あなたの周りのパイの奪い合い。 嫉妬やヤキモチも同じでは?
アメブロに「パイの奪い合い」について書きました。
https://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12383024116.html
今日はこれについて書きます。
Contents
世の中の「パイの奪い合い」を見てなげく
世の中には人気のある方がいます。その周りに居る方がその方を取り合っているというようなことを見たり、自分がそれをしたことはありますか?
家族で言えば、兄弟姉妹の親の愛情争奪戦でしょうか? 気にしていない兄弟もいる、気にする兄弟もいる。
学校で言えば、先生の争奪戦。良い子でいたら目にかけて貰える。ひいきされる。
会社で言えば、上司に気に入られたり、出世するにつれどんどん少なくなる役職の椅子の争奪戦。
そうだ、恋愛で言えば、好きな男の子(女の子)の取り合いとかね。もう男の子、女の子の年齢を超えて、老齢期になっても恋愛の争奪戦があるそうなので、パイの奪い合いに年齢はあまり関係なさそうです。
財産を骨肉の争いをして陣取り合戦をするのもそうでしょう。
確かに、希望を言えば、共存共栄なんですが、現実にはナニカの奪い合いはありますからね。
争奪戦が悪か? といえばそうとも言えないですしね。
同期入社の社員が全員専務になりませんしね。その方が結局今の世界では混乱を招くでしょうし。
そういったことを見るにつけ、パイの奪い合いになると燃えるという性格は幸せなのか?と思う時がありました。
競争が好きという性格はある。
わたくしこの手のことがめっぽう弱腰で、競争社会で勝ち取っていく方に質問もするんですが、そういった方の多くは「競争は燃える」と答えてくれました。
一方、競争をしているつもり無く、勝ち残っていくようなケースも知っています。
しかし、「ライバルがいるとやる気が一層出る」とおっしゃる方も多い。
言葉にしなくても、自分以外の誰かがいるから「やる気が出る」「負けちゃおられない」と思うのはありますでしょ?
外見が穏やかだとか、言う事が優しいとか関係ないですよ。
ですから、パイの奪い合い意識は誰にでもあるけど、表出する程度やそれに関する行動に個性が現れる。
いくら勝つからと言って、私はそれはしないな~ 出来ないな~ と思うようなことも、「あんたはそんなことを言ってるからダメなんだ」と言われたこともあるし、選択の際には個々の脳のクセも大きく係わるでしょうね。
脳のクセに流されないために、価値観や倫理観に照らし合わせたりと、まぁ方法はいろいろあるますけどね。
私は、競争となると腰が引けて、誰もいないエリアに逃避したくなる傾向もあるし、勤め人の頃、仕事などでコンペがあれば選ばれて売り上げをあげなきゃいかんという事になると逃げてる場合じゃなくて「指名」というパイを奪うために知恵を凝らしたり、智慧を借りたりもしたことがあります。
向き不向きはあれど、やらんといかん時もある。
特定のヒトを「奪い合うパイ」と見る人、見ない人
好きな人を独占するために、欲しいものを独占するための他者を排除する行動なども、その自覚の有る場合も、自覚が無くてもう自然にやる方もいます。
難癖付け、揚げ足取り、完璧じゃないところをジャッジするなど、このような行動や思考もパイの奪い合いに含まれていることもある。
私は苦手なこのパイの奪い合いに参加するほど誰かに執着することが少なくて、
実際、パイの奪い合いなどに私が参加しないという言動を見ていた方から「社会脳が発達しているんだね」と言われたことがあります。
これを社会脳とみるか、下の記事にも書いた、「内領域の内側前頭前皮質」が強いというか、よく働いているとうか、活性化していると言うのか、視点は様々ですが、これのおかげで、特定の人に執着するということは余りないんですね。
もし気持ちは執着しても、行動にはなるべく自分の人生観を反映させたいんです。「世の中はパイの奪い合いではない」という人生観を実践したい。執着があるようなら、自分のその心を見つめたら大抵原因があるので、それを治めていくという方式をとっているつもりです。
誰かを取り合う。というようなことはもうとても苦手で、特に恋愛などはライバルがいると燃える方がいるそうですが、私はただ恋愛の熱が冷めていく一方です。ですから、相手の方がグラグラするタイプの方ですとこの手の戦闘能力の低い大抵私は負け組です。しかし、グラグラしない方とお付き合いした方が結局自分が幸せなので、負けて上等ということでもあるんです。
(私の恋愛対象は男性なので)「俺ってモテちゃって しょうがねぇなぁ」などと悦に入って、浮足立ってグラグラするような方は、まぁ結局その後もあわよくば別のチャンスがあるとグラグラするんでしょうね。すると私がハッピーではない時間が増えるよな~。と理性が働いて パイの奪い合いから途中退出しちゃっうんですよね。
ヤキモチを焼かせてやろうとされたことも若かりし頃ありましたが、こういった恋愛のコントロールは私には逆効果でした。ヤキモチを焼くようなことをわざとされるという事が「好き」という執着の火を消すんですよね。
