不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる

気がつくとため息が多い・・・

 

不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる

今日はストレスケアという内容とは少し違うかもしれません。

 

他のコラムを書こうと、いつもどおり下書きが2つくらいあるんですが、それを押しのけて今回のタイトルが脳内に登場しました。

ひょっとしたらHSP的に何かに反応したのかもしれませんし、私の中のナニカが、書いて書いてと訴えたのかもしれないですね。

 

今回のタイトルは、私自身がずっと感じていた事ですし、自分がこんなだから、同じような悩みを抱えているのではないかな?という方にお会いすると気がついたりします。

それぞれが似た悩みを持ちつつ日々を過ごし、ヒト様と接しています。

ただ、今の私のように声が大きかったり、講座をしていたり、ラジオのパーソナリティをしていると、悩みなんて無い恵まれた人のように思われることがあります。日の当たる場所にいるように見えるのだろうなぁと気がつきました。

ただの会社員の時も、(生きづらい・・・。苦しい。)と感じていた時ですら、プライベートなど一切知らない方、ろくに話もしたことが無い方に「アナタみたいな苦労を知らない人にはわからない」と不思議な八つ当たりを度々されましたね。

今思うと、その方の抱えるストレスを投影しやすいなにかが私には有るんだと思います。(同じような悩みをお持ちの方も、大勢いらっしゃいますでしょ?)

コンプレックスというようなものも、相手に投影することもあります。それは自分の中で起こっている反応で、自分の中のコンプレックスが収まると(気にならなくなると)他人の芝生が必要以上に青く見えるようなこともなくなるし、他人の芝生は他人の芝生、自分の芝生は自分の芝生と両者を感情を絡めずに認識できるようになったりして、自分が勝手に相手と自分を比較して感じているストレスも減ります。

 

が、しかし、私自身は「不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる」という同じ悩みを持つ方をお察ししていたりしますが、同じ悩みを持っていても、先ほどみたいにそれを私に八つ当たり、逆恨みされると私もそれ以上関わりを持とうという気持ちにはなりにくくなりますし、私のその及び腰な様がまた気に入らなくて次なる段階は意地悪やさらなる八つ当たり(言いたい放題)をされたこともある。

しかし、一方、同じ悩みを持ちながら、他人にそれを発散することなく、ご自分でそれとつきあいながら粛々と過ごしていいらっしゃる方もいます。

 

今日は、不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れると感じるかも知れない方が本当に報われないのか?ということを書こうと思います。

 

このコラムは、「不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる」と感じて、自分は生きるのが下手だと凹んでしまうけれど、だからと言って誰に八つ当たりをすることなく、こらえていたであろうある女性のことを書きます。

私の経験の背景

先程も書いたように、それをされる側、受ける側は楽しくない投影をされると(あぁ嫌だなぁ)と思うし、(私は理解されない)という想いが増します。

皆さんもありませんか? 投影とは違ったとしても、誤解されたり、決めつけられたり、話を聴いてもらえなかったこと。

  • 自分のせいじゃないのに自分のせいになってしまったり、
  • 誤解されて、弁解する機会が無かったり、
  • 理由があるのに、全く伝えるチャンスが無かった事
  • 言い訳したくなったこと。
  • なにかの出来事の犯人(じゃないの)に犯人にされたこと
  • 事の顛末を知っている人が、自分の見方をせず知らん顔をされたこと

詳しく書いたらもっと例があがるかもしれませんが、

  • 誤解されたと思った事
  • 解ってもらえなかったと思った事
  • それで悔しかった、悲しかったけど、結局誰にも言わなかった事。

聞く耳を持ってもらえないということもやっぱり悲しい記憶になりますよね。誤解されたままというのもシンドイ時があります。

 

そんな苦い想いを私自身も感じる事が多かったのに、やっぱり相手のことを誤解してしまう事があります。

 

チーフの立場のAさん

遥か昔、お仕事で大勢の若い女性の皆さんとお仕事をしました。(この話は以前も古いブログなどに書いたことがあります。)

大勢の女性が毎日イベント現場にいらっしゃって、その中で目立つ方も目立たない方もいらした。シフトもあったりして現場はイラストのような組織体制で動いていて、私が大勢の若い女性のイベントコンパニオンの方に何か伝えたいことがある場合は、現場責任者の方にお伝えする(リクエストする)のですが、今から書くのは、この組織図の中のお1人のチーフ役をされていた若い女性の方とのエピソードです。(It was a long time ago.)

