キネシバカ。集まるとキネシバカ会。実は心理研究員。

どんな人生が幸せなのだろう?

情熱が湧くことが有る人生を実感することが出来る幸せを

  • やる事はやる。
  • 結構まじめにやる。
  • やりがいがある。
  • 達成感がある。
ということも知っている私は以前はピンときませんでした。

 

「情熱って何?」

 

こんな感じでした。

 

割と得意に感じる事をやっていても「私には情熱がある」という感覚とは違っていましたし、
得意な事をやりながら「楽しい」「今日も上手くいった」と思う事もあれば
何も思わず淡々と過ごす日も多かった。
それも今思うと、淡々とそれを進めていく類の「情熱」だったのだと思います。

 

バカ笑いをする友人もいたし、生活に笑いもあった。
心の中まで動くような「感動」があったはずだけど、
物事は刹那なので、過ぎてしまうと「私は沸き起こる情熱というものを知らないのではないか?」と元に戻ったよう気持になっていたようです。

 

そんな私が、「情熱が湧くということを実感したい!」と強く思っていたかと言えばそうでもなくて、
私の場合 情熱のある人生というものを漠然と映画やドキュメンタリーや書籍などによりイメージは出来るけど
それを「欲する」ところまではいかなかったようです。

 

ですから、どこか冷めているような自覚があったのもこういったことが影響していたのかな?と。

 

私の場合、得意な事をしている=情熱があるのを感じる という事では無かった。

 

ですから、
人様に「情熱のわく人生を送った方が良い」などという事はおそらく一生言わないと思う。

 

どちらかというと、「情熱のわく人生が分かる? それは幸運でしたね」という気持ちです。

 

探したら見つかるものですか? 私には分かりません。

 

私は探していたようでもあり、諦めていたようでもありましたし、「人生こんなもんだろう。」と高をくくってたようでもあり(だって他の人生生きてないから知らないし)ましたから、
「情熱が湧くという気持ちが分からない」とお話になる方の心中はお察しします。

 

情熱が湧くようなことに出会う事が「1つの幸せ人生」なのではないか?と思っていた。
他にも幸せはあるだろうけれど、「情熱がわく」ということは幸せを感じやすいとても大きな事では無いだろうか? と。

 

それは身体の底から思考をとびぬけて無条件に「愛している」という本能が沸く相手に出会うかどうか と言った類の事ではないか?とも思いますね。

 

それはなかなか高い確率ではないそうですが、そういった相手に出会う事が幸せなのか、出会った後に添い遂げることが幸せなのか? 「そこまでの衝動はないけれど心穏やかに過ごせるパートナー」と過ごすのが幸せなのかはわからない。

 

そういう意味でも 情熱さえ湧けば幸せなのか? かどうがは分からないのですが、
何度も書きますが、私の場合は「人生一度と考えるのなら、あぁ情熱が湧くというこの感じを味わえて幸せだな」と思っています。

 

体験できてよかった。
出会えてよかったな。と。
有難いことだな。と思っています。

 

それが今私が行っている心体カウンセリング™ です。

 

そして、私自身も、クライアントの変化を見ていても、仲間を見ていてもそうですが、
「自分の心を研究して、ストレスケアに向き合った方がその先、延長線上に【その方 本人の幸せ】を感じやすくなっている」という強い傾向があるという事です。

 

 

心体カウンセリング™ の中にキネシオロジーがある。

そんな私が情熱が湧いていることは、「人間の神秘」「人間の心理」「人間の底力」という事で、関連して心体カウンセリング™ 。

 

人間の心理・精神は、子供の頃からライフワークのように自主研究していましたのが、内外部の刺激により私たちがダメージを受けることもあるし、回復することもある。という事を知り、「回復する方法があり、それをするときに一層良いモノの見方、考え方がある」ということに喜びを感じるのです。

 

そして、その「より良さについて話し合ってみよう」という会が「キネシバカ会」です。

 

馬鹿がつくほど夢中になっている私達は、おそらく情熱が湧いているでしょう。
少なくとも、私はこの手の事には情熱が湧きます。

 

「会」は出入り自由です。
その会に参加しておしゃべりしている間は「キネシバカ会員」
出入り自由なのでわざわざ会員勧誘もありません。

 

会って、喋っていて、それが楽しければ「キネシバカ会」会員。(笑)

 

しかし、この「キネシバカ会」会員は非常に研修熱心で、他のみんなの意見を聞いて「ほほ~~~。それは凄い」という意見も行動も見せて頂いてます。
喋るだけではなくて、行動も伴う彼女達に尊敬の念を抱かずにはいられない。

 

そう、「キネシバカ会」会員は、心理研究員でもあり、事例検証員でもあり、自分研究員でもあるのです。
ですから前回名古屋で「ゆんたく会」にご参加いただいた方は、あの日は会員でした。

 

「会」が無い時も情熱は湧いていましたが
しかし、この様な話が思う存分できて、基本知識が共通という「会」があることが私自身の情熱に影響しているはずです。
影響についてまだ上手く表現できないのですが、元からの情熱に「楽しさ」が上塗りされた感じでしょうか?

 

どれもこれも有り難いことです。

 

フラットでいきたい

集まっている最中に「会」と呼んでいるだけなのですが、私の勝手な希望がありまして、
それは「会長がいないこと」です。

 

会長が居ないとまとまらない。のなら、まとめなくて良いと思っています。だって、好きな事をお喋りしてるだけだから。

 

これからも、フラットな会が良いな~と思っています。