手技の違いと特徴~キネシオロジー・深層リンパドレナージュ・ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント
私はタイトル以外にも複数の手技を行いますが、
今日は代表的な手技について、私が感じている違いについて書きます。
Contents
実は前の記事に随分と書いていた
1つ前の記事とはこちらです。↓
あっと! リンクは貼りますが、その下に該当箇所を抜粋しましたので、後から読んで頂いて大丈夫です。
ナニモノ? 銀さんって? 急に・・・
最初に該当箇所の抜粋です
※補足していますので、元の文章から大きく異なる個所があります。
調和・統合という事を考えた時に、
私の心体カウンセリング™ は個々の心と体のオーダーメードということを謳っておりますのでその時のクライアントのベストな自然発生的統合を目指しております。
それが、キネシオロジーと深層リンパドレナージュ、ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント(ボディワーク・ボディメタファー)の大きな違いだと思うようになりました。
えっ?! どういうこと??
キネシオロジーと深層リンパドレナージュ、ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント(ボディワーク・ボディメタファー)の手技それぞれが、クライアントへの働きかけ方が全く違う。
手技が違うという意味ではなくて、根底が違う。
「バランス調整」を目的にしているという点は同じです。
「バランス調整」が起こるということも同じです。
「バランス調整」の際、特に統合・調和ということを取り上げた際に、キネシオロジーだけでなく、やはり深層リンパドレナージュ、ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント(ボディメタファーもかなり優秀だけれど)というボディワークで、意識や意図が無いものが大切になってくると今は感じています。
意識や意図が無いものという意味を書くことがなかなか難しいのですが、今日は精一杯書いていきます。
ボディワークも、〇〇の動きを改善する。という治療的意識・意図の無いものが良いです。というのも、それがあると既に大きな意味で「ある特定の目標設定がある」キネシオロジーバランス調整と一緒だと考えました。
特に、目標設定という事はバランス調整を行う際に最重要だと言われる場合があります。
しかし、私があくまで個人的に捉えていて、なおかつ、以前、ボディワーカーさんが紹介しておられた書籍を最近読みましたらば、使う言葉は違うけれど、意図や自意識について同じような「それに囚われない」という考え方が書いてありました。
例えが適しているのか自信がないですが、
愛を沸かせようと思って沸かせられますか? 愛は内側から意図せず湧いてくるものとは言えませんか?
(う~む、これは愛が湧きおこる経験が無い方には適していないですね。)
自然発露というものは、意図が無い湧きおこる発露のことです。 これはコントロールによるものでもないし、意図的でもない。
では、別の例を
あなたは当たり前に行っていることが、他人から「すごい」と言われることはありますか? 当たり前なことって意識していることが少ないのでは?
凄いと言われなくても良いんです。
あなたは当たり前に呼吸をしていたり、心臓が動いていたり、血液が循環していますでしょ? コントロール以外のことも勝手にいろいろ考えますよね? 神経が反応・反射することだってそう。
自動的に、自発的に起きていることは多いし、多くのそういった事の上に「意識している私達」が存在しているというイメージです。
ですから、「〇〇についてバランス調整をしよう」という時点で、受ける側、行う側でやはり制限がある。そもそも「〇〇について調整しよう」という制限を設けたわけですから。
これが必要な時もある。必要というより、大切だし、時として最優先事項の時だって有る。
そういう意味で、かつ、施術者が無・空・ゼロポイント・平の状態で
ヘッド&フェイシャル経絡トリートメントや深層リンパドレナージュ(ボディメタファーはまたちょっと違ってセラピスト・カウンセラーの影響は受けないのだけれど)行うのならば、そこに制限は限りなく無くなり