 

その体験談について書き進めます。

 

期間限定のイベントの急ごしらえで集まった女性も多いなか、チーフのAさんだって非常に若い方でした。チーフの立場になった方はある程度現場経験がある方で、そのチーフ達がまとめておられる5~10名の女性たちは、チーフの代わりになれる方もいらしたけど、多くはライトな単発アルバイト感覚だったと思う。

期間限定とは言え、一気に大勢の方を手配、管理する人材派遣会社の方も大変なんですよね。もし寄せ集めでも、契約上、人数だけは確保しなくちゃいけないのでご苦労も多いです。急遽寄せ集められた方が多くいても、それらしく見えるように仕事や所作を教えないといけないですからね。

で、チーフさん達は正に中間管理というか、板挟みになったりします。

自分の管理しているライトなアルバイト感覚の方に多くは要求できないような場合は、チーフに仕事が集まってきちゃう。チーフ自身もお若いのに、責任感のある方ほどヒト一倍、二倍働くことになったりします。

Aさんもそんな真面目に働く方でした。派手なタイプではなくて、言葉も少ないし、愛想を振りまくわけでもない。無駄な話などはせず、人が気がつかない細かい所まで気を配っていました。

今でも覚えている彼女の1つ目の顔(表情)

それなのに、あまり接点がないとは言え、偶然私がチーフAさんの担当エリアに通りかかった時に丁度何か不備があったんですね。

運悪く。という言葉があります。

 

私も人様にアレコレ言うのも嫌ですが、仕事なので「〇〇してくださいね」とちょっとキツイ表情や口調で直接伝えてしまった。

 

私が今でも思い出せるAさんの表情の1つ目は、その時の「傷ついた顔」でした。毎日100名以上の方がワサワサと動いている現場で、色んなことがありましたが、彼女のあの表情はその時の私には非常に印象的でした。

 

印象に残ったので、やはり気になって彼女の仕事ぶりを再度通りかかった時に見たのですが、

派手なタイプではなくて、言葉も少ないし、愛想を振りまくわけでもない。無駄な話などはせず、人が気がつかない細かい所まで気を配っていました。

先述の通り、非常によく働かれている。黙々と誠実に仕事をしていて、アピールもしないので、こちらが仕事ぶりを意識して見ようとしないと気がつけないほど粛々と働いておられました。

 

Aさんは、(武田が通りすがった時に、タイミングよく、よくやっている自分の姿を見せよう)という事が出来る器用な方じゃなかったであろうし、見直してもらおうとかそういった期待も多分していなかったと思う。あの「傷ついた顔」をしたときに、瞬時にそういった事を一切合切諦めたような気もする。

その時はただ、いつも通り今目の前の多くの仕事を片付けていくということに集中しているように見受けられる姿でした。

 

他のスタッフさん達の中にはアピール上手で手を抜くのが上手な方もいらしたので、まさに会社の縮図というか、社会の縮図のようでした。

 

私自身(皆さんも同じ思いをされたことがあると思いますが)、いろんな誤解を受け、理解されないと悔しい想いをしていたにもかかわらず、自分が全く同じことをチーフAさんにしてしまった。

あのときの「傷ついた顔」はAさんの顔でもあり、同じような経験をしたときの自分の顔でもあったと思います。それもあって印象に残ったのかもしれません。

今でも覚えている彼女の2つ目の顔(表情)

チーフAさんにとっては、運悪く武田(私)が「勘違い」したことで、真面目にやっていたのにケチがついた。Aさん自身言い訳もしないし、私も彼女の言い分を訊ねようともしなかった。

