発達障害の当事者の研究書籍を読んで
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振り返り
前回の続きですが、前回を指すのはこちらです。
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発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)
器質性の出来事をトラウマや感情、霊的な原因探しばかりしても的外れな時があります。
得意な事に没頭することが良かれとも限らない。
また、著者は医療機関で薬剤を処方してもらって、それを服用するようになったら目に見えて改善した傾向があったという事でした。その薬が無かったら今は無い。ということを書かれていました。気になることがある方は、じっくりとこの本を読まれて、選択肢についてリストアップされると良いのではないかと思います。
そして、前回、私の感覚について書きましたが、成長するにつれ収まってきています。収まった理由は具体的には分かりませんが、子供の頃の脳よりも大脳新皮質が発達したことは確かだろうと思うので、そもそもそうやって大人になるにつれ多くのヒトは症状が収まっていく確率が高いのかもしれませんが、やはり各々の脳の状態、突出したスケールの状態、各スケールのバランスなどが「現在」を表す因子だというのは確かだと思います。
身体感覚について
著者とわたし個人の体感覚は、異なる点もあれば、これは同じだろうと思うものもあります。
言語反応
私は自分も漢字を間違えたり、言葉の使い方も間違える癖に、ヒト様の言い間違いに気がついてしまうと「頭の中のリフレイン」が小さく始まります。全画面表示にはならないから、省電力のタスクとしてずっと動いてる。 なんという無駄なエネルギー・・・。自分の問題なので、「それ違うでしょ!」と指摘したり、突っ込んだりしたいという行動にはなかなか移らない時がありますが、それでも省電力のタスクの存在は気になっている。
どこかで終わらせたいので、それはその行動をとったりします。
身体内部の感覚・経絡
私は経絡の「け」の字も知らない時から、感情が動くと、それに対して自覚がなくても「腕」が反応していました。
始まりはいつだったのかな~ 気がついた時にはもうそうなっていた。
東洋医学の「火」に属する腕のラインが反応していました。他は特別感じないので、私の場合はここに関わる感情が強めに動くと自覚できたということです。これを知るまでは、感情とこの腕のしびれのようなものは関連している。という体感だけで終わっていた。
キネシオロジーを学んだ時に初めて、その根拠だと思えるもの「経絡」に出会いました。
この本の著者はこれが全身だそうです。
体感覚が伸びる場合もあるね
私がお伝えしている施術の手技のセラピストコースの集中練習されていたプラクティショナーさんが、ある時(講座最終日が終わった後だったかな?)仲間のプラクティショナーさんに施術を受けている最中に「体の中の経絡がわかった」(感じた)方がいらっしゃいました。
この方は、その後、脳脊髄液の動きなども体感できるように身体感覚が発達されていかれましたね。
元々他のことは感じていたけれど、自分の身体とも親和性が増したのかもしれません。脳が変わったとも言えるかも知れない。
置いてけぼり感・間身体性不全
私が良く使う「体感覚」とは違うのだなぁ と思ったのはこちら。
著者曰く、この「間身体性不全」のために心理感覚の共有が難しいとのこと。
同化や、憑依のようなことにはなるんだけど、心理感覚の共有には至らない。
これが置いてけぼり感という不安になるとのこと。
そうですね、私は以前、心理的感覚を掴むことを不得手に感じているように私が勝手にお見受けしている方について、「運動能力発達の機会が少なかったのかな?」と思う事がありました。
心理状態の推測や推理ということが難しいようだ。と私が勝手に感じたのですが、職業の選び方にも特徴があるようにもMy統計では思えたし、「小説を楽しむ」「心理模様を共感する」ということが難しいのだろうと。
どうしてそれを「運動能力発達の機会が少なかったのかな?」と思ったのかと言うと、脳のクセにやはり一定の傾向があるように思えたそれを「感覚器のクセ。成長する際の発達のクセ。」と捉えたからです。
ですから、何かを感じるからと言って、心理感覚の共有には至らない(例:経絡は教えられなくても感じるけれど、目の前や周辺のかたの心理感覚はわからない)というケースもあるのだという事を再確認しました。
勉強は得意な方が多いように思います。となると、心理は「勉強」する事とは別に、心理感覚の共有が伴っていた方が良いのでしょうね。
しかしこれには、同化や共感覚ではない、心理状態の推測や推理ということがセットになっているような気がしますが。
本当に人間とは興味深いです。
同化や共感覚と、これらは違うという事になると、私の感じた「平面的なスライド複製」のような感覚というのはちょっと似ていますね。
ただ、大切なのは次のことだと思っています。
誰かのフツー、決められたスケールの正常になる必要はあるのか?