その時のクライアントのベストな自然発生的統合が起きやすくなるという実感です。
以前の記事で、「気を送りながら施術するのはNG。気を送るのはこれらの施術中ではない時にするというルール」という事を書きましたが、気を送るという手法を否定しているのではなくて、施術中に気を送るという意識・介入をしないで欲しいとうことです。
施術者が無・空・ゼロポイント・平の状態で居た方が良さそうだとう実感からです。
無・空・ゼロポイント・平の状態になれないなら、スピリチュアル的な余計な知識・行動など無い方が好ましいと思っています。
ですから、施術者は自分と調和していた方が良いし、統合もどんどんしていく方が良い。おそらく「自分だけは大丈夫」っていうことも少ないだろうし。人間だから社会生活を送っていたり、エゴが動いたりしたらストレス反応が現れますからね。
施術者に限らず、もう当たり前にどなたでも、セッションを受けたり、意図の少ないセルフケアもセルフケアに加えたり、スキルを習ったのなら練習会に参加することは有益だと思っています。
深層リンパドレナージュは身体の知識などがやはり必要ですが(お子さんでも出来る家族コースは除く)、
ヘッド&フェイシャル経絡トリートメントは、思いやりの心がありつつ、無・空・ゼロポイント・平の状態になるのが上手な方が手技もお上手。
手技をするのがとても好きだというのは、自分も気持ちよくなるからです。
知識は後からついてきますので、まずは手技をしたときの自分の気持ち良さがわかる方がやはり向いていると思う。
そういう意味の体感覚は大切ですし、その感覚は施術を重ねれば育ってきます。
それがまた、自分の自己統合・自己調和にも繋がるという光のループです。(本気で書いていますよ)
ボディメタファーを最大限に使うのなら、私と一緒にやりましょう。ちょっとしたコツがあるのです。調整したい自分以外にもう一人いると良いこともあるものですから。
施術者が心地よければ一層、その時のクライアントのベストな自然発生的統合・調和は促進されるように感じています。施術者はその時に何も目標設定をしていないし、意図もしていない。
施術はしているけれど、介入はしていないという感覚がわかる方には解ると思います。
介入はしていないけれど、ちゃんと寄り添っているという感じです。それが思いやりの心のようなことです。集中力とも言えるのかもしれません。
もっと簡単に言うと
- 探そうとしないこと
- 探ろうとしないこと
- 原因を気にしないこと
- 何とかしようと働きかけないこと
- 行う側が気持ちいい・良い気分でいられること
そうなんです。
何度も書いているように、キネシオロジー的手法 いや、原因を探ろうというカウンセリング・セラピー・ヒーリング・チャネリング・リーディングなどとは、もう全く出発点が違うという理由がこういったものです。
こんなに簡単にまとめていたのなら、もっと早く書いてよ
申し訳ありません・・・・(汗)
あともう1つ、キネシオロジー的手法と書くと語弊がありました。
前回の記事もそうでしたので、そういう意味ではないとご理解いただきたいです。
「原因や課題、トピックを調整する手法全般」ということに訂正します。
アルゴリズムのあるものと無いものの違い
冒頭に戻りますが、「内からの自然発生に任せる。統合の自発性に任せる。」のと「統合のアルゴリズムを今から行いますよ」という時点で目指すものが異なるんですね。
出発点が違うという意味で。
私がご提供している手技のジャンルでいうと、
キネシオロジーセッションとボディーワーク・ボディケア(ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント、深層リンパドレナージュなど)になります。
これが、教えられた手順を行う事と、「場」を創る事の違いだろうと今は考えています。
ですから、私の感覚的に捉えている「統合」の意味合いがおそらくちょっと異なっているのですが、
それは、統合を意図して行っている手順なのか?、自然発露が起きやすい環境づくりなのか? がそもそもが違うからだろうというのが個人的な意見です。
言葉は同じだけど、やろうとしていることが違うと言えるのでしょうか?