が、私は私自身が幸運な事に、自分の勘違いに気がつけました。

Aさんが、ヒト一倍、二倍、その大きなイベントが無事に終われるために影の努力をしてくれていたことに。

 

当時私も若く、まだコミュニケーションもぎこちなかったながら、勘違いに気がついたため「いつも一生懸命やってくれてありがとうございます。」とAさんに直接伝えました。

笑顔で、感謝の気持ちを表情に出してこのセリフが言えたら最高でしたが、私こそ慣れないコミュニケーションで顔が真顔で、さらにはひきつっていたかも知れませんが、お礼の言葉は直接Aさんに言うことができました。

当時もっと私が世慣れていたら、「勘違いしてごめんなさいね。」と言えたと思いますが、その時は私の方こそ今より100倍も不器用でお伝えできず申し訳なかったです。

 

が、こんな私の不器用なコミュニケーションの真意を汲んで下さってAさんは「恥ずかしそうに、とても嬉しそうな顔」をされました。

これが私の印象に残っている、Aさんの2つ目の顔(表情)です。

 

あの時に、私の間違いを許してくれたんだと私自身が感じました。

 

今の私が思う事

勘違いした自分が格好悪いから。と、知らん顔することもできました。逃げることだってできたし、その方が簡単だ。それまでだって沢山逃げていた。

が、下手でも謝意を伝えたいとあの時の私は行動に移したわけですが、この一件でAさんが救われた思いをされたのかどうかはわかりません。

あのイベントの時だけのご縁だったので、もう一生お会いすることがないし、お名前もわかりません。顔はぼんやりと覚えていますが、あまりに時が経ちましたので、もう再会してわかりません。

 

ただ、あの一件で私は救われました。

同じ謝意を伝えるのなら、あんな引きつった(怖いよ)というような真顔じゃなくて、もっと伝わるような態度をした方が良かったと気がつけたし、勘違いしてごめんなさいねと謝るということを先にしたかった。と気がつけた。

なにより、下手だけと、言葉にできて良かった。知らん顔しなくて良かったと自分が許せた。逃げなくて良かったと心の底から思っています。逃げなくても大丈夫なんだと思えたもの。

「やればできるじゃん」と小さな成功体験になりました。

 

あの当時の仕事(イベント)が無事終わったのは、関係者の皆さんのおかげでしかありませんが、その中のお1人とこのようなコミュニケーションができて良かった。結構な年月が経っても、今でも記憶に残っています。

有り難い経験でした。

 

今思えば、Aさんが先に許してくれたことで、私が救われた。

祈り

人は変わります。

今のAさんはどうかわかりませんが、はるか昔のあの頃のAさんはおそらく「不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる」と感じる事も多かったのではないだろうか?

あの時の彼女はそれでもクサっていなかった。

そう、報われないと思うと、ヒトはクサってしまう時がある。クサってしまっても、(いやいや、確かに面白くないけど、クサってしまっては自分のためにはならないし)と帰ってくる方もいる。しかし、どんどんクサってしまって帰ってこない方もいる。

 

私自身は、帰ってくる方法はあるよ。クサっても早めに帰ってきてね。という気持ちを込めて記事を書くことがありますが、それは、「その虚しさをケアする方法はあるよ!」ということをお伝えしたいからです。ストレスケアがあるよ!ということを伝えたい。

私が連れ戻すことはできないし、ご自身で帰ってこないと帰れない。私ができるのは提案とサポートだけです。

 

多くの方がかつての私やAさんのように「不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れる」と感じているかも知れませんが、私が自分の勘違いに気がついたように、あなたの頑張りに気がついてくれる方がいつかは現れるかも知れません。あなたが「報われた」と感じるような気がつき方をしてくれるのは、他人かも知れないし、あなた自身かもしれない。

 

ゲゲゲの鬼太郎の作者の故・水木しげる氏は「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」とおっしゃいました。確かにこれも一理あると思いますが、ご自分が「やってきたことは報われた」と感じる瞬間・チャンスを感じさせてくれる出来事やヒトが現れるかもしれない。

 

