「私達の認識と脳内の特色」と「宇宙論」と「量子力学」
この世の「入れ子の箱」「マトリョーシカ人形」現象
予告していた記事を書きます。
物事の理解をする際には、この順番で情報を得ると理解しやすいという順行の流れがあると思います。
だからと言って、逆行の流れが劣っている訳じゃない。
私は両方体験しているけれど、過ぎてしまえば自分の血と肉になるということは同じ。
急に順行タイムがやってくるときだってあって、流れが変わる感じがするのはこんな時だと思う。その逆もしかり。
予告していたこの手の内容は、私は率先して首を突っ込んでいく気のなかった分野だったし、今でも全体像は全く見えていません。
しかし、私が昔から好きな世の中の「相似形」を見つけたような気がするので書いていきます。
それは、今までも大量に書いてきた、「他人や外界ばかりに気をとられなくても、身近な我が事(内面や身の回りの出来事)に答えや対処できる事があるんじゃない?」ということだったり、「自分の内面が、他人や外界の捉え方を創っているのではないか?」ということ。
こんなことが、世の中には入れ子の箱のように存在している。マトリョーシカ人形のように同じような意味合いのものが何重にも張り巡らされている。
以前の記事にも書いた、脳内スリップ現象、脳内ループという現象から意識的に抜け出す方法があるとしたら、その1つは「考える」ことじゃないかと思う。何度も同じ事が、箱の中から箱が出てくるような、マトリョーシカ人形からマトリョーシカ人形が出てくるように繰り返していて、それを断ち切りたいのなら「考える」ということが得策だろうと思う。
ただ、この「考える」事自体、脳のタイプによって内容や意味が変わってくるので、それを文章化するのは一大事業だろうから、今は「考える」と書くだけでご勘弁ください。
しかし、繰り返して、繰り返しているのなら、自分がそれを選んでいるとも確かに言えるんだけど、無意識的には望んでいるとも言えるのかも知れないし、キャパシティを超えていない、または、うんざりしていない。
もっとわかりやすい言葉がありましたね、「懲りてない」という可能性だってあるのだから、繰り返す自分を本当の意味では責めていないのかもしれない。変わりたくないかもしれない。
こういったことは精神論かもしれず、脳のクセとして「繰り返しが平気」「ダメージを受けない」「パターンに気づかない」という可能性だってある。
違う精神論で言えば、その今の人生が気に入っていて、変化は要らない。という満足から来ている可能性だってある。
いろんな生き方があるのだから、在る様に人生を過ごしていくだけであって、それは皆同じ。
で、この入れ子の箱現象というか、マトリョーシカ人形状態というかを今日はちょっと異なる意味として理解してみたい。
それは「マルチバース」「多世界」という考え方で、今日はなんと「宇宙の地平」という新しい言葉も登場します。
今日の参考誌
そう、この記事を発売当初に読んでも、私はまだ準備が整っていなかった。が、これを発売から1年以上経過した今だからこそ私も脳内シナプスが繋がり、私なりの理解が進み、文章にすることができる。記事を読まなかったら、一生この手のシナプスは繋がらなかっただろうし。そう思うと、人生の偶然性や連続性が染み入る。
先述した、
世の中には入れ子の箱のように存在している。マトリョーシカ人形のように同じような意味合いのものが何重にも張り巡らされている。
ということから書いていくと、これは量子力学的な考え方の
自然界のすべてが、そのサイズの大小に関わらず量子力学の法則にしたがうという事
ー日経サイエンス 2017/09 「マルチバースと多世界」より引用
という表現に変換できるようです。
私は量子力学というジャンル名だけで、敷居が高そうでその意味が分かるんだろうか? と身構えていたし、簡単に説明すると。というようなサイトを読んだこともあったけど、「それで?」という程度の感想だった。
多分、私が優秀ならそういった事で理解できると思うんだけど、書いてあることを読めるのと、体感として分かるということは私はとってもクッキリ認識できる時があって、この手の事は私がピンとくる解説に出会わなかった。(探しもしないし、学びもしていなから当然の結果である)
だけど、自分なりのルートを通ってきて、今回のような雑誌の記事(正確には論文。可能性の段階の仮定。)を読んだら、ようやく、「なんだ、量子力学ってもう普通に使ってるんじゃん」と思えてきた。今まで特別扱いし過ぎてたことがわかった。
マルチバース(多宇宙)
マルチバース(多宇宙)についてはご紹介した雑誌で読んで頂きたいのですが、
この定義に「永久にインフレーションが起きる泡宇宙」「永久に膨張を続けるマルチバース(多宇宙)という宇宙論」という記述があり、これはインフレーション理論というそうです。
そして、これが量子力学の「多世界解釈」という量子論と数学的に等価なんですって。
空間と時間に関する驚くべき真実か?という考え方をすると、脳内スリップや脳内ワープという私の捉え方もあながち外れていないような感じがしたんですよね。脳内スリップしながらも微妙に記憶の中の過去が変わって行くことや、脳内ワープのような現象がおきつつ、そこでは時間が繰り返されているけれど、実際の私たちの外見は加齢をして変化していきます。脳内ワープを繰り返すその脳すら質的に一定じゃない。一定のつもりが微妙に変化したものが新しく現れ続けています。
これは記憶が変わっていく様の説明にも代用できる。
この現象ってまさに泡宇宙だわ。と思ったし、これはインフレーション理論とも言えるよね?とも考えた。
ということは、これもマルチバース(多宇宙)理論を適応しても良いんじゃないの?と思えた。
そう、ここにも「相似形」を見つけた!と楽しくなったんである。
私がまた登場したのね!
