女性に起きる「憑依と解離と、自分の中心不在」をアスペルガー症候群と理解する可能性。
Contents
はじめに
過日、心体カウンセラー™のFacebookファンページに下記の投稿をしました。
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やはり脳が違う
⚪️人生観ってなに?よくわからない。
⚪️ファンタジーが好き
⚪️数字が得意
⚪️小説苦手
⚪️鵜呑み、丸ごと取り入れるのが得意
⚪️こだわりが強い(食事とか)
⚪️思考が感情に凌駕されやすい
⚪️影響を受けやすい
私がコラムに書いた記事は、この脳の方々には不向きな考え方だと言う事がハッキリしました。
この中で私の脳の傾向を書いたけれど、上記の方達の脳の傾向を書かなくては。
またコラムに書きますが、そのコラムを書く時に、私もその方たちの脳に合った書き方を心掛けないといけない。
同じ言葉を使っていても、やはり捉え方が違うこともわかった。
そして、この記事に【環境の影響】と言う事を書いたけど、この方達の脳のタイプは心因性ではなくて器質性だから、自分がそうなった理由探しは的外れな時がある。
今日はその新しいコラムをアップできそうに無い。一晩か二晩 寝かせます。
書けたらお知らせします????
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そして、私はこのあと、非常に難しいことに気がつきました。
脳の違う方へ伝わる書き方に悩んだわけではありません。これは、そのつもりで精一杯向かうつもりだけど、完璧は無理だろうと思っているから。
私が困ったのは、私の価値観や私自身の刷り込みを外さないと、ただの私の感覚との違いとか、体験記しか書けない。
私の人生観を持ったままでは、特性を尊重した記事が書けない。
ですから、自分の枠を ぐぐっと広げないと私が目指す記事が書けない。
それには、ある種の愛が必要だと思った。
先ずは訂正から
⚪️人生観ってなに?よくわからない。
⚪️ファンタジーが好き
⚪️数字が得意、または数字を扱う事と似た脳の使い方が得意。
⚪️小説苦手
⚪️鵜呑み、丸ごと取り入れるのが得意
⚪️こだわりが強い(食事とか)
⚪️思考が感情に凌駕されやすい
⚪️影響を受けやすい
不思議なもので、なぜか数字だけが「特性」として取り上げられることが多い。わかりやすいからだろうし、それだけ情報が多いからでしょう。
特徴的な脳と言えば確かにそうですが、私が注目したのはそこではない。ということです。
そういう意味で、「数字を扱う事と似た脳の使い方が得意。」と書き加えました。それが建築に関する何かの特異脳だったり、人間関係を(数字のように)脳のそこで処理しているのなら(例は他にもいろいろあるはずです。)このカテゴリーにはいる。という前提に立っています。
そして今日の記事は、対 女性です。
そうなんです。
数字と言えば。みたいにアスペルガー症候群が思い浮かんだ方もいらっしゃると思いますが、
今日の記事の対象者は 女性 です。
ということで、早速書いてまいります。
私が注目したのは「解離と憑依、自分の中心不在」
では、私が注目したのはどんな傾向か?というと、
タイトルにも書いた「憑依と解離と、自分を中心とした感覚の不在。」です。
これについて今から書いていきます。徐々に上の ⚪️印の内容がご理解頂けると良いなぁと思っています。
これから書くことは、今までの人生に登場した複数名のこの症候群の可能性がある方の傾向です。誰か特定のということではなく、私には複数名という少なさなりに確率を考える時の母数があり、その集合から傾向を抽出しています。
ネットや本で調べることは簡単だけど、それが私の体験や実生活でどう感じたのか?ということです。
特徴 憑依と解離
とても影響を受けやすく、信じ込む力も強い。
誰かに聞いた話を数分後に「ひらめいた。」と発言した方もいらした。気に入ったことについてはその傾向が強い。
また、影響を受けやすいので、近くにいる人色に染まる。本人がその人を好きでも嫌いでも、染まるということは避けられないようです。
1日ぶりという「ぶり」というほどの時間じゃないと思えたとしても、まるで別人のようになっている時がある。私はお陰様で今まで複数名の方とこの傾向の方々とご縁がありましたので、その別人になって登場した姿を拝見すると「あぁ、会わない間に(今さっきまで)こういった性格の方と一緒にいたのだな」と察するようになりました。