結果それが良かった。私の脳の傾向に向かないお付き合いは続かない。
そして、グラグラしない方、コントロールしない方とお付き合いすると やっぱりハッピーで穏やかな時が訪れます。
『こんな時(恋愛の争奪戦)に「世の中はパイの奪い合いではない」なんて高をくくったような事考えてるなんて霞でも食べて生きてんの?』と言われかねませんが、しょうがない。(笑)
占いによると「好きなヒトを手元にとどめておきたいという執着が足りない」と言う事でしたわ。
そうだと思います。
奪い合いを見ると、勝手にその心理を推測して ちょっとげんなりするんです。という自覚もあります。「これも現実」ということがげんなりする。
そんなことを言いながら、私が気になることには思いっきりパイの奪い合いに参加しているはずなんですが、気がつくとそれらから退出するという気持ちです。しかし、こういった選択が良いのか悪いのかわかりません。
生き抜く力が弱いようにも感じるし、精神的には楽な気もする。
ただ、人生観という実態のないものに取り入れた考え方なのですが。
嫉妬をされる人生は価値ある人生
Facebookでどなたかがシェアされていた記事からこの一言だけが記憶に残りました。
「嫉妬をされる人生は価値ある人生」という一文でした。
当人はパイの奪い合いに参加するつもりがなくても、嫉妬や妬みということは起こるようです。
「もう! 嫉妬しちゃうわ」という口に出した時点で、大した感情は無く、ただ言っているだけ。という事もあるし、全く気にしていない体でニコニコしながら「その手を使う?!」というちょっと根深いタイプまで様々ですけれど、
ヒトによっては、こういう感情が頑張る力や成長欲に繋がることだってありますよ。
先述の、私が過去出会った、営業成績がよく優良社員の方や、フルコミッションで働く驚くべき納税額の方も、様々なタイプの方がいました。
パイの奪い合いだとしたら、そのパイの大きさも多種多様で違うんですよね。
小さいところでそれをして恨みを買いつつ勝者になる方もいたし、狭いところでも恨まれない方もいた。
広いところでそれをしてスマートに仕事をしている方もいたし、広いところでも恨まれる方もいた。
あなたが嫉妬をするタイプなら
執着しないと嫉妬もしないものですか?
ということは、嫉妬は執着から生まれますか?
それが脳のクセだとしたら、対処方法に精神論をもってくるのはやっぱりちょっとズレちゃう。
嫉妬癖を改善したいとご本人が望めばですが、場合によっては精神論の前に脳のクセに対処する方法が先決だろうと思えます。
あなたが嫉妬をされやすいタイプなら
何故私が?と凹むケース。そんな時は、「嫉妬をされる人生は価値ある人生」と思って自分を労わるのも1つ。
嫉妬をされると、それが生きる活力になる方もいます。「皆が私に嫉妬をする。当然だけどね」とダメージを受けるどころか、プライドが満足するタイプ。
この場合は、パイの奪い合いに参加中の方でしょうね。
もう少し考えてみよう
私もそれなりに生きてきまして、世の中のパイの奪い合いシステムについて体験談も積みました。
パイの奪い合いを煽るヒトがいる
デマ、噂を流して、争いごとを起こすことが好きな方がいます。
まんまとそれに乗っかって、何かしらのパイの奪い合いに知らず知らずのうちに参加しちゃってることって少なくないですよ。
当人が気に入らない、好きじゃないことから端を発していても、「私は気に入らない、好きじゃない」とは言わない。「私が」という主語は使わず、大抵は正論を持ち出してきたり、伝える相手の弱いところやプライドをくすぐったりとコントロールします。
扇動して、競争心、嫉妬心を刺激して、その先のことを仕事にしている方もいらっしゃる。
コンサル、マーケティングという言葉も使われ方が様々なのですが、こういったことも手法として使われている方もいる。
そして、神輿に乗っける
自分が気に入らないナニカを、目立つ人に投影して、その当人同士を対抗馬のように比較して、自分は蚊帳の外というポジションをキープしたまま、実は将棋やチェスのコマのように人を動かしたり、自分は隠れていてご贔屓を前面に出しつつ遠回しの意見をいって心理コントロールする人。
自分はパイの奪い合いに参加していないつもりで、自分はまったくの善人だと信じているケースもあります。
かと思いきや、これをわざとやる方もいる。自覚がある。
私が過去厄介だと感じたレベルは、無自覚も自覚ありも同列です。無自覚なら可愛げがあるわけじゃなかったから。
切羽詰まってる
なにかしらの理由で切羽詰まっていることだってあります。
溺れる者は藁をもつかみますが、目の前のパイを奪う事しか目に入らないほど切羽詰まっていることだってあるでしょう。
パイを奪うことが人生だと学習した
おそらく、世の中にはパイの奪い合いしかない。と学習したケースもあるでしょう。
環境が人を創ったのかもしれないですね。
おそらく、平和で安全という環境ではなかったのではないでしょうか?それは実際的にという意味でも、その方の心の中は。という事でもあります。
プライド
立場失墜の恐怖というようなことでしょうか。
・・・本当に失墜しますかね?
