(2018/12/19)
「宇宙の地平」と私達の認識の相似形について私風見解
Contents
前書きとお礼
昨日、嘉手納公民館で「脳をグレードアップしよう!」という目的で、脳内、心、思考を整理したり、図形にアウトプットする、見える化する2days講座の初日を開催しました。
その際に、以前の「キネシオロジーのストレスケア教室」にも参加して頂いている受講生さんが
「ブログ読んでます!」と教えて下さって、とっても嬉しかったのですが、その読んで下さっているという言葉に続いて、「宇宙論とか量子力学の話、私とっても好きなんです!」ともお聞きしました。
この女性のように、好きな方の方が絶対的に知識は豊富だと思い、かえって私がご教示頂きたいのですが、心理や精神や認識との相似性や共通性のように私が感じたことだけは自分の意見として書けるので、「楽しく読んでます!」とおっしゃって頂けるととても嬉しいです。(^^)
この記事も、早く仕上げないと!と気になっている最中だったので、「次の記事も早く書いてアップしますね!」とヤル気を頂戴しました。
ありがとうございました。
うつでもない。疾患もないけれど、ストレスケアに心体カウンセリング™
また、ご紹介でお越しいただいた男性のクライエントさんも
「ホームページ読みました」と教えて下さいました。
「自分はうつでもないし、疾患ということではないんですが、そうなるとどのメニューを申し込んだら良いのかな?」と思いつつ「ストレスは感じますから」と心体カウンセリング™ をご利用されました。
心体カウンセリング™ の前後のストレスの感じ方の違いに
「これはどういう(理屈、理由)ことで、このような感じ方の変化がおこるんですか?」「これは良いですね! また来ます」という会話がありました。
私の心体カウンセリング™ の基本は、
- ストレス対処、ストレスケアをして心も頭も体も軽くなると、人生が生き易くなる。
- 人生を楽しんでみようという意欲がわいてくる。
- 生活で笑い声や笑顔が増える。
というものです。うつ症状や疾患、〇〇障害ということを治療ということではなく、どんな状態であれ、ストレスが引き金になって状態が悪化するということがあるので、悪化を回避し、早めに回復するためにもストレスケアということをします。
ストレスケアによって、これら諸症状が治まることだってありますものね。
ですから、自分の心と脳、体が外界からや他人からの影響で心地よさを失っていたり、大切な時間を失っていると感じるようでしたら、どうぞ心体カウンセリング™ をご利用ください。
この時も貴重な会話をありがとうございました。
今日はこの記事の続きです
前回書くつもりだったけれど、今回に回したところを書きます。
「宇宙の地平」と私達の認識の相似形について私風見解
もういきなり本題なのですが、
そもそも何をもってこのような記事を書いているのか? マニアックに思えることを書いているのか? ということを一度まとめますが
自分と他人様の脳は違います。脳のクセも違います。
これは、認識や感じ方の違いになるし、反応も当然変わってきます。
私はそこに興味があるので、「なぜ?」「おや?」という自分の反応を元に、蜘蛛の糸のようなものを辿ってきたら、まさかあるとは思っていなかった「ひとまずの結論」というような感覚に出会いました。
前回の記事は、その「ひとまずの結論」の後日談のような、番外編のような内容です。
今日の記事はその番外編の続編という位置づけです。
この図は、雑誌のイラストをそのまま使えないので書き直したものです
この下の図はクリックすると拡大されると思います。拡大して目を通してからこの先をお読みください。
宇宙の地平
宇宙の地平という言葉が、学術論文(であっていますでしょうか)使われていました。
「時空領域の最も遠い境界」だそうです。
東洋医学でも昔から人体に宇宙があると考えられていまして、私も自分の体験や感覚から「人体に宇宙があるということを最初に言い始めた方はきっとこのような体感と感覚があったのだろう」と理解できた時がありましたので、この説には賛成しており
今回書いている「私たち個々の認識の差」と宇宙論の相似形(量子力学的なルール)が今回の「宇宙の地平」という解説を読んだときに見えたんですね。
私達一人ひとりは共通項や、共通認識、意識、集合無意識もあるでしょうが、認知できることはそれぞれだと思います。
知識の有無で、見える景色や聞こえるものも変わりますし、知識が無いからこそ見えるものも聞こえるものもある。
興味の有無でも差異が生まれます。経験値によっても異なります。
他人と同化していく脳のタイプであっても、そのすべてを再現はできません。
これについては私の中に、「そんなことは無理よね」という考えはありますが、理論は説明できなかった。