一緒に居た方が、毒舌家なら毒舌になって登場し、皮肉屋ならそうなって登場。無邪気だったり、朗らかだったりというアナタは居ないというようなことです。
その特徴が強まると、「憑依がおきてる」とわかりやすくなります。(正しい表現は後程登場します。)
解離については、解離性障害という名前もあるんですが、今日書いている症候群の方はそれが起きやすいと経験上考えていますが、実際にそのように紹介されていました。
それを私は心因性や心の癖だと理解する傾向でした。そう思うから、
自分とのつながりが薄いのなら、自己一致するように外れない訓練や努力をしたほうが安全ではないか?と思っていたんです。
さきほどの、私が「再会したときにまるで別人のようになっている。」と感じた時にそれを多重人格と感じる方もいるでしょうね。そう感じるのはおそらく後から書く構造からよるものではないかと推察しています。
しかし、心因性ではなく、器質性でしたら、話は違うな。と理解が進みました。
憑依ではなく同化
この症候群の方は「同化」が得意なんですね。
当人も同化しようとするから、そもそも何かが外部から憑依してくるというより、自分から同化していくという脳の傾向があるとのこと。
同化が癖で、「あぁ 良いな」と思ったものには積極的に同化してマネをします。このマネにも特性があるということをあくまで私個人の経験で学びました。それは、2次元的だという傾向です。言い換えれば平面です。スライドが増えるイメージ。
それを条件反射でおこなうというのが脳の特性なので、自分をしっかり持とう。という精神論で対処することではない。
〇〇障害や、〇〇症候群というのは、誰でも持つ資質で、その現れ方の多少という量的傾向によりカテゴライズされるだけだと思っており、そもそもこの状態が当人にとっては「自然な状態」だということです。
自分の中心性が無い。自分軸が無い、作りにくい。ということが本来の脳の傾向だという個性。
しかし、それ故に一種のアイデンティティの飢餓感がある。
だから同化をする。スライドを増やす、増える。
おそらくこれが自然な脳の状態なのだということです。
精神性がどうとか。という事でもなく、心因性のことでもなく、器質性だと書いたのはこのような理由からです。
同化して取り込んでいけば、それが個性になるのではないか?
同化して取り込んでいけば、それが個性になるのではないか?
成長期にマネをして大人になっていくよね。
この時に、先ほども述べましたが、
私が拝見して感じたことは、人格が変わる(ように見える)ことはいつか終わるのだろうか?
心が満たされたら終わるのではないか?
と考えて、そうなるのでしたら、それは平面ではなく、立体です。
この症候群の方の特徴は、同化するのは平面的のようなので、
それはパソコンで作業する際の「新しいウインドウを開く」「スライドを増やす」という事のようでして、これが連携されていかないという傾向があるそうです。
そして、どんどん新しいウインドウは開き、スライドは増えますが、それを個性になるほど維持することも難しいらしく、個性という立体として統合されにくいとのこと。ミルフィーユ状態でかさなり、1つのケーキのように一見見えるようになる。本当は薄いシートの積み重ねだけれどという意味。
脳の特性として、それを融合することは難しいようです。
維持するのが難しくても、それでもウインドウが増えすぎた、スライドがありすぎて混乱がおきると、心体に不調がおきる。
そう考えると、依存という傾向があるのが脳の自然な状態であるのだと理解しました。スライドがある程度あることがアイデンティティーの確保だという脳の構成でしたら、依存はスライドの補給先の確保というイメージなのかもしれないです。
自分の歴史や人生観というようなことになると、アイデンティティーの一貫性に欠けるという特徴があるとのことでした。
その時の環境の影響を大きくうけるのならば、その時の環境のその色に染まりがちでしょうから、アイデンティティーは一貫しにくいということに繋がるのはそうでしょうね。
「ブレる」とか「ブレない」のを、精神力や心磨き、信仰、教えだけで判断すること自体、最初から間違っていたのだと認識しました。
当人も影響をうけるので、これらの「正当な理由があるように感じる」意見に左右されて、本来の特質とは的外れな方向へ行きますと、新たな苦しみを生みます。影響を受けるものを吟味して選ぶこともひょっとしたら難しいかもしれませんね。身近な環境がどうなのか?次第なのかなと推測しました。
その時はそうなっても、環境が変わると一掃に近いことが起きるようだから苦しみは長引かないのだろうか?