ですから、そもそも違うものなので、優劣はないかと存じます。
本当にこれは大切なことです。
私は、総合心体カウンセリング™ を、多面的・多角度の調整だという感覚がありますが、多面的という感性も、多角度という感覚もひょっとしたら私だけの身体感覚かもしれません。言葉は同じでもその言葉の使い方が違っていることは世の中に多いし、一方言葉が違うけれど一緒の感性だってこともありますから。
キネシオロジーセッションの際に、キネシオロジスト側の思考がアレコレ動いて、働きかけようとした時点で、それはある種のアルゴリズム・手順というレールを敷いている。
そういう意味で意図があるものと、無いものという意味でもあるのです。
ですから、何度も書きますが、優劣は無い。
介入しているということは、筋反射をとっている時点でそこに含まれることもあるけれど、キネシオロジストが無・空・ゼロポイント・平の状態で、かつ、手順や、進め方などを考えるという思考が無いときは、バランス調整が起こり、その上奥深くからの自分との調和や統合が起きることもあるでしょうね。
ひょっとしたら、共感力のようなことで施術者が何か感情が動いたり、自分のストレスと反応しあうような時は、自己調和がちょっと外れているだろうから無の状態でいるつもりでも、それはまたちょっと違うかも知れないです。
私も心理カウンセリングを行い、お話を聴きます。
クライアントの課題に対して積極的に調整するというサポートの大切さをわかっているつもりです。
私自身も数えきれないセルフキネシオロジー調整を行ってきました。トピックも課題も目標にしたきたわけですが、ボディワーク・ボディケアとの併用をするようになりましたら、それは一面的な感じ方だったということが理解できました。
素晴らしい一面で、一面だけでも十分だと思っていたのですが、もっと素晴らしい状態があると知りますとアウトプットせずにはいられないのですね。私が。(笑)
だからこそ、課題調整とクライアントの統合力を促進するボディからの働きかけを併用した総合心体カウンセリング™ を心から薦めています。
課題を何度も調整するだけよりも、これらの併用で回復の角度・アプローチをする多面を併用することが回復力を一層早めるようだし、その時のクライアントのベストな自然発生的統合ということが起きやすいと強く感じるし、次に書きますがそれが強固にも感じています。
エネルギーの状態の違いという言い方はできるだろうか?
介入をしないということの大切な一面に
クライアントご本人の純粋なエネルギーが循環するようにも感じます。
「満たされる」という感覚を覚える方が多いのですが、誰から貰わなくても自分と調和したら満たされたと感じると思う。満たされたら次はあふれ出るのではないかと。
統合や自己調和が起きる時間には個人差があります。
あなたは何回の施術でこういった感覚を味わうことになるのでしょうね?
セルフとは違うのは、やはり行っているのが自分であるということと、そこにはどうしても自己介入があるからだと思います。
自発的な神経回路・シナプスの形の変化と感じることとは?
やはり強く実感しているのは、体からのアプローチ(キネシオロジーテスト以外という意味の)を受けてみて、初めて開く扉もあるということです。
それは、体からのアプローチ・刺激により日頃連携していないシナプスが、コンタクト(反射・反応)が起きて新しい回路が出来るという事ではないかな?と考えています。またはシナプスの大きさ(結合強度)が変化するということをクライアント自らに起こる。
その時に、自発的な統合という事の方がひょっとして強固なのではないだろうか?と睨んでいるわけです。(あくまでも個人的な意見です)
やれやれと言われてやる。ということと、自発的にやる。ということの違いをイメージして頂けるとちょっと似ているのかな?
例えば、セルフバランス調整も自発的に行っているけれど、「良かれ」とか「エゴ」「その方の常識」によりバランス調整を行っているという意図があるのでしたら「やれやれと言われてやる。」というジャンルに入っていることもあるでしょう。
こういった表層ではない深層・本質(と、私が考えている)の意味合いは、「バランス調整しても戻る」ということの根底とばっちりリンクしているとも考えています。
先ほども書きましたが、セルフとは違うのは、やはり行っているのが自分であるということと、そこにはどうしても自己介入があるからだと思います。
まとめ
目標を掲げて行うカウンセリング・セラピー(例。キネシオロジー心理カウンセリング)と
目標はなく、整えるカウンセリング・セラピー(ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント、深層リンパドレナージュ他)を私は行っています。
それを併用しているのが、総合心体カウンセリング™ です。
併用した総合心体カウンセリング™ を行っていたら、予定していなかったヒーリング(https://cosmos358.amebaownd.com/)が起きているようだと理解するようになりました。
施術や手技の名前や呼び方が必要なのでいろんな名称がありますが、
自分に還る。とか、本来の自分になる。とか私もいろいろ伝わりやすいかと思って言葉を使いますけれど、
自己統合
自己調和
こういった事が、突き詰めれば 生き易さ、心の平和 に直結していると思うようになりました。
真我体験?
