洞察力の育て方

洞察力は育てられるのか?

はじめに

今日は「洞察力」について書いて行きたいと思う。

多くの方とお話してきて、「洞察力」とはどういう事か?がまとまってきた。

インターネットの検索窓に「洞察力」と入れると沢山の回答があるでしょうが、私の場合はこのホームページにコラムを書いてきているので今までの記事も参考になるかもしれません。

多くの方とお話してきて、私が思い当たった「洞察力」とはどういう事か?

脳のクセ。資質。

頻繁に更新しているメインブログでご紹介したこちらの記事。

この記事でご紹介している映画の中で、アンソニー・ホプキンスが自分の予知能力について質問された際に「洞察力と飛びぬけた直感のようなもの」と答えていました。

そして、書籍の方は、作家田口ランディさんの洞察力とそれを表現する表現力が凄いと感じました。そして、作家さん達はこういった力があるから書けるんだと敬服しているのです。洞察力のある方の素晴らしい表現にふれるとまるで自分が元から気がついていたような思い込みが起きるし、まるで最初から自分の言葉だったような記憶変換がおきる。

 

作家ではなくても、実際にお会いしたり、お話したりした多くの洞察力を感じた皆様に共通していたのは、やっぱり理性だった。

人間だから感情はあるんです。感情があるのと、それに受ける影響の大きさは人それぞれ。

おそらくそれが脳的な理解をしようとするとこういった事じゃないかと。

(2020/3/15現在 ホームページのアドレス変更に伴う記事内リンクや画像の修正を行っています。記事内リンクなどが切れていましたら 修正が完了するまではお手数ですがタイトルをコピーして、ホームページ内をしらべる検索窓へペーストして調べでください)

気合と精神力、素直さではカバーしきれない、あなたが気がつけない脳のクセ

興味があるかどうか

洞察力や直感は、それに興味があるか無いか?も関係するのですが、興味の深さが関わってくると思います。科学者が「ひらめく」時もそうだと思っていますが、興味の持ち方とも言えるのかもしれません。

ただ、これも脳の特性とも言えるような気もします。

仏教の言葉になるとこれなの?

書籍「座禅ガール」の中に仏教の観察について

一切のものをあるがままに観察する。これが智慧。

とあったことを引用すると、「智慧が働いている」という表現もできるのかもしれませんね。

 

例)私が自分をジッと見つめてわかったこと

自分のことも、感情を脇へ置いてジッと見つめるととても多くのことが見えてきます。

難しい理論や理屈も脇へ置いておくと良いみたい。

有り難い「教え」も同じく。

欲望や願望もおなじ。

「自分はもう少しまともな人間だ」という自負もいったん脇へ置いてみる。まともかどうかの判断は脇へ置いておく。

 

こうすると結局のところ

一切のものをあるがままに観察する。

ことになるので、一周回って同じところに戻ることになりますね。

 

どこを一周まわったのか?

楽になりたい。とか、生きづらさを解消したい。と感じた自分が「楽になるために。」「生きやすさを感じるために」です。

それを阻害しているのは、案外「悟りたい」という覚醒欲や野心かもしれない。

難しいことを考えたり、難しい言葉を使う事が本来の自分を取り戻すことから距離を離すことも多い。理屈じゃないってことがある。

ヒトから抜きんでたスキルや魔法のツールを手に入れて解明しようとするほど本来の自分から離れることもある。

 

多分、探求心により先へ先へと歩を進め、そもそもの出発点を忘れてしまうんだと思う。

ところで私ってどうなりたかったんだっけ?

ところで私ってどうなりたかったんだっけ?

私は本当は何を求めていたんだっけ? どうなりたかったんだっけ? がもうわからなくなっちゃう。

羅針盤を手に持っていないことに気がつけない。

いつからそれを手放したのかも気がつけない。

最初は「気がつく」ことから

気づけば変わると言う大嘘

という名文句が書籍「座禅ガール」に登場していました。

私の過去のコラムにも

盲点は、「適した対処方法を知らないという」ただそれだけのことだった

と書いていたので、(わかるな~)と頷きました。

悟りと言うイメージに救いを求めるとき

 

気がついた。その次は「対処」

気がついた。

で、どうしたら良いの?

ということだと思うんですよ。

 

そういったご相談を心体カウンセリング™ で受けています。

どうぞご利用ください。

心体カウンセリング™ について

 

被害者意識と依存心

被害者意識と依存心が気づきを遅らせることがあると思う。

気がついても手放せないこともあると思う。

だからこそ、最初は「今 どういう状態か?」ということをただ観る。

 

それは、書籍の中の仏教の言葉として

夢の中で覚めている

と書かれていました。

悟り欲や覚醒欲というものが「夢」真っただ中で覚めることを邪魔することだってあります。

「教え」に傾倒して

自分の認識として自覚して生きる事

を難しくさせることもあるようだ。

 

脇道、遠回りの道も偉大な道。脇道も遠回りも実はない。

私もいろいろ書き、脇道や遠回りも沢山しました。

脇道や遠回り、無かったことにしたいような失敗や恥ずかしい記憶もありますが、それがあっての今だな~というのは やっぱりそうなんです。

 

人生には変化があり、グラグラするようなこともあります。

グラグラしてみないと、それが一体どういうことなのか?が分かりません。

グラグラが終わった後に、「あの時はグラグラしてたな」「今はあれが終わってるんだな」と気がつける。

 

自分を整えるという対処法をお薦めしています

そういったこともひっくるめてケア・整えることを人生の相棒にしておくと楽です。セルフケアもとてもお薦めします。

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必要のない過剰な不安や恐怖が整う。という体験を皆様にして欲しい。

自分を整えるという習慣を身につけて貰えたら嬉しいのです。

 

そういった、安心感、安定感があなたの洞察力を育てるのだと今は考えています。

(2020/03/15)

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