そうです(^^♪
マルチバース(多宇宙)の反対語?は、ユニバースなんだよ!
東京でお会いしたリアルマスターヨーダ(と勝手に私が書かせて頂いているんですが)が、時間について短めの解説をして下さったときに、自分の「誰かが決めた時間とうい概念から ひょいと出る」という体験の後の脳に、という事は時間をどう捉える?という次の段階として私の脳内に「ふむふむ」というスペースが生まれ、その後理解が進み、今回のこの雑誌で現在のところの概念形成が完了しました。
以前の私が、今さっき自分が書いたようなことを言う人が居たら、「でも生きていく上ではこの世界しかないじゃん」と思った。
「それって概念だけよね? 理論上は?ってやつでしょ?」とも思った。机上の空論なら聞く分には良いけど、率先して知りたいというほどの興味がないわ。と。
今ならその時の自分と、今の自分の何が違うのかが分かる。
体験と体感覚である。
世の中には、それを体験しないとその先の理解は難しいってことがある。ということをまたまた思うに至った。
この ↑ 記事の中でも時間について書いていますが、
今回ご紹介している日経サイエンスの記事の中の記載。
時間はもっと根本的な実体から生まれる「創発的な概念」であり、マルチバースのそれぞれの局所的な枝の中においてのみ存在するー日経サイエンス 2017/09 「マルチバースと多世界」より引用
私が読むと、以前の私の気づきを後押しするように読めました。
瞬時に過去の記憶という並行宇宙へ移動したり、逃避や回避の際に「離脱して他世界へ避難する」ということも、それは一定の時間軸で起こっている訳じゃない。という考え方です。
現実というか、この共通認識として時計のある時間の流れは約束事としてあるんだけど、脳内はそんな約束事なんて知ったこっちゃないのかもしれないですね。(笑)
確かに、無意識領域・集合無意識領域には時間という概念はなさそうだ。
この「時間」というのは、今は〇年〇月〇日 〇時〇分 という共通認識の意味です。
知ったこっちゃない。という世界に親しみたい方と、そうじゃない世界が良い方と、脳のタイプによって異なるという事の理解が進みました。だから、回避の1つとして「過去にとどまる」ことだって多くあるけれど、その「とどまっているつもりの過去」すら変化している。
私がノートに書いたのはコレ
汚い字で申し訳ありませんが、過去もどんどん変化をし、未来は選択によって変わって行く。
選択しなかった未来に脳内がワープすることもある。空想ということの1つですね。
そして、今も一定ではなく、随時変化しているので
泡宇宙ここにあり。というように思えたら、もう当面はここから離れにくくなってしまった。
これが最終結論でも特に困らないけど、先のことは分からない。
ということは、過去をずっと遡って前世であろうが、
未来をずんずん進んで1000年後だろうが、調整する入り口は「今」だろうと思う。
それ以外に術がない。
その今も変化しているのだから。
というような事を書き加えたくなったんだけど、これは周知の結論ではないです。
これは私の方針です。
つづく
冒頭に、「今日はなんと「宇宙の地平」という新しい言葉も登場します。」と書きましたが
ちょっと長くなるので次回へ繰り越します。
申し訳ありません。
また少しお待ちください。
今、「こすも」のサイトに旅行記を書いています。
宜しければ、次の記事をお待ちいただく間、旅行記をお楽しみください。(^^)
1、龍脈の上だった? 香港旅行記 旅に出る前準備編
https://cosmos358.amebaownd.com/posts/5404116
2、早速 龍脈について
https://cosmos358.amebaownd.com/posts/5406020
(2018/12/14)