今回書いてきた出来事より遥か未来に、私自身「報われた」と感じる瞬間が訪れました。そんなラッキーチャンスについてはこちらに書きました。

一つの回復着手点

 

今ではもう、顔がぼんやりとしか浮かばない彼女(Aさん)に当時の私は「善きもの」を感じ、それはその後の情報の更新がない今も彼女については「善き人」という印象が生きています。

当時も、そして今も、「Aさんに生きやすい人生が訪れますように」「AさんにHappyが降り注ぎますように」と祈っています。私に出来ることはこれしかない。

「祈り」というものが届くか?叶うか?ということを私は証明できませんが、なかなか報われないかも知れない「善きもの」がどうぞ実りますようにと祈ります。祈っています。

祈りの変化

最初は「善きもの」が報われますように。と祈っていました。Aさんの幸せを願うのはこれにあたります。

 

年月が経ち、私自身少し視野が広がった後は、善きものと私が認識できないものも幸せになりますようにと祈るようになった。

 

もっと年月が経ち、私自身が少し成長したのかもしれません。「嫌い」「悪しきもの」と感じるものについても幸せを祈ることができるようになりました。祈ったからと言って、積極的に関わりを持つということとは別なのですが、おそらく以前より許せるようになったせいでしょうか? 「嫌い」「悪しきもの」の幸せを祈ったからと言って自分が損するわけではない。許しても、その後、必ずしも信用しなくてはならない訳じゃない。とわかった後は、少しずつ実践できるようになりました。

許す? 許せない? 許さない?

 

 

Aさんは、今でも私がAさんの幸せを願っていることは知りません。多分私の存在自体も記憶にないと思う。しかし、世界のどこかで、記憶に残っていないヒトが貴方のために祈っているかも知れない。縁もゆかりもない誰かが貴方のために幸せを願っているかも知れません。通りすがりの誰かの印象に残っていて貴方のために幸せを祈ってくれているのかも知れない。面識もなく、存在を知らなくても、他人のために祈っている方もいるようです。

 

あなたも誰かの幸せを願ってみませんか?

 

誰かの幸せを願ったら、それは自分のためになるという紐づけ、条件付けなどせずに、純粋に誰かの幸せを願ってみませんか?

誰かの幸せを願ったら、それは自分のためになるという見返りなど期待せずに、純粋に誰かの幸せを願ってみませんか?

 

「それは自分のためになる」という法則や教えなどをたまには忘れて、条件や理由なく、純粋に誰かの幸せを願ってみませんか?

 

私個人的には、長い年月が経った今 人生が楽に感じるようになっています。それはヒト様の幸せを祈ったからだと申し上げるつもりは全くありませんが、日頃のストレスをケアした積み重ねは大きな影響を及ぼしてくれました。

あなたがどう感じるのかはわかりませんが、興味がありましたら誰かの幸せを祈ってみてください。無理には薦めません。これは宗教でもないし、教えでもありません。

 

あなた(私)が「善き」とか「悪しき」とか判断、評価しても、どれもこれもが貴方の世界に存在しているものです。あなたの一部。あなたの構成物。目に入るものが、あなたの創り出している世界だという考え方があります。あなたの創り出している世界の幸せを祈ってみるのも良いんじゃないかとちょっと思ったんです。

 

ですから、見返り、リターンなどと紐づけなくても、誰かのために祈るという事は、自分のために祈るという事なんだな。とある時に気がつきました。

かえって、見返り、リターン、紐づけなどがあると、それも自分にかえってくるかもね~とも思うようになりました。

とは思いましたが、実際のところ、純粋さの質が問われるのかどうかなどは私にはわかりません。祈りに条件があるのかどうかは、解りません。

(こういった事は、また別の機会に書いてみたいと思っています。)

 

Aさんと、皆様へ

願わくば、祈りというものが届いて、Aさんが幸せに過ごされていますように。

不器用、コミュニケーション苦手、報われない、疲れると感じる皆さんが「救われた」と感じますように。

あなたに祈りが届いて、幸せに過ごされますように。

(2020/09/28)

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