静寂の真我?

Facebookファンページに、前回のコラムが2020年最後と書きました。

嘘を書いて申し訳ありません。

 

下書きがもう1つ残っていましたので、こちらが2020年最後のコラムとします。

 

静寂の真我?

さて、最近読んだ本か、目にしたネット情報の中で

「静寂の真我」という言葉を目にした時に、

(それって、あの感覚のことかな?)と頭によぎりました。

下は、何にも感じなくなった一瞬(コンマ何秒とかではなくて、もうしばらく時間がありましたが)の体験と、その体験の後、(なるほど!)と思ったことを書いたコラムです。

なんにもない。怒りも喜びもこだわりも欲求も。

 

どえらい神秘体験だ! とは飛びつかないよ

こうゆう事なのかな?と頭に浮かびましたが、どえらい神秘体験だ! とは飛びつかないです。

 

こういったこと(↓)を書いてきたのもあるけど、体験へのネーミングの正誤よりも、体験から何を感じたのか?が私には深みがありました。

エンパスと憑依と見えるもの、感じるもの

 

 

 

人智学という考え方ー5 生命意図

 

人智学に関してのコラムを全部書き終えて、ふと思いました。

「法則」「教え」「信仰的な教義」も囚われなければ無いんだなって。

逆に、あると思えば、あるんだなって(または、あるように見えてくる。)

 

こういったことも、過去に何度も書きましたけれど、その理解に深みが増してきたような気持ちに一瞬なりました。

 

信じたように世界は見えてくるんだろう。

録画した映像が無い限り、FACTだって人の数ほどあるんだもの。

 

 

しかしですね、いわゆる現実とのバランス感覚も人それぞれなものですから、特定の「法則」「教え」「信仰的な教義」についての信じ方も多種多様になってきますね。

2つのファクト。なぜこんなに認識が違うのか?

 

 

「私達の認識と脳内の特色」と「宇宙論」と「量子力学」

 

私には説明しきれないことも世の中に多いので、体験も含めて、(不思議だわ〜)と思って過ぎていきます。

割と静かに、淡々と過ぎて行きます。

 

断定はできないですね

「法則」「教え」「信仰的な教義」など。私が発見して提唱しないものは、その正誤などわかる訳ありませんものね。(誤っていることが証明できない限りは、嘘って言ってはいけないらしいです。)

 

ただ、またそれを書くのか?と言われても書きますが、

ストレスケアを人生に取り入れることを強くオススメします。

 

とはいえ、ストレスケアのつもりで行うものの、豈図らんや、余計に厄介がこじれてくる手法のものもあるでしょうが、

それでこじれるも、こじれないも

扱う側の問題という一面も確かにあると思います。

 

ストレスケアの仕方、伝承のされ方一つで、その内容も元々のエッセンスも大きく変わることがあります。

 

「ルールじゃなくて、扱う側の話だった」ーサイト「コスモ」より

https://cosmos358.amebaownd.com/posts/9460634

 

2020年も色々書いてきましたが、私も日進月歩です。

私も「扱う側」としての指標、それが健康的に感じるのかどうか?を大切にしていきます。

 

そんなつもりの私の今後の日進月歩ぶりをコラムを通して見守っていただけましたら嬉しいです。

いや、見守るだけじゃなくて、ヤバいと感じた時には「ヤバくない?大丈夫?」と実際に問いかけて下さい。お願いしますね。

 

コラムを読んでくださった皆様へ

コラムを読んでくださった皆様。

ホームページに来てくださった皆様。

 

2020年はどんな一年でしたか?

どんな一年だったにせよ、一度ご自分を労って下さい。

 

大変良くできました。の方も多いと嬉しいです。

そして、2021年はどうなると良いですか?

皆様がご多幸を感じる一年になりますように! と、私からもお礼と共に祈願申し上げます。

 

2020年もありがとうございました。

2021年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

(2020/12/30)

 

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