馬は)耳で見ているのです」という記述を見た時に、「わかる!」と膝を打ちました。
というのも、今はお休みしていますが、私がキネシオロジーテストをインストラクターとしてお伝えしていた時に、
「目を使うとわからなくなってくるので、耳で見てください。」「反応を耳で聴くように意識を向けて」と伝えていました。
キネシオロジーテストが苦手な方や感覚の使い方がわからない方は、目で見ようとしていますし、感覚器の使い方がわからないようにお見受けしましたので、他の講座も同じですが、今はお休み中のキネシオロジーテストを学ぶ講座の際にはそのあたりの感覚の使い方も含めてお伝えしていましたよ。(^^)
他の講座は変わらず行っていますので、どうぞ学びにいらしてくださいね。
セルフキネシオロジーを学ぶ講座は絶賛開催しておりますので、どうぞ学んでくださいね。
意識の向け方もお伝えしています。皆さん、すぐにそれがわかります。習いっ放しではなくて、実際に生活に取り入れている方はもう一生その感覚を覚えていられます。(それどころか、感覚がどんどん伸びます)
この項目の例をつかって簡単に書くと、「あなたも馬が使っている能力が使えるようになろう」ということになりますね。(笑)
耳と読書の関係
黙読をしていても、読書をしている最中は耳を使って言葉を聴いているそうだ。
なるほど! 確かにそうですね。
でも、この文章を読むまでは、黙読で耳を使っているということに気がつかなかったですね。いやいや、有り難い気付きでした。
ちなみに、私はこのようにコラムを書いている時は、(言葉は発しませんが、頭の中で)喋りながら、話ながら、そして、それを耳で聴きながら書いています。
フラクタル理論・相似形
魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3) の中には、フラクタルという表現は出てこないと既に書いていますが、同じことを書いてあるよね!?と思う個所はあります。
それは、どういったフラクタルか?
- 腸の渦巻き
- 大宇宙
- 耳の中の蝸牛
- 聴覚
- (この書籍の中の意味の)平衡感覚
- 胎生学
こういったワードがあがっていました。
いやもう、apple TV+で流されていた「BECOMING YOU」-誕生からの2,000日 からコラムをすでに書いていたものですから、私は全然胎児学のことなど書いていないのに、なかなか良い線いってたな!と能天気な自己満足感を感じましたわ。アホです。
ただ、ここ ↓ で使っていた、深部感覚というのは、十二感覚や生命感覚という事とも多くは共通していることでしょう。
もっと前にもこのような記事を書きました。
言語感覚
上の記事の内容について補足しますね。
「自分の言葉で話している」という私の友人の感覚は、「言語感覚」で解説されていました。
それは、
何が語られているのかを聴くのではなく、どのように語られているのかをきくことになる
でした。
そして、これを
言われているのが、どのような内容なのかを理解する感覚
という「思考感覚」と連結させて理解していくようですね。
あら! 「人生は苦」
上のコラムに、「人生は苦」という言葉についての私見を書いていますが、ルドルフ・シュタイナー氏は
私たちの生命感覚によって何を学んだのでしょうか?
という問いに対して
生きることの辛さです
と書かれていましたよ。
ここで ちょっとだけ 私の屁理屈?を間に入れて欲しい
人間は自ら辛さを求め、痛みを味わおうとする存在です
という文章を読んだ時に、以前コラムに書いた、私の感じた事を思い出しました。
「人間は執着・煩悩があるから生きている感じがするんだろう」ってことを体感しました。
生きている感じを味わいたいから、苦しんだり、悩んだり、喜んだり、耽溺したり、争ったり、愛したりするんだろうと。
この時の気づきは、なかなか良いぞ! とまた思いましたわ。(笑)
で、そんな個人的な自画自賛は無視して先を進めますが、
なぜ? ルドルフ・シュタイナー氏はこの「生きている辛さが必要だと考えたの?」と疑問がわきましたが、それは、真実を体験するため、真実を感じ取るため。とお考えだったようですね。
ですから、「人生は苦」でかっこよく?言い切ってしまわれちゃあは、私は嫌なんですね。
その先のことや、その理由もセットで教えてくれないと。
で、これを伝授する側が「苦を感じないように解脱しよう」「悟りを開いて楽になろう」としている時点で、私の
何が語られているのかを聴くのではなく、どのように語られているのかをきくことになる
というところが反応しちゃうわけです。
今から書くやり取りなど、過去一度も誰ともしたことがありませんが、
もし、「人生は苦」は、真実を知りたい・感じたいからやるだよ。と説明されていたら
えっ? じゃあ、真実を知りたくて 解脱や悟りや、(不思議系の)覚醒を求めるということをあなたはTRYしたことがありませんか? または、今それにむけて練習していませんか? もしそうなら、あなたのおっしゃる「人生は苦」のこの説明をどう理解したら良いのですか?
と問いたい。
これが私の WHY? だからです。
もし、もう真実を体験するため、真実を感じ取るための辛さはおわったよ。という事であれば、真実を知りたくて 解脱や悟りや、(不思議系の)覚醒する必要はないような気がしますが。どうです? やはり私の不勉強がゆえに酷くトンチンカンなことを書いているのでしょうか?
何が語られているのかを聴くのではなく、どのように語られているのかをきくことになる
というのは、なかなかレベルが高いお話のような気がしますね。
そして、おそらくですが、私がこんなトンチンカンな理解しかできないことを、それらを伝えている側も呆れたり、イライラしたりされるのかもしれない。
お互い様ですね。
ということで、
ルドルフ・シュタイナー氏の素晴らしい一文と、村上春樹氏の素晴らしい言葉に登場していただこう。
ルドルフ・シュタイナー氏
私たちは自分が思っていることを決して十全には語れない
村上春樹氏
買い手の責任
人の手に渡ったものがどのように使用されるか、それは売り手が関与することではあらないのだ。
ー小説「騎士団長殺し」より引用
なぜ? WHY? って大切ですね。
お好みで
真実に到るためには辛い思いをしなければなりません。精神的に格闘をしなければなりません。
とルドルフ・シュタイナー氏はおっしゃっていますが、
「いいえ! 私は辛い思いなどまっぴらごめんです。真実に到らなくても構いません。フワッとして生きていきたいのです。」という方もいらっしゃるだろう。
お好みで。
元々「お好み」ですものね。
お好みの感性が育ち、お好みのバランス感覚で生きてきた。
その現在の「心と体のつながり」は今現在のあなたのお好みなんだろうと思います。
変わることはいつからでもできます。変えていくことを好むことからスタートするのでしょうね。
(2020/12/25)
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