バレリーナさんの意見は参考にご紹介しましたが、ご紹介したのは理論ではなく、私の言いたいことはこのバレリーナさんもおっしゃっています。という事で終っていました。
なんと、私の「おや?」やバレリーナさんの意見のご紹介で終っていた、これにも理論がありました。
棚から牡丹餅、オマケにしては大きな情報でしたが、
これは量子力学では「量子複製不可能定理」という名前でした。
「これは身体というか、存在が別である限りそうだろう(正しい意味のコピーはできない)と思うのです。」
というのが私の言葉で、この学者さんの言葉ですと
「2人の観測者に見えている2つの姿が両方正しいことはありえない」になります。
私は理論の存在すら知らないけれど、その知らない法則上に反する「なし」(または「あり」)という事に対して「おや?」という違和感をもつ感覚も、量子力学を知らなくても脳に感性としてあるんもんなんだな。と思えたし、この感覚・感性こそ他人様(自分以外)との宇宙の違いだと感じた。
それは、知らないことに対しても、画像をアップした、私のノートのメモ(読みやすく加工しました)にあるように、
それが私の宇宙の地平(境界)よりこちら側でしたら、無意識領域でも知覚できるのかも知れない。(あくまで、私の仮説)
また、認識できる範囲の違いこそ、その各々の宇宙の地平点の違いだと思います。
ワンネスという定義を私は正しく行えるほどの知識はありませんが、ワンネスが1種類だけならユニバースなのかもしれませんが、マルチバース(多宇宙)になると、ワンネスという言葉が意味する状態がいくつもあると考えられるのかもしれないし、
個々の器質があるように、個々の宇宙もあり、それを内包している宇宙もある、またそれらの一回り大きな宇宙もあったりという入れ子の箱のようにイメージすることも出来る。
内包ばかりとも限らず、泡宇宙、インフレーションという並行したマルチバース(多宇宙)もあるという考え方もある。
書いた方が良いのか? とっ散らかるから悪いのか?
無意識領域というまた別のキーワードを書かない方が良かったのかもしれませんが、しいて言うのなら、集合無意識領域とのコンタクト量というものは人によって異っているようにも思える。(異なっているのか、知覚量や反応が違うだけなのかはわかりません)
私には有るものが、他人様には「ない」ということもあるし
その逆もあります。
私に見える相似形が他人様には見えないこともある。その逆もある。
見える、見えない。理解できる、出来ない。ということも同じ。
ついさっきの宇宙の書き方で言うのなら
内包宇宙も、並行宇宙もあり、そこにそれぞれの宇宙の地平が関わってくる? という事も実は今生きている私達の認識の違いに非常に共通項があると私は感じました。
以前は、量子力学と言われても「ふ~~ん」と反応するだけでしたが、今になって「それならもう日常になんぼでもあるじゃん」というこの変化も、私の宇宙の地平内にないと起こらないはずですね。
私の宇宙の地平以遠にあるものは、「ない」ことになりますし、光速を超えるスピードで遠ざかっているはずだから。
私が一番納得した表現
今が3次元なのか、時間があるから4次元なのか?というような記事を前に書きました。
今日の参考誌の学説の解説の中に、
「僕らは空間の3次元に時間を足して4次元の時空にいる」
ー日経サイエンス 2017/09 「マルチバースと多世界」より引用
という、またまた1つの結論が書かれていました。
次元と時空という言葉を使い分けたら良いんですね。なるほど!ととってもわかりやすかったです。
興味を持つと、道先案内人のようなお知らせが来るもんですね。(私はこんなことの連続です。有り難いですね。多分皆さんも同じだと思います。)
興味がありましたら、是非お読みください
このイラストの原型は、前回の記事でご紹介した雑誌の記事です。
タイトルにAmazonへのリンクが貼ってありますので、詳細はAmazonでご確認ください。
おそらく、私が宇宙論や量子力学のような話を書くのは、今後も稀だと思うし(これっきりかもしれません)、今回この記事の後は、なんの予定もありませんが、
私の願いとしては、「それは〇〇論です」という単純な情報提供で終るのではなくて、私が解釈として書いたことが正解ではなくても、読んで下さった方がそれについて少しの時間でも考えて頂くと嬉しいです。
その時に「わかりやすい」がご提供できたら嬉しいです。
私が何かを「〇〇論です」や「○○の法則です」と判断するのではなくて、私と考えが違っていても「一緒に考えていく」ということのきっかけになると嬉しいです。
私はそうは思わないわ。という方もいらっしゃるでしょうし
雑誌を読んでみよう。でもいい
そういう見方があるとしたら、〇〇とはなにか関係があるだろうか? 等なんでも良いのです。
こういった事も、1つ、直接相対してはいませんが、コミュニケーションだと思っています。