著者は「できるけど、しません。」という対処方法を使っているそうです。
私も割とこんな感じです。
依存性の高い「want」ということに、応えられるけれど「私はそれをしません」ということも含めて。イネイブラーという事やいろいろ鑑みて決めます。
事情を知らない方は、いろんなことを言います。
私はこの記事を書いていますが、誰かにとっては「わかっちゃいないな」ということだってあります。
誰かのフツー(普通)には、実態がありません。
脳のクセでは収まりが悪くて、疾患名や障害名を特定したい方もいる。
肝心のあなたはどうしたいですか?
持って生まれたあなたの個性とも言えます。
それをもっと伸ばすことばかりが生きやすい訳でもない時があります。
自分が生きていきやすいルールを探すという考えは如何ですか?
くだらない例ですが、私はカラオケをしません。
音痴でも歌おうと思えば歌えます。社会人になったばかりの頃は「歌いません」という私の希望など誰も聞いてくれなかったから、その場をしのげる曲を2曲位用意しました。全然楽しくない。社会人はこんなもんだと我慢しますでしょ? 私も我慢しました。
これはこれで良かったのですが、今は歌いません。
わざわざ、思い入れもない曲の歌詞が脳壁にこびりつくのが嫌なんです。思い入れがある曲をカラオケで歌えるようにする根気もない。
ヒト様が歌っている分には「聞き流す」能力がパワーアップしたので大丈夫。(昔は何でも覚えていてしまったので、歌う人、画面に流れる歌詞、食べ物を頼むの・飲み物を頼むのという目配り、聞こえる範囲の話し声を意味もないのに記憶していました。私以外は酔っぱらっていて、その場しのぎのカラオケで、何かを記憶しておく必要などないのにアホみたいです。)
自分の生きやすいルールを理解するのにかかる時間はそれぞれでしょう。
「脳のクセ」だけに焦点を当てているのと、「生き易さとはなんだ?」に意識を向けるのとは違いますでしょ?
それはあなたの周りの方についても、一度この視点で見てみると良いですよ。
ですから、
誰かのフツー、決められたスケールの正常、発達障害なら〇〇がスゴイでしょ?という他人様のことはいったん脇へ置いておいて、状況を整理されていくことをお薦めします。
その際に心体カウンセリング™ をご利用ください。
余談ですが
この本(発達障害当事者研究)で読んだときに、脳のクセで、しつこく例を挙げる、という傾向があるそうです。
それを読んで私に浮かんだのはこの本。
ひょっとしたら、本当の著者か、大幅に日本語になって変わった居たとしたら訳者が言語のこだわりの脳のクセがあったと推測しました。
予告
このシリーズはまだ続きます。
次からは、こっちが私にとって(自分の諸症状)にとってはストライクではないか?とふんでいたのです。我がための本ではないか!? と。
その読みは、あまり当たらなかったけど、しかし、このシリーズには理解を深める良い本でした。
(2018/06/25)
訂正
今回最後にご紹介した書籍の内容が、今回のコラムの内容に混ざっておりました。紛らわしい内容になり申し訳ございませんでした。
次回のコラムでも訂正いたしますので、合わせてお読みくださいますよう宜しくお願いいたします。
(2018/06/28)