ヘッド&フェイシャル経絡トリートメントで得る感覚を「真我体験」とおっしゃる方もいらっしゃいました。
これについては、今の私には解説のような事もできないのですね。そうですとも、違いますとも何とも言えないので、
あくまでも受講生さんが、人生それまで得た知識があるうえでの感覚だと捉えて頂ければ幸いです。
平和な海にいるとき、私達はいつでもその状態ですよ
だから、そういう状態でいる時の海中でのEBISUさん達の声に癒されるんですね
講座のご案内
出来る限りご希望の日程で開催できるようにしたいと考えています。
ご希望の受講日をお知らせ下さい。
スルールの開講日程も講座の後にお知らせしていますので、ご確認宜しくお願いいたします。
新しく加わりました
講座日程
最後に
自分の感覚が的を得ていたとその後医学的に発見されたり、「これは良い」という調整法やワークと根底が同じものなどが、すでに昔から存在していたと後から知ることが最近は益々増えました。まるで「そのまま進んでいいよ」と後押しされているような気持になります。
励みになるし、出来る限り「善」の領域でことに当たりたいと願っています。
また、今回の記事を書くきっかけとなったのは、ブログにも書いた「ゆるめる体験」に参加した際の、講師の方が素晴らしかった。
私が参加した講座に今は専念されていますが、カイロはプロ中のプロでいらっしゃったようですし、カイロも多くの方に教えたそうですし、加えて他の多くのボディケア・ワークの知識を経ていらっしゃって、実際に説明の際に触れられたり、質問に答えてくださったりしたのですが、触られた時には先に書いた経歴などは一切存じ上げなかったのですが(この方凄いな)と意味もなく感じたし、クソ生意気にも(触るのが上手だな~)とも感じたし、質問も、私がどこのナニを知りのか瞬時に理解してくださって、そんなこんなで、ここ数年私の参加した講座類ではTOPでした。(私にとっては)
ですから、この記事を書くため。というか、イマイチ言葉にできていなかった「クライアントの自己回復力のスイッチが入る」というこの感覚について、私が再確認するために体験しに行ったようです。
講師のお二人共に素晴らしくて、感銘を受けました。先生と呼ぶのは無しってことで。とオープンな感じが伝わってきました。
「教えたり、伝えたりするのが好きだからついつい沢山伝えちゃう」とおっしゃっていまして、多分私も似たところがある。(笑) しかし、教わるのが心地いい先生でした。
私も自分で、講座の際に、焦点がぼやける程お伝えるのはアカンな、と気をつけたいのですが。その他の時についついやっちゃう時がある。
この時体験した手技を私はメインではご提供しないのですが(というのは、まだこの手技が熟達しておりませんので、行っている時の幸せ感が現在すでにご提供しているものが高いからです。幸せが湧く域に達していないというだけなのでしょう。)、総合心体カウンセリング™ の際に、一部取り入れてますが、個人セッションや講座・練習会でお会いする方には、希望があったら余談の中で当面ちょっと体験して頂こうかな。と思っています。
触れ合う時の触れ合い方も
この時の話ではありませんが、筋反射をとる時も触れ合いますが、もっともっとゆっくりとじっくりと触れ合うって良いのです。原始反射のお話をされているかたも最近増えましたが、触れ合うって感覚が育ちます。
グラウンディングした自分の感覚が育ちます。
こういった感覚が大人になっても育っていない方も多いです。
肌感覚と言うか、体感覚が捉えにくい方もいらっしゃいます。または過敏。(どちらも、その状態がHAPPYならばその方はバランスがとれている) 鋭敏なら良いのかという話ではない。
大人になったら自分でその感覚を育てれば良いんだし、育てることが出来ると信じていますし、バランスを取り戻せばいい。
大切なのは続けることですね。
育てるってそういうことだと思います。私は。
あなたも一緒に始めませんか?
(2018/04/15)(2018/04/16に「最後に」を追記)
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