心地良い状態になって「引き寄せる」という説について
実はもう満腹です
正直申し上げて、引き寄せの法則などについては、もうお腹がいっぱいです。
書籍も読みましたが、研究するほどは読んでいません。
いろいろ見聞きしたので、それを書物的に検証したかった間は読みました。
以前は、へぇ そんな法則があるんだ! とまずは話を聞き、本を読みましたが、「これってホント?」と思おうと思えば思える。(笑)
で、月日が経ち、興味がなくなりました。
- 一種の念力のようなものを使って引き寄せるという説も
- ここち良い状態になって「引き寄せる」という説についても
引き寄せとか関係なくてその状態(いい気分)で十分じゃないかな。と私は思っているのですが、もうこれが最後で良いよねと思いつつちょっと記事を書いてみます。
引き寄せたいことがなんなのか?
引き寄せの多くの法則的には、引き寄せたい物の大小などは関係ないという解説があったように記憶しています。よく例え話に使われる「1円」も「100円」も「1,000,000円」も一緒だというお話や、よりリアルに描けとかね。
それで思う通りになっている方がいらっしゃるのでしたら、それで良いでしょうし、全然うまくいかないからこそのめり込む方も思う存分研究されたらナニカわかってくるかもしれない。
「いかん、いかん、また心地よい状態じゃなくっていたよ」と、こういった事をリマインドするような出来事が起こるという事は、奥底で心地よさを感じることが定着するのが難しいのだろうという仮定をしています。
心地よい状態もいろいろですからね。
- 創りだした妄想もあるし
- 湧いてくるような状態もあるし
- 条件をお持ちの方もいるかもしれないし ということです。
心地よくならんといかん! 心地よくなろう! と努力してその状態になる時もありますもんね。気分転換に散歩したり、緑をみたり、海を見たり、お気に入りの音楽をきいたり、好きなものを食べることもあります。その状態を求めてアレコレ試したりする。
自分に合った心地よい状態になりやすい条件などを。
ひねくれバイアスが働きますと、「探して得る心地よさって、それなんなの? ホンモノ? 創りだしたもの?」と引っかかったので、今までもブログに書いたことが何度もありました。
が、今となってはそれがその方の心地よさなのですね。と理解できるようになっています。他人の私がつべこべ言うことじゃない。
イチイチうるせーよ。ってことですね。
大変失礼いたしました。
信じるものが違うっていうのは、こういうことだよね。と。
生きたいように生きるってこういうことだよね。と。
望めば叶う
望めば叶うっていうのも、引き寄せということで解釈できるんですが、スタート地点の姿勢・立ち位置が異なっているような感覚が私にはあるんですね。
法則をつかってやるぞ。というのはなんだか強く感じる。自分ありきなような。
望めば叶うというのは、人生の流れを感じる。全体性が感じられるような気持になるんですね。
勝手な私の感覚ですが、そもそもその法則を使うぞ!という意識、意図ということに反応している模様です。
望めば叶うだって、よしこの法則を使うぜ!と思えば同じ事なんだけど、この違いは多分、私が読んだ書籍の書かれ方の違いでしかないのかもしれませんね。
それも日本語訳を読んでいるので、訳者のセンスも書籍には反映されますからね。
引き寄せの法則。ということで書かれている事よりも、望めば叶うというタッチで書かれているものの方が人間愛を感じることが出来たという出会いが私の価値観に影響していたんだというだけのことです。
心地よい状態を考えてみよう
人間には変化を嫌う脳の反応があるようです。精神の作用という言い方も出来ると思う。
ですから、変わらない方が心地よい方も絶対数が多いのだと考えています。
変わったつもり。ならば心地よいのなら、そういう変化があるでしょう。
感情などが大きく影響していますが、感情も誤魔化すことができるし。
自分につく嘘という言葉があるんですが、この嘘は感情を無視すること(創り上げるこのも含めて)が根っこにある。
じゃあ、心地よい状態の指標が何かあるの? と思った時に、それがよく分からないんですよ。最近特にわからなくなりました。
脳のタイプによる
分からなくなったのは、精神論ならまだわかりやすいけれど、脳のタイプで感覚が大きく違うという事の理解が進んだからです。
それは、苦しいことも、厄介な事も、自分がそれを引き寄せているなどというセリフに類することではなくて、心地よい状態のバリエーションがありすぎて、一概に「その状態になりきる」「ビジュアル化する」ということに関しても「心地よい」に繋がらない脳の仕組みがあるんじゃないかな?と思うようになりました。
どうもピンとこないわ。とこの手の教えや法則を手放すことができるのならともかく、出来ないのはやり方がおかしいからだとのめり込むのも違うんじゃないかな。と思えてしょうがない。
ですから、「いかん、いかん、また心地よい状態じゃなくっていたよ」と、こういった事を何度もリマインドするような出来事が起こるという事はそもそも出発点が違うのかもね。と推察するようになりました。
それは、自分の人生を生きるというよりも、法則に自分を当てはめていくというようなことになっていないでしょうか?
