「共振」と「共感」は異なる。「共振」は自他の境界があいまい。カウンセラーは泣いてはいけない?!
書きたいことは山積みで、メモもしてあるのですが
生活のリズムが変わった期間があり、ちょっと脳内モードが変わったようです。
さかのぼれば、今年2018年の8月・夏に書く準備が整った内容に、それ以降追加になった脳内整理が加わった内容を書いていきます。
共振と共感の違い
わたしはカウンセリングの際に、クライエントの話をお聴きしながら涙する、泣く、ことはありません。
まるで他人事のようにお聴きしているわけでは無く、「共感」の気持ちをもって内容を伺っているつもりですが、どうやら泣かない私に起きていないことは言葉にすると「共振」と言えるようです。
カウンセリングが仕事だという事もあるのですが、話の聞き方が違うんだろうと思っていたんですね。
自分が泣かないことについて、特にルールを設けていたわけでは無いですが、最初からそうでした。
そうしましたら、私にとっては朗報。
カウンセリング業界では常識?の、「カウンセラーは泣いてはダメ。」「カウンセラー失格」と非常に強くおっしゃったのが何十年もクライエントの話を聞き続けているレジェンドと呼ばれていた精神科医のドクターでした。
優しい語り口の数時間のお話のなか、かなり強い口調でお話になったが、この「カウンセリングの場で話を聞いて泣くのはカウンセラー失格」というくだりでした。
そして結構強い、大きめの声ではっきりとおっしゃいました。
- 「共振」と「共感」は違います。
- 共振していてはクライエントの話を聞けていません。
ということでした。
私は完全に寄り添えないことだって多いはずですが、何をお話になりたいのだろうか?と集中してお話を伺っているつもりです。
そうすると、こちらの記事にある脳の内側前頭前皮質が活発な状態だろうと思っています。
そして、「共振」するタイプは感情優位で内側前頭前皮質的働きは弱めかも知れないですね。
そう、そしてどうして「共振」が他者理解ではなく、「共感」が他者理解だとはっきり言えるのか?を私なりに書きたかったけれど、おそるべきシンクロニシティで即刻書籍の中に端的に書かれていました。
その書籍はこちらです
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そして、共振の説明の部分に登場する表現としては、それが共感とは異なり
自他との隔たりというものが消去されている。
とのこと。
ある種のボーダー(境界)レスですね。
そういった脳のクセだということだけで、このような話には優劣はありません。向き不向きはあるとは思いますが。
競争はできても、カウンセリング的な意味の「他人に興味が持てない」「他人に関心をもってない」という場合もあるでしょう。
脳のクセによるパイの奪い合いというようなことです。
あぁ、しかしですね、
一緒に泣いてくれて嬉しい。とクライエントがそれで救われるってこともあるので、「答えはそのクライエントの中にある。」ということでもあるのでしょう。
クライエントの中の癒しというか、満足感というかが
- 受けとめて貰った。
- 自分に関心をもってもらっている。
ということでしたら、カウンセラーの「泣く」という行為をクライエントがそうだと受け止めたらよろしいかとも私は思います。セオリー的には共振は自分の反応であるわけなので、追求するとクライエントに共感できていない。受け止めていない。関心による反応ではない。ということになるとも言えますが・・・。
これについては下記のような表現がありました。
他者理解とは他者として他者の存在に接する自他の差異。同化(共振)している時点で自他の差異がない。ー「臨床とことば 心理学と哲学のあわいに探る臨床の知」より引用
これを踏まえたうえでも答えはクライエントの中にありますよね?と、先述の精神科医ドクターにご質問したら良かった。
時すでに遅し。
しかし、今回ご紹介した書籍のなかでも、カウンセラーが泣くことに対しては風向きが厳しいように思えました。
ただ、不肖ながらわたくしが感じるに、「聴き方が違うんだろうな」とは思いましたし、「あぁ今まで通りで良かった。そして、もっともっと良くなるという鍛錬は必要だ」とも思いました。
対話
私の個人セッション・カウンセリングの際は、ご相談内容にもよりますがお話をお聴きする時間も長いし、個人セッションの最中の対話もキネシオロジーテストやバランス調整、触れる手技の種類やケースバイケースですけれど、対話も多目だと思います。
目標設定してキネシオロジーテスト→バランス調整で終わり。ではなくて、お話を伺う、対話をすることもバランス調整の中に含まっている感じです。
体の声もお聴きしますが、考えていることについて口から出る発言もお聴きします。
少し前の記事に
- モノローグ
- ダイアローグ
について書きました。
非言語の対話と言語の対話の両方あるといいなぁ と思って心体カウンセリング™ も行っているわけです。
調和
そして、私が案外長い期間、マニアックな記事を書いている時期がありましたけれど
以前書いたこの記事についても 今回ご紹介している書籍で「まさに」という端的な表現で表されていました。
それは
ナラティブセラピーも1つ間違えると嘘ストーリー
という表現でした。
昔の私は、こういった嘘ストーリーは何かしら「魔」によるものではないだろうか? と1つの可能性も持っておりました。
これこそ、脳内リミックスの中の原始的思考分野だと自覚しております。
しかし、今では「脳のクセ」を多用しています。確かにそうだから。
悪いモノ(今回ご紹介している書籍では 悪い人格 と書かれてた箇所がありました)、悪い考えといういう脳のクセ。それが発動する原因や引き金はあったり無かったりするのでしょうが、回復という状態には長い月日がかかることと存じます。当事者の生き方、感じ方も主軸ですから。
こういったことも、ちゃんとお話を聞いておりませんとわかりません。
それがわかった時の対応も様々です。
これは特に個人カウンセリングとは関係なくても、
「真実はいつか明らかになります」というような言葉が本来意味する、
- 時間が経って情報が集積すると辻褄が合わないことが判明してくる。
- 黙っていた人もほとぼりが冷めたころ自分の身に起こった事実を話すことがあるかも。
という意味の「いつか明らかになる」ではないかと思っています。
盲信していたナニカも、時間が経ったり、いろいろ明らかになってきたり、自分が体験することで「熱」が冷めてくるというような感じでしょう。
ですから恋愛の熱と似ているのかもしれませんね。
可能性としては、内側前頭前皮質が活発な方が真実があるとしたら早めに気がつきそうですけれど、全ては当事者の人生観に大きく左右されるでしょう。
ですから、時間がかかることというのはどうしてもある。世の中の出来事にはそういう類の出来事があるし、多いものです。
短期で白黒つけようとすると、かえって自分が痛むときもありますからね。
辛抱という行為も人生には不可欠かと思うのはこんな時ですが。
この続きに幸福論を書きたいけれど
今回ご紹介した書籍の内容にはなるのですが、この続きに幸福論を書きたいのです。
- 生きやすさ
- 暮らしやすさ
こういったことを心体カウンセラー™ としてご提案しつづけ、具体的なことを書きたいとおもってこういったコラムやブログに筆をこらしているつもりですが、
また1つ、的を得た表現がございました。
それについて、行く末の幸福感、幸福論の参考になるとおもいますので、これは次回の記事で書いていきます。
いつも記事が長いから、短めに終わるように気をつけているの?
おっしゃる通りです。サッと読めるくらいの長さが良いかと思って。
コラムを読んで下さる方から、「あぁ あの記事がよかったからもう一度読みたい!と思っても、沢山記事があって探せない(困)」と聞いたよ。
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(2018/10/16)
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