ケースバイケース過ぎて何も書けなくなりました。
ですから、私が「人生観」などと精神論的な事を良かれと思っていても、そもそもそれはご本人にベストマッチな提案とは程遠いということですね。
ものまね
私もなにかを説明する時など、モノマネをしたりしますし、環境の影響をうけることも当たり前にありますが、
誰かの何かがとても気に入ったとしても「表面的なモノマネはできても、表面に見えない本質的なものはマネできるものではない。」「(それが技術的なことならなおのこと)自分で育てていくものだ」というような前提があるのですが、これはひょっとしたら立体思考だと思う。
そういうことはさておき、「欲しい=コピー」「欲しいと思わなくても=取り入れる」という脳の傾向のようですし、複数名の方が実際にトライするということを何度も拝見しましたので、この症候群の方の特徴の1つでもあろうと思っています。
良いも悪いもなく持って生まれた脳の特徴であり、個性です。
そして、実際にはそれらが取り込めたと信じて再現しようとしたときに、「あれ?上手くいかない」という種類のことが現れてくるという事態も何度か拝見しましたが、平面の取り込みだけでは再現が難しいことも多いです。2次元を完全コピーしても、本質は2次元にはあまり現れていないことが多いですからね。
ナニカが憑依したからと言って、その先一生そのナニカのクローンのようなことにはならないのと同じですね。顔も違う、体も違う。
おそらく、経験値を無視して、なんでも取り込めると信じるという発想そのものが画面上のバーチャルリアリティーのような感じと似ているのではないかしら?
私は2Dも3D、今は4Dですか?というのゲームをしないのですが、立体を見ている平面という画面がありますね。(テレビの中で動く人がわかりやすい。)
3D眼鏡をかけたら飛び出してきて立体ですが、あれはあくまでも画像です。私はイメージ内の立体のことをホログラムと表現することがありますが、本物の立体と混同することはない。質量が違うから。
う~ん、ですから、空間認識能力という言葉は同じでも、それが発達していたとしても空間のとらえ方は脳のタイプによって全然違うのかもしれないと思うようになりましたし、意味を理解することが苦手という傾向もあるそうなので、小説などの言外や行間を楽しんだりするものが苦手ということは理解しやすいです。(2D以上の意味の部分を理解しにくいということは言えるだろうか?)
そのタイプの脳の方に「小説を読んで感性を育てる」というあいまいな事は、言葉は通じても、意味合いは「は?」という的外れになるんでしょうね。
映画やドラマや漫画のように、目にわかりやすい情報が入ってくる。ということが好ましいでしょうね。
専門書や啓発本は苦手じゃなくても、小説はちょっと・・・・という時に、無理強いしても脳のタイプが違うからそれはご本人にとって楽しくない。という事を尊重することが大切だという事ですね。
「良かれ」は私の、そして、あなたの価値観でしかない。
本を読めない若者が増えている、活字離れっていうのは、習慣もあるけど、脳のタイプが変わってきているという見方も出来る気がします。
感覚の過敏と鈍麻
痛みや温度変化などには鈍麻。自分の感情も鈍麻傾向の方も多い。
触感覚(触れる、触れられる)ということに問題がある方もいます。という傾向を目にしましたが、確かにわたくしの体験上も「人と触れる」ということにまつわると、何かいろいろあったな~と思い出しました。すぐに思い出せるので、やはり1つの特性なのでしょうね。
過敏については、あまり統一性はないかな。共通項は人のエネルギーのようなものに過敏というか、先に述べた憑依と解離が起きやすいということ。
その過敏も、私は過敏だという思いが強くなりますと、それ以前よりもそこがどんどんクローズアップされてしまいます。
こういったこともこだわりに含まれているのでしたら、
信じる力が強いので、自己暗示はちょっと注意された方が良いかと思いますが。
で、私がやってしまった事は、その方の「私はずっとこういう特性をもった人間です」という今のスライド状態で思い込んでいることを、「いや、前は違っていたからその認識は間違っている」ということを表現してしまいました。
これって、今思えばどうなんだろう?と思います。多分水掛け論にしかならない。ただ不愉快になるだけじゃないですか?