この先もあります
何かに則す。教えに従う。という事が好きな脳もある。
そこにはなんにも則すものなんてなくても、「これに則す」と実際のなにかや、架空の何かを自分の枠、指標を想定することがある。それにより安心感も得られます。
善悪なども、それは悪でしょ! と思うことを別の方が見たら善と判定することもある。その逆もある。
そして、こういった事を哲学するのが好きな脳もある。
私は以前、自分の進み方のゆっくりな様を自覚していると書いたことがあります。
本当にゆっくり。
それは、いちいちちょっと考えてしまうからです。スピード感がない。
しかし、こんなことを子供の頃からやっていると、処理スピードがあがるんでしょうか? ちょっとスピード感も出てくるんですが、それでも一々考えるから遅い。
考えられる脳と言えばそうかもしれませんが、できる・出来ないではなくて、ただ単にそういった脳のタイプなんだと思います。
できる・出来ないではなくて、「好き」「そうしている方が楽」「そうしていたい」なんだと思います。
そう思うと、考えたくない。それが苦手な脳だってある。誰かに決めて貰う方が楽ということは脳のタイプからきていることも多いでしょうし、精神的なこともある時もある。
ですから、もう引き寄せの法則も興味の対象としての時期が終わりました。
自分がそれについて「もういい」と思っているから。以前のコラムにも書きましたが、自分がナニに引っかかっているのかが理解できたからです。
こうなったのも、ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント プラクティショナーであり、キネシオロジー仲間であり、深層リンパドレナージュ協会のセラピストさんである仲間のお1人が、よく例え話に使われる「1円」も「100円」も「1,000,000円」も一緒だというお話についてと、よりリアルにイメージする!について「もうこれについて完全に終わって良し。」と思えるほどわかりやすいご意見を聞かせてくれたからです。確か、名古屋で開催した「キネシオロジーの理解を深める講座 プチ合宿」の時だったと思います。
秀逸でした。
ご本人に記事に書いて良いのかを確認していないので、まだちょっと具体的な話を書くのは控えますが、これにより引き寄せの法則について考えてみることは一旦閉店しましたが、「心地よい状態とは?」という事についてはまだちょっと考えていたんですね。私ってば。
私の体験
私も、散歩したり、プチ森を歩いたり、海を訪れたり、ドライブしたり、好きなものを食べることも含めて、気分転換にアレコレ取り入れていますが、なんにもせず、ただ生きているだけで心地よいという月日も過ごしましたので、心地よいというのは感じようとするものとはまた一段違う状態もあるな~ということを実感しました。
自分をその状態に持っていこうとしなくても、本当に心地よければもうそうなってるんじゃないかなと思う時間がありました。
私のお薦めは、脳のストレスケアに非常に適しているこちらです。
自分ではその領域に達しにくいけれど、カラダも含めて全身で心地よい感覚を記憶するのはこちらが良いです。
ストレスケアをしたら、心地よい状態に自然になっていくということは既に体験済みです。
あなたも生きやすさのお供に取り入れてください。
あなたの感じる「生きやすさ」こそが結局のところ あなたが引き寄せたい、求めている状態ではないかと思っています。
(2018/05/21)