これは真実? 法則?
私は「世の中はパイの奪い合いではない」と思いたいから、そう行動したいわけですが、真実は知りません。
パイの奪い合いが世の中の法則だと真実があるのかも知れないです。
また、私がそれらに参加したことが無い。などと書くつもりも全くありません。あまり非道なことはしていない(多分)というだけで、心の中に感情が浮かぶことだってありましたが、ただ、自分の人生を好きになるたびに減っていくことは確かです。
私が持っていたパイを奪われたような気持になったことも何度もありました。こんな時は横取りされたように感じるものですが、そう言うものから生まれる被害者意識も心が満たされてくると薄らいできました。
またまたもう少し進んで考えてみる。どう生きていく? なにを選ぶ?
嫉妬も現れ方が入り組んでおりますよ。
婉曲的ではなく、それがストレートなら良いのか?という良し悪し論ではなくて、もう色んな事が「パイの奪い合い」として実際に起きています。
こういう目に見えるものや見えないものの争奪戦が無くなるとは思ってないし、多分これが人間の性(サガ)だろうし、脳の反応だと思うんですよ。身体の反応でもある。
世の中から、というより、人間の脳から「不安・恐怖」が消滅しないかぎりあるんだと思う。というのは、不安と恐怖が標準装備されているうちは消滅しないだろうという意味です。
これがデフォルトだと真に理解すると、「うんざり」している場合じゃなくて、「どう生きるか?」という事にフォーカスしていくことが建設的ではないかと思うんです。
感情を無くすことが目的ではなくて、
- 嫉妬について、深く深くバランス調整していく
- 不安について、深く深くバランス調整していく
- 恐怖について、深く深くバランス調整していく
このような事が具体的な行動案になり、自分の人生を見つめるきっかけになるだろうと思うんです。
欠乏感をバランス調整しようではありませんか
欠乏感をストレスケア・バランス調整しましょう。
満たされていたら パイを奪う必要が無いんです。
満たされたことの無い方は、パイを奪う必要がないというセリフを聞いて「そうやって安心させて、その隙に裏をかくつもりだな」と思う事を過去の体験で知りました。それに気づいた時は驚いたし、とても悲しかった。
若かりし頃で、そんなつもりが全くない私個人が、そんな疑われ方をしたということが悲しかったし、非常に汚れたような気持になった。
そして、ヒトの「心」が悲しかった。生まれたての赤ちゃんから「今のその心」になってしまったことが。
「あぁ 安心が無いという事はこのようなヒトの状態を生むのだ」とも思ったし、そのずっと後には、自分を自分で満たすという事をしないことも自己虐待だな。とも思った。
人生を大切にするつもりがないんだな。と感じてしまって悲しかった。(他人の人生なのに。その方が自分で選択しているのに。)
しかし、今となっては、「自己虐待」ということから回復する対処法、回復法があることを知っています。
回復法を知っていても知らなくても、そもそも当人がそこから脱出するつもりがあるかどうかは本人次第です。
あぁ もう人生をやり直したい! と心の底から思う事も大きなきっかけになりますからね。
しかし、これも精神論。
トラウマ、PTSD、脳のクセ(発達障害や、〇〇症候群と表現されますが、障害というより生まれた時からの脳のクセと思っています)により、それが自己虐待になるけれど、だからといってどうしても自力では行動変容出来ないという事もあります。
そんな時こそ統合心体カウンセリング™ を利用して欲しいのです。
最近どんどん感じているのは、脳のクセによる思考と行動で息苦しさを感じている方がよほど多いという事です。
精神論とかでは対処法にならないんだな。と。
優先順位は、精神論でもなく、読書でもなく、心体カウンセリング™ よね?と思うことがあるんですね。
感じ方が変わることがどれほど大きな一歩になるかということを体験して頂けると嬉しいです。
補足
最後に下らない補足です。
冒頭のリンク先のアメブロにも書いた通り、私は「世の中はパイの奪い合いではない」という言葉をいつ脳内にインプットしたのか忘れていました。どうやら干支が最低2つはまわった?という昔に仕入れたんだと感じていますが、体感覚はもっともっと昔な感じです。
で、この本に「パイ」という言葉はあるけど、イラストや写真があるわけじゃないものですから、現在に至る途中に、「あれ? パイってアップルパイとかのパイだと思い込んでいたけど、こっちのパイかな?」とグラグラした時期がありました。
そう、麻雀の「パイ」
奪い合うって、確かにそう見えるし。(笑)
弟に「世の中はパイの奪い合いではない」っていう言葉のパイって、麻雀のパイじゃないよね? と聞きましたわ。
アホでしょ?
まぁこんなもんです。 ・・・・お粗末。
(2018/06/15)