人智学という考え方ー8 自分の灯台と他人の灯台
前回のコラムや、過去のコラムにも多く登場している「灯台」や「羅針盤」についてもう少し書きます。
灯台や羅針盤という考え方は、私が発見したものでもなんでもなく、先達の方々の考え方が私も取り入れやすかったので使っています。そして、前回のコラムを書いた後、一夜明けて、ふと仕組みが理解出来たような気がしたのでシェアします。
自分の価値観とは?
- 自分で考えるとか、
- 自分の価値感を持つとか、
- 自分の軸をつくるとか、
一見わかったような気持になる言葉があります。これ以外にも沢山あるし、そもそも「言葉」を伝えるためにつかっているのなら「わかったような気持になる」ということは当たり前なんでしょうね。
不思議と、その言葉を聞いただけで、もうそれが自分にあるような、自分がそれをすでに理解しているような感覚になったりする。本当に理解しているのかもしれないし、錯覚かもしれないが、「理解した」と感じたという体で話を進めます。
ここで、私の有り難い友人の感性「自分の言葉で話している」という過去のコラムに続いてくるのですが、このコラムを書いた時に、模倣と霊我という書籍の中の言葉をそのまま使いました。
書いた時の私は、友人のこの言葉を聞く前から感覚的には捉えてはいたが、言語化するには至っていない程度の理解だった気がしていて、ドスンという感じでは腑に落ちきっていなかった。私としてはどう表現したら私自身の感覚とより一層フィットするだろうか?と頭のどこかで考えていたんでしょうね。
そうしたら、いい言葉が浮かびましたわ。脳の中で聞こえましたよ。(誰が教えてくれたんだろう?)
自分の灯台と他人の灯台
「自分の灯台と他人の灯台」というのがそれでした。
自分の人生に、自分の灯台を設定しているのか? 他人様の灯台をお借りして一生過ごすのか? というような表現に変えると、私自身は非常にしっくり来た。ホームラン級だ。
おそらく友人は、お話している方によって、その内容が模倣か?霊我か?の違いを彼女のアンテナで感受していたのだろう。
私は、感覚的に、どなたがご自分の灯台を認識していて、どなたが他人様の灯台をお借りしているのか?を感じていたのでしょう。
意味は同じですが、いきなり模倣か?霊我か?という言葉を聞いてわかったつもりになるよりも、かみ砕いたりしてみるともう少しイメージしやすくなる時があります。私の脳のクセとしては、ナニカを見聞きした時に、多くの場合(これは簡単に言うとどうなるんだろう? ※簡単というのは、私自身が理解出来れば良いので汎用品とは限りませんが)と自然に相似形(フラクタル理論的要素)という図形(3Dや4D?)について意識が向くようです。
先ずはそのまま口に入れてみて、かみ砕く作業をしながら、三角形が5個、丸が20個、四角が100個などと分類しているのでしょうね。
ちなみに、こちらのコラムに登場している、apple TV+で「BECOMING YOU」-誕生からの2,000日では
分類出来れば対象を正確にどんな状況下でも記憶できます。
というような発達期の特徴が紹介されていました。
また、 魂の扉・十二感覚―人智学講座 (耕文舎叢書 (3) のなかで味覚について、
真に味わう事ができるようになれば、どれだけ食べればよいのかをも知ることができるようになります。
まだ必要な一口、もう必要のない一口がわかるようになるのです。そこではもちろん生命感覚が私たちを助けてくれます。
このように書かれていました。
また、分類する際には、前回の嗅覚が道徳的判断を嗅ぎ分けていくという事でした。
(しかし前回も書きましたが、やはりそこにも、1つの感覚器だけに頼り過ぎるとバランスが崩れますので、ご配慮されることをお薦めします。書籍内の表現をお借りしますが、脳を打たれ過ぎない方が良いかと思います。)
メタファーにはなりますが、自分の灯台があるのか? ないのか?で、情報、知識、現実については捉え方が変わってきますし、理解も変わってきます。また、自分に灯台が無ければ、他人の灯台について、それがなんなのか?そもそもそいったものが有るのか無いのか?という意識が向けにくいのでしょうね。または、自分の灯台がなく、他人の灯台らしきものに気がついた時に、(あれはなんだろう?私も創ってみたい)という情熱が湧くことがあるようです。
自分の灯台とは「自我意識」、または自我意識の一部だろうと思っています。
灯台はいつからあるのか?
他人様の灯台だけで一生を過ごすのでしたら、その灯台はあなたが生まれた瞬間から存在しています。父や母、先祖、歴史上の人物、教えを説く様々なもの。テレビ、新聞etc。
しかし、自分の灯台となると話は違ってきます。
それはおそらく、自分で建てることからスタートするからね。
ということは、意識していないと建てられない。どんな灯台を建てようか?と図面もひかないといけないし。材料だっているよ。
慌てた突貫工事で作った灯台は、ちょっとした雨風で壊れます。
もし興味がありましたら、あなたも頑丈なMy灯台を創ってみてください。
灯台は1つか?
質問です。
あなたの人生の灯台は幾つありますか?
正解はありません。いや、少なくとも私は正解をしりません。
私のやり方は、自分の成長に合わせて、必要なら新しい灯台を創っていく感じです。しかし、昔頼りにしていた年季の入った灯台も進路(ルート)を確認する際に利用しています。
- 灯台と
- 星の位置と
- 自分の今の位置の3つで確認する海図上の現在地。
ヤドカリみたいに成長に合わせて殻をお引越しするようなイメージでもいいんじゃないかな。
人生観を持ちたい方は、メタファー的ではありますが皆さん頭の片隅にこういったメタ視点をお持ちのようですよ。
治癒は口から?
ルドルフ・シュタイナー氏は
治癒は口を通して実現されるべきであることを、かつての宗教は知っていました
とお考えのようで、この箇所は、「食べ物」という意味ではなくてですね、「文言」という意味でした。
う~~ん、「告解」ということもこれにあたるのかどうかは私には判断しづらいですが、心体カウンセリング™ ならば、会話や対話という意味になるでしょうか。
相談者ご本人がご自分の気持ちや悩みを話すことは大切だと感じています。
それを伺いながら、私は相談者さんの十二感覚を共有出来る範囲で理解しようとしています。
例えば、ご相談の内容が、自分のものを守るために 戦おうとするジェラシーに関するものでも、当たり前ですが、私がそれをバカにすることも叱ることもないです。相談者さんが「そう感じる」ということをお聞きして、「どうなると楽になりそうか?」という事について会話や対話をしたりします。
例えば
「私は〇〇というジェラシーを感じるんです」と相談者さんが話すこと自体も治癒の一部だし、「その場面ならそう感じますよね」という言葉と共に共感を得られても治癒の一部になるでしょうし、その場に適した対話や会話って大切ですね。
心体カウンセリング™ ・セラピー・ケアでは、「今より良くなりたい」という目的をもった方とお会いするわけですが、人間道を歩かれている皆様はやはり愛おしいです。人間道を一緒に歩いているということが有難いですよ。
まだ必要な一口、もう必要のない一口がわかるようになるのです。
であれば、自分に必要な情報の選別や、他人の考えについて自分はどう感じているのか?を感じられる感性も育ってくると思えました。
人間道に欲はつきものですが、欲をダメなものだとせず、それとどうやって付き合って行こうか?と作戦を練ったりするための会話や対話ということはとても楽しいです。生きていく時に、自分のそういった欲も受け入れて行きながらってことですね。
(2020/12/21)
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