そして、この特性をしみじみと考えたた時にこうも思いました。
ファクトってなんだろう? と。
「今はそう感じている」という特性を受容することの大切さが、その時の私には欠けていました。
ライバル視をするということも特徴のように個人的には感じています
嫉妬などが起こると、それがその時の人格・スライドが以前と変わっていると関係が積み重ならない故に、今のその感情に飲み込まれて、人が変わったようにライバル視するような事が起こります。同性対象のライバル心に火が付きやすい。
それが始まると、ドミノのようにあちこちをライバル視するサイクルに入ってしまい、止まらなくなる。
それまでは、それをライバル視してどうなるんだろう?と思うけど、「あぁ そりゃあそんな気持ちは誰でも持つ時あるもんね。気になるジャンルだったのね。」と受け止めていたんですが、想いの強さ、こだわりの強さということと連動しているのだろうと理解するようになりました。
ある意味、念を飛ばしやすい。
そういったことは、おそらく無意識だと信じたいけど、欲しいものがあるとそこへ向かって取りに行っている(結局飛ばしている)のだろうと感じる時がありました。自分がお留守になるし、そういう行為はご本人にあまりいい影響を与えないのでご注意されることをお薦めしたいです。伝わると良いですが、それが良いことと信じている場合は難しいでしょうね。
それをやり始める時に、感情が動いて、無条件に飲み込む傾向があり、きっかけや情報を疑うという事をされないのも1つの特性だろうと推測しています。自分を拡散させる傾向の脳の仕組みだという説がありますから、躊躇もしないという事のようです。
思いの強さが自分を苦しめることもあるので、誰しも注意が必要な時があるということですね。
感情が勝る
人間は感情をもつ生き物ですから、感情が勝るという事は当たり前でもあるんです。理性的なつもりでも、結局感情的でしかないことは普通にあります。
特徴として、感情が強く働くことが連動していることも多いようで、感情が思考を凌駕する様を長い間に幾度となく拝見する機会がありました。
今の私は以前と違いまして、「それが脳の仕組みならば、治そうとする必要があるだろうか?」「それが本来の自然な状態ならば、本来の自分に戻ろうというセリフをこの時だけ除外することこそが尊重していないことではないだろうか?」と思う面もあります。
しかし、おぎゃーと生まれて、いろいろな特性を持った私たちが成長していくのも人間なのですよね。脳は成長していきます。
ですから、ご本人が「変わることを望む」のでしたら、訓練、レッスン、練習を重ねたら、また別の脳が発達すると思うんです。
変わる事の押し売り、変われて当然という意識、変わらないのは怠惰だと思う事、変わることが良いことという盲信は、やっぱりアカンなと。立派な教えにあるから大切だよ!という一本調子も妄信ですものね。
ご本人を苦しめるだけだな。と。
脳は傍から見えないから、ついつい価値観を押し付けてしまう事がある。
私は今回、自分の脳内を一掃する必要なあるな。としみじみ思いました。
以前の記事でいみじくも、OFF探しをしない。調整をしない。という選択肢について、書きましたが、
今日の記事を書いている私は、この記事を書いている時よりおそらく進化していると思う。
多様性について、認識をバージョンアップしたからです。
対女性と書きましたが
ここまでは、女性のアスペルガー症候群の傾向と言われている内容を、私の体験を通して書いてきました。
アスペルガー症候群は男性と女性では異なるとのこと。
もう一度振り返りますと
やはり脳が違う
⚪️人生観ってなに?よくわからない。
⚪️ファンタジーが好き
⚪️数字が得意
⚪️小説苦手
⚪️鵜呑み、丸ごと取り入れるのが得意
⚪️こだわりが強い(食事とか)
⚪️思考が感情に凌駕されやすい
⚪️影響を受けやすい
ということにも触れてきましたが、それ以外の私個人が感じる傾向にも触れてみました。
大切なことは、これらの傾向は誰しも量の差こそあれ、内包している傾向だと思っています。
生まれたままの、その方の特性。
私の中では、男性的アスペルガー症候群の特徴のままの女性もいらっしゃると思っていて、数字的な脳が強いことや、他者と折り合いにくい自我。
女性に特徴的なアスペルガー症候群とは違って、絶対的な自分軸が特徴かと存じます。
やりたいことを叶えていく思いも強い。手段はあまり選ばないかな。
ですから、自分と違うものになろうとして、私自身その方法が間違っていることがわからず遠回りもしましたが、どんな脳の傾向であれ、自分と違うものになろうとする思いを手放すことが特に大切なタイプもいらっしゃるということです。
自分軸、自分軸と世の中で言われるけれど、それは創るものでは無くて、持って生まれた感覚なのだとしたら、それを持って生まれない方もいるという考え方ができます。その感覚がゼロの方がいるのか、1以上はあるのか? 1あればそれは2,3と育つものなのかは一概に言えないという認識も持つことにしました。
自分軸というバイアスを一度捨ててみようと思い、この記事を書くことに望みましたが、伝わるように書けていると良いなとだけ願っています。
そして、あくまでも特性を理解するための記事なので、「あぁ私はそうなのね」と思って楽になるのならいいですが、そうでないなら鵜呑みにせず、自分の中の何%かにこういう要素があるな。という範囲でとどめてくださいね。
私がお薦めするバランス調整
私がお薦めするのは、バーチャルリアリティーとは遠い、リアルな「触れる」という調整方法です。
「体を動かす」でもいい。個人的な意見です。
触れるのは、
- ボディメタファーを利用した統合心体カウンセリング™
- ヘッド&フェイシャル経絡トリートメント
- 深層リンパドレナージュ
セルフメインなら
- じぶんでチャクラを整えたい!
です。(各リンクは下記に貼ります)
能力開発系の調整ではなくて、現在のストレスケア、自己調和をすることをお薦めしたいですね。
なりたい自分という事であれば、脳が変わる量の「行動」が安全で宜しいのではないかと存じます。脳も2次元ではなく、立体かつ、多次元ですから。
書籍例
「女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)」
